381話_sideout_討伐者街/『ホワイトファング』クランハウス_昼前
およそ一年ぶりに訪れるブラッドフォード支部の討伐者街をロアことソシエ・ロア・イストリと相方のストラトスことレキ・ストラト・ラヴィエは肩を並べて歩いていた。相変わらずの人の多さであり、火と鉄の街と呼ばれるロイエンタールを象徴するように、討伐者ギルドも活気と熱気に満ちている。元は砦を改築して築かれた討伐者ギルドの施設は内部にも充分な広さを備えているわけであるが、こと討伐者街――即ち商業用の区画となると一気に手狭感が増す。通路が狭いわけではなく、通路までも占有して商売をしている者が少なくないので、通路の所々にボトルネックが発生して人の流動が滞っているのだ。あまりに質の悪い者に対してはギルド職員が退去を命じたりして対策は打っているようなのだが、後から後から湧いて出るので完全に鼬ごっこの様相を呈しているように思う。
そんな人波であるので油断をするとすぐに攫われそうになる。ロアは鍛え抜いた体幹と体捌きを駆使して人の壁を割るようにして突き進み、要領の良いストラトスはちゃっかりとロアを盾にして追従することで楽をしている。
現在ロア達が居るのは女性向けの店舗が密集している区画であり、最近の情勢も相俟って目に入るのは基本的に女性ばかりだ。男性と比べて相対的に小柄であろう女性向けの区画でこれなのだから、同じ討伐者街の別の区画に存在している男性用のほうはどうなってしまっているのかはあまり想像したくない。
「討伐者って男社会だと思ってたけど、意外なくらいに女多いね」
混雑する通路を抜けて一息吐いた辺りで、ロアはふと気になったことを呟く。
「去年来た時もこんな感じだったっけ?」
「所感ですが、去年はこれほどではなかったと思います。ここは『赤原同盟』が居ますから、他所からも女性討伐者が流入してきて女性比率が高くなっているのでしょうね」
「たった一年でそこまで変わる?」
「噂が噂を呼んで、指数関数的な人口流入が起きたのでしょう。同時に、男性討伐者はむしろ他所へ流出しているのかもしれませんね」
この支部には女性だけのクランである『赤原同盟』と、その対抗勢力としての『パンツァー・ドラグーン』が居る。『パンドラ』が国内最大規模のクランであることは周知の事実であるが、対する『赤原同盟』は国内最大規模の女性クランであると言えよう。つまり、現状の討伐者界隈で女性討伐者が目指す頂とも言えるクランが『赤原同盟』であり、それ即ち王国中から女性討伐者が集まるということだ。
更に言えば規模が大き過ぎる『パンドラ』はここ以外にも各地に子クランを有している。となれば『パンドラ』に所属したいだけならば必ずしもここである必要はないが、『赤原同盟』はここにしかない。そしてこの支部での両クランの勢力図だけで言えば、現状は殆ど拮抗していると言える。未だ、構成員の人数的には『パンドラ』がだいぶ勝っているが、『赤原同盟』は人が増えるペースが尋常ではないし、しかも個々人の実力が比較的高い。実力は在れども活躍する場が与えられない、各地で燻ぶっていた有力な女性討伐者が次々に参入しているからだ。
「あと、これは聞いた話ですが」
「うん?」
「男性向けの商業区画は、これほど混雑していないようですよ」
それは不思議な話だな、とロアは首を傾げる。如何にこの支部の女性人口が増えつつあると言えど、まだ男性のほうが多いはずだ。女性のほうが買い物好きという傾向はあるかもしれないが、男性だって買い物しないわけはない。
「いえ、単に向こうのほうがスペースに余裕があるのです」
「あ、そうなんだ」
「ええ。ですので一部の女性討伐者は男性優遇で不公平だと声を上げているようですね」
そんな声の一部をストラトスは小耳に挟んだということらしい。
内容はくだらない気がしないでもないが、あからさまな不公平があれば面白くない気持ちはわかる。とロアが得心していると、ストラトスがこころなしか呆れたような雰囲気で言葉を続けた。
「ちなみに、この支部の前身となった砦は、現在ロビーとして利用されている中央部からシンメトリに左右に展開しています」
「へ? ああ、うん。そうなんだ」
「そして右手側の一部に男性向け商業区、左手側の一部に女性向け商業区です。まあ宿場街とか職人街とかもありますので必ずしも対称とは言えない部分もありますが……」
「もしかして、面積的には全く一緒?」
「その通りです」
となれば女性側がこんなに混雑していて、男性側にスペースが余っている理由とは、
「単に、女性向けの店舗が男性向けのそれよりも多いだけですね」
要は、同じだけのスペースに多くの店舗を詰め込んだ結果、土地が足りなくてはみ出すし混雑するという、それだけのことであった。
「そうかぁ……まあ、お店が多いんだからその分の土地を寄越せっていうのはわからない主張じゃあないよね」
「そうですね。ただ、それを男性優遇だと言われたところで、男性側にしてみれば『いや知らんがな』としかならないでしょうが」
強いて誰が悪いかと言えば、おそらくは施設そのものの運営権を持っている討伐者ギルドだろう。ただ、それとて女性向けの店舗が多いのはそれだけの需要が見込めるからであり、じゃあ需要として求めたのはそもそも誰ですか? という話だとロアは思う。
「とまあ、現在のこの支部の情勢は終始そんな感じです。声を上げている方々は、攻撃をしたいだけであって理由などどうでもいいのでしょう」
「手段のためには目的を選ばない、か……どっかで聞いた話だね?」
「どこでも聞く話ですよ」
敢えてストラトスがこんな話をしたのは、つまりそういう状況なのでシィナの身辺には気を払えと言っているのだろう。討伐者に扮している間は表向きロア達とシィナは対等の関係であるが、勿論、ロア達がシィナことイオ・キサラギ・フレンネルの従者であることは変わらない。そもそも、彼女のサポートをするためにこうして罷り越したのだから、情勢という目に見えぬ魔の手に対しても、主人を守らんと備えるのは当然のことだ。
心構えを今一度引き締めつつ、シィナとの待ち合わせの場所へと辿り着く。
一年前にここで活動していた時に馴染みだった場所だ。
主人より遅れて到着するなど有るまじきこと、とストラトスにお尻を叩かれてだいぶ早めにギルドを訪れたロア達であったが、予想以上の混雑ぶりに時間を取られ、目的地に到着したのは結局いい時間になってしまった。
雑談の続きをしながら待っていると、ほんの数分くらいで待ち人が現れる。
「お疲れ様です。二人とも」
にっこりと微笑んだシィナの傍らには予想外の同行者が三人程居たが、とりあえず置いておいてロア達は挨拶を返す。
「元気そうでなによりです。シィナ」
「うっす! おつかれっ!」
ぺこりと頭を下げたストラトスに続いて、ロアが片手を挙げて軽い調子で言うと、シィナの後ろに居る二人――何故居るのかわからないミアベル・アトリーとマルグリット・ル・ベリエの二人が非常に驚いたような顔をした。
二人の表情はこう言っている――『お前イオ様に対してその態度どうなっとんのや』と。
いや大部分はロアの被害妄想なのだが、カモフラージュのための演技なので仕方ないのだ。一年前の時もそうであったが、ロアはシィナに対して軽口を叩くたびに心臓バクバクである。主に、横に居るストラトスが怖い的な意味で。
「うわー変わらないね二人ともー。私のこと覚えてるかなー?」
「勿論です。フレデリカさん」
「久し振り! そういうデリカさんは大人っぽくなったね!」
フレデリカはこの支部を拠点にして活動している討伐者であり、一年前の活動時に知り合った相手だ。彼女の所属クランである『赤原同盟』とは関係なく、あくまでも個人的な交流関係であった。
シィナが言うにはここに来る途中でフレデリカのほうが気付いて声を掛けてくれたのだという。
同級生二人はなんなのかというと、どうやらここで活動している『剣の誓い』に一時的に参加して経験を積んでいるところなのだとか。要するに、ロア達が一年前にここで武者修行に励んだのと同じようなことだ。
「どうですか二人とも。ここに来るまでは恙無く?」
シィナが問い掛けてくるが、部外者が居る状況なので討伐者のロアとして答える。
「道中は平和だったよ。むしろ家から出るまでが大変さ」
父さんが中々許してくれなくてさー、と肩を落として見せる。
言い方は加工しているが、内容は事実だ。そもそもロアとストラトスがこのタイミングでシィナと合流することになったのは、彼女がバッヘルに赴く際には実力不足を理由にして同行を許されなかったためであった。なのでシィナがバッヘル領で活動している間に、ロア達は自身の父親及びその主人であるフレンネル伯爵が課した試練に臨み、合格して自らの実力を示したことでようやく同行を許可されたのである。
ロアとて自身の実力不足は百も承知だし、実のところ同行を許可されたのも実力そのものが認められたわけではないと思っている。父親やフレンネル伯爵の言葉を思い返せば、おそらくは彼等は覚悟の程を問うていた。
一年前とは違う。あの時の修行だって命の危険が伴う活動には違いなかったが、今回のそれはきっと命の危険しかないと言うべきものになるだろう。
そもそもが、あのアシュタルテ侯爵令嬢が直々に動き、しかも『命の保証はしない』とまで言ってのける案件なのだ。バッヘルの一件ではシィナですら紙一重で死に掛けたと聞くし、そのシィナに及ばないロア達では、ということだ。
もしもの時には、シィナの代わりに死ぬことが出来る。
あるいは、そうしてストラトスが死んだとしても動揺することなく役割を全う出来る。
そう言う覚悟を持って、自分達はこの場に立っているのだ。
「シィナは今日着いたばかりですよね」
「ええ。駅から直接ここに来ました」
「私達は昨日到着して、既に滞在先は押さえてありますので、後程案内します」
ストラトスの説明にシィナが「ありがとう」と返す。
これは余談であるが、実は最初はストラトスもロアと同じく、カモフラージュのために口調や態度を変えてみようという話もあったのだ。それこそ今のロアのように気さくな態度でシィナに接するというのも検討したことがあったのだが、ロア以上に忠誠心の塊である彼女は主人に対して演技とはいえ畏まらない態度を取ることが難しく、出来ないことはないのだがあまりにも挙動不審が過ぎるのでナシになったという経緯がある。その時のことはストラトスの立派な黒歴史なので、ほじくり返すと爬虫類みたいな目で睨まれる。
「ということは、ここの森には既に行ってみましたか?」
「はい。去年を思い出すつもりで、一応昨夜から今朝に掛けて、ロアと二人で行ってきましたよ」
「あら。ということは二人とも寝ていないのではありませんか? 大丈夫ですか?」
「にしし、よゆー!」
にっかり笑ってピースサインをして見せる。
ロアがこういう態度を取ると、シィナはとても嬉しそうに笑ってくれるのだが、対照的にストラトスからは極寒の視線が飛んでくる。無論これが必要な演技であることはストラトスとて承知なのだが、前述の通りのちょっと過剰な忠誠心がどうしても目から出てしまうのがストラトスという少女なのである。
ちなみに余裕なのは別に強がりでもなんでもなく、一徹したくらいでは本当に平気である。
「まあ、言ってもたった一年前だし、身体も頭も覚えてたって言うか、特に問題らしい問題はなかったかな」
「そうですね。とはいえ、大した相手とやったわけではありませんが」
「あ、そういえば――」
黒い森での活動には特筆するところはなかったが、その帰りに少々気になるものを目にしていた。
ふと思い出した体をとってはいるものの、最初からシィナに報告するべくして覚えていたことだ。
「今朝、ギルドに戻って来た時に教会の武装司祭を見たよ」
柔和に微笑むシィナの目が、ロア達以外にはわからない程度にスッと細くなった。
横で聞いていたフレデリカは「へー」と何気ない相槌を打つ。
「普通の司祭ならともかく、武装司祭は珍しいねー」
「でしょお? 言っても魔物と戦うのがお仕事だろうし、別に居てもおかしくはないかなーと思ったんだよ。ただ、それがなんか厳つい感じの東方人と話しててさ、変なのって」
確かに変だねー、と小首を傾げるフレデリカの視線の外で、ロアは僅かに手指を動かした。シィナとストラトスのみに通じる独自のハンドサインで『異常な状況を認むる』という意味である。
なにが異常であったかというと、その武装司祭達が東方人に話し掛ける際に、認識阻害と思われる魔法を展開していたことだ。本当ならば会話の内容を盗み聞きしたかったところだが、リスクが高過ぎるので諦めざるを得なかった。故にロア達が目にしたのはあくまでも武装司祭達が東方人に話し掛ける瞬間まで、である。
ロア達が武装司祭を見付けたのは偶然であったが、それに注目したのはシィナが現在調査に当たっている問題と無関係でない可能性があるからだ。つまり、同じものを追っている可能性が否定出来ない。
「ねえ」
と、そこで声を上げたのは聞き役に徹していたマルグリットであった。
シィナがそうしている以上は知り合いという体で行くべきと判断しているロアは、普通に「なに?」と応じた。
「その東方人ってどんな人だった? もしかすると、知り合いかも」
「うーん、遠目だったけど、大柄なおっちゃん? お兄ちゃんかな? 大きな槍を背負ってたな」
「禿頭と、特徴的な装いをしていましたので、東方における僧侶の類かもしれませんね」
ロアの適当な説明をストラトスが細やかにフォローするのは、これも役割分担の一環である。
説明を聞いたマルグリットは、明らかに心当たりがある様子で顔色を変えた。
その顔色から、どうやら楽しい事態ではなさそうだな、とロアは察せざるを得なかった。
◇◇◇
「…………これは確かな情報か?」
その一言で、空気が凍った。
室内に居た者達は、室温が一気に下がったような錯覚すら覚えたことだろう。
魔剣であるハイメロートですらそう感じる程度には、スレイの雰囲気の変化は尋常ではなかった。
いつも通りの、単なる報告の一部であった。
諜報部隊が収集した情報をブラックピッグが統括して作り上げた報告書類だ。クランハウスに到着したスレイは他の隊員との挨拶もそこそこに、まずは、とブラックピッグに報告を求めた。そう来ると思っていたとばかりに彼が差し出した分厚い紙の束を、スレイはその仮初のパーソナリティに忠実な態度で楽し気に受け取り、笑顔で頁を捲った。
時間を止めて読み進めることなくブラックピッグの口頭での補足を聞きながら同時並行で読み進めていたスレイの様子が、とある項目に差し掛かったあたりで変わり始めた。読み進めるほどに表情が消えていき、最後の一頁を読み終えてから暫く沈黙し、ようやく放たれた一言が先のそれであった。
彼女の本質的な姿を少なからず知っている古参のハイメロートやヴァイオラは今更驚きもしないが、その極寒を初めて垣間見たであろうカデンツァなどは驚いた猫のように完全に動きと呼吸が止まってしまっている。
問い掛けられた本人であるブラックピッグはというと、古参組に次ぐキャリアの長さを誇るが故にすぐさま調子を取り戻し、恰幅の良い腹を叩いて応じた。
「未確定の情報はそうと書いたつもりですがね。そうじゃない情報については、殆ど事実と呼べる域まで辿り着いているものと自負していますが」
「……よろしい」
「それと、本性出す時は事前に言っておいて欲しいですな。僕はともかく娘達が驚きますので」
ブラックピッグの皮肉には応じず、淀んだ感情を吐き出すようにスレイは細く長い息を吐いて瞑目した。座っていたソファの背凭れに身を沈めて脱力する。
スレイを豹変させた情報とは、つい最近にギルドで確認されていた教会の武装司祭に関するものであった。ブラックピッグ曰く『裏の界隈ではそれなりに有名人』であるらしい件の司祭については、調べるべくもなく判明している情報も多く、それと合わせて諜報部隊が近日に調査した内容を報告書にまとめてあるものだ。
場合によっては敵性体となり得る存在に関する調査結果であるので、スレイに提出する前段階の物をこの場の全員が目を通している。
なので、内容を知っているハイメロートの所感としては、
まあ、そうだろうな
というようなものであった。
スレイがあの報告を読めばこういう反応になる、というのはハイメロートとヴァイオラにはなんとなくわかっていたことでもあったのだ。
まるで眠っているかのように動きがなかったスレイは、その短い時間で熟考して折り合いをつけたと言わんばかりに、嘘のように平然とした顔で瞳を開いて、跳ねるようにソファから身を起こした。
そして室内を見回して口を開く。
「方針を伝える――――」
スレイからの下達が済んだ後、彼女が立ち去った後の室内でカデンツァがホッと息を吐いた。寒気を堪えるように両腕を擦る彼女に、ヴァイオラが揶揄うように声を掛ける。
「どうだい。チビったか?」
「ええ少し。……貴方や隊長さんは驚いてなかったようですけど、あれがお嬢様の本来の気性ということですか?」
カデンツァが『ヴァイスヤークト』に加わった頃には既にスレイことプリムローズが前線に出てくる必要がない程に戦力が充実していて、故にカデンツァは後方での司令官として以外の彼女の姿を知らない。
そのせいか、これまでカデンツァは率直に言えばプリムローズのことをそこはかとなく舐めている節があったのだが、どうやら考えを改めるには充分だったらしい、とその表情からハイメロートは機微を察する。
直接、あの極寒を肌で感じなければわからないことがある。
あれは本当に恐ろしいのだ。
なにせ、存在の根幹が魔剣に寄っているハイメロートを以てして、微塵も言葉が通じる気がしないナニカ。それほどまでに理解すべきでないナニカを内包している。
上位法則にすら影響を及ぼし得るプリムローズの異才が、下位法則の中でもがくことしか出来ない者達には根源的な恐怖として感じられるのだ。
「何故、お嬢様はあの報告で、あれほどまでにお怒りに?」
「僕の報告の不備ではないと思いたいところですな」
ブラックピッグが肩を竦めようとして贅肉が邪魔で失敗しているのはともかく、別に報告の内容に不備があったからスレイがああなったわけではない。むしろ報告書が極めて正確であったからといったほうが正しい。
ハイメロートが思うに、そもそもあれは怒りではない。
憎悪でもなければ、嫌悪でもない。
言うなれば、あれは『否定』であった。
「例の武装司祭についての報告はお前も読んだだろう」
「ええ。中々普通ではない御仁のようですが……?」
訝しげなカデンツァの顔には『それがなにか?』と書いてあるようだった。
特務部隊として社会の裏で活動している者達にとっては、所謂破綻者、異端者、倒錯者の類を見知りすることは珍しくもない。それを言うなら、『ヴァイスヤークト』こそがそういう者の集まりだとすら言えよう。
スレイとて、当然そんなものは腐るほど見てきている。そのはずの彼女がこの報告にあれほどまでに心乱されたのは、
「要するに、この武装司祭の存在そのものが、ローズの逆鱗をピンポイントで撫でるどころか踏み抜いているようなものだからだな」
カデンツァはわかったようなわからないような顔をしているが、ハイメロートは自身の口からこれ以上を言うつもりはなかった。
彼とて、出会う以前の彼女のことをそれほど知っているわけではない。だが特務部隊の最初の一人として、プリムローズと二人三脚で渡り歩いた時期もそれなりに長い。だから彼は他の者が知らないようなことも多少は知っている。
破綻者。異端者。倒錯者。
数多居るそれらの者達の中で、プリムローズという女が存在そのものを激烈に拒絶し否定する人種があるのだ。
それがどういう手合いであったかを思い返せば、
「カデンツァ。お前が周囲に薦めている小説があっただろう」
「は? ええと、『奈落の造花』のことでしょうか」
全く理解者を得られないと嘆いていた件の小説であるが、その主人公は殺意と恋情を区別出来ない真正のシリアルキラーであった。
ハイメロートがあれについて思うところがあるとすれば。
「あれをローズにお薦めしたお前は、中々の勇者だと俺は思うぞ」




