375話_side_Heimeroth_わずかに前_某所
~"魔剣"ハイメロート~
「うーん……不思議だなぁ」
などと呟きながらもっぐもっぐとピッツァを咀嚼している肥満体の巨漢はブラックピッグなる男だ。ローズ麾下の特務部隊『ヴァイスヤークト』の諜報部門を束ねる存在であり、存在感があり過ぎる巨体とは裏腹に隠密行動に長けている。
彼が食事をとりながら眺めているのはここ最近の調査報告であり、即ち王国東部の各地方に散開した諜報部員達の成果報告というわけだ。ローズからの特命により合流が遅れていたブラックピッグ及びレッドフォックスとグリーンラクーンの三名も先日無事に、というか秘密裏にロイエンタール入りし、いつの間にかぬるりと調査を開始していた。
戦闘部門の長である俺に挨拶に来た時には既に一通りの名所(諜報的な意味で)をぬるりと舐めて回った後だったというのだから、相変わらず見た目によらない機敏さである。
そんなわけで現在は俺達が一時的に借りて使っている拠点――仮クランハウスのダイニング。ブラックピッグの元に集積された調査報告のまとめがてらに共有をしようと彼のほうから訪ねてきた。……のだが、待てど暮らせど一向に情報が共有される気配もなく、俺がこの場に呼ばれてこの方、ブラックピッグが独りでぶつくさ呟きながら食事をする風景だけを見せられている。
なお、ブラックピッグ以下の諜報部門の隊員はフロントクランである『ホワイトファング』に属しているわけではない。調査活動の都合上討伐者のライセンスを取得している者も居るが、それでも表向きは無関係な一討伐者として振舞っている。
この場に居るのは俺とブラックピッグ以外には、ヤツのパートナーである二人娘と、俺のパーティーメンバーであるヴァイオラ、カデンツァ、エクスプロードの三名だ。犬は例によって伝令に出ているのでここ暫く不在であった。
「そろそろ話を進めてもらっていいか?」
俺達も暇ではないので、いつまでもアホみたいに待ち呆けているわけにはいかない。カデンツァなどは既に待つことに飽きて小説を読み始めているが。
「ああごめんよ。思いの他、考えることが多いみたいでしてな」
そう答えるブラックピッグが先程から睨めっこを続けていたのは、ピッツァを押し退けてテーブルの中央に陣取った王国東部のマップである。紙製の巨大なマップの各所にはブラックピッグや二人娘の筆跡で様々な情報が書き込まれていた。
俺達の目的は魔物を強化する効能があると思しき『宵の霊薬』なる薬品の現物並びに製法の確保であり、マップに書き込まれた事柄は調査の結果として判明したものなのだろう。とりわけ目立つように色付けされているのは件の薬品と関係がありそうな『妙に強力な魔物』との遭遇事例が報告された場所のようだ。
「本当に東部全域に渡っているのですね」
本を閉じて会話に加わったカデンツァがマップを覗き込みながら言う。エクスプロードも寄って来て、自然と全員で卓上のマップを囲んだ会議の様相を呈してくる。
そしてカデンツァの呟きの通り、妙に強力な魔物が現れる場所は当然ながら黒い森に限定されるので、マップ上の黒い森の位置と対比してみれば殆ど全ての森で出現報告があったと言えよう。同じ森で複数の報告が出る場合も当然あるだろうから、そういう例は注釈として文字で詳細が記されている。
それはギルドの正式な報告を基にするものから、討伐者個人の与太話に過ぎない確度のものまで様々だ。無論、事実無根と判明している情報は省かれているだろうから、与太話と言えどもここに書き込まれているのは調査の価値を認むと判断されたものに限る。
「なにがそんなに不思議なんですかぁ?」
一生懸命にマップを眺めて眉根を寄せていたエクスプロードが、降参といった表情でブラックピッグに訊ねる。
するとブラックピッグは手に持っていたピッツァの最後の一欠片を口に放り込んで飲み下してから、
「とりあえず全体を俯瞰して傾向を掴もうとしたんだけどね、これが妙なんだな」
「みょーですか」
そう言われて俺も改めてマップに書き込まれた情報を見てみるが、正直わからない。というのも、そもそも書かれた情報量が膨大過ぎて把握すら出来ていないのだ。相互関係を考察する以前の問題である。
余談だがお喋りに定評のあるヴァイオラが口を挟んで来ないのは、現在彼は続きのキッチンに立って調理をしているからである。ブラックピッグの二人娘の内、レッドフォックスことアカネも手伝いでそちらに居る。もう一人であるグリーンラクーンことミドリは父親の横で甲斐甲斐しく世話を焼いているのだが。
「関連と思しき事象の発生報告、これを仮に『事象』とだけ呼ぶことにするとだね、まずこのマップを俯瞰しただけでわかることがある」
「私には、全域で満遍なく起こっているということしかわかりませんが」
頬に手を当てておっとりと呟かれたカデンツァの言葉に、ブラックピッグは「そうなんだなぁ」と返す。
「満遍なく起こっていて、しかも極端な偏りがないんだ。これはこの事象が自然発生したものではなく、何らかの意図で以て引き起こされたものであると示している」
「魔物の生態や突然変異などで確率的に発生する事象であれば、ここのような規模の大きい森では相応に報告量が増大していなければおかしいからだな」
「そういうことですな」
これは極めて単純な論理で、規模の大きい森は生息する魔物の数も多いのだから、確率論ならば森の規模と事象の件数は比例しなければおかしい。しかし現実はそうではない。
ここまでは今更言うまでもないことで、前提条件だ。王政府もそんなことはわかっていて、だからこそ事象を意図的に引き起こす存在を疑い、そして垣間見えた『宵の霊薬』の確保のためにローズのような手駒を動かしたのだろうから。
「次に時系列に注目するけど、これが無秩序だ」
「無秩序だとおかしいんですかぁ?」
「おかしいかどうかは場合によるけど、大抵は距離との因果関係があるはずなんだな。件の薬品の製造拠点とかが国内に存在すれば、基本的にはそこから距離が近い程に事象の発生件数は多く、発生間隔も短くなって然るべきだよ」
「しかし、現時点での予想通り、事象を引き起こしているのが『教団』の手の者だとすれば、それほどおかしい話ではないのではありませんか? だって教団の信徒はどこにでも居ますもの」
カデンツァの疑問は尤もだ。ブラックピッグの言うこともわかるが、単純に各地に点在している教団員に向けて件の薬品を配布し、それそれがそれぞれのタイミングで使用したために時系列が無秩序化していると考えるのが妥当に思えるが。
しかし、ブラックピッグはそこで太い人差し指をチッチと振ってみせた。
「実を言うとね、僕はそもそも、これが教団の仕業ではないと思っているんだ」
「……現実に、教団員の関与は確認されているが」
「ああごめんよ、主導じゃないって言ったほうがいいですな」
「つまり教団ではない黒幕が居て、調査の過程で散見された教団の関与はあくまでも副次的なものだと言うのですね?」
「そう。僕がそう考える根拠は、まあ傍証は色々とあるんだけど、そもそもは各地で確認された事象において、あまりにも手掛かりが少ないことなんだな。確かに教団の手先は全国に居るだろう。でもその信徒達を動員したとはとても思えない。かかわる人間が増えれば増えるほどに情報というものは漏洩するし、多くの人間が居れば少なからずやらかす奴も出てくる。本件にはそれがほぼない」
筋道立てて説明されて、俺にもブラックピッグが言わんとするところが朧気にわかってきた。
つまりは各地で事象を引き起こしている存在が居るとすれば、それは素人ではあり得なく、俺達やブラックピッグのような専門的な技能を持った特別な人種であるという可能性が高いのだ。
「で、その線で見たとしても、やっぱり時系列がおかしい。複数のエキスパートが暗躍している読みで時系列ごとに人数と移動経路を割り出そうとしても、結局線が引けないんだ」
彼が言っているのは、例えばAという地点で事象が発生したとして、それの下手人が次に事象を引き起こしたBという地点は相対的な距離と時間の経過からある程度割り出すことが出来る。だが、実際にこのマップに対してその方法を実行すると、関与した人数が膨大な数にならなければ成立しなくなってしまうのだ。
これが年単位の調査になれば『潜伏』というファクターが絡んでくるので一概には言えなくなってくるところだが、今回の件に関しては期間が比較的短いため時系列の影響は顕著に現れる。
「仮に転移魔法を移動に用いたとしても、距離的に無理があるな」
ローズじゃああるまいし、と言いたいところだが流石の彼女でも無理だろう。東部だけでも王国の領土は広大だ。転移魔法は移動距離に応じて魔力を消費するので、転移魔法で黒い森から黒い森へと飛び回るのは現実的ではない。
と、考えたのだが、俺の言葉にブラックピッグが反応した。
「それなんですなぁ」
「ん?」
「僕の予想では、事象の元締めはおそらく転移しておるのです。……いや皆の言いたいことはわかるよ。どんなに魔力があっても足りないって言うんだろう?」
エクスプロードが「ですぅ」と頷く。
転移という手段は誰でも考えつくだろうが、誰もが否定して然るべきだろう。
「答えは簡単なんだな。彼、もしくは彼女あるいは彼等は転移に魔力を使わない。厳密には転移魔法を使っていないだろうからね」
「どういうことですか?」
「今回のカギは、事象が発生している場所は例外なく黒い森の内部だということだな。あまりにも痕跡が少ない理由もこれで説明がつくんだ」
成程、と俺は理解した。
「つまり、黒幕は魔界を通って黒い森間を移動している…………魔物であるということだな」
「まあ、もしかしたら教団の人間っていう線もありますが。彼等が魔界を安全に通行できる手段を確立しているとすれば、ですがな」
全ての黒い森は魔界に通じているが、こちら側での森同士の相対関係と、魔界側での相対関係が同じであるとは限らない。というか十中八九異なっているだろう。もしこの場に魔界側のマップがあって、それを目の前の調査記録と照らし合わせることが出来れば、もしかすると無秩序にしか見えない時系列は極めて合理的な関係性を示してくるのかもしれない。
「――あの、」
とその時、俺のサーコートの裾がくいくいと弱い力で引かれた。
視線を向けてみると、キッチンに立っていたはずのアカネが皿を持って立っていた。彼女はその皿を俺のほうに自信なさげに差し出してくる。
「た、隊長さん……これ、教わって作ってみたんですけど、もしよかったら、その」
赤髪と同じように真っ赤に染まった顔でぽそぽそと呟くアカネの手には、いかにも不慣れな手作りですと言わんばかりの不揃いなクッキー。所々が欠けていたり、全体的に少々焦げているが、クッキーである。
魔剣の俺でも流石に何を期待されているのかくらいはわかるので、一つ摘んで口に放り込む。
「…………」
まるで裁きを待つ罪人のような面持ちで見守るアカネにあてられたのか、他の面子も固唾をのんで俺を見ていた。何故クッキーを頬張るだけでこうも緊張感が流れるのかはわからないが、とりあえず。
「わるくない」
「っほんとですか!?」
「ああ」
普通にクッキーである。
美味いか不味いかで言えば、そこそこ美味い。存在の比重が魔剣に傾いている俺はそもそも人間的な情動が乏しいが、味覚は有るので判断は出来る。俺などの評価にどれほどの価値があるのかと思わないでもないが、少なくともアカネは緊張した表情から一転して喜色満面になり、小躍りしながら他の面子にもクッキーの皿を差し出していた。
姉妹役であるミドリも一つ摘んで、少しだけ驚いたような顔になる。
「ふぅん……アカネにしては頑張ったじゃないか」
「愛の為せる業だねぇ。もぐもぐ。パパは複雑だよぉ」
ブラックピッグから向けられる物言いたげな視線を努めて無視していると、今度はキッチンのほうからヴァイオラが歩いてきた。いくらなんでも料理をする際にいつもの赤コートを着ようとは思わないらしく、しかし代わりとばかりに装備したヴァイオラ愛用のエプロンは勿論赤色である。
「魔剣ニキのどこがそんなにいいのかね。俺にはわからねえな」
「俺にもわからん」
「絶対俺のほうがイイ男だと思うんだが……」
俺を睨みながら眉を顰めるヴァイオラには、のほほんとしたミドリが声を掛けてくれた。
「僕はヴァイオラさん好きですよ」
「お! だよなーやっぱ、」
「はい、パパの次にかっこいいと思います!」
「…………」
一切の悪意なく言い切ったミドリの言葉は、彼女的には会心の誉め言葉だったのであろうが、言われたヴァイオラ本人は筆舌に尽くし難い微妙な顔でブラックピッグを見ている。顎肉を揺らしながらクッキーを頬張っていた彼は、視線に気付いてきょとんとしていた。
「なんか、素直に喜べねえわ……」
「そこはかとなく馬鹿にされた気がしますな。それはともかく、そういえば何故ヴァイオラさんがキッチンに?」
今更なのだが、先程までブラックピッグが食べていたピッツァやその他の料理を作ったのはヴァイオラである。
「何故ってアンタ。アンタが『なにか食べながらじゃないと頭が働かないんだなぁ』とか言うからわざわざ作ってやったんじゃねえか」
そんなだから痩せねえんだぞ、とぼやくヴァイオラには全面的に同意である。
なお人選の理由は完全なる消去法であった。なにせここで生活している他の面子を見れば、
調理器具を握力で破壊する女に、
食材を片っ端から起爆する少女に、
犬に、
そして料理をする必要も食べる必要もない俺である。
必然的にキッチンに立つのはヴァイオラの役目となって久しい。ヴァイオラも元々は俺と大差ないレベルで料理をしない男であったが、元来凝り性な性格も手伝ってか、今ではその辺の食事処の料理人よりも余程達者な腕前をしている。『ヴァイスヤークト』発足当初は共に行動していたローズが食事を用意することが多かったので、ヴァイオラの料理スキルは元をただせばローズ仕込みである。
カデンツァやエクスプロードの情けない顔を順番に見遣ったブラックピッグは大体の事情を察したのかそれ以上訊いてはこなかった。賢明である。
「そういやブラピさんよ、一つ調べて欲しいことがあるんだが」
エプロンを脱いでコートを着込みつつヴァイオラが告げた言葉に、ブラックピッグは「なんですかな?」と応じる。
「ギルドで『黎明機関』の男がうろついてんのを見掛けた。背後関係をわかる範囲で探って欲しいんだけどよ」
それはここ数日の話だ。全く無関係ならば捨て置いても構わないだろうが、俺達の任務に関係していないとも限らない。むしろ、関係してない可能性のほうが乏しいだろう。
するとブラックピッグは当然のように既に把握していた様子で、得心のいった表情を見せた。
「概略程度ならば、調べるまでもありませんな。こちらの界隈ではそこそこ知られておりますから」
「そうなのか」
「彼はクロスという名の修道士ですな。教会黎明機関の『オーダーXII』に属する武装司祭です」
「よりによってトゥエルブかよ」
ヴァイオラが辟易した表情を浮かべる。
オーダーというのは黎明機関の内部の階級分けであるが、基本的には数字が大きいほど組織からの評価が高いとされる。対魔物殲滅機関であるかの組織で評価が高いということは、つまりそれだけ多くの魔物を屠ってきた存在であるということだ。
少し前に学院でローズと衝突したシスターパラディースの所属も、案の定『オーダーXII』である。
ちなみに、現在は既に抹消されているが、過去にはXIIの更に上位である『オーダーDD』なるものも存在していたらしい。ここでいうDDとはデビルズダースの略であり、つまりは十三の意だ。
「で? そのクロス司祭は何が目的でうろついてんだ?」
ついでだから聞いてしまおうというノリのヴァイオラに、ブラックピッグは「そこまではまだなんとも」と前置きして、
「ただ、どうも誰かを追跡している風ですな。見ている限りだと」
「てことは、即座に俺達とかち合う可能性は低いか……?」
まあ、なんにせよ碌な理由ではないことは確かだろう。
というのも、教会黎明機関の内部で評価が高いということは、魔物に対する殲滅能力が高いということと、もう一つ意味するところがある。
即ち、信仰心が普通ではなく強いこと。
取りも直さずそれは往々にして、狂信者と呼ばれる人種である。




