367話_side_Miabel_ちょっと前_黒い森
~"主人公"ミアベル~
「シトロンちゃん? んーん、見てないけど」
一人訪ねてきたストレガちゃんに訊かれて、わたしは首を横に振った。一緒に居たティアにも「見た?」と訊いてみるも、彼女も心当たりがないようだった。
残念そうに眉尻を下げるストレガちゃんに申し訳なく思っていると、ティアの後ろで斜め上のほうを向いたまま微動だにしないという謎の遊びをしていたリゼルちゃんがぼんやりと口を開く。
「それって、おでこと一緒に居た『ふへへ……どぅも』みたいな子のこと?」
「言い方!」
すかさずティアにスパンと頭を叩かれて、リゼルちゃんの首がかくんと落ちる。
おでこと呼ばれたストレガちゃんはそのことを怒るでもなく、むしろ「めっちゃ似とるやん」と感心していた。笑い方だけで判断されるのもどうかと思うが、実際リゼルちゃんの『ふへへ』は一瞬本人かと思うくらいには特徴を捉えていた。
「ソイツそいつ。なんやメイドはん、見たんか?」
「うん、なんかあっちのほうで、ぼぉ~~~~っとしてたなぁ。立ったまま寝てたのかも」
「んなわけないでしょ!……って言い難いのが腹立つわね」
だってリゼルちゃんは立ったままちゃんと寝るもんね。
謎の敗北感を覚えているティアは置いておいて、
「じゃあ、シトロンちゃんのところまで一緒にいこっか。リゼルちゃん、案内してくれるかな?」
「せやな。頼むわメイドはん」
わたし達のお願いを受けたリゼルちゃんは一度ティアのほうを見て、ティアが頷くと先導するように歩き出した。
結果的にこの時、シトロンちゃんの所へ向かおうと提案して本当によかった、とわたしは思うことになる。
「えっとね、あのへん――」
と指差すリゼルちゃんの言葉を遮るように、指の先の方向から短い呼気のような悲鳴が聞こえてきた。戦闘の影響でぼこぼこに隆起した地形に隠れて見えないけれど、今のは間違いなくシトロンちゃんの声だった。
そう判断した時には、わたしは既に自らの時間を加速させていた。
相棒の片手剣を抜刀しながら、止まっている友人達の間を抜けて疾駆する。
殆ど飛び跳ねるように地形を越えて前方を見ると、そこは溶岩流の畔の切り立った岸上であった。
視界の中には何人かの人間が居た気がする。一人はたぶんロイだった。もう一人はたぶん見覚えのない男性だった。『剣の誓い』でない男性討伐者ということは消去法で『パンドラ』の人間だと思うが定かではない。わたしの視線はロイも、その男性も素通りしてその先に注がれていたからだ。
「シトロンちゃんっ!?」
相対的に止まった時間の中で声は届かないけれど、わたしは叫ばずには居られなかった。
驚愕の表情で目を見開いているシトロンちゃんの足元には地面がない。
今、まさに、彼女は溶岩流の中に落ちようとしていた。
動揺したわたしの未熟が露呈して、時間加速が揺らぐ。
わたしは必死に魔法モデルが崩壊しないように手繰りながら、遮二無二前へと駆け出す。今時間が動き出したら、シトロンちゃんが死んでしまう。わたしは殆ど無意識の領域で、先程リゼルちゃんから勝手にラーニングした加速魔法を唱えていた。
輝くリングに投射されて吹っ飛ぶ視界の中で、最早加速しているのはわたしの身体かそれとも時間かわからなくなりながらも、全速力で岸辺を砕きながら踏み切り、落ち行くシトロンちゃんの身体に衝突するような勢いで追い付く。
「ぅぎゅう!?」
肺が潰れたみたいな声を上げるシトロンちゃんを慮っている余裕はなかった。
わたしが高速で抱き着いたせいでむしろ勢いを増して溶岩へと落ち行く中、わたしは勘だけでダガーを抜き放って空へと投げる。
「ごめんね!」
謝って、わたしは投擲したダガーと自分の座標を抱えたシトロンちゃんごと入れ替える。視界に映る景色が切り替わり、上下感覚がシェイクされて三半規管が悲鳴を上げる。時間魔法のおかげで瞬間的に復調したわたしは、しかし危機が去っていないことを悟る。狙いを定める余裕もなく投げ放ったせいで、わたし達の位置は畔からむしろ離れてしまっていた。このままでは再び溶岩の中へと真っ逆さまである。
唯一のダガーはわたし達の代わりに溶岩ダイブして殉職してしまったので、同じ手は使えない。
「ミアベル!!」
その時、ロイの声が聞こえて、わたしはそれだけで安心してしまった。
ああ助かった、と理由もなく思ってしまったのだ。
そして、頼れる幼馴染はわたしの勝手な安堵感を裏切ることなく、憎いくらいに鮮やかな手並みを披露してくれた。先のサラマンデル戦でも使っていた立方体を操る変な魔法で、一瞬にして畔からわたし達の真下に岩の橋が伸びてきたのだ。
流石に体勢を整えている余裕はなかったので、わたしとシトロンちゃんはロイが作った岩の橋の上にもんどりうちながら落下する。わたしはなんとか受け身を取ることが出来たけど、疑似転移のショックから回復していないシトロンちゃんは平衡感覚も碌にない状態でお尻からどでんと墜落していた。
大丈夫かと声を掛ける間もなく、シトロンちゃんのヒップドロップが炸裂した箇所から徐々に、岩の表面に亀裂が走っていく。
凄い威力!じゃなくて、
「急造だ! 長くはもたない!」
ロイが焦った顔で叫ぶ。
まずいと思ったわたしはシトロンちゃんの手を引いて駆け出そうとしたが、その重い感触にたたらを踏む。自分が平気だからって軽視していたが、位置交換魔法による疑似転移が齎す負荷はそれなりに大きいのだ。
まだ負荷から立ち直っていないシトロンちゃんは、走ることはおろか立ち上がることすらままならないのだ。
もたついている間に、無情にも足元の岩が崩れ、わたし達の身体は宙へと投げ出され、そのまま溶岩へと――
『きゃっちんぐぅ』
落ちる寸前に、転神したリゼルちゃんがむんずと掴まえてくれて、間一髪で難を逃れたのだった。
「――――それで、こりゃあ一体なんの騒ぎだ?」
口火を切ったのはシリウスさんだ。
周辺警戒に従事する人員を残して、この場の主要メンバーが一堂に会していた。『剣の誓い』のシリウスさんにロイドさん、『パンドラ』のガイウスさん、『赤原同盟』のフレデリカさんとナタリーさん。それからわたし達学生組とストレガちゃん、当事者であるシトロンちゃんに、『パンドラ』所属の男性討伐者であるヒューゴさんだ。
「シトロンちゃんが溶岩に落ちそうになって。それでわたしとロイとリゼルちゃんがなんとか、間一髪」
「おいおいマジかよ……」
頭を掻くシリウスさんは疲れたような表情だった。他の人達も多かれ少なかれ同じような雰囲気で、察するに『もうお腹いっぱい』といったところだろう。サラマンデル戦を死者なしで終えることが出来て、ようやく帰還出来ると思っていた矢先にこの騒ぎなので、彼等でなくても勘弁してくれと言いたくなる気持ちはわかる。
「わたしが見た時にはもうシトロンちゃんは落ちてて……」
そこに至る経緯がわからないので、わたしはロイに視線を向ける。
「俺はシトロンさんと二人で話していました。話を切り上げて、俺が立ち去ろうとした時の出来事でしたね」
「ほーん……で、お前さんは?」
シリウスさんが水を向けたのはヒューゴさんだ。
わたしという共通の知人がいるロイとシトロンちゃんが会話をしていたのは理解出来るけど、この人はなんでこの場に居たのかわからない。疑問の視線を浴びて彼は少し気圧されたように視線を逸らしながら口を開く。
「たまたま、通り掛かったんだよ。で、その子が縁に立ってるから危ないと思って注意しようとしたんだ。そしたら目の前で落ちるから手を伸ばしたんだけど」
「間に合わなかった、と」
早口で説明する彼は少し動転している様子だったけど、目の前で人が溶岩に落ちかけたともなれば動揺しないほうがおかしいか。
ただ、少し気に懸かるのは、シトロンちゃんがそんな足を踏み外しそうな危険な場所に居て、直前まで一緒に居たはずのロイがそれを見過ごすだろうか。これはロイの人間性を良く知っているわたしだから抱く疑問でしかないのだけど、当のロイ本人も腑に落ちない表情を見せていた。
リゼルちゃんにキャッチされたわたしとシトロンちゃんが下ろされるや否や、誰よりも早く駆け寄って来てシトロンちゃんを抱き締めて安堵の息を吐いていたストレガちゃんが、その様子が嘘だったみたいに容赦のない呆れ果てた表情でシトロンちゃんを睥睨する。
「ちゅうかお前、そもそもなんでそないな場所におってん?」
「そ、その、人が居ないところを探して……」
「そんで? またドジ踏んで足でも滑らせたんか。どんくさいくせに独りで動くからそんなことになんねんで」
「ご、ごめんなさい……」
怒られてすっかり小さくなるシトロンちゃんを不憫に思って、周囲の大人が「まあまあ」とストレガちゃんを諫めようとするのだが、当のストレガちゃんはそれ以上を言うことなく、眉を顰めてじっとシトロンちゃんの顔を凝視していた。
それから、ぽつりと呟く。
「シトロン。ちゃうならちゃうって言いや」
「え?」
「ここでお前が呑み込んでも、誰も幸せにはならへんで」
ストレガちゃんの意味深な言葉に周囲が動きを止め、シトロンちゃんの発言を待った。
するとシトロンちゃんは大きく音を立てて唾を飲み込み、それから自信の無さそうな顔で、しかしはっきりと言った。
「私、誰かに押されて落とされた……と思います」
「…………」
それを聞いたストレガちゃんがジロリと冷たい視線を向けた相手は、当然というかヒューゴさんである。
だって容疑者は彼かロイの二人しか居ないのだ。
大人達の反応はそれぞれで、シリウスさんはロイがやったとは考えていないようだが、だからと言ってヒューゴさんを一方的に疑うでもなく表面上は公平に、ロイドさんは小さく鼻を鳴らすだけのどうとも取れる反応だ。フレデリカさんはハッキリとロイの側に立った反応でヒューゴさんを睨んでいて、ナタリーさんは容疑者二人に平等に冷たい視線を注いでいる。意外だったのは、『パンドラ』の擁護をする立場にあるであろうガイウスさんが、渋い顔をしてロイではなくヒューゴさんのほうを見遣っていることだった。
「嬢ちゃんはこう言ってるが、お前さん等の言い分は?」
自然と進行役になっているシリウスさんが問い掛けると、ロイは無言で首を横に振った。
ロイがやっていなければ自然ともう一人の彼が犯人になる。それをわざわざ口に出すのが憚られたのだろう。
そのまま視線を移された彼は、しかしどこか納得気な顔をしていた。
「ああ……てことはやっぱりそうだったのか」
「あん?」
「いや、すんません。さっき俺、一つだけ言わなかったことがあんだよな」
何を言い出すのか、とシリウスさんだけでなく全員が疑問に思っていた。
雰囲気からして、自分が犯人ですと認めるつもりではないのはよくわかるが、
「その子が目の前で落ちたって言ったけど、実はソイツ、すぐ横に居たんだよ」
ソイツ、と彼が指し示したのはロイだ。
指差されたロイは口を開くことなくただ眉を顰めるだけの反応を見せた。
「ひょっとしてソイツが押したんじゃねえかなって、ちょっと思ってはいたんだが、溶岩が眩しくてよく見えなかったし……勘違いかもしれねえから黙ってたんだけど」
当のシトロンちゃんが『誰かに押された』と言っている以上は、それは見間違いでも勘違いでもなくてロイが押したのだ、と彼は言いたいのだ。
「ならなんで最初からそれを言わねえ?」
当然といえば当然のシリウスさんの問い掛けに、彼はバツが悪そうな顔をして見せる。
「悪かったって。ただよ、なんつーかソイツの気持ちもわからんでもないからよ」
「どういう意味だ?」
「故意に押したわけじゃなければ、たぶん、その子の尻でも触ろうとしたんじゃねえの? 尻撫でようとしたら女が驚いて落ちちまった、なんてそりゃあ言い出せねえよなってさ」
つまりなにか、同じ男としてロイがシトロンちゃんにセクハラしようとした気持ちがわかってしまうから、同情から庇うようなことをしてしまった、と言いたいのか。
わたしはその瞬間に確信した。シトロンちゃんを押した人が居るとすれば、それはヒューゴさんだ。
同時に、思考に烈火が燈ったような感覚を覚えた。
この人は口から出まかせを言って、なんとかロイに罪を擦り付けようとしているのだ。わたしの友人を殺そうとしておいて、その罪を認めることなく他人に、わたしの幼馴染に罪を擦り付けようとしているのだ。
頭の中で迸る烈火の正体は怒りだ。
わたしは今、かつてない程の怒りを覚えていた。
怒りに身を任せることは出来ない。
かつて『先生』を死なせてしまった悲劇を繰り返すわけにはいかない。
そう思っていても、自分の顔面が歪むのが止められないくらいには、彼の所業は許し難い。
微かに残る思考の冷静な部分では、彼のとった手の有効性を認めてもいた。彼の言葉はただの感情論を根拠にしていて、だからこそ『男ならばあり得ることだ』と認めざるを得ない部分があった。
ただし、それはロイという男の子のことを知らなければ、の話である。
わたしが目の前で胸を放り出しても興奮するどころか『恥じらいを持て』と苦言を呈してくるロイが、こっそりシトロンちゃんのお尻を撫でようとしたって? 現実味が無さ過ぎて悪い冗談にすらなっていない。というか教えてやりたい。そもそもロイは外見年齢が十二歳以下の女の子にしか興味が無いのだ。まあロイの変態発言の真偽はともかくとして、少なくとも彼が女体というものに然程も興味を示さない性質であることは確かだ。
そして、ヒューゴさんの説明を聞いたシリウスさんは、それでむしろロイのほうの潔白を確信したような顔になってヒューゴさんを睨む。フレデリカさんは最初から彼のほうを睨んでいたがとうとうその視線に嫌悪感が滲み始め、傍らのナタリーさんは一瞬ロイを軽蔑するような視線を見せはしたものの、周囲の反応から何かを察した様子でそれを改めた。ガイウスさんは諦めたように瞑目している。
流石にそんな視線が集中すればヒューゴさんのほうも当てが外れたことを理解したのか、まずそうな顔になって口を噤む。
彼は暫し黙り、今度は開き直ったような態度になって言った。
「てかよ、この議論やめねえか? 意味ないでしょ?」
「俺達はそうは思わねえがな」
「なんでだよ。だって答え出ねえだろ。俺はソイツが押したところを見たんだからそう主張するし、当然ソイツは『やってない』って言うわな。それで? もっと言えば、その子が誰かに押されたってのも、結局その子が勝手に言ってるだけだろーが」
そうなのだ。誰も決定的なところを見た者が居ないのだ。
シトロンちゃんは自分が押されて落とされたことはわかっていても、背中を押されたので誰が押したのかはわからない。ロイはヒューゴさんがシトロンちゃんを押す瞬間を見たのかもしれないが、見ていようといなかろうと、ロイとヒューゴさんは互いが相手を犯人だと言うだけである。第三者が目撃していない以上、どちらが嘘を吐いているのか判断出来ないのだ。
わたしはそれが口惜しくて堪らない。
何故って、本当ならばわたしは目撃者になれたはずだからだ。シトロンちゃんの悲鳴を聞いて時間を加速させたあの時、ちゃんと状況を確認しておけばよかった。そうすれば、少なくともあの時のロイとヒューゴさんの立ち位置くらいは証言出来たのに。そんな悠長な確認をしていたら、シトロンちゃんを助けるのに間に合わなかったかもしれないと考えると、わたしはあの時一目散にシトロンちゃんを助けに走った判断を間違っていたとは思えない。だからこそ、ただただ口惜しいのだ。
あそこで動揺せずに、盤石の時間魔法を維持していられたのならば、そもそも慌てる必要もなかった。つまりは、わたしの未熟こそが恨めしい。
わたしの未熟のせいで、ヒューゴさんがどれだけ疑わしくてもその罪を証明することが出来ないし、逆にわたし達がどれだけロイの無実を信じていても、やはりそれを証明することが出来ない。
「まあ、結果的にはその子も助かったわけだし、それでいいじゃんか。答えの出ない犯人捜しなんて――」
「一ついいか」
滔々と語る言葉を遮って声を上げたのは、議論の輪から離れて後ろで腕を組んでいたロイドさんだ。
彼はいつも通りの顰め面をしていて、顔全体に『くだらないから早く片付けて帰りたい』と書いてあった。彼が素直でないだけでなんだかんだ良い人であるのはわたしもよくわかっているので、きっとシトロンちゃんが死に掛けた事件そのものがくだらないと斬り捨てているわけではなくて、犯人がわかり切った議論をするのがくだらないと、そう考えているのだろう。
「犯人探しが時間の無駄だという意見には賛成だ。探さなくてもわかる」
「どういう意味だ」
ロイドさんの物言いに、シリウスさんは若干苛立たしげな顔を見せた。彼にしてみれば、犯人がわかり切っていることなど先刻承知で、しかしそれを証明出来ないからこそ問題なのだと言いたいところだろう。
シリウスさんの剣呑な視線に、しかしロイドさんは真っ向から睨み返して応じた。
「いいか。コーリッジと、そこのシトロンという少女、それから良く喋るお前。話が食い違うのは誰かが虚偽を言っているからだ。一歩間違えば死んでいたシトロンが狂言をするとは考え難いので、状況的には男二人のどちらかが嘘を言っている。勿論、嘘を言っているほうが犯人だ」
「んで? 俺が最初、ほんとのことを言わなかったから犯人扱いでもするのか? その理由は説明した――」
言い募ろうとするヒューゴさんを、ロイドさんは面倒くさそうに片手で制する。
そして彼はまずロイに水を向けた。
「コーリッジ、お前はシトロンを押していないのか? お前の故意でない動作が彼女の落下に繋がった可能性は?」
「ないですね。そもそも俺はシトロンさんへ手が届く範囲には近付いていない。俺の魔法適性はロイドさんも良く知っているでしょう。魔法を使えば触れずに落とすことはできるでしょうが、ならばシトロンさんも『押されて落とされた』とは言わないはずだ」
ロイドさんの詰問に対し理路整然と語るロイの姿に安心する。わたしは彼を疑っていないけれど、だけどこの状況は心臓に良くない。
なお肝心のシトロンちゃんは誰かの手に押されたのは間違いないと言っているし、押された箇所はお尻ではなく背中だ。だからヒューゴさんの『ロイがお尻を触ろうとした説』はそもそもおかしいのだけど、まあそんなのはいくらでもこじつけられる範疇だ。
「で、対するお前はコーリッジがシトロンを押すところを目撃したと言ったか?」
「さっきも言ったけど、決定的な瞬間を見たとまでは、まあ言えねえよ。溶岩の逆光で影になってたし、良く見えなかったからな」
「コーリッジは『腕が届く範囲には近付いていない』と証言しているが?」
「それは嘘だね。断言してもいい。少なくともソイツがその子を押せる場所に居たのは確かだ」
ヒューゴさんのほうもまったく怯んだ様子は見せない。
これが仮にただのハッタリであったとしても、ヒューゴさんがああも自信満々になれる理由はわかる。結局、誰もそれを立証出来ないから言ったもの勝ちなのだ。
すると両者の言い分を聞き終えたロイドさんは面倒くさげに溜息を吐いて、徐に告げた。
「管理者権限。アジャストモードで起動」
その瞬間、二つの悲鳴のような声が上がる。
一つはロイ。もう一つはわたしだ。
「うおっ!?」「ふわぁ!?」
というのも、いきなり全身に変な負荷が掛かって強制的に直立姿勢を取らされてしまったからだ。
そんなわたしにギョッとした視線を向けたのは何故か、この現象を齎した本人であろうロイドさんであった。
「ん? あ、ああ、すまんアトリー。お前は関係ないんだが、しばらく我慢してくれ」
「お、お構いなくぅ」
遅ればせながら状況を理解するが、わたしとロイの姿勢を強制している負荷の正体は、全身に装備しているインナーハーネスだ。ハーネスへの魔力供給が解かれ、物理化し追従性を失ったハーネスのせいで雁字搦めにされているのである。
ロイドさんには考えあっての行動だと理解しているので、わたしは本気で申し訳なさそうな顔をしている彼に精一杯の笑顔を返しておく。人それを強がりと言う。
説明を求める視線を全方位から受けたロイドさんは、気を取り直すように咳払いを挟む。
「コーリッジとアトリーが現在使用している刀剣には俺が調整したマギアドライブが搭載されている。これらは『剣の誓い』から試験運用の名目で両者に貸し与えられているものだ。気になる者は実際に持ってみてくれて構わないが、現状のマギアドライブは重量的な問題を抱えており、有り体に言ってクソ重い」
技術的な話だからかいきなり饒舌になったロイドさんの説明を受けて、懐疑的な表情のナタリーさんがロイの大剣を拝借してみて、驚いたように取り落としかける。咄嗟に身体強化を行ってなんとか持ち堪えたようだが、その光景を見ていた面々にも充分に重さが伝わったようだ。
ロイドさんは手元に半透明な本のようなものを展開し、そこに流れる文字列を目で追いながら言葉を続ける。
「故にコーリッジとアトリーには別途フェムトファイバー製の補助装備を支給している。フェムトファイバーを知らない者のために言うと、魔力によって自在に伸縮する人工的な筋肉であると思えばいい。逆に言えば魔力が無ければ伸縮しない。二人が不自然に動きを止めているのは全身を繋いでいるファイバーへの魔力供給を強制的にカットされたからだ」
なおこれに関しては運用開始時にロイドさんからちゃんと説明を受けている。
先程彼がマギアドライブに対して管理者の権限を行使したが、同じ権限を持っているのは他にシリウスさんとクレメンスさんの二人だけだ。
そのシリウスさんが焦れたように片脚を揺すりながら言う。
「結論を言え。結論を」
「結論だけを言っても理解できなければ仕方ないだろうが。それともなにか? この場の全員が俺と同等の見識を有しているならばお望み通り結論だけ言ってやるが。理解できるように言えというクレームは受け付けないぞ」
「わぁったわぁった。俺が悪かった。んで、つまりどういうことだ」
「つまり、コーリッジの肉体の動作はコーリッジの意思のみによって制御されていないということだ」
おとがいに指を添えて思案していたナタリーさんが独り言のように呟く。
「つまり、マギアドライブが事件の目撃者ということ……?」
「視覚的な情報を記録する機能はないからその表現は正解ではないが、間違いでもない。試験運用中のマギアドライブは当然のように稼働中の情報を蓄積している。その中にはフェムトファイバーへの魔力供給状況、即ちコーリッジの動作状況も含まれる。そして視覚を有さないマギアドライブは魔力によって周辺環境を取得しているから、そのログを追えばコーリッジに接近した高魔力体との相対距離は厳密に明らかとなる」
滔々と語りつつもロイドさんが目を通している半透明の本のような物こそが、まさにマギアドライブの動作状況のログを表示するデバイスなのだ。
「いくらシトロンが未成熟な女性であるとはいえ、人体のバランスを崩させるような動作をすれば、反力で必ずわかる。そして該当時間のログを見た限りではコーリッジがそのような動作をした痕跡はない。もう一つ、コーリッジの主張の裏付けだが、確かに該当時間においてコーリッジに最も近い高魔力体との間には二メートルほどの距離がある。これがシトロンだろうから、少なくとも……その、なんだ、臀部に触れているように見えたという主張には無理がある距離感だな」
ロイドさんの説明に納得の空気が広がる中、猛然と異議を申し立てるのは当然のヒューゴさんだった。
「ふざけんな! アンタが管理してるものなんだから、中身の情報なんていくらでも弄れるんだろうが!」
「はぁ……中身を改竄すればその痕跡が残る。痕跡を残さないように完璧に改竄を行えるほどの理解度と技術力があれば、マギアドライブはとっくにこの国で普及している。ちなみに制御用の魔法モデルに特殊なプロトコルは使用していない。言語もごく一般的な魔法言語だ。普通に優秀と評される程度の技術者であれば誰でも解読し理解できる。必要ならばこのドライブのログを第三者に――差し当たり『赤原同盟』と『パンツァー・ドラグーン』の技術者に確認させても構わない。無論その場には俺が立ち会うが。そうすれば俺が今語った内容が真実でしかないことは客観的に証明されるだろう……――以上だ」
反論はあるか? と問い掛けたロイドさんの言葉に、ヒューゴさんは必死に言葉を探すように視線を忙しなく動かして口元を戦慄かせるが、意味のある反論が放たれることはなかった。




