補完[毒の華-3(end)]
立ち去るクルエラを見送ったレムナントは、ほう、と息を吐いた。
「あーあ。ダメそー」
たぶん長くないだろうな、と確信的に思う。
折角善意で忠告までしてあげたというのに、まるでわかっていない。彼女の動向に目を光らせている『わんちゃん』というモノに、彼女自身はどうやら心当たりがあったようだが、それがクラン間抗争の枠内に収まっていると考えている時点でダメだめだ。
レムナントが指摘したのはもっと外側の話である。
「くわばらくわばら。他人事じゃないなぁ」
レムナントはわざとらしく呟いて、グラブに包まれた二の腕を擦る。
クルエラが本当に気を付けるべき相手は、商売敵の他クランが送り込んでくる諜報員などではない。それよりももっと怖くて容赦のない、どこぞの悪役令嬢お抱えの猟犬部隊に他ならないと言うのに。
自分がバラ撒いている『宵の霊薬』の情報が欲しくて仕方がないであろうお利口なわんちゃん達は、果たしてクルエラからレムナントの存在に辿り着くであろうか。辿り着いてくれたら、それはそれで悪くない展開だ。
「飼いならして、逆に飼い主に噛み付かせてみるってのも面白いかもなぁー」
あでも、とレムナントは唇を尖らせた。
「飼い主本人が出てくるとまずいなぁ」
あのチートバグ女が出てきてしまったら、レムナントではどうにも出来ない。というかレムナントでなくても普通に無理だろう。主人公呼んで来い案件である。時間を止める相手にどうやって対抗すればいいのか誰か教えて欲しいくらいだとレムナントは思う。
なので、やはり大人しく裏からおちょくって楽しむだけで我慢しておくべきだろうと結論付ける。
今のところは、だが。
「それにしても。何が違うのかなー?」
片手を頬にあて、ほてりと首を傾げる。
同じ魔法を使っているはずなのに、どうしてここまで出来が違うのか。レムナントは先程まで話していたクルエラのことを思い返す。
あのクルエラはレムナントが初めて会った時の彼女とは明らかに違う。
しかし同時に、明らかにクルエラ本人でもあった。
「どうやったら、あんなに自然に捻じ曲がるんだろう?」
むむむ、と首をひねるレムナントは、徐に背後に問い掛けた。
「どう思います?」
すると背後の木立がざわめき、闇が滲むようにして広がる。
土を踏む複数の足音が聞こえ、その先頭に立つ者がレムナントの問い掛けに答えた。
「それを俺に聞かれてもな」
レムナントが振り返った先に居たのは、黒い男であった。
長身の屈強な体躯に漆黒の甲冑と、闇を織り上げたような不定形のマントを纏っている。甲冑に施された碧いエングレービングは息遣いのように淡く明滅しており、夜闇の中に溶け込みそうな甲冑の威圧的なシルエットを浮かび上がらせる。
男の外見もまた普通ではなく、獣の毛並みを彷彿とさせる頭髪の色はやはり黒。男くさい容貌の中で特別目を惹くのはその目だ。レムナントの姿を映しているのは右目のみで、閉じられた左目にはまるで封印のように瞼の上を走る刺青が入れられている。開かれた右目の虹彩は鮮やかな翡翠色をしていたが、それを縁取るのは色彩が反転した黒色――魔物特有の反転瞳である。
人ならざるを示すように、その頭部にはクラウンの如きアシンメトリの角が並んでいた。
「いい夜ですね。フェンリス」
「おう」
にっこりと笑ったレムナントに、フェンリスと呼ばれた男性体の魔物は気さくに応じる。
彼は一人で現れたわけではなく、その後ろには付き従うように大小三つの人影があった。いずれも見た目は女性のようだが、その内の二人まではレムナントも既知の相手であり、ただ一人だけ見慣れない少女が混じっているのでレムナントは『おや?』と内心首を傾げる。
「んで? ベルフェの魔法を借りパクしたら上手くいかないって?」
「そうなんですよ。あなた御同輩でしょう? なんかコツとか知りません?」
「なにがどう上手くいかねえんだ?」
威圧的なビジュアルとは裏腹に、フェンリスは至って平穏にレムナントの雑談交じりの相談に応じる。
「ほら。あの人の『魅了』って対象が自覚できないのが強みでしょう? それって対象本人はもとより、周囲の誰もが『魅了』の存在に気付けないってことよね」
「まあ、そうだな」
「実際、さっきまで対象者に会ってたんですけど、明らかにあの人の影響で捻じ曲がってるのに、ちゃんと本人の意思で行動してるんですよね。わたしもああいうのがやりたかったんですよ」
「できなかったのか?」
「うん。ちょっと前に学院のメイドに試してみたんですけど。ちゃんと効果は出たけど出過ぎたと言いますかぁ」
具体的には『星詠みの夜会』の時。憐れな可愛いメアリちゃんの援護をさせるために適当な学院メイドを掴まえて『魅了』の実験台にしてみたのだが、後日そのメイドは徐々に正気を失い、最終的には発狂してしまった。
学院の調査でも発狂の原因は判明していないということで、本人含め誰も『魅了』の存在に気付けないという要件は満たしていると言えなくもないが、目に見える異常が出ている以上は失敗だろう。
レムナントの説明を聞き終えたフェンリスは、考えるでもなく口を開く。
「そらアレだ。愛が足りねえ」
「あい?」
「俺に詳しいことを訊かれても困るが、まあベルフェならそう言うだろうよ」
なるほど、と頷いたレムナントは結論を出す。
「どうやらあの人の魔法はわたしには合わないみたいです」
「諦めが早過ぎねえか」
「だってそれ、わたしがこの世で一番嫌いな言葉ですもの」
ああいやだいやだ、とレムナントは首を窄める。聞いただけで虫唾が走るとはこのことだ。
なのでレムナントは自分から振った話題を無かったことにする。
「こちら、ご所望の品でございます」
お納めください、と嘯いてレムナントはドレスの谷間から取り出した薬瓶と空のアンプルをフェンリスに手渡す。
「本当はもう一瓶用意するつもりだったんですけど、ちょっと予定変更がありまして。それだけで三回分ですので、一応人数分に足りてますよね? そっちの新顔さんは魔物じゃないみたいですしぃ」
「ああ。充分だ。てかどうせ一度に一回しか使えねえしな」
フェンリスは受け取ったそれを「小分けしとけ」と言って傍らに控えるメイドに渡す。張り切って受け取ろうとした鳥メイドの手を強引に押し退け、蠍メイドのほうがそれを受け取る。そのことで喧嘩をし始める二人の魔物メイドのことは視界から押し出して、レムナントは初見の少女のほうへと視線を向けた。
「ところでこの子、人間ですよね? どこから攫ってきたんです?」
この子、などと称しているが見た目の年齢はレムナントと然程も変わらない。黒を基調とした和装に、同じく黒い頭髪。そして熾火のような赤い瞳の少女であった。彼女は一言も発することなく、不思議そうに覗き込むレムナントを無感動に見返していた。
どこかで見たことある気もするなぁ、とレムナントが眺め眇めつしていると、フェンリスがぼやくように言う。
「別に攫ってきたわけじゃねえよ。協力者だ」
「ということは、教団の人ですか」
「サヤの娘らしいぞ」
「サヤ。誰だっけ? えーと……ああ! 『闇の巫女』ですね!」
言われてみれば面影がありますねえ、と言いつつレムナントは手を打った。
尤も、レムナントは『闇の巫女』ことサヤ・スメラギと面識こそあれど顔もよく覚えていないわけだが。自身の母親の話題が出たからなのか、無表情だった少女が初めて反応らしい反応を見せる。
「フェンリス、この人は一体……?」
「皆のアイドル、歌って踊れる愉快な毒素だぞ! どうぞ気軽にポイズンちゃんって呼んでね!」
「人間……?」
「人間以外に見えますぅ~?」
その場でくるくると回転するレムナントを、少女は不審そうに目を細めて見遣る。
そんな少女の肩に、同感を示すようにフェンリスが片手を置いた。
「得体の知れねえ女だが、まあ一応これも協力者だ」
「そうなんですね」
「ついでに言うと、お前がここに居る理由を間接的に作ったやつでもあるな」
「「?」」
フェンリスの言葉には少女だけでなくレムナントも首を傾げる。
「ちょいと前にサヤに招待状出したの、アンタだろ。ほら、サヤが半分になって帰ってきた件だ」
前半部分はレムナントに、後半部分は少女に向けてフェンリスが言う。二人はともに得心がいったように異口同音に「ああ」と呟く。
学院前期に発生した通称『ゴーレム騒動』という事件があるのだが、確かにあれに乗じて「今なら入り込めますよー?」と『闇の巫女』を唆したのはレムナントである。もっと言えば、そもそもあの騒動を起こしたのがレムナントであるわけだが。
「あれは惜しかったですねー。思い付きで遊んでただけなんですけど、思いのほか大事になったもので、もしかしてこれいけるんじゃね的な欲が出たと言いますかなんと言いますか」
「アンタの遊びのせいでサヤが寝ちまって、こちとら予定が狂ってんだが」
「それは別にわたしだけのせいじゃなくなくない? いやぁ、見通しが甘かったのは否定しませんけど。流石に『ストーリーテラー』は出し抜けませんでしたねえ」
撃退された『闇の巫女』がその後どうしていたのかレムナントは知らなかったというか、興味もなかったので忘れていたのだが、どうやら生きてはいるようでフェンリス曰く回復のための休養を取っているそうだ。
そのため巫女の娘が代わりとしてフェンリスのお手伝いをしている、と。
少女の顔を覗き込んでいたレムナントは、ふと興味を抱く。親である『闇の巫女』には通用しなかったが、娘のほうには通用するだろうか。ただの興味本位でしかなかったが、それはレムナントにとって重要な動機足り得る。
というわけで、レムナントは視線を合わせた少女に『ソウルジャック』を行使してみた。
――正確には、しようとした。
「おっと」
という小さな呟きと共に伸びてきた何かが、恐ろしい速度でレムナントの細い首を締め上げて吊り上げる。息が出来なくなったレムナントが自身の首を締める何かを外そうと必死に両手で掴もうとするが、それは実態を持たないようにすり抜けて、レムナントの爪は自身の首を引っ掻くだけだった。
何かの正体は、フェンリスが纏っている闇のマントであった。
「油断も隙もねえなアンタ」
「かっ、はっ――」
「悪いが、俺はアンタをほんの少しも信用してねえんでな。死にたくなければ妙な真似は慎んでくれ」
「あ、あの、フェンリス、それ以上は死んでしまいます」
自分が何をされそうだったか理解していないのか、少女が慌てたようにフェンリスを諫める。
肩を竦めたフェンリスが軽く腕を振ると、レムナントの首に纏わりついていた闇がぶわりと霧散し、唐突に支えを失ったレムナントは地面に落下して倒れ伏す。ドレスが砂まみれになるのを気にする余裕すらなく咳き込むレムナントの姿を、フェンリスは翡翠色の隻眼で冷たく見下ろしていた。
なのでレムナントはなんとか顔を上げ、懲りずに今度はフェンリスの眼を見て『ソウルジャック』を発動した。
「っが、ああああああああああああ!?」
次の瞬間、レムナントの身体が弓なりに仰け反り、口からは絶叫が迸る。
レムナントが魔法を行使したその時、呼応するようにフェンリスの左目を封じていた刺青が輝き、開かれた碧い瞳がレムナントの魔法を完膚なきまでに弾き返したのである。
仰向けに倒れて口から涎を垂れ流し、びくびくと痙攣するレムナントをフェンリスははっきりと呆れた顔で見下ろした。
「おいおい、チャレンジ精神が旺盛過ぎるだろアンタ。この目に視覚系の魔法が効くわけがねえだろうが」
「……あ……あぅ」
「ま、言うだけ無駄か」
がしがしと頭を掻いたフェンリスは未だに喧嘩をしている魔物メイド二人を促すと、倒れるレムナントを放置してその場を立ち去ろうとする。それに慌てるのは状況に着いていけていない和装の少女だ。
彼女はレムナントとフェンリスの間で視線を往復させてこころなしかおろおろとしている。
「フェンリス、この人、置いて行ったら他の魔物に襲われてしまうのでは」
「ああ? いやそんなゲテモノ食いたがる魔物はいねえよ」
「え?」
「アンタも、趣味の悪い遊びはよしてくれ。ウチのお姫様は純真だから真に受けちまう」
白目剥くくらいしたほうが良かったかしら、などと考えていたレムナントは思考を中断してあっさりと身を起こす。ちなみにどこからどこまでが演技だったのかはレムナント自身にもよくわかっていない。
立ち上がったレムナントは砂まみれになってしまったドレスを一度解く。頭髪と同じ濃紫色のドレスがどろりと粘性の液体になって形状を失い、レムナントの白い肌の上を伝って地面に滴り落ちる。一糸纏わぬ姿になったレムナントは解放感を堪能するように全身で大きく伸びをしてから、足元に溜まった粘性の液体を操って不純物を除去し、再度ドレスとしての形状を取らせた。
そして何事もなかったように話を続ける。
「あなた方はこれからどちらに?」
「暫くはこっちで『有格者』を探してみるつもりだ。バッヘルのほうで一人、それっぽいのを見付けたからそっちも確認しねえとだが」
「はあ。なんだかふわっとしてますねぇ」
レムナントが思ったところを告げると、フェンリスからはじろりと恨めしげな視線が返って来た。
「誰かさんのおかげでサヤが寝てるからな。チビラギも頑張っちゃあいるが、流石にサヤほどの確度はねえんだ」
「あらあら大変ですねぇ」
もういいだろ、と強引に会話を切り上げてフェンリスは踵を返す。魔物メイド二人がその背に続き、最後に和装の少女――フェンリスにチビラギと呼ばれた少女が続こうとする。
レムナントはその背に声を掛けた。
「ねえあなた。チビラギさん?」
「……なんですか、ポイズンちゃん」
冗談で告げた名前を至極真面目に呼ばれるとは思わなくて、レムナントは思わず吹き出してしまった。
勢い余ってけほけほと咽るレムナントを、少女は無感動な面持ちで眺めている。
「あ、あなたって、ふぅ。クスリともしないのね」
少女にはちゃんと情動がある。
レムナントやフェンリスの言動に対して戸惑ったり、慌てたり驚いたりした顔を見せている。
だけれどそこに笑顔がない。それだけが抜け落ちているような印象だった。
「魔物のフェンリスでも笑うのに、人間のあなたは笑わないのかしら?」
「私には、よくわかりません」
「笑顔の作り方がわからないんですか? こうするんですよ、ほらぁ」
レムナントは両手の人差し指を口角にあてて、くっと持ち上げてみせる。
「えがお~」
そのままたっぷり十秒ほどは経過しただろうか。
レムナントの無言の圧力に屈したのか、少女はおずおずと同じようにして見せた。
「え、ぇがお……」
「う~ん……要練習ってとこですね。うくく」
「うくく?」
レムナントの嗤い方を律儀に真似して見せる少女は、しかししっかり無表情である。
「鏡の前で練習してみることをお薦めしますよぉ」
「ええと……気が向いたら」
「笑顔は人生の潤滑油! 目指せ潤滑油のような人材! ぬるぬる!」
「ぬるぬる?」
止め時がわからないのか、笑顔のポーズのまま固まっている少女にレムナントが「あ、もういいですよ」と声を掛けると、彼女は漸く両手を下ろした。長く話し込んでしまったせいか、遠くからフェンリスが少女を呼ぶ声が聞こえた。
慌てて駆けだそうとした少女は、数歩進んだところで思い出したように急停止するとくるりと振り返り、レムナントに礼をした。
やっぱり律儀な少女に、レムナントはにっこりと笑いかける。
「またね」
そう言って小さく手を振ると、少女は少しだけ意外そうな表情をしてから、戸惑いがちに同じように手を振り返した。
「はい。また」
例によってニコリともせずにそう言って、少女は小走りにフェンリスのほうへと駆けていった。
「…………」
少女の姿が闇の中に消えるまでずっと笑顔で見守っていたレムナントは、思う。
なんであんな少女が魔公と行動をともにしているのだろうか。
そもそも『闇の巫女』の娘だということだが、あの巫女のもとでどうやったらあんな純真そうな娘が育つのか。
幼気で、可愛らしい。
惜しむらくは。
「やっぱ笑って欲しいなぁー」
結局、少女は一度も笑顔を見せてくれなかった。
たぶん、そもそも笑顔というものを知らないのだ。レムナントはそんな印象を受けた。
だとすれば、レムナントは思う。
「笑顔にしてあげたいなぁー」
だってそうだ。
笑ったら絶対可愛いやつだ、とレムナントは確信していた。
どちらかというと冷たく整った面立ちと、どことなく世間知らずそうな幼い雰囲気のギャップが堪らない。
そこに年相応の笑顔が加わったら、きっと万人を骨抜きにするような愛らしさに違いない。
惜しいことだ。
本当に惜しいことだ。
レムナントは願わずにはいられない。
フェンリスでも巫女でも誰でもいいから、誰かあの少女に本物の笑顔を与えてやって欲しい。
そしたら、
「うくくっ」
それを思いっきり踏み躙ったら、きっと最高に気持ちイイはずだ。




