377話_sideout_討伐者ギルド_カフェテラス_早朝
ロビーの隅にて営業しているカフェテラスに入店し、その一角のテーブル席に腰を落ち着けたダイと修道士クロス一行であったが、まず口火を切ったのは通訳兼進行役のシスターラクサーシャではなく、幼いシスタードルチェであった。
「ねーシスターラクスぅ、おなかすいたのだ」
テーブル席に置かれたメニュー表を手に取って瞳を輝かせるドルチェの望みは非常にわかりやすく、それに対してラクサーシャは表情を動かすことこそなかったが、どことなく呆れたように小さく鼻息を吐いた。クロスはというと柔和に微笑んだまま「おやおや」と呟いている。
「仕方ないですね。好きなものを頼んでよろしい。今回だけですよ」
諦めたようにそう告げたラクサーシャに、ドルチェは喜色を満面に浮かべて「やった!」と言うなり熱心にメニュー表に目を通し始める。
油断ならない相手との交渉の席だと身構えていたダイは、いきなり目の前で繰り広げられた遣り取りに目を丸くするしかない。ダイは王国語を喋ることは不慣れだが、会話を聞いて意味を理解することは出来る。早過ぎる会話やネイティブ特有の表現法などは理解が及ばないことも多いが、大抵は単語と雰囲気から会話の流れ程度ならば推測出来るのだ。
「申し訳ありません、ミスタ・シシド」
ドルチェを諫めるどころか一緒になってメニューを吟味するクロスをなんとも言えない視線で見遣りながら、ラクサーシャが言う。
「シスタードルチェは見ての通りまだ幼く、恥ずかしながら教育が行き届いておりません。食事を与えておけば差し当たり大人しくなると思いますので」
「ああいえ、構いませんけど」
ダイに説明をするラクサーシャは、ダイの母国語である大峰言葉もリヒティナリア王国語もどちらもネイティブスピーカーではないだろうに、どちらもそれに遜色ない程に流暢に使いこなしている。所謂バイリンガルか、母国語も合わせればトライリンガルかもしれない。宗教としての教会は信徒に人種の分け隔てを、少なくとも建前上はしないので、それに対応する側も多くの言語に精通することを求められるということだろう。
ダイとしてはドルチェが外見相応の幼い振舞いをしたところで、少しも不愉快には思わない。元来子供好きな性格であるダイにとっては、むしろ天真爛漫さが好ましく思うくらいだった。
そんなダイの視線を受けてか、ドルチェはラクサーシャを恨めしそうな上目遣いで睨みながら、唇を尖らせて言った。
「ラクスはとっても厳しくて口うるさいのだ。いっつも味のしない変な料理ばっか食べさせるのだ」
「変な料理とは失礼な。それと、呼ぶ時はシスターを付けなさい」
教会の食文化はよく知らないが、こちらで言うところの精進料理の類かな、とダイはあたりを付ける。ドルチェの言葉を裏付けるように苦言を呈したラクサーシャに、ドルチェは小さく舌を出して耳をふさぎ、聞こえませんのジェスチャーをして見せた。そのあまりに幼気な振る舞いにダイは思わず笑ってしまった。
まあ、幼い少女にとっては精進料理の類は味気なかろうし、このカフェで提供されているような甘味の類に憧れめいた反応を示すのも少女らしくてよろしいのではなかろうか。とダイはドルチェへの細やかな援護として、彼女が指導役にこれ以上の苦言を呈される前に話を進めることにする。どの道、自分と喋る役目はラクサーシャなのだから、ドルチェの世話はクロスがやるだろう。
「さて……呪詛に侵された彼女について、でしたね」
「こほん、ええそうです。まず単刀直入に私どもの目的を述べさせていただきますが、私どもの目的は件の彼女をお救いすることに他なりません」
「救う、ですか」
文字通りの意味ならいいのだが、とダイは内心で訝る。
なにせ相手は教会の『黎明機関』とやらだ。妹のリンが教えてくれた情報によると、なんでも魔物討伐を専門に担う実働部隊なのだとか。魔物から人間を守るために結成された正義の組織には違いないだろうし、そこに属するクロス達も、こうして相対してみた限りではごく普通の善良な人物達に思える。
勿論、そうであるだろう。そうであるのが普通なのだが、ダイが彼等を警戒せずにはいられないのは、つまり魔物を討つことを第一義としている彼等が、話の焦点であるケイのことをどのように扱うかが判断つかないからである。
呪詛の影響で外見が魔物化しつつあるケイを、教会はどうするつもりなのか。このまま呪詛が最後まで進行すれば、ケイが最終的には魔物そのものになってしまうであろうことはダイ達とて理解している。となれば、ケイが魔物と化す前に処断すると教会が主張したとしても不思議ではない。ケイの呪詛を解呪する手立てがないとすれば、魔物と化してしまう前に処断することを『救い』と称するのも、ある意味では正しい。
そんなダイの警戒は当然理解しているとばかりに、ラクサーシャは言葉を重ねた。
「先にも申し上げましたが、私どもに貴方方を害するつもりはありません。前提として、件の彼女が魔物の被害者であると理解しております。魔物被害から人々を救済することは私どもの教義であり、それを違えることはありません」
「救うとは、具体的にどうするのですか」
「勿論、呪詛の解呪を試みます。最悪の場合、について申し上げることは憚られますが、最初からその手段を選ぶことは断じてございません。そして、重要なことですが、私どもは件の呪詛の詳細も、術者である魔物の正体も、解呪の手段も有しております」
ラクサーシャがあっさりと告げた内容は、ダイを瞠目させるには充分であった。
なにせ、当たり前だがダイ達もこれまで散々にケイを救う手段を模索してきたのだ。著名な解呪士を頼ったことも少なくないし、その全ての試みで失敗したからこそ、こんな遠い異国の地まで遥々やってきたのである。
「俄かには、信じ難いことです」
「ですが事実です。彼女に呪詛を掛けたのは貴方方が『緑后』と呼ぶ魔物ですね? かの魔物については、私ども――教会黎明機関にも浅からぬ因縁がございます」
因縁、と呟いてダイは眉根を寄せた。
言うまでもないがダイの故郷であるタイホウとこのリヒティナリア王国では碌な国交もない。存在を認識してはいても、国交が成立しない程度には距離がある。この国に陸刀会の寺院が存在したり、東方由来の物品としてタイホウの物が売っていたりもするように、まったく縁がないわけではないが、それとて一部の商業組織などが独自に担っているだけのことで、国としての交流ではないのだ。
何が言いたいのかというと、それほどまでに距離があると言うのに、タイホウの一部であるヒヅチを実質支配していた緑后と、この王国周辺を活動範囲とする教会になんの因縁があるというのか、という至極真っ当な疑問である。
「結論から申しますと、緑后というのはかの魔物の本当の名前ではないのです」
「なんだって?」
「かの魔物は『ベルフェルテ』と名乗り、元々はこちらの西方圏で活動していた存在なのです。かなり昔の話ではございますが、教会の記録には確かに記述がございます。それによれば、過去に人間との争いに敗れ、力を失い追い詰められたベルフェルテは、魔界を経由して遠い異国の地へと逃れ、再起を図っているのであろう、と。口惜しいことですが、私どもの勢力圏外に逃れられては、追撃も叶わず、せめて後の世代への警鐘を書き記すことしか叶わなかったのでしょう」
ラクサーシャの説明をダイは吟味してみるが、今のところ矛盾はないというか、むしろ色々と腑に落ちることが多い。
まず、そもそもヒヅチの国に現れる前の緑后の出自に関する記録がはっきりとは残っていないということ。そして緑后と直接対面したケイが言うには、緑后の外見はまさしく西方の人種に見えたということ。勿論、魔物なので外見に大きな意味はないのかもしれないが、敢えてその外見を取った理由が元々は西方圏で活動していたからだとするのは妥当性があるように思える。何より、ケイが語った緑后の目的は、ラクサーシャの説明と完全に一致している。
「ベルフェルテは、貴方方の国に巣食う前にも二か所、南東のヒンジス帝国、それからお隣の紅爛にも潜伏していた時期がございます。当時のヒンジスは今以上に複雑な時勢のお国でございましたが、私どもの勢力圏からは程近い。今よりおよそ二百年前に行われた教会十字軍による南方征伐は実のところ、このベルフェルテを討つための派兵でした」
歴史的なスケールが大きくなってきてダイは理解に時間を要したが、簡単に整理すれば教会の黎明機関(当時はその名前ではなかったらしい)がベルフェルテを追い詰めたのが凡そ二百年程前の話。その後ヒンジス帝国に逃れたベルフェルテは、内乱により荒れていた帝国内に潜伏して再起を図る。しかしこれを嗅ぎつけた教会が即座に討伐軍を派兵し、長駆の後に捕捉したものの、討伐は叶わずベルフェルテは更に東へと逃亡。今度はコウランにて潜伏し始める。コウランは完全に教会の勢力圏外なのでそれ以上の追撃は叶わず、ここで当時の教会は未来の世代への警鐘を書き残すことでベルフェルテとの因縁に一度ケリをつけた。
教会の追撃を辛くも逃れて安泰かと思われたベルフェルテであったが、そう上手くはいかないもので、コウランが誇る一大勢力である陸刀会に存在を看破されてしまう。教会で言うところの黎明機関のような実働部隊が陸刀会にも存在していて、そこに属する道士によってベルフェルテは五十年ほどの潜伏の後に再び追い詰められる。
しかししぶといことにまたもや辛くも窮地を脱したベルフェルテは更に東へと逃れ、最終的にタイホウへと辿り着き、緑后と名乗ってヒヅチの国に居付いたということであった。
「魔物も反省をするようで、国を追われるごとに、ベルフェルテの潜伏は隠密性を増していったようですね」
「しかし、再起を図って潜伏するならば魔界に戻ればよいだけでしょう。それが一番安全なはずだ。それなのに何故……?」
そして再起を図る手段が、ケイのような特別な資質を有した女性を集めることだというのも意味が解らない。
ダイの疑問に、ラクサーシャは「これは記録からの推測ですが」と前置きをした上で、
「おそらくベルフェルテは魔界からも追われているのです。魔界に戻らなかったのではなく、戻れなかった。そしてそれこそが、かの魔物が強力な魔法資質を有した女性を蒐集した理由でもあります」
「……どういうことです?」
「呪詛が最後まで進行すれば、魔物と化す。ベルフェルテの目的は、次の身体を用意することだと教会は考えています」
「!!」
「人界と、魔界。双方からの追撃を逃れるために自らの死を偽装し、新たな肉体に転生するつもりなのでしょう。これは私どもにとっては到底看過できることではありません。教義上の悪夢とすら言えます」
つまり、ケイは最終的に緑后になる。
ダイは絶句するが、しかしその脳裏では得心もしていた。絶望的に符合してしまうのだ。即ち、長らくの謎であった、何故緑后がケイをみすみす見逃すような真似をしたかということ。
呪詛を施した時点で、緑后の目的はほぼ達成されていたのだ。当然、本当ならば緑殿でケイを飼い殺したままゆっくりと身体を作り変える気でいたのだろうが、仮にケイが逃げ出したところで、呪詛を解くことが出来ない限りは、放っておいても最終的に目的は成就する。そして、現状は極めて緑后の目論見通りに進んでいると言えよう。
「だから、私どもが居ます」
ダイの絶望に切り込む刃のように、あるいは刺し込む陽光のようにラクサーシャが告げる。
「ご安心くださいますよう。私どもの記録には、かの魔物の呪詛に抗する手段が伝わっております。かつての南方征伐の折り、ベルフェルテの元より逃れた多くの人々の尊い献身と犠牲の果てに、ようやく確立された解呪法にございます」
「それは一体……!」
思わず身を乗り出すダイに、しかしラクサーシャは瞑目して首を振った。
「流石に口外することは叶いません。これは教会でも秘中の秘でございます。厳重に秘さねばならない理由は、かの魔物を少なからず知る貴方ならば理解できるものと存じます」
「むぅ……それは、確かにそうですが」
それは緑后という魔物が『魅了』の力を繰り操るからだ。つまり、どこに手先が潜んでいるかわからないので、他でもない緑后に秘術を知られないようにするには厳重にならざるを得ないのだ。知られれば、対策され、即ち効力を失うことになる。
おそらくだが、ラクサーシャ自身も解呪の方法そのものは知らないのだ。
そして、そういう事情があるとすればこれまでの彼等の行動にも納得出来る部分がないでもない、とダイは考える。緑后の手先がどこに潜んでいるかわからないので、人伝にはせずこうして直接ダイと接触出来る機会を窺っていたのだろう。
そこで、ラクサーシャは一度意図的な間を置くと、隣の席で黙っていたクロスへと目配せをする。ちなみにドルチェは注文したパンケーキを攻略するのに夢中で、それ以外の三人の手元にはクロスがまとめて注文し、機を見て店員が置いて行ったコーヒーが湯気を燻らせているが、クロス以外は会話に忙しかったので口をつけていない。
ラクサーシャからの目配せを受けたクロスは、柔和な笑みを引っ込めて、真剣な面持ちで頷いて返した。
ラクサーシャがダイへと向き直る。
「ミスタ・シシド。呪詛に侵された御友人を私どもが救わんとするのは、教義によるところであるのは事実ですが、それと同時に、私どもにとっての悲願を成就するまたとない機会であるからです」
「悲願?」
「言うまでもなく、先達が成し遂げられなかったベルフェルテの完全討伐にございます。何故ならば、かの魔物の目的が御友人のお身体を乗っ取ることであるならば、必ず、ベルフェルテはそこに現れるからです」
「彼女を、囮にしようと言うのですか……!」
「言葉を繕うことはいたしません。しかし、私どもがベルフェルテの思惑通りにさせてやる道理など微塵もございません。取りも直さず、それは御友人を救うために全霊を尽くすということに他なりません。私どもを信じろとは申しません。ですが貴方方も理解しておられるはずです。御友人を救うためには、結局のところベルフェルテを討伐するしかないのだと」
ダイは苦渋の表情で押し黙る。ラクサーシャの言うことは尤もだった。仮にリンの想定通り、ケイの呪詛をアシュタルテ侯爵令嬢の協力で解呪出来たとしても、緑后が健在である限りケイが再び狙われない保障などないのだ。遠く離れた異国の地に留まれば、ヒヅチを根城にしている緑后と再び見えることなどあるまいと高をくくっていたが、ラクサーシャの話を信じるならば、そもそもこちらが緑后の根拠地ですらある。
更に言えば、こと緑后のルーツに関してはラクサーシャの話を疑ってかかるのは難しい。単純な話、彼女が語る歴史上の経緯が大筋で事実でなければ、彼等が緑后のことをそこまで知っているのがおかしいからだ。
思い悩むダイに、ラクサーシャは滾々と諭すように続けた。
「なにも、即座に結論を出せとは申しません。御友人方とも、特に件の彼女ともよくよく話し合って決めてくださって構いません。今日のところはお持ち帰りください」
ダイの思考に優しく沿えるように、理解あるラクサーシャの言葉がすっと入ってくる。
ダイはこれまでの旅路で、自身の立ち位置をしかと弁えていた。皆の心を支えるのはいつだってケイの健気さで、皆の意志を引っ張っていくのはいつだってリュウの強さで、皆の進む道を決めるのはいつだってリンの聡明さだ。ダイは己がただの凡愚であると自覚している。自分が出来ることは精々、そんな輝かしい友人達が些事に煩わされないように身を挺することくらい。
こんな大事な決断を、そんな己が一存で決めていいはずがなかった。
故に、ダイの答えは決まっていた。
「ですが、答えはお早めに出してくださいませ。件の彼女に残された時間が少ないであろうことは、他でもない貴方方がよくご存じのはずで――」
「お断りします」
「え?」
きっぱりと言い切ったダイに、初めてラクサーシャの表情が動く。
ほんの些細な動きでしかなかったが、虚を突かれたように瞳が僅かに大きくなる。ドルチェは相変わらず我関せずであったが、聞いていたクロスもまた意外そうに表情を動かしていた。
「私どもの協力は、必要ないと?」
「違います。俺達が、貴方達に協力しないと言っているんです」
ダイは己の分を弁えていた。
だからこの場で、自分などが結論を出すわけにはいかないから、寺院で待っている友人や妹の元へと話を持って帰って話し合って決めてもらおう、などとはまったく考えなかった。何故ならば、それは信頼を疑う行為でしかないからだ。最初から自分達の方針は決まっている。リンが考え、ケイが支持し、リュウが認め、ダイが頷いた。自分達はここで資金を貯め、王都へと向かい、アシュタルテ侯爵令嬢の協力を請うのだ。
そのために、四人で支え合いながら、ここまで来たのだ。
ダイは、リンが考え抜いて決めたことを疑わない、と決めていた。情けない兄なので、不安に駆られて妹に窘められることはあれども、妹の決めた方針自体に反するつもりは更々無い。
クロス一行の存在がまったく未知のファクターであれば、リン達に伝えて再検討する余地はあっただろう。
だが、リンは教会の存在も、クロスが自分達を追跡していることもちゃんと認識した上で、当初の方針を変えなかったのだ。
つまり、そういうことだ。
これ以上ない決裂を突き付けたダイは、場を辞するために席を立った。
咄嗟に何かを言い募ろうとしたラクサーシャを、クロスが片手で制す。席から腰を浮かせかけていたラクサーシャは気を鎮めるように瞑目して座り直し、ダイへと視線を向けたクロスが会話を引き継ぐ。
「わかりました。もとより無理強いをするつもりはありません。結局のところ、自発的に協力していただけない以上は取り得ない手段ですしね」
クロスの言葉は王国語であったが、ダイが聞き取りやすいように、意識してゆっくりと言葉が紡がれる。
立ち去ろうとするダイに、クロスは微笑みかけた。
「貴方に、主の御導きがあらんことを」




