補完[毒の華-2]
・タイトルでネタバレしてるんだが?
形態を失った『サラマンデル種』が生み出した溶岩海は、遠くからでもよく見えた。
黒い森の黒い木々と、暗い夜の闇の中において、赫々と赤熱した溶岩の輝きはあまりにも鮮烈であった。文字通りの海とまではいかずとも、ちょっとした湖程度にもなる規模も合わさって、平坦な土地の只中に突如として出現したそれは、火山の火口というよりはまるで煉獄の門が口を開けたかの如き光景であったと言えよう。
その終末的な景色を離れた場所から観察している一つの影があった。
「…………終わりましたか」
女は自身に施していた遠見の魔法を解除して、小さく嘆息した。
遠くで赤々と輝いていた溶岩海は、目に見えて光を弱めて縮小し始めていた。根源であったサラマンデルが討伐された結果としての、当然の帰結ということだろう。
「あわよくば、と思いましたが……不確定要素に頼るものではありませんね」
吹き付ける熱風にしっとりと汗をかき、額に張り付く頭髪を片手で整えつつ、女は呟く。
鮮やかな青い長髪を、一房だけやはり鮮やかな朱色に染めている。その朱色は特別な色だ。
女の名はクルエラ。巨大クラン『赤原同盟』に所属する討伐者である。かのクランに所属する討伐者は、必ず身体のどこかに朱色の装備を纏うことを求められる。朱色はクランのパーソナルカラーであり、創設者にして現リーダーである『赤原の女帝』を表す色でもある。大抵の構成員は衣服の一部や装飾品を朱色に染めることで対応しているが、頭髪という身体の一部を朱色に染めたクルエラの行為は、クランに対する彼女の並々ならぬ思い入れを物語っていた。
「不確定要素は心臓に悪い。私の性には合わない」
緩く頭を振ると、クルエラは近くで待機している仲間達の元へと戻ろうと思い立つ。彼女は一つのパーティーを率いるリーダーの立場であり、現在はこの異常事態に対する偵察という名目で仲間達の元を離れているだけなので、いつまでも時間を掛けるわけにはいかなかった。
元来た道を戻ろうと振り返った彼女は、しかしその瞬間に息を呑んで動きを止める。
「ッ!?」「はぁい♪」
目と鼻の先と言える距離に、一瞬前までは確かに誰も居なかったはずの場所に、一人の少女が立っていたからだ。
それは異様な少女であった。
気温が高く、火への対策が欠かせないこのブラッドフォードの森において、あり得べからざる装いは深い紫色のロングドレスである。夜会の会場を間違えるにしても程がある。ドレスの色彩は頭髪の色に揃えているのであろうことは誰の目にも明らかであったが、そのヘアスタイルもまた特徴的で、真っすぐと癖のない前髪を、顏の半分だけを隠すように長く伸ばしているのだ。
しかししかし、その場違い過ぎる装いよりも、特徴的な前髪よりも更に目を惹いて離さないのが、その異相。美しく整った少女のかんばせを自ずから台無しにするような、禍々しく歪な笑みを張り付けた狂相。粘性のヘドロを押し固めたような深淵の眸。
何がどうおかしいとは表現し難いが、言うなれば何もかもが少しずつおかしい。
不自然や、違和感という言葉が形を持ったような少女であった。
クルエラは唐突な遭遇に面食らったものの、すぐに平静さを取り戻して静かに一歩下がる。
「これはクルワッハ侯爵令嬢。ごきげんよう」
異相の少女の名はレムナント・クロム・クルワッハ。ここブラッドフォード伯爵領の隣の領地を治めるクルワッハ侯爵家の令嬢であった。
クルエラにとっては初見の相手ではない。
「心臓に悪い登場の仕方をしないでいただきたいものですね」
「うくくっ、わたしは万人にとっての不確定要素でありたいもので。性に合わなくてごめんなさい?」
「しかも盗み聞きとは品がない」
「討伐者風情に品格を説かれるとは思いませんでした。というかあなた、ちょっと独り言が多くないですか?」
レムナントの指摘にクルエラは「そうですか?」と首を傾げた。
言われてみればそうかもしれないとクルエラは微かに考えもしたが、それを言うならばいつだって好き勝手なことを独りで延々と喋っている節があるこの少女にだけは言われたくないものだ、とも思った。
レムナントの戯言に付き合っていてはいつまでも話が進まないことは、然程多くない付き合いの中でも充分に悟っていたクルエラは、それはそれとして強引に話を進めることにする。
「それで、何故貴女がこのような場所に?」
「ちょっと、お仕事をしに」
「仕事?」
侯爵令嬢になんの職務があるのか、とクルエラは眉を顰める。
レムナントは現在王都の魔法学院に通う学生の身分だったはずだが、まさか休暇中の課題で魔物の生態レポートでも作るつもりでもあるまいし。
「わたし今、ノクタルレディとして活動中なので」
「はぁ……?」
「販路拡大のための営業ですよぉ」
レムナントはおどけた調子で言いつつ、露になった片目の前でピースサインを作ってポーズを決めた。
というわけでぇ、とレムナントがクルエラにずずいと顔を寄せてくる。
この黒い森の環境内に居て、熱気に汗一つかいていないレムナントのかんばせは、いっそ非現実的ですらあった。香水でも振っているのか、獲物を誘う毒花のような甘ったるい香りが鼻につく。
「効果のほうはどうかしら? 試したんでしょう?」
「ええ。見ればわかると思いますが、想像以上でしたね」
そう言ってクルエラは先程まで自身が眺めていた方角を指差す。サラマンデル種が討伐されたのでだいぶ規模を縮小してしまったが、黒い森の中にぽっかりと浮かぶ溶岩地帯はここからでもよくわかる。
片手でひさしを作ってそれを眺めるレムナントは、口では「おー」と無邪気に感心しながらもどこか呆れたような雰囲気だ。
「いきなりあんな強力な魔物で試すなんて、あなた意外と命知らずなのね」
「私もそんな予定ではなかったのですが、都合よくはぐれサラマンデルが湧いたもので。どうせなら強大な魔物で試したほうが効果がわかりやすいでしょう?」
尤も、そのサラマンデルとフレデリカのパーティーが交戦状態になったのは流石に誤算以外の何者でもなかった、とクルエラは内心思う。ただ、それが憂うべき事態かというとそんなことは全くなく、むしろフレデリカがそれで死んでくれるならば願ったりではあった。そうなればクルエラが目論んでいる計画は大幅な修正を余儀なくされるので憂鬱には違いないが、労せずしてフレデリカが死んでくれるメリットはその憂慮を上回って余りある。
結局、そう上手いことはいかないのだと理解させられただけであったが。
「うくく……お眼鏡にかなったのであれば何よりです。これからもご愛顧いただけると考えても?」
「そうですね。試しでもらった一瓶は使い切ってしまったので、早速用立てていただけますか?」
「は?」
クルエラが何気なく言うと、レムナントの目が点になった。
「え。もう使い切っちゃったの?」
「ええ。ですから、サラマンデルに使いましたので」
「いやいや、じゃなくて。だって用法用量はお伝えしたでしょう。なんで全部使っちゃったの?」
「? 対象の規模によって用量が変わるのが当然でしょうから、巨体のサラマンデルには相応の量を服用させる必要があると考えまして」
薬品が入った瓶ごとサラマンデル種の咢にぶち込んだわけであるが、それを聞いたレムナントは絶句していた。
「……そりゃあ、あんな地獄絵図になるわけだわ」
「過剰投与でしたか?」
「大幅にね。いいですか? 『宵の霊薬』の用量は常に一定です」
言いつつレムナントはドレスの谷間に片手を突っ込んで、そこから透明なアンプルを一つ取り出した。
「これ一つで一回分。そう伝えたでしょう」
「どうやら私の理解不足だったようですね。申し訳ありません」
確かにその説明を聞いた覚えのあるクルエラは、素直に非を認めて謝罪する。
「まあ、わたしも説明不足だったのは認めますけど。貴重なものなんですから、気を付けてくださいね」
「となると、すぐには用立てられませんか?」
クルエラは件の薬品の効力にそもそも懐疑的だったので、現時点ではそれがなくても支障がないように計画を立てていた。故に手に入らないならばそれはそれで構わないのだが、実際に有用性を知ってしまった以上は欲しくなってしまうのが人の性だ。
するとレムナントは頭が痛そうな顔になりつつも、「いえ」と返した。
「一瓶だけなら融通できます。本当はこの後取引をする相手のために用意したものなんですけど」
「この後?」
「そうですよぉ。わたし、そもそもそのために来たので」
レムナントの言う取引というのが気にならないわけではなかったが、どうせ碌でもないものだろうと予想は付くので、クルエラは特に詮索することはなかった。そんなクルエラの反応に少しつまらなさそうな気配を覗かせながらも、レムナントは再びドレスの谷間から今度は宵色の液体で満たされた小瓶を取り出した。
「貴女の胸は一体どうなっているんですか?」
「四次元に繋がってますがなにか」
どう考えても見た目の容積以上の物が胸の谷間から出てくるのはなんなのだろうか。クルエラもそれなりのものを持ってはいるが、合間に仕舞っておけるとしても精々が小さな化粧道具一つくらいのものだろう。
何らかの魔法であると理解は出来るが、何故取り出し口をそこにしたのかが皆目理解出来ない。きっとレムナントのやることに合理性を求めるほうが馬鹿を見るのだろう、とクルエラは考えることをやめた。
「今度は大事に使ってくださいね」
「心得ています」
薬瓶を受け取ったクルエラはそれを胸の谷間――ではなく腰のポーチの底に仕舞い込む。それになにか言いたいことでもあるのかクルエラの胸元を凝視していたレムナントが、不意に思い付いた様子で「あ、そうそう」と声を上げる。
「営業ついでに御忠告ですけど」
「はい?」
「たぶんあなた、わんちゃんに目を付けられてますので気を付けたほうがいいですよ」
わんちゃん、と反芻してクルエラは労せず心当たりに辿り着く。
おそらくは『剣の誓い』の諜報員のことだろう。サブリーダーのクリューガー子爵が飼っている小さな黒衣の諜報員が、最近『赤原同盟』の上層部に的を絞って嗅ぎ回っていることはクルエラも把握している。クルエラも一応は上層部の末席に位置する立場であった。何を調べているのかは大体想像がつくが、大方ここ最近の『赤原同盟』の行き過ぎたミサンドリー的活動の源流を調べているのだろう。
勿論、クルエラには後ろ暗いところも心当たりも死ぬほどある。
相手が子供なのでと侮るつもりは毛頭ないが、今のところ自分まで辿り着いてはいないだろうし、辿り着く可能性も低いと踏んでいた。
嗅ぎ回っていることを敢えて誇示するような挑発行為が目に付くものの、大方そうやってこちらを焦らせようとする魂胆だろうが、その行為自体が調査に行き詰っていると自白しているようなものである。無論、見え透いた挑発に乗るほどクルエラは若くない。
「その件でしたら把握しているので問題ありません」
「あら、そうですか?」
クルエラが言い切ると、レムナントは意外そうに目を丸くした。
どうやら自分はこの少女に侮られているらしい、とクルエラは反応から理解するが、ここでムキになったらその侮りを肯定する根拠を与えることにしかならないので、取り合うことはない。
そんなことより、そろそろ言い訳もきかなくなってくる程に長居してしまったので、待機している仲間の元へと戻らねばならない。
「では、私はこれで」
短く告げて、クルエラは早足でその場を後にした。




