補完[小夜啼鳥-3(end)]
「あ、あれ? お客さん来てたのに、私ったらぼーっとしちゃって、ごめんなさいっ!」
と、大慌てする職人の彼女を見遣りつつ、ミアベルは己の失敗を悟る。
失敗というか、失態であろうか。どうやら自分はまた意図せずやらかしたようだ、と。
思い返すのは先日のこと。クランの先輩である年下の少女ノアールの隠形を、ミアベルは意図せず看破してしまった。おそらく、護符を眺めていた黒髪の少女も、あの日のノアールと同じようになんらかの隠形を行っていたのだろう。ミアベルが話し掛けたことでようやく来客の姿に気付いた職人や、ミアベルと一緒に行動していたにもかかわらずミアベルが話し掛けるまで黒髪の少女の存在を気に留めていなかったミリティアの様子から鑑みるに、所謂『視線逸らし』のような魔法を使っていたのかもしれない、とミアベルは考えた。
もしそうならば、先程の少女の驚きようにも納得がいくというものだ。
隠れているはずのところに平然と声を掛けられたら、それは驚くだろう。
しかし生憎とミアベルに悪気はなく、それどころか無自覚ですらあった。無自覚で隠形を見破ってしまったことがなんだか無性に申し訳ないと思う。
「あの、すみませんいきなり話し掛けちゃって」
なんと言えばいいのかわからないので、ミアベルは無難に詫びてみる。
黒髪の少女はミアベルの謝罪にはすぐに応じず、その赤い瞳でじっと見詰めてきた。気まずさも手伝って蛇に睨まれた蛙のように硬直して少女の発言を待つミアベルに、事情はわからないながらも周囲の三人――職人の女性に、ミリティアと御付きのリゼルも固唾をのんで見守る。
穴でも開けんばかりに凝視されたミアベルの背筋に変な汗が流れ始めたあたりで、ようやく黒髪の少女が口を開く。
「キミは、不思議だね」
「ふぇ」
いやあなたも充分に不思議ですよ、とミアベルは思ったが口には出さなかった。
一瞬前に無自覚でやらかした苦い経験がミアベルを少しだけ慎重にさせたのだ。
「わたし、ミアベル・アトリーといいます」
黒髪の少女の様子からどうやら交流をしてくれる気があるらしい、と判断したミアベルは、なにはともあれ名乗ることにした。傍らの友人とそのメイドの紹介もすると、黒髪の少女はそれに応じて順番に視線を巡らせた。
「ミアベル。ミリティアに……リゼルだね。おぼえた。貴女は?」
続けて黒髪の少女が水を向けたのは職人の女性だ。まさか自分に来るとは思っていなかったのか、彼女は面食らったように目を瞬いたものの、じっと見詰めて答えを待つ少女に応じておずおずと「トーリ」と名乗った。横で聞いていたミアベルが、好感を覚えていた職人の名を図らずも知ることが出来て少しだけ得した気分になっていたのは余談である。
「私はスメラギ」
ぽつりと名乗った黒髪の少女スメラギの名を、ミアベルは口内だけで反芻した。
それから素朴な感想を一つ。
「スメラギちゃんかぁ。なんだか雅な響きだね」
「すめらぎちゃん……」
「あ、ちゃん付け嫌だった? ごめんね馴れ馴れしくて」
ミアベルはその辺りの呼び分けをわりとフィーリングで決める節があるのだが、人によっては煩わしく思われるであろうことも理解していた。
ただ、スメラギは特に嫌だったわけではないようで、すぐにゆるりと首を振る。
「そんな風に呼ばれたのは初めて、だから少し戸惑っただけ」
スメラギは感情に乏しい調子で淡々と告げる。
「呼び方は、キミが決めていい」
予想外の出会いはあったものの、ともあれここを訪れた目的を果たそうということで、ミアベルの視線の先ではミリティアが職人のトーリからの助言を受けながら護符選びに臨んでいる。護衛のはずのリゼルはミリティアの傍らに居るには居るが、相変わらずよくわからない『斜め上のほうを凝視する遊び』に興じているので、傍目にはぼんやりしているだけにしか見えなかった。
そして後ろで見守るミアベルの隣にはスメラギの姿があった。
「スメラギちゃんはよかったの?」
ミアベルが問うとスメラギは無言で視線を寄越した。
その視線は『なにが?』と問い返しているような気もするし、ただ見ているだけのような気もする。
「ええっと、ほら護符を買うために見てたのかなー、って」
あんなに熱心に眺めていたのだし、とミアベルは思う。
もしそうなら後から来た自分達が場所を奪ってしまったのは申し訳ないことだ。
「そういうわけじゃない。私があれを見ていたのは……」
ミアベルの危惧を短く否定しつつ、なにかを言い掛けたスメラギは一拍置いて別のことを口にした。
「ミアベル。キミはよく笑う子だね」
「そかな?」
「そう。そんなキミなら、笑顔の作り方を知ってる?」
スメラギからの質問に、ミアベルはきょとんと目を丸くした。
予想だにしない質問だったという理由もあるが、同時に、ミアベルにとっては既視感を擽られるものでもあった。
なんか前にもそんなこと訊かれた気がするなぁ、と内心で思いつつ、ミアベルはその時の経験を活かして自分なりの答えを告げることにした。
「自分の大切な人を心に思い浮かべるといい、と思うよ」
「大切なひと……?」
うん、と頷きつつミアベルは実際に自らの大切な人達を心に思い描いてみる。
家族、友人、恩人――
「そうすると、自然と顔がほころぶんだぁ」
「そういうもの、かな……?」
「大切な人が笑ってくれると、自分もつられて笑顔になっちゃうと思わない?」
笑顔の輪が広がるのはなにも大切な相手だけではなく、今日知り合ったばかりのスメラギとも輪が繋がれば素敵なことだとミアベルは思うのだが、とうのスメラギはあまりしっくり来ていない様子であった。スメラギの表情を観察していたミアベルは、彼女にはちゃんと心に思い浮かべる『大切な人』が居るのだと察することが出来た。
しかし、その先でなにやら躓いているというか、ミアベルの考えとは違う事態に陥っているような印象だった。
「私の大切な人は、おかあさん」
「そっか。わたしもお母さんは大切だし、好きだよ。一緒だね」
「一緒かな。私はおかあさんの笑顔を見たことがない」
そう語るスメラギに悲壮感はなく、ただ事実を淡々と語っているようだった。
そもそも笑顔の作り方がわからないというスメラギの事情には、母親や家庭の環境も多分に影響しているようだとミアベルは理解する。となれば安易に踏み込むべきではないかと思わないでもなかったが、成り行きとはいえここまで話してもらった以上は知らない振りも不誠実だろう、とミアベルは自分なりに思うところを口に出す。
「だったら、お母さんのために笑顔の練習をしよう」
「おかあさんのため?」
「スメラギちゃんが笑顔を見せてあげたら、お母さんがつられて笑ってくれるかも」
手段と目的が入れ替わっているが、それは大した問題ではないとミアベルは考えていた。
結局のところ、双方向なのだ。誰かに笑いかける。そして誰かから笑いかけられる。どちらが先とか後とかでない。大事なのは想いである、などと、
「うーん。なんか良いこと風に言おうとしてよくわかんなくなっちゃった」
言語化するのは難しい、とミアベルが素直に告げると、スメラギは思案気に少しだけ首を傾ける。
そして納得したように小さく頷いた。
「参考になった。ありがとう」
「ならよかった」
雰囲気からスメラギがこの場を立ち去ろうとしているのを察し、ミアベルは少し寂しく思った。単純に、この少々不思議な印象の少女と、ここだけの関係で終わってしまうのが勿体ないような気がしたのだ。とはいえ理由もなく引き留めるのもおかしな話だし、なによりスメラギにも都合があるだろうから迷惑でしかないだろう。
そんなミアベルの態度から何かを感じたのかは定かでないが、スメラギは立ち去る前についでのように口を開く。
「……もう一つ。もし知っていたら教えて欲しい」
「あっうん。なにかな?」
スメラギは少し逡巡したようだったが、最終的に、先程までよりもこころなしか小さい声でこう言った。
「ブルーチーズと魚肉ソーセージは、どこに行けば買える?」
紆余曲折あって粗方の目的を達成したスメラギは、黒い森の奥地で待機しているフェンリス達の元へと戻ってきた。
「ただいま戻りました」
「遅かったな。なにかあったか?」
魔法で熾した火を囲って寛いでいたフェンリス達は口々にスメラギを出迎えてくれて、その中でフェンリスがスメラギの帰りが遅れたことに言及した。フェンリス達と合流するためには黒い森が閉じる前に戻って来なくてはならないので、スメラギにとっては夜が明ける時がそのまま門限であった。普段はもっと余裕を持って戻るのだが、今日に限って遅くなったのは大した理由ではない。
「これを探してました」
そう言ってスメラギが取り出したのはメイド達へのお土産である。
正直、これ等の何にそこまで心惹かれたのかはスメラギには理解が難しいところであったが、なにはともあれお土産を受け取ったスコールとハーティが嬉しそうなので良しとすることにした。
フェンリスはそんなメイド達とスメラギに半分ずつくらいの呆れ顔を向けた。
「律儀だなお前」
「そうですか?」
「てか金はどうした」
フェンリスに訊かれてスメラギは愛用のがまぐち財布を取り出すと、逆さにして振ってみせた。
素寒貧である。
ちょうど使い切ったというよりは、有り金で買える分だけお土産を購入してきたと言ったほうが正しい。そもそも大した金額を持っていなかったスメラギであるが、安く買える場所を教えてもらえたおかげでなんとかなってしまったのが実情である。実際のところスメラギにとって金銭は然程重要ではないし、必要になったらまた工面すればいいのだ。具体的には『幽家』に戻って適当に高価そうなものを取って来て換金すればいい。
「いやそれサヤの持ち物じゃねえのか」
「おかあさんは好きにしていいって。勝手に貢がれて溜まってくだけだから」
「あっそう」
スメラギの母親であるサヤは教団の重鎮なので、信徒からの献上品がそれなりの頻度と規模で贈られるのだとか。しかしながら、サヤはそういった俗物的なものには一切興味を示さないので、結果的に『幽家』の一角には貴重な品々が堆く積まれて埃を被っているのであった。
「それ、スコール達には言うなよ。調子に乗って色々強請られるぞ」
「わかっています」
スメラギ自身はそれはそれで全然構わないが、スコール達の主はフェンリスなので、彼の方針を尊重するつもりではいる。
そんなことより、とスメラギは話題を変える。お土産は本題ではない。
「『有格者』を見付けました」
「お。でかしたチビラギ」
順調じゃねえか、とフェンリスは喜色を見せる。
サヤとは違って自分の目と足で対象を探さなくてはならないスメラギの捜索方法は決して効率が良いとは言えない。そして『有格』のグレードを有する魂の発生確率を考えれば、バッヘルに続いてここでも首尾よく対象を発見出来たのは僥倖と言うより他ない。
「すぐに確保に動きますか?」
スメラギの仕事は見付けるところまで。そこから先はフェンリス達の仕事だ。スメラギの問い掛けに、フェンリスは黙って暫し考えた。
「いや、順番通りに行こう。まずはバッヘルだ」
「……二度手間では」
黒い森からの魔界経由で移動すればそれなりに近いが、かといってここからバッヘルに戻って対象を確保し、それからこちらに戻って来て、となると二度手間感は否めない。ならば最初にこちらで確保してからバッヘルに戻るのもありだろう。
スメラギはそう考えたが、フェンリスは「一理ある」としながらも首を縦には振らなかった。
「ブラッドフォードのほうは誰かさんが企み事の真っ最中みてえだからな。下手に首突っ込んで睨まれたら非常に面倒くさい」
「そうなんですか?」
誰のことだろう。とスメラギは考えるも答えは出ない。
もしかしてポイズンちゃんと名乗った彼女だろうかとも思ったが、フェンリスの口振りでは違いそうだ。
「だからまあ、先にバッヘルで済ませて戻ってくりゃ、丁度いい具合になってるんじゃねえかな」
「わかりました」
不明点はあるが、フェンリスがそう決めた以上はスメラギには否やない。
となれば今日見付けた『有格者』のことは一旦忘れることにして、少し前にバッヘル領で出会った少女のことを思い返す。
セラフィーナという名の、桃色髪の少女のことを。




