補完[小夜啼鳥-1]
・ようやく章題の回収に入るようです。
~"小さいほうの闇の巫女"スメラギ~
「――これで、どうでふか?」
「十点」
「じってん満点ちう?」
「百点満点に決まってんだろ」
つまり全然ダメということだった。
フェンリスからの辛辣な評価に私は消沈して肩を落とす。
「あの女に言われたことを気にしてんのか?」
「……いえ」
私がフェンリスに何を見てもらっていたのかというと、笑顔である。
別に気に病んでいるというわけではないが、先のポイズンちゃん(仮)の言葉は考えるきっかけになったと思う。
私には笑顔がないのだ。楽しいという感情を知らないわけではない。それはフェンリスやスコールやハーティと一緒に日々を過ごす中で実感しているものであったから。しかし、そこに本来セットであるべきものがない。
まずは形からということで意識して表情を作ろうとしても上手くいかなかった。彼女の助言通りに水場の水面に映る自分の姿で練習をしてみたり、今のようにフェンリス達に見てもらって練習をしてみるが、どうにも不自然だ。
おそらくだが、私の顔が、そもそも笑顔を覚えていないのだ。
「今まで、気にしたこともなかったんです」
私の属する世界は狭く、その圧倒的大部分を占めていたのは、今は眠ってしまっているおかあさんだ。
「おかあさんが笑うところは、一度も見たことがなくて」
「あー」
私の言葉にフェンリスは納得したような声をあげた。
そういえば、フェンリスは私が生まれる前からおかあさんと交流があったと聞いている。もしかしたら、そんな彼であればおかあさんの笑顔を見たことがあるのではないか。そんな期待を籠めてフェンリスを見上げると、彼は昔を思い出すように瞑目する。
「サヤはまあ、今でこそあんな感じだが、昔は普通に笑ってたし、普通に人間をしていたな」
「そうなんですか。……そうなんでしょうけど、ちょっと想像が難しい」
「今の姿しか知らなければ、そうだろうよ」
私には過去がないけれど、それは覚えていないというだけのことで、人は誰しも過去を持つ。歴史があるのだ。
だから当然おかあさんにも、私が知らない歴史があるはずだった。
「昔って、どのくらい前のことなんですか?」
「年数とかは数えてねえが、相当前だぜ。それこそ、サヤが『闇の巫女』とかって呼ばれ始める前のことだ」
「おかあさんが巫女でなかった時があるんですか?」
「おう。確かアイツ、元々は王国の貴族かなんかだったと思うぞ」
貴族。と聞いて私は目を瞬く。
全然想像が出来ない。それはおかあさんの今の姿を知るからでもあるし、同時にそもそも貴族という人種を私が良く知らないからでもあった。
「フェンリスはその頃からおかあさんと知り合いだったんですか?」
「いんや、その当時はたぶん俺が一方的に知ってただけだな」
ちょっとした縁があってな、と語るフェンリスの顔をじっと見る。
気付いたフェンリスが怪訝そうにするので、私は訊いてみた。
「もしかして、フェンリスも元々は貴族だったんですか?」
「は? どうしてそうなる」
「勘です」
私の答えにフェンリスは肩透かしを食らった様子で「勘かよ」と呟く。
大部分は単なる勘でしかないが、その発想に至った理由はある。
それは彼の『魂』だ。
魔物にも魂があるというのは私にとっては常識でしかないが、フェンリスの魂は普通の魔物のそれと異なるのだ。最初、フェンリスとスコール、ハーティの三者以外の魔物を知らなかった頃はその違いを単なる個体差としか思わなかったが、こうして外の世界に出てきて多くの魔物を見る機会があって、理解したのだ。
フェンリスだけが、明確に異なる魂を持っているのだと。
スコールやハーティの魂も雑多な魔物とは異なる輝きを持っている。しかしそれは彼女等が強大な魔物であるが故の違いでしかない。フェンリスの違いは、そうではないのだ。
私がなおも彼をじっと見ていると、彼は億劫そうに後頭部をかいた。
「あー、貴族なんて上等なもんじゃあねえが、今とは違う名前で呼ばれていたことはある」
「違う名前?」
なんというのですか、と訊こうとするとその前に彼の大きな掌で頭を押さえられた。
「ぁふ」
「出し惜しむような話でもねえが、ただで教えてやる理由もない」
交換条件だ、とフェンリスは掌を退ける。
「チビラギが笑顔をマスターしたら、教えてやるよ」
そう言って、彼はにやりと笑った。
「では、行ってきます」
今日はギルド支部に赴いて『有格者』を探す予定だ。
このブラッドフォードの黒い森は相当に規模が大きいので、術理的規模が巨大なフェンリス達であっても問題なく魔界から出てくることが出来る。バッヘルではこうはいかなかった。ただ、そうだとしても結局『有格者』を探すのは私の仕事であり、フェンリス達は森の奥で待機だ。
「スコールはお土産に新鮮な魚肉ソーセージを所望します」
「あ! じゃあハーティはチーズがいいぞ! 青いヤツがいい!」
「あの、遊びに行くわけではないですし、そんなにお金持ってないです……」
私には過去の記憶がないけど常識は覚えているようなので、物を得るのに対価が必要なことは理解している。数えるほどでしかないが、実際に人社会に出て買い物をしたこともある。
「金銭が必要ですか。よろしい。その辺の人間を捕まえて『KATU-AGE』をしましょう」
「うむ! というか適当にボコって買いに行かせればいいのだ! 『PASI-RI』というやつだな!」
スカートの下から取り出した鋏をカンカンとリズミカルに鳴らすスコールに、両翼と両腕とついでに両胸を連動させてシュッシュプルンと套路のような動きを演じてみせるハーティ。
すっかりその気になっている二人は、私の言葉では止まりそうもない。
「ふぇんりす……」
「んな目で見るな。コイツ等は俺が見とくから、気にせず行ってこい。土産もいらねえぞ」
「「御館様ッ、そんな殺生な!?」」
揃って悲痛な声を上げるメイド達は、どれだけお土産に期待していたのだろうか。
ちなみに私が知る限り、別にスコールは魚肉が好きというわけではなかったと思うし、別にハーティはブルーチーズに興味を示したことはない。なんとか発言を撤回させようと鬱陶しく纏わりつくスコールとハーティにこめかみをひくつかせているフェンリスから努めて視線を逸らし、私はギルドへ向けて出発することにした。
特に問題なく討伐者ギルドへと辿り着いた私は、とりあえず人の多いほうへと向かって歩く。
目的は『有格者』を見付けること。
私が保有している技能というのは基本的におかあさんのそれに準じている。私がおかあさんの娘なので適性的に似通っているという前提と、その私に様々なことを教授したのはおかあさんであろうから必然的にそうなったのだと思う。残念ながら、私は教わった知識があれども記憶がないわけだが。
ともかく、そういうわけなので、おかあさんがそうであるように私も死霊術の遣い手であるのだ。
世間一般で言うところの普通の死霊術士というのを私は殆ど知らないのだが、どうやらおかあさんは普通のそれと比べて相当に特殊な能力者であるらしい。
その異質な特性として、おかあさんは魂の『濃淡』を操作することが出来るのだ。これは便宜的な表現でしかないが、濃度とは即ち魂が内包する情報量の密度だ。濃い魂程に内包する情報量が多い。おかあさんが自身の魂を分割して他者に与えたり、半分になっても存続しているのはこの能力によるところが大きい。
そして、おかあさんと似通った適性を有する私も、同様の真似が出来る。無論、おかあさんのそれとは比べるのも烏滸がましい程度の未熟な技量であることは自覚しているけれど。
こうして雑踏の中を歩いていても、私の姿を目に留める人は居ない。
おかあさんと同じく異国風の面立ちをしている私の外見はそれなりに特殊なので、普通ならば悪目立ちして然るべきだ。しかしそうならないのは、現在の私が意識的に自らの魂の濃度を淡くしているからである。これがなにを齎すかというと、世界という総体の中における私という個体の確度が淡くなる。世界からの認識が朧気になると言い換えてもいい。
だから道行く人々は私のことが見えていても確たる認識が持てない。
今の私を注視することが出来る者が居るとすれば、それは同様の技能者であるか、あるいは『昇格者』以上の濃い魂を有する者くらいだと思う。魂の濃淡を認識出来る能力者であれば、特別に淡い魂の存在に気付けるのは道理だ。後者の例はどういうことかというと、それは魂が内包する情報量の大元がどこにあるかという話になる。
例えば、今の私は意識して魂を淡くしている。これは私の魂が内包する情報量の密度が低くなっているということだ。器の大きさが変わらないのに密度が下がるということは絶対量が減ったということだが、ではその分の情報はどこへ行ってしまったのか。
その答えが所謂『根源』とか『集合的無意識』とか呼ばれるものだ。
世界という『全』、そして私という『個』。
これは私に限った話ではないが、私達の魂というものは常に世界と双方向な情報の遣り取りをしているのである。もしかすると、魂とはそもそも大元の一つしかなく、それを小分けしたものが私達なのかもしれない。
三界理論におけるところの最上位層、『意識界』が司る集合的無意識ということだ。
『昇格者』以上の濃い魂というのは、即ちそれだけ世界との結びつきが強いということに他ならない。私がどれだけこちら側で魂を淡くしようとも、根源を経由して存在を認識される可能性が否定出来ないということだ。
それでもって、おかあさんや私が『有格者』を見付けることが出来る原理が、まさしくこの魂の濃淡による認識であった。
魂を見れば濃淡がわかる私達なので、一定以上に濃い魂の持ち主は勿論、見るだけでわかる。
おかあさんはその辺のことを教えてくれる前に眠りについてしまったので私は実地で自分なりの方法論を確立することになったのだが、おかあさんが『やり方は既に知っている』と言っていた通り、教えられるまでもなく理解出来ていた。
私は、魂の濃淡を五つのグレードに分けた。
淡いほうから順に、
『普遍』大多数を占める。殆どの人はこの魂を有する。
『優性』普遍的な魂の持ち主の中で、稀に比較的濃い者。
『有格』イデアの担い手となる資格を得た魂。私の標的だ。
『昇格』イデアの担い手となった魂。
『特異』フェンリス曰く、昇格者の上が居るらしい。私はまだ見たことがない。
と定義している。ちなみにイデアとは何かというのは、実は私もよくわかっていない。フェンリス曰く『分化する前の根源的概念』であるらしい。
フェンリスが探しているのは『有格者』なので、五つのグレードの真ん中、『有格』の魂を有する者を見付けるのが私の仕事だ。
そういえば、『幽家』に篭りきりのおかあさんがどうやって外の世界の有格者の情報を掴んでフェンリスに教えていたのか疑問に思ったことがあったけれど、その謎も解けた。
おかあさんは私が思っていたよりもずっと凄い立場の人だったというだけのことだ。
外の世界で最大規模を誇る宗教である『教会』の、対抗勢力とされる『教団』。おかあさんはその中で殆ど頂点と言っていい地位に居る人だったのだ。フェンリスも言っていたが、おかあさんは対外的には『闇の巫女』と呼ばれており、教団内に熱狂的な信徒を多数抱えている。おかあさんはその中から更に選りすぐった一部の信徒に、自身の魂のほんの一欠片を与えているのだそうな。
信徒の魂の一部を受け取り、欠けた部分をおかあさんの魂で補填する。おかあさんは自身の魂が欠損しても修復出来る能力を有しているので、そうやって多くの信徒に自らの欠片を植え付けてきたのだ。
世界中に散ったそれらの信徒がおかあさんの『眼』となる。
おかあさんは信徒の目を通して発見した有格者の情報をフェンリスに伝えていたというわけだ。
言うまでもないが、同じ真似が私如きに出来ようはずもない。技量的には勿論、そもそも私には自身に殉教してくれる信徒など居ないのだから。一応、おかあさんが寝ている間は娘の私が『闇の巫女』を代行しなければならないと思ってはいるが、実際のところ何かをしろとは言われていない。
よって私はこうやって、人の居る場所に出向いて足で探すしかないのである。
その途中で、私は少し気になるものを見付けて足を止めた。
職人街の一角に出ている、小さな露店であった。工房を構えるほどの伝手や実力がないのか、道端に敷物を広げて商品を陳列しただけの素朴な佇まいだ。
店主兼職人であろう人物が一人で商売しているようで、穏やかな雰囲気の若い女性が座って来客を待っていた。あまり客足は芳しくないようで、膝を抱えて座る彼女は少しだけ寂しげな顔をしていた。
「…………」
勿論、店の真ん前に私が立ち止まっても、彼女が特別に注意を向けることはない。彼女は私の存在を認識していても、極端に確度が淡くなっている私に意識的に対応することが出来ないのだ。
「少し、見せてもらってもいいですか?」
「どうぞ。ごゆっくり」
私が声を掛ければちゃんと反応をしてくれるのは、彼女はちゃんと来客を認識することは出来るからだ。それが私であると意識に上らないというだけで。
私はしゃがみ込んで敷物の上に陳列された商品を観察する。どうやらこの女性は護符職人らしく、ずらりと並んでいるのはオーソドックスなペンダントタイプの護符であった。それ自体も私にとっては珍しい物に違いないのだが、それよりも何よりも私の目を惹いたのは、その護符に共通のデザインである。
「えがお……」
にっこりと微笑んだ表情をデフォルメしたようなマークが、例外なく全ての護符に刻まれているのだ。
魔法的に意味のある紋様ではないので、おそらくただのデザインなのだろう。全ての護符がそうなっているということは、これはこの職人さんの所謂『ブランド』というものなのだろうか。
笑顔という、私にとってタイムリーなワードに否応なく興味を惹かれてしまう。
だから、予期せぬ事態が起きる直前まで、私は気付かなかったのだ。
「可愛いですよね。これ」
「っ!?」
突然隣から聞こえてきた声に、私は肩を跳ねさせた。
明らかに私に向けて放たれた言葉に、驚きつつも慌てて視線を向けると、
「あ。ご、ごめんなさい。驚かせちゃいました?」
いつの間にか、一人の少女がすぐ傍らにしゃがみ込んでいたのだ。
その少女の特徴的な色彩を目にした私は、
――最近、桃色の子に縁があるな
などと、惚けたような感想を抱いていた。




