374話_side_Keika_わずかに前_回想
~"生贄の少女"彗華~
私は当初の予定通りに緑后の傍仕えとして働き始めた。一刻も早く逃げ出したかったのは言うまでもないが、それが現実的に困難であることはすぐにわかった。緑后の棲み処である緑殿は外部との接触が極力断たれていて、そもそも外に出る方法すらわからなかったのだ。本当に外部と一切繋がりなしで生活出来るはずはないので、どこかで遣り取りをしているはずなのだが、その役目は先任の傍仕え達が担っているので私には知る術がない。
緑后はあれから特別に接触してくることはなかった。私は先任達の指導に従って粛粛と日々の業務をこなした。少しでも緑殿の内部を調べて脱出に繋げるためには、仕事を理由にして歩き回るしかなかったのだ。
最初の邂逅で緑后が私に何をしたのかはわからない。私は他の傍仕え達とは違って緑后が魔物であることに忌避感と危機感を抱くことが出来ていた。あの時の緑后の言葉から推測するに、私には彼女の魔法を跳ね除けるだけの資質があったらしい。だけれど、緑后が私に植え付けた『何か』は跳ね除けきれずに私の中に厳然と存在していて、頭の中で重く蟠っていた。私には元々魔法の才能があったのだが、村に居た頃は日々の生活に役立てる程度の細やかな魔法しか使う必要がなかったし、それしか知らなかったので、自分の才能というのがどれほどのものかは気にしたことがない。だが、きっと私が緑后に選ばれたのがそもそも魔法の才覚故で、更にはその中でも秀でた才覚を有していたが故に私は傀儡にならずに済んでいるのだとなんとなく察していた。
今となっては魔法だけが私に残された抵抗手段であったが、悪いことに緑后が私の中に植え付けた『何か』が私の魔力系を蝕んでいて、私は細やかな魔法を使うだけでも酷く消耗するようになっていた。
精神的にも肉体的にも、私は徐々に衰弱しつつあった。
緑后が何もしてこないのは、ただ私の心が折れるのを待っているからなのだろう。
逃げ場のない鳥籠に閉じ込めて、私が音を上げるのを待っている。
それは、遠くない未来に現実となるだろう。
あるいは、未来を見ることが出来る緑后には、既にその光景が見えているのかもしれない。
しかし、私の予想に反して、現実は違った流れを辿ることになる。
私の日常が終わりを告げたあの日のように、なんの変哲も無いある日のことであった。白昼堂々皇城に侵入した賊による破壊活動が行われている、と緑殿の中がにわかに騒がしくなったのだ。外界と遮断されているはずの緑殿内部にまで影響が及ぶということは、相当な非常事態だと私でもわかった。
そして賊による無差別攻撃の一部が緑殿の外郭を崩し、私は偶然その場に居合わせた。たぶん流れ弾か何かで緑殿の壁の一部が崩れ、ここ最近は分厚い窓越しに眺めることしか出来なかった外界の景色が色を覗かせていた。
今なら、逃げられる。
間違いなく外は危険だ。いつまた流れ弾が飛んでくるかわかったものではない。
だけど、緑后という魔物の腹の中と言っても過言ではないこの緑殿に留まるのと、一体どちらが危険なのか。
私は意を決して飛び出した。
悲鳴と怒号と爆発音が間断なく響く城内を、必死の思いで走った。
そして息が続かなくなって否応なく足を止めた私は、後方のだいぶ遠くに見える緑殿を振り返り、戦慄する。
私が飛び出してきた場所で、崩れた外郭の瓦礫上に彼女が立っていたからだ。
非常時に慌てるでもなく、賊を恐れるでもなく、いつも通りの悠然とした佇まいで、緑后が静かにこちらを見ていた。
表情なんてわからないくらいに離れているはずだ。緑后が身に纏っている豪奢な着物のおかげで辛うじて判別がつくという程度。
だというのに、私には緑后が出会ったあの日と同じ微笑みを浮かべているのがわかってしまった。
そして、彼女は私に向けてなにかを言った。
「――――っ!」
本能的な恐怖を覚えて、私は再び走り出す。
ただ緑后の視線から逃れたくて、ただ彼女から離れたくて、一心不乱に。
右も左もわからない私はそのままならば皇城から外に出ることも叶わずに連れ戻されるか、あるいは賊の攻撃にさらされて命を散らすのが精々だっただろう。
そんな私を救ったのは、賊の襲撃の混乱に乗じて侵入してきたリュウ君達であった。
何故彼等がここに、と混乱する私を殆ど担ぐようにして、リュウ君とリンちゃんとダイちゃんは秘密の抜け道を使って皇城から脱する。それは有事の際に皇候を逃がすために造られた脱出路だった。皇を含めたほんの一握りの者達しか存在を知らないはずのもので、皇を傀儡にしている緑后はおそらく存在を知っていたのだろうけど、秘密の抜け道に警備兵を置くわけにもいかないし、脱出路が正しく活用されるほどの窮状ではないので、無人の通路を騒ぎに乗じて潜り抜けることは簡単だった。
ただし、おかしいのは、そんな抜け道の存在をリュウ君達が知っていたことだ。
「この道のことは、凛子が知ってた」
「凛ちゃんが?」
私の疑問を受けたリンちゃんは曖昧に笑って見せただけだった。
獅子戸凛子という少女は、昔からそういうところがあった。幼い頃から年齢不相応に落ち着いていて、そして度々どこで身に着けたのかわからないような知識や技術を披露して私達を驚かせる。その中でも今回のこれは極め付けであったが、私達の誰もリンちゃんを追求しようとは思わなかった。
その後、都を離れて落ち延びる道中で、彼等の辿った経緯を説明してもらった。
私が役人に連れられて村を離れてから暫くして、リュウ君もまた都に向かうと言って村を出たのだそうだ。
「少しでも彗華の近くに居たくて、皇城に仕官しようと思ったんだ」
と気恥ずかしそうに語るリュウ君に、私は嬉しさのあまり涙を堪えられなかった。
そうして村を出たリュウ君だが、そこに何故かリンちゃんとダイちゃんまでついてきた。大人達の制止を振り切って半ば飛び出すように村を出たリュウ君を連れ戻すために追い掛けてきたというリンちゃん達だが、連れ戻されてなるものかと身構えるリュウ君を他所に、合流した彼女等は当然の顔をして同道を申し出たのだ。そもそも、一緒に都に向かうつもりだとしか思えない旅支度をしていた時点で確信的である。
「劉ときたら碌な準備もせずに飛び出すものだから。放っておいたら都につく前に野垂れ死んでしまうでしょう?」
呆れ顔でそう語るリンちゃんに、ダイちゃんは尤もらしく頷き、リュウ君は只管に気まずそうに視線を逸らしていた。ちなみに私とリンちゃんは同い年で、三つ年上のリュウ君とダイちゃんが同い年だ。ただしリュウ君とダイちゃんは経験上リンちゃんに頭が上がらないので、友人間の力関係ではリンちゃんが一番強い。ついでにリンちゃんが女口調と男口調が混ざった不思議な話し方をするのは昔からである。
こんないつも通りの遣り取りが私には幸せだった。もう二度とないと思っていただけに、感動もひとしおだ。
そんなこんなでリュウ君達は都を目指して三人揃って馬を走らせる道中であったが、そこで予期せぬ襲撃を受ける。
ひと気のない林道でリュウ君達を襲ったのは反体制派の組織であった。私が緑殿を逃げ出すきっかけになった賊、というのが彼等である。私は恥ずかしいことにそんな組織が存在していることすら知らなかった。ヒヅチという国は緑后の加護もあって非常に平和で、体制に不満を持っている人間が組織規模で居るなんて考えもしなかったのだ。
知らなくても恥じることはないと私を慰めてくれたリュウ君は、自信満々な顔で「俺も知らなかったからな」と言って笑わせてくれた。しょうがないものを見る目でリュウ君を眺めつつ、リンちゃんが説明してくれたことによると、
「実際、私も村を出てみて初めて実感したけど、緑后による実質的な支配体制やそれをよしとしている皇候に対して、不信感や危機感を抱いている者は少なくないようね」
「でも、緑后のおかげでこの国は平和なのに」
実際に緑后が魔物であることを知ってしまった私には当然手放しで緑后を肯定することなど出来なかったが、しかし彼女の為してきた実績は誰にも否定出来ないものである。緑后には緑后の目的があったとはいえ、緑后という魔物の庇護のもとでこの国の大部分の民が平和という恩恵を受けてきたことは事実であるはず。
「ところがそうでもない」
「え?」
「そもそも、緑后が持っているのは『魅了』の力であって、彼女は『予知』なんて持っていないはずなんだ。彼女の実績はほんの少しの偶然と、少なくない情報操作と、大部分のマッチポンプの賜物でしかない」
「それ、俺には少しばかり腑に落ちないんだが」
リンちゃんの説明に口を挟むのはリュウ君だ。ダイちゃんはこう言う時は大抵聞き役に徹するので口出ししない。
「緑后が本当にこの国の中枢を掌握しているのであれば、自分に都合の良いように情報を流布して『救世主像』を創り上げているのは理解できる。だが実際に緑后は嵐や飢饉、魔物の侵攻といった災害を事前に予知しているんじゃないのか? これは情報操作ではどうにも説明がつかない」
「その答えはたった一つの説明で済む」
私には、リンちゃんが言わんとしていることが直感的にわかってしまった。
「緑后が魔物だから、だね?」
「そうよ」
何故リンちゃんがそれを知っているのかはともかくとして、リュウ君とダイちゃんはそこまでは知らされていなかったようで、驚きを露にしている。私は自分が見たままを彼等に伝えた。緑后の黒い双眸は、今思い出しても背筋が凍るような眼光であった。
ただ単に魔物と同じような目を持っているだけではないかと言われれば、それはそうだ。もしかしたら何らかの理由で特殊な目を持っているだけの、歴とした人間なのかもしれない、という可能性は確かにある。だけど、実際に緑后と接触した私は、あれが絶対的に人間ではなかったと本能で理解していた。
言葉にするのは難しいが、上位法則に属する者特有とでも表現すればいいのか、とにかく絶対的な隔絶を感じたのだ。
「緑后本人が魔物なのだから、魔物勢力の侵攻を事前に察知することなんて造作もない。むしろ自分で仕組んだ侵攻を予知して防いだように見せかけているのだろう。災害の予知については、純然たる技術力の差でしかないわ」
「技術力だって?」
「想像し難いかもしれないけど、魔物というのはそもそも私達人類より遥かに秀でた技術を持っているの。魔法的にも科学的にも現行人類の数世代は先を行っているはず。その技術を以てすれば、私達にとっては奇跡のような先読みを実現するのも難しくない」
「俄かには信じられない……というか信じたくない話だな」
「だけど、如何に確度の高い予測ができるといっても、本当に未来が見えているわけではないだろうからどこかで手落ちが出るのは避けられない。そこを情報操作でカバーしてきたんだろうけど、緑后は少し長く君臨し過ぎたようだ。長年の蓄積で塵のように降り積もった違和と欺瞞が隠しきれなくなり、反体制派を生み出すまでに至ってしまった」
緑殿を襲撃した反体制派の組織であるが、リュウ君達は彼等と協力関係にあったわけではない。
話を戻して、リュウ君達が村を出た矢先に反体制派の襲撃を受けてどうなったかということだが、彼等は一時的に交戦こそしたものの、膠着した際にダメ元で事情を訊いてみれば、どうやら人違いによる襲撃だったそうな。反体制派が本当は誰を狙っていたのかというと、まさしく私らしい。
「私? なんで?」
「反体制派の目標は緑后を排すること。彼等は緑后が魔物だとは思っていないだろうけど、緑后によってこの国が歪められていることには気付いている。一見して平和そのものに見える日々の裏で、闇に葬られた人々が居ることに気付いた者の集まりこそが反体制派よ」
「彼等はどうやら慧華の身柄を確保して代わりの刺客を緑后の元に送り込むのが目的だったようだ。厳重に守られている緑后に接敵できる千載一遇のチャンスを狙ってきたというわけだな」
「まあ、実際には緑后側のほうが一枚上手だったみたいで、まんまと偽報を掴まされて彗華がとうに出発した後に、のこのこ攫いに来たというオチね」
リンちゃんとリュウ君の説明で私はなんとか経緯を理解した。
結局リュウ君達との情報交換で謀られたことに気付いた反体制派は撤退したそうで、それから紆余曲折を経てあの皇城襲撃に繋がる。村から都に至るまでの道中でリュウ君達にもそこはかとなく波乱万丈あったみたいだけど、それは追々教えてくれるだろう。
説明と情報交換が一段落したところで、ずっと黙って耳を傾けていたダイちゃんがふと呟く。
「一つ疑問なんだけどな」
「ん。なぁに兄さん」
「緑后はそもそも何がしたくて国を牛耳っているんだろうな?」
緑后が人間であったならば、そこには欲望や野心という動機があってもおかしくないだろう。
だが彼女は魔物であった。魔物である彼女が人間の国を滅ぼさずに操っている理由とは。魔物の生態として人間を捕食したいだけならば、こんな面倒な真似をする必要はないように思える。
「緑后は、かつて失った力を取り戻すと言ってた……」
私が直接聞いたのはそんなざっくりとした目的だけだ。
となると、自然と全員の視線が向かう先は、困った時のリンちゃんである。
「因果関係はわからないけど、緑后はおそらく特別な資質を持った人間を探してる。彗華を召し上げたように、国という規模で効率的に対象を収集するためにああいう体制を作ったのだと思う。ヒヅチという国は規模的に丁度良かったのかも。もしかすると、過去にはここ以外の国でも同じようなことをしていた可能性もあるかもね」
「それが、緑后が力を取り戻すことに繋がるのか?」
「そうなのだろうね。なんにしても、とにかく彗華が『魅了』される前に助けることができてよかった」
こちらを見て安堵の息を零すリンちゃんに、私の頭の奥でずくりと何かが痛みを発した。
「そういえば凛子は、先程も緑后は『魅了』を使うと言ってたな」
「うん。もし彗華が『魅了』されてしまっていれば、私達に素直に助けられてはくれなかっただろうから」
ああそうか、と私は彼女の勘違いに思い至る。
確かに私は緑后に魅了されているわけではない。
だけどそれは、何もされなかったという意味ではないのだ。
そう。そして私達がこうも容易く都を脱することが出来たのは、見逃されたからだ。緑后に直接会っていないリュウ君達は根本的なところで理解が及んでいない。
あれは、そんな次元ではなかった。
今だって、私は変わらずに緑后の掌の上だ。
何故なら、私が逃げ出したあの時。
最後にこちらを見ていた緑后は、きっとこう呟いたのだ。
『――――また会おう』
ふっと私の意識が遠くなり、視界が暗転する。
慌てる友人達の声を聞きながら、私の意識は闇に呑まれた。
「――――そうして、私達の長い長い旅が始まりました」
あの日のことを思い出しながら、私はマルグリットさんに語って聞かせた。
何故彼女に聞いてもらおうと思ったのかはわからない。彼女が協力者であるからか、あるいはリンちゃんが何故か特別の信用を置いている相手だからか、それかただ単に、私が誰かに話したかっただけか。
「国を牛耳っている緑后に目を付けられている以上、私達の居場所は国内にはありませんでした。もし、私が呪詛に侵されてさえいなければ、皆で反体制派に加わって緑后を打倒するという未来もあったのかもしれません」
実際、リュウ君達は当初はそのつもりだったらしい。真実を知ってしまった以上、元通りの暮らしには戻れない。いや、戻るためには諸悪の根源を断つしかないのだ。
しかし、私が呪詛に侵されていることが発覚した後、リンちゃんはこのリヒティナリア王国を目指すことを提案したのだ。
「リンさんは、なんでプリムローズさん……アシュタルテ侯爵令嬢の協力を仰ごうとしたの?」
「わかりません」
会ったこともなければ名前を聞いたこともない遠い異国の人物を、何故リンちゃんは知っていたのか。リンちゃんはそれまでにも度々あった謎の知識の出所を、私達には『上手く説明できない』と詫びた。だから私もリュウ君もダイちゃんもそれ以上は訊かなかった。
だってリンちゃんの言うことなら信じられるから。
私達はヒヅチの国を脱し、タイホウ連合からも出て、隣国のコウランに渡り、陸刀会の傘下に加わって旅を続けた。巡礼の旅をしていると言えば、その道中に限っては会の援助を受けられるのでだいぶ助けられた。当初、私の頭の内側を蝕むだけだった呪詛は徐々に進行し、コウランに渡る頃には外見にも影響が出始めていた。
遂には東方圏を脱し、完全に異邦の地へと足を踏み入れた。そうなってくると、最初は殆ど何もかもがリンちゃん頼りだった。彼女が当たり前のように異国の言葉に精通していなければ、きっと私達は早々に路頭に迷っていただろう。
数知れない困難があった。命の危機だって一度や二度ではない。状況に鍛えられるように、元々強かったリュウ君のみならず、リンちゃんの弓もダイちゃんの槍もメキメキと実力を伸ばしていった。
私だけが終始お荷物で、足手纏いだった。皆の役に立つどころか、危険を引き寄せることしか出来なかった。私はやたらと動物に、特に魔獣の類に襲われた。緑后の呪詛が魔獣を引き寄せるのか、あるいは緑后の危険な気配を私に感じ取った魔獣が排除せんとしているのか。
「長い旅だった。…………本当に、長かったなぁ」
少し離れた場所でダンクーガ伯爵家のルークさんと組手をしているリュウ君の姿を眺める。
出会ったばかりの年下の少年と気があったのか、最近では珍しいくらいに楽しげな彼の姿に、私は微笑みを覚えた。
「ケイさん?」
傍らのマルグリットさんに名を呼ばれて、私は視線を伏せてフードを引き下ろした。
最近、ずっと同じようなことを考えていた。
大好きなリュウ君に、リンちゃんに、ダイちゃんに、私がしてあげられることはなんだろう。
私は、彼等に何を遺すことが出来るのだろうか。
自分のことだから、自分が一番よくわかっているのだ。
ようやくリヒティナリア王国へと辿り着き、件のアシュタルテ侯爵令嬢の手掛かりも掴んだ。協力してくれる人物すらも見付けた。あと少しだ。本当に、あと少しなのだ。
あと少し、だったのだ。
「マルグリットさん。つまらない昔話を聞いていただいてありがとうございました」
「ううん。むしろ話してくれてありがとうだよ」
私がベンチから立ち上がると、お開きの気配を察したのかマルグリットさんも腰を上げる。
私は彼女に向き直ると、その両手をそっと手に取った。
「えっと、ケイさん?」
しぱしぱと目を瞬くマルグリットさんの掌の感触は、女性らしい柔らかさではない。
弛まぬ鍛錬を積んできた人の、頑張り屋さんの掌だ。
リュウ君達と同じ掌で、私が一番大好きな掌だ。
「厚かましいことと存じますが、どうか、今後のことを宜しくお願いします」
私が頭を下げると、マルグリットさんは得心がいったように頷いたようだった。
「アシュタルテ侯爵令嬢の件だよね。正直、あたしにどこまで手伝えるかわからないけど、精一杯頑張るから」
「ありがとう。本当に」
きっとこの高潔な少女であれば、私が居なくなった後もリュウ君達に良くしてくれるだろう。
ここで彼女と出会えたのは、本当に幸運だった。
一つ。心に決めていることがある。
緑后の呪詛が進行しきった時、それは私の死を意味しないだろう。
何故なら緑后の目的は私を苦しめて殺すことではなく、私の資質を利用して何かを為すことであろうから。
だから、本当に最後の時が来たら、その時は私は私の命に、私自身の手で幕を下ろすつもりだ。
そしてそれは、遠くない日のことだろう。




