373話_side_Keika_わずかに前_回想
~"生贄の少女"彗華~
リヒティナリア王国からは遠く離れた東の果てに、『大峰』という名の連合国家が存在する。『帝』と呼ばれる最高権力者を頂点に置いた連合政府によって運営される国家群であり、隣国である『紅爛』と並んで極東最大規模の巨大構造体だ。
タイホウを構成する国家群は規模も文化もそれぞれで、それらの構成国は『皇侯』と呼ばれる役職を頂点として運営されている。王と諸侯という意味の王侯ではなく『皇という名の諸侯』を意味する皇候だ。そして構成国の一角である『火槌』という小さな国が私達の故郷だった。
私が生まれたのは田舎も田舎、小さな国であるヒヅチの更に末端と言っても過言ではない小さな村だ。人々は森と寄り添い、自給自足で生きていた。世の流行には疎く、ゆっくりと穏やかな時が流れる。その変化の無さに嫌気がさして都に向かう者も少なくはなかったが、私はそんな村の日々が気に入っていた。
きっとここでゆっくりと生き、そしてゆっくりと逝くのだろうと、漠然と思っていた。
村の人々は全員がそこはかとなく顔見知りであるような、小さな村だ。若い人ほど外に出たがる傾向があったので、自然と村に留まる人間の年齢層は上がり、老人が多い。だから私と同年代の子供というのはそれほど多くはなかったが、元々社交的ではない私はごく小さな人間関係で充分に満足していた。
家族である両親と、それから特に仲の良い友人が三人も居たからだ。
勿論、遠い異国で今も共にある三人のことである。
リンちゃんとダイちゃんこと、獅子戸兄妹。兄の獅子戸大祐に、妹の凛子。
そしてリュウ君こと不破劉一。
ちなみに私は現在はケイと名乗っているが、本名は黎彗華という。私達の母国語は少々特殊で、隣国であるコウランと基本的に同じ言語体系を用いていながら、それぞれの国で読みが異なることが多い。私はコウラン系の家系なので、名前もそっち寄り。リュウ君達はタイホウ系なので、ということだ。なお私の名前はコウラン読みだとリー・フイファとなるしそれが正規だが、ルーツはともかく今暮らしているのはタイホウなので普段はタイホウ読みでケイカなのである。
気は優しくて力持ちを地で行くダイちゃんに、いつも冷静でしっかり者のリンちゃん。優しくて頼りになるリュウ君。私などには勿体ないくらいに出来た友人達だった。私は引っ込み思案で人と話すのが苦手だった。だから少ない村の子供達の輪にも入っていけなくてひとりぼっちで居ることが多かった。そんな私に最初に声を掛けてくれたのがリンちゃんだ。元々リュウ君とダイちゃんは仲が良くて、その関係で妹のリンちゃんも含めて三人で遊んでいることが多かったらしい。そこに私も誘ってもらえたのだ。
仲良し三人組が、仲良し四人組になった。
それが私にとって、どれ程嬉しかったことか。
私は幸せだった。
不満なんてなかった。
こんな日々がずっと続けばいいのに、と。
そう……思っていた。
なんでもないある日のことだった。
私達の日常は突然に終わりを告げる。
村長の元を訪れた都の役人が、私を名指しして『緑后』に選ばれたと告げたからだ。
私達の故郷であるヒヅチという国の特殊なところとして、その緑后の存在があった。これは称号であり平たく言えば皇候への助言役のことだ。その実態は特殊な予知能力を代々受け継ぐ預言者の家系だというのが国民の理解だった。この国の民であれば誰でも知っていることだが、同時に、田舎の村の住人には生涯縁のない存在であるという認識でもあった。
なにせ緑后とは国家運営の中枢も中枢に位置する存在であり、ともすればヒヅチの皇よりも強い影響力を有している存在ですらある。代々の緑后は様々な国難を事前に予知し、その解決策を時の皇に助言して国を救ってきた。タイホウという連合国家の一部として内陸に位置するヒヅチは、他の構成国によって外敵からは守られている。そんなヒヅチにとっての脅威とは、国内の黒い森から湧出する魔物勢力が主たるものだ。誰にも予想が出来ず、故に天災と同義であった魔物の大規模侵攻すらも緑后は予知し、ヒヅチが今も主権を保ったまま存続しているのはかの存在の恩恵故と言っても決して過言ではないのだ。自国内の脅威を自力で排撃出来なければ、援助を受けるという名目で他国に併呑されざるを得ないのだから。
私が何に選ばれたのかというと、つまりその当代緑后の傍仕えに、であった。
緑后はその名が示す通り、必ず女性が継承する称号である。故にその傍らでお世話をする役割を務めるのも、必ず女性となる。予知能力を有する異能者である緑后は、自身の傍仕えを自ら任命するのだそうだ。要するに、異能によって未来が見えるので、自らの近くに置くべき者、あるいは置くべきでない者がわかってしまうということだ。
緑后の予知によれば、私は緑后の傍らに居るべき人間なのだ。
私にとっても、友人達にとっても、家族や村の人達にとっても、誰にとっても青天の霹靂もいいところだった。厳めしい護衛に守られた都の役人が雁首揃えてやってきても、現実感など湧きようもない。
どこか遠い国の話を聞いているような心地であった。
だが、そんな村人達にも絶対的に理解出来ることが一つだけあった。
緑后が望んだ以上、拒否権などないということだ。
あれよあれよと体裁が整えられ、私はヒヅチの中心である都に向かうことになる。
勿論、私一人だ。家族も、友人も、誰もついてくることは出来ない。正確には、勝手に都までついてきたところで、基本的にもう会うことは出来ない。
何故ならば緑后とはこの国で最も厳重に守られた存在であるから。内情を知らない他国の者が聞けば、未来予知が出来るならば自らに迫る危険もわかるはずなので過度に守る必要もないと思うかもしれないが、実際のところはそこまで都合の良い力ではないという。様々な制限が伴う限定的な予知能力であり、むしろそれを国家運営の大事に関わる事柄以外に浪費させることを極力防ぐため、緑后は徹底的に世俗から隔離されていると言えよう。
それは即ち、ノイズのない世界で飼い殺され、予知能力だけを搾取されていると言えるかもしれない。
ともかく、そんな緑后に選ばれて傍らにお仕えすることになった以上、私も世俗との繋がりを極力絶たなければならない。私以前にも同様のお役目に選ばれた人間は当然少なからず居たようだが、その彼女等も基本的には年に一度の限られた日にしか家族と会えないらしい。
村の大人達も、両親も、友人も、皆が口を揃えて言った。
これは大変に名誉なことだ、と。
それは事実に相違ない。片田舎の芋くさい小娘が、あり得ない程の大抜擢であると言えるだろう。両親には年に一度は会えるのだし、私が緑后に仕える対価として、両親には国から少なくない心付けが与えられるのだとも聞いた。
なんの取り柄もない私がこれ以上ない程に両親に恩返し出来る機会を与えられたのだと、私は自分を納得させるしかなかった。
本当は行きたくなんてなかった。
名誉なんて要らないから、そっとしておいてほしいと思った。
だけど私がそれを言ったところで何も変わらないし、もしかしたら国家への叛意と見做されれば両親や村の人達に迷惑が掛かってしまうだろう。
だから私は未練や心残りに、一つ一つ丁寧に蓋をして、そっと優しく諦めることにした。
皆に別れを告げて、せめて笑顔で都に向かうことにしたのだ。
たったひとつだけ、最後まで蓋をすることが出来なかった想いを抱えて。
「…………劉君に、好きって言えなかったな」
道中、独りになった馬車の中で。
ぽつりと、呟きと一緒に涙が零れた。
そうして、皇城内でも最も厳重に守られた場所――俗に『緑殿』と呼ばれている御殿の一室にて、私は当代の緑后と対面したのだ。
私と同じお役目の先輩方に傅かれてたおやかに微笑む女性は、失礼ながら想像していたよりもずっと若い見た目をしていた。緑后は世襲制なのだから、当代の彼女が若い時分にお役目を引き継いだというだけのことだろうが、私は勝手な想像で、歴史ある称号に見合った貫禄のある女性をイメージしていたのだ。
また、同じく勝手な想像で緑后は美しい容姿をしているに違いないとも思っていたが、こちらも私の想像は外れた。
ただし、こちらは想像を超えてきたという意味でだ。
緑后はあまりにも整った容貌の女性だった。見るからに、私達とはそもそも人種からして異なっている。雪のように白い肌と、黄金よりも高貴な色彩の頭髪。そして蒼穹をそのまま押し込めたような、どこまでも澄み切った蒼い瞳。
非人間的ですらある美しさだが、強いて人間の枠組みに当て嵌めるならば西方の人種であるように思う。
国家の中枢を担う重要人物が、まさかの異邦人であったという事実は私を驚かせた。
しかし、そんなことが些事になってしまうほどの、更なる驚きが私を襲っていた。
澄み切った蒼い瞳を縁取る色が、違うのだ。
緑后には白目がなかった。
そこにあるのは黒々とした漆黒である。
人種が違う程度の騒ぎではなかったのだ。
緑后は、人間ですらなかった。
魔物である。
思わず後退った私は、異常なことに気付く。
何故、緑后の周囲を固めている彼女等はこれをなんとも思わないのだ。
私よりも先に役目に就いていたのだから、何らかの納得出来る説明を受けた結果としての態度なのか。
いや、そもそも皇候はこれを知っているのか。
知っていて隠しているのか。
緑后を徹底的に世俗から隔離しているのは、彼女を守るためであると同時に、彼女が魔物であると知られないためだったのか。狼狽える私の姿を、緑后は微笑ましそうに眺めていた。
「掛けるがよい。そちの疑問には答えようぞ」
そうして穏やかに促されて、私に抗う術はなかった。
私は孤立無援で、案内なしでは緑殿の外に出ることすら儘ならないと自分でわかっていたからだ。
私を眺める緑后の目は魔物のそれだが、態度も言動も理知的で、私はとりあえず話を聞いてみようという気になる。
まるで世間話でもするかのような平穏さで緑后が語って聞かせた事柄は、私を絶望させるには充分であった。
端的に言えば、ヒヅチという国はとうの昔に魔物の手に落ちていたのだ。
緑后は、遥か昔に失った本来の力を取り戻すために、ヒヅチの中枢を操って今の体制を創り上げたのだという。世襲制と言われていた緑后は今も昔も目の前の彼女であり、最初の緑后を擁立した時の皇から連綿と当代の皇に至るまで、その全てが彼女の傀儡であった。
否、ことは皇のみにとどまらない。国家の運営を担う重要人物の全てが、緑后に操られているのだ。
そしてそれは、私の前に傍仕えとなっていた女性達も例外ではない。
「恐れることはありません。貴女もすぐに私達の同胞になるのですよ」
そう告げたのは緑后のすぐ隣に控えていた女性であった。
彼女の目には理性が燈っていて、とても思考を操られているようには見えなかった。勿論、私などにはそもそもそれを判断出来るだけの見識がないのだが、だとしても、その女性のみならず周囲の誰もが、もっと言えば皇や役人達も、皆自然だった。
操られているはずなのに、自然に振舞っているように見える。
その不自然が、どうしようもなく薄ら寒くて恐ろしかった。
だって、緑后がわざわざ私に語って聞かせたのは、知ったところで問題にならないと思われているからだ。
このことを知った私が、しかし納得尽くで傅くであろうと、彼女は考えている。
彼等彼女等は、思考を制限されて強制されているわけではなく、きっとその根本を挿げ替えられてしまったのだ。
これは『洗脳』などではない。
自発的に、偏向し妄信している。
最早『魅了』である。
つまりそれほどまでに、緑后の力は常軌を逸したものであるということだ。
緑后が私の目を見詰めて微笑み、視線に強い魔力が宿る。私は逃げなくてはならないと思いながらも、身動ぎすら出来なかった。視線の圧力だけで完全に縛られてしまっていたのだ。
そして緑后の魔法が発動した瞬間、私は脳内を掻き混ぜられたような激烈な苦痛に悲鳴を上げた。まったく動かせなかった身体が嘘のように支えを失い、頭を抱えて床に崩れ落ちる。幸いにもすぐに痛みは引いたが、私の頭の中にはずくずくと胎動する何かが息づいていた。
「素晴らしい!」
手を打って喜びを示したのは緑后である。
傍仕えの女性達は私の叫ぶ姿に驚いたように目を瞠っていたが、緑后だけが事態を正しく理解している様子でいた。
「妾の魔法に対抗しおるか。素晴らしい資質じゃ」
緑后が何かを喋っているのはわかったが、私の思考は凄まじい負荷に耐えかねて意識を手放そうとしていた。
暗い影が落ちてくるような思考の片隅で、緑后の最後の言葉が辛うじて聞こえてきた。
「これで、漸く――――」




