366話_sideout_ちょっと前_回想
ヒューゴは落ち込んでいた。
千載一遇の好機を逃したことが自分でよくわかっていたからだ。
ガイウスのパーティーメンバーとして参加することになった『サラマンデル種』との戦いは、非常に苛烈極まるものであった。ヒューゴはサラマンデル種との戦いに身を投じるのは初めてのことであったが、いつ誰が犠牲になってもおかしくないと思う程度には、あの巨体の魔物は危険な存在であった。結果的に見れば、英雄伯という望外の援軍のおかげもあって死者は出なかったのだが、それは幸運の類であろう。
つまり、誰が死んでもおかしくない状況だったからこそ、ヒューゴは自身が生き延びることで必死であった。
そのせいで、戦闘の混乱に乗じて『あの女』を葬り去るまたとない機会を逃したのである。
ヒューゴは、巨大クラン『パンツァー・ドラグーン』に所属する討伐者であった。まだ新人に毛が生えた程度の経験しかなく、実力も分相応で、本当にただ所属しているだけという末端の立場である。
今現在はガイウスというベテランが率いるパーティーの一員として活動しているが、実はヒューゴがこのパーティーに配属されたのはつい最近の話であった。本当に、ほんの少し前までは別の人間の下について活動していたのだが、急な配置換えがあったのだ。
何故ならば、彼の面倒を見てくれていたセンパイ達が、軒並みクランを追放されてしまったからである。
ヒューゴは決して恵まれた生まれではなく、財もなければ学もない、自慢出来るものがあるとすれば少々腕っぷしが強いことくらいだ。彼が討伐者となって活動し始めたのは、そんな腕っぷしに目を付けて引き上げてくれた人が居たからである。その人物は『パンドラ』に所属している男討伐者であり、ヒューゴがクランに加わってからも直接の指導役として何かと目を掛けてくれていたように思う。
その男自身も元々はヒューゴと大差ない生い立ちの人物であったらしく、決して清廉潔白な人物ではなかった。むしろ世間的にはアウトローに属する部類の人間であったことだろう。だがヒューゴにとっては間違いなく恩人であり、人生の師でもあった。だからヒューゴは彼を『アニキ』と呼んで慕った。魔物との戦い方に始まり、金の稼ぎ方、酒の飲み方、女との遊び方、何から何まで全部を教えてくれたのはアニキと、その周囲に集まっていたクランのセンパイ達であった。
その日々はいいことばかりではなくて、相応に失敗もあったし、暴力と隣り合わせの生活であったが、ヒューゴの性には合っていたし、それなりに満足もしていた。
魔物を相手に暴れて、日銭を稼いで、酒をかっ喰らって、女と寝る。
悪くない暮らしだと思っていた。
だが、そんな日々が唐突に終わりを告げた。
あの日、ギルド支部の酒場で起きた一件のせいである。
あの時酒場に居た『パンドラ』の討伐者というのは、まさにヒューゴが慕っているアニキ達であったのだ。ヒューゴ自身は使いっ走りで別の店に買い出しに行っていたので、たまたま『赤原の女帝』による包囲網に巻き込まれずに済んだというだけの話だった。お遣いを済ませたヒューゴがアニキ達のたむろしている酒場へと戻ると、アニキ達は年端も行かない女討伐者に難癖をつけて盛り上がっていた。アニキ達のお楽しみを邪魔するのも悪いので、ヒューゴは空気を読んで少し待つことにした。どうせすぐに乱痴気騒ぎが始まるだろうから、それに乗じて戻ろうと考えたのだ。
結果的にそれがヒューゴの命運を分けた。
ヒューゴが外野から眺めている目の前で、あれよあれよと酒場は女討伐者達に包囲され、矢面に立ったアニキは『赤原の女帝』と相対する羽目になっていた。そのままヒューゴは、あの一件の顛末を外から一部始終目にしていたのだ。
最終的には女帝どころか英雄伯までも介入してきて事が大きくなり、『パンドラ』の頂点である黒竜卿にまで話が波及し、動かざるを得なくなった黒竜卿の差配により、騒動に関わっていた『パンドラ』所属者はもれなく全員がクランを追われることになった。たまたま外に居ただけで助かったヒューゴを残して、つるんでいた連中が一人残らず消えたのである。
たった一件で、あっけなく、ヒューゴの日常は崩壊したのだ。
クランを追われたアニキとセンパイ達にヒューゴが会いに行くと、彼等はへらへらといつも通りに笑っていた。
そもそもが悪運と腕っぷしだけで底辺から這い上がってきたような連中ばかりであり、底の暮らしを知っているのでクランを追われた程度はへでもないという空気であった。勿論、稼ぎは雲泥レベルで低下するだろうし、間違っても喜ぶべき事態ではなかったが、仮にあの場で英雄伯の介入が無ければ女帝等によるリンチで命がなかったことを思えば、むしろ生きているだけで幸運だと思い直したのだ。
そうでも思わないとやってられないし、そうやって自分を騙し騙し生きていくことが得意な連中ばかりであった。
そうして『パンドラ』に一人残されたヒューゴであったが、慕うアニキ達の後を追って自分もクランを抜けようとは更々思わなかった。幸運にも甘い蜜を吸える立場に留まることが出来たのだから、義理とか人情とかいう一銭にもならないもののために自分から立場を捨てるのは、人生を舐めている阿呆のすることだ。
それはアニキ自身の教えでもあったので、ヒューゴがクランに残るつもりであることを宣言すると、アニキ達はニヤニヤと厭らしい笑みを浮かべて「運のいい奴め!」とやっかみ混じりにヒューゴの肩を叩いてきたのだった。ちなみにマジの威力だったので思わず反撃して本気の乱闘になったが、それもいつものことだった。
本来ならば、それで終わる話であった。
バカな奴等が、バカをやって痛い目を見た。
それだけの、どこにでもある話だ。
ヒューゴ自身も、アニキ達も、自分達が日々やっていることが決して褒められたものではないという自覚があるので、いつかしっぺ返しを食らう日が来ることもなんとなく予感はしていたのだ。無論、実際にそうなったらしこたま文句は言うし、みっともなく嘆いてみせるが、それでどうにもならずになるようになったら、そしたら「あーあ」とぼやいてまた底辺なりの日々を生きるだけなのだから。
しかし。
ヒューゴは知ってしまったのだ。
知らないほうが良かったことを、またしても偶然に。
その日、ヒューゴはソロで黒い森に繰り出していた。
というのも、彼が元々属していたアニキ達のグループは、先述の通りそれなりにガラの悪い連中の集まりでもあったので、同クラン内でも少なからず敬遠される存在ではあった。奇しくも鼻つまみ者達が自滅して綺麗さっぱり消えてくれたと他のクランメンバーは思っているかもしれないが、そこで扱いが宙に浮いたのが一人残されたヒューゴの所属である。
巨大クランなので新たな配属先に困ることなどない。人死にも日常的にある討伐者界隈なので、欠員補充を望むパーティーなどいくらでもあるはずだった。しかしながら求める側にも選ぶ権利というものがあるので、周囲との軋轢ばかりがあった連中の一員だったヒューゴを、しかも経験に乏しく特筆する実力や技能があるわけでもない個人などを敢えて欲しがる者はそうそう居ない。
ヒューゴが所属するパーティーを失ったのは事情が事情なので、彼には当座の生活に困窮することがない程度の僅かばかりの手当てがクランから支給されていた。要するにそれで当座をしのぎながら新たに所属を見付けるなりクランを移るなりして生活基盤をどうにかしろということだ。巨大クランであるが故に財政基盤が堅実かつ余力のある『パンドラ』だからこそ出来ることであり、自己責任論が強い討伐者界隈ではこれでも手厚いほうである。
ヒューゴも自身が置かれた状況は理解していて、折角噛り付くことが出来た立場を失わないうちに、自分から行動を起こす必要に迫られていた。
拾ってくれるパーティーが見つかるまでの間、ソロでも活動しようと考えたのは、有り体に言えば点数稼ぎだ。少なくとも自分が無能の厄介者ではないと示すことが出来れば、人格面はさて置いて所属させてくれるパーティーは絶対にある。与えられた仕事さえこなすならば他は勝手にしろという方針のパーティーだって少なくないのだから。
ヒューゴの狙いは見事的中し、すぐに、ちょうど欠員の補充を探していたガイウスというベテランのパーティーからお呼びが掛かった。
まったく知らない名前であったが、『パンドラ』は巨大過ぎるので同じクランの構成員でも互いに一生縁がないことだって普通に起こり得る。そこをいくと、下手に交流があった相手のパーティーに呼ばれるよりかは、心機一転という意味ではよいのではないか、と前向きに思った。
ヒューゴは身の程を知っていたので、新しいパーティーに配属されてからも暫くはお利口に活動するつもりであった。自分でも下劣だと思う本性はプライベートで発散すればいいだけの話であり、それこそクランを追われて開き直って好き勝手しているアニキ達とつるもうが、それが私的な時間であれば誰に文句を言われる筋合いもない。
なので、パーティーに配属が決まった途端に点数稼ぎのソロ活動を辞めてしまえば、露骨に思われて折角の話が無しになるかもしれない。そう考えたヒューゴはその日も簡単な依頼を受けて森に繰り出した。
少なくとも一歩先の未来すら見えない不安とはオサラバ出来たので、それまでの連日に比べれば遥かに気軽な心地であった。
ヒューゴの晴れやかな門出を祝うように、依頼は首尾よく片付いた。
帰りにどこかで一杯やるか、それか女を買ってもいいかもしれない、などと機嫌よく予定を吟味しながら彼はとあるセーフゾーンで足を休めることにした。ソロで活動していると気が休まる時がないので、依頼遂行中は常に警戒しながらの歩き詰めであった。帰還する前に少し休息を取るべきだと判断して、最寄りのセーフゾーンを訪れたのだ。
如何にセーフゾーンといえども絶対に安全とは言えないので、ヒューゴは魔物が来ても見つかり辛そうな岩場の影を見付けて身を潜めつつ休んでいた。
すると、そこに別のパーティーがやってきたのだ。
少しだけ顔を覗かせて様子を見ると、そのパーティーがどこの所属かは一目でわかった。
全員が女討伐者で、一様に同じ朱色の色彩の装備品をどこかに帯びている。
『パンドラ』に次ぐ有力クランである『赤原同盟』だ。
先の酒場での件があるので、なんとなく気が引けたヒューゴは、赤原パーティーが隠れているこちらに気付いていないことも合わさって、このまま隠れてやり過ごすことにした。休憩を終えればそのまま立ち去るだろうから、自分はその後でここを出よう、と。
ちなみにその赤原パーティーのリーダー格と思しき女は青髪に朱色のメッシュを入れた人物で、その特徴的な容姿には若干の見覚えがある。あの日、酒場で包囲網の一角に加わっていた人物だ。その際の立ち位置から鑑みるに、『赤原同盟』内ではそれなりの立場にいる有力者であろうということくらいはヒューゴにも察せられる。
赤原パーティーとヒューゴは互いに見えない位置で、しばらくは思い思いに休んでいるだけだった。
ヒューゴは気付かれないように黙って、半分微睡んでいたくらいだ。敵襲があればあっちのパーティーが迎え撃ってくれるだろうから、むしろ気楽なものである。女達のほうも他愛の無い会話しながら装備の点検をしたり水を飲んだりしているだけで、平和なモノであった。
女好きである自覚のあるヒューゴにとって、女討伐者の軽装の装いというのは目の保養になる。無論、それを身に纏うものの容姿によるところは大きいが、その点では赤原パーティーを率いている青髪は顏が良く、ボディラインも美しく、充分に見ていられる。ヒューゴよりもそれなりに年上だろうが、その熟れた色香がまたいいのだ。向こうが気付いていない現状ならば見放題ではないかと邪な自分が囁かないでもなかったが、それでこちらが見つかってはどう考えても不味いことになると、自重するのには中々の精神力を要したくらいだった。
そうして短い休憩を終えると赤原パーティーは出立の準備を始めた。
セーフゾーンを出る前に周辺の状況を確認すると言ってリーダーの青髪と他二人の討伐者が先行して出発した。リーダー自ら斥候に出るのは珍しいが、そういう適性の人間が経験的にリーダーを務めることだって当然あり得るのだから、そういうパーティーもあるんだなぁ程度にヒューゴは思った。
それを横目にヒューゴもまた出立の準備を整える。有難いことに彼女等が安全確認をしてくれるので、便乗させてもらう魂胆だ。
残された三人の女討伐者は手持無沙汰なのか、またぞろ雑談を交わし始めた。リーダーが居ないからなのか、先程までよりも少し声が大きい。
会話の内容は男討伐者を一括りにして貶すようなものだ。これだから男は云々、とかっていう、まあ珍しくもない。特に最近の『赤原同盟』にはそういう気風が蔓延しているようなので、やっぱりそういうもんなんだなとヒューゴは他人事のように思う。彼自身はここ最近ソロで活動していたのもあって、一部の行き過ぎた行動を取る女討伐者、とやらに絡まれたことはない。
その男討伐者がすぐ近くで聞いてるんですがね、などと内心で考えつつ、出るわ出るわで尽きることなく湧いてくる男性蔑視の発言に少々辟易しながら待っていると、彼女等はこんなことを言い始める。
「にしてもさー。ほんとに女帝サマサマだよねー」
「今朝のあれ、聞いた? マジで男撲滅するんじゃないかってくらい、めっちゃキレてたよね」
「聞いた聞いた! アレってアレでしょ? クーネの所の新人ちゃんが乱暴された件の」
ははぁ、とヒューゴは声に出さずに唸る。
察するに、またどこかのバカがバカをやって女帝の怒りに触れたらしい。これはアニキ達の二の舞が増えることになるか、と未だ他人事目線で考えていたのだが、続いて出た言葉に耳を疑う。
「ウケるよねー。あの子、ウチ等が売ったのに」
は? と声を出さなかったのが奇跡だった。
唖然とするヒューゴのことなど知る由もない彼女等は、調子づいたように言葉を続けた。
「あの子もクーベルネもバカだよねー! ウチ等に嵌められたって最後まで気付かないでやんの!」
「マジチョロすぎ。女帝に泣き付けばぜぇんぶ『男が悪い!』ってことにしてくれるしぃ?」
「しかもあの子、顏いいじゃん? それに中古でもないから、めちゃくちゃ高値で売れたもんね」
「ほんとはクーネも一緒に付けたかったくらいだよね。あの子とセットならクーネでもそれなりに値段付いただろうに」
「それな。クーベルネのあの顏じゃあ相手にしてくれる男も居ないだろうし、むしろ一緒に売ってやるべきだったかもなー申し訳ないことしたなー」
なんだ、これは。
コイツ等は何を言っている?
脳が理解を拒んだように、ヒューゴがそれを受け入れるのは容易ではなかった。
「でもさー、女帝サマが勝手に守ってくれるのは助けるけど、最近ちょっとやりすぎだよね」
「確かに。お客サンのほうも報復が怖いからとか言って、あんまり買ってくれなくなったしなー」
「アーちゃんのほうも商売あがったりだってぼやいてたわ」
「どこも一緒かぁ」
たったこれだけの会話でも、盗み聞きしていたヒューゴには多くの情報が与えられた。
この女どもは、同じクランの人間を騙して売春行為を強要することで金銭を稼いでいるのだ。しかも会話を聞くに一度や二度ではなく、常習犯である。更には『アーちゃん』とやらが何者かは知らないが、この場に居ない人物を指しているのはわかる。つまりこの三人だけが小規模にやっていることではなく、もしかすると組織的な犯行である可能性すらある。
そして女帝はそんなことは知る由もなく、自身のクランに複数の裏切り者が居るなどと考え及びもせず、ただ身内から寄せられる被害報告に憤って外部の男討伐者を弾圧しているのだ。
それが意味するところとは。
「あ!そしたらあの子とかどうだろ」
「誰だれ?」
「ほら、件の酒場のさ、シトロンって子。相方のおでこも付けて売っちゃおうよ」
「あー、だいぶ騒ぎになったもんね。あの子等恨んでるヤツ多そうだし、ただ虐めたいってだけのヤツが高値で買ってくれるかも!」
「てかさ、アレで『パンドラ』首になった奴等が居るじゃん。そいつ等に絶対売れるって」
ついにヒューゴの息が止まる。
まさしく、彼の日常を一変させた、あの事件の話だった。
となれば女どもが話している『シトロン』という名前の人物は、アニキが破滅する直接のきっかけとなった、あの少女のことだ。
画期的な思い付きに喜色を浮かべる二人に対して、残りの一人が釘を刺す。
「そりゃイイ値段つくだろうけどさ、無理だってば。あの子が今誰のパーティーに居ると思ってんの」
「あー……フレデリカぁ」
「ボケ入ってる婆さんに比べれば、孫のほうはまだお花畑じゃないってこと。少なくとも身内を疑って警戒する程度の知能はあるんでしょ」
「えー、てことはもしかしてウチ等、警戒されてる?」
「バレちゃあいないでしょうし、バレたところで孫に何ができるとも思えないけどね。所詮七光りだしぃ?」
そこまで語って、女どもは口を閉じた。
斥候に出ていたリーダーの青髪達が戻ってきたからだ。
何事もなかったかのように彼女等は合流して、セーフゾーンから立ち去って行った。
それに便乗して出発しようと考えていたヒューゴは、しかし隠れた岩場から動くこともなく、愕然としていた。
思考を占めるのは、ただ一つ。
なんだそれは
少し前までの快調が嘘のように、最悪の気分であった。
あまりにも酷い話を聞かされた。
だってそうだろう。
最低最悪なマッチポンプ以外の何者でもないではないか。
男討伐者の横暴に対して苛烈な報復を行っている女帝に、なんの正統性もない。何故ならば、男が横暴を働く原因を作っていたのはそもそも女帝の配下である『赤原同盟』の人間であったのだ。
自分達で仕立て上げた犯人を、自分達で断罪しているのだ。
なら、アニキ達は。
彼等がクランを追われたのは。
バカな奴等がバカをやって、当然の報いを受けたというわけではなかったのだ。
「利用されたんだ」
そう。
姑息な女どもが懐を温めるための、体の良いスケープゴートにされたのである。
その翌日、ヒューゴはガイウスのパーティーと顔合わせをして、一員に加わり活動し始めた。
事前の予定通りに、お利口にしながら新たな日常を過ごす彼であったが、その内心が晴れることはなかった。
妄執の如く、脳裏にこべりついて離れないのは、ただ『報復』の文字だけであった。
一銭の得にもならない人情に囚われて身を滅ぼすのはアホの所業だとヒューゴは思う。だが、だからといってそれの持ち合わせがまったくないわけではない。アニキ達には恩義もあれば、少なからず情も湧く。
彼等自身やヒューゴが、酒場の一件の顛末を笑い話に出来たのは、それがどうしようもない自業自得の結果であると自分でわかっていたからだ。
しかし、それが誰かの陰謀であったとしたら?
許せるわけがない。
今更正義漢を気取るつもりなど更々無いし、アニキ達の仇を討つなどとくさいことを言うつもりもない。ただ単純に、ヒューゴにとってそれなりに満足感があったあの日常を、どこかの誰かのエゴで奪われたことが許せない。
奪った相手が自分自身であれば無理矢理に許して生きていくしかないが、それが他人ならばどうして引き下がることが出来ようか。
だが現実的な問題として、ヒューゴは自分の復讐相手がどこの誰かもわからないのだ。
セーフゾーンで迂闊な会話をしてくれた三人の女討伐者だが、ヒューゴは身を隠していたので彼女等の顔を見ていない。最初にセーフゾーンに入ってきた彼女等の姿を見てはいたが、青髪のリーダー格以外は印象に残っていなかった。彼女等の会話の中にも互いの名前は出てこなかったし、唯一の手掛かりらしきものは『アーちゃん』という人物であるが、所謂愛称であろうそれでは何もわからないに等しい。
鬱屈した感情を抱えて日々を過ごすうちに、ヒューゴの中で恨みの対象が徐々に『赤原同盟』そのものへと変わっていくのは当然の帰結であった。
何故ならば、あの場の三人の個人的犯行ではないことはわかっていたし、そうだとすればどれだけの人間がかかわっているかなどわかりはしない。女帝自身はマッチポンプに気付いていないのだろうが、配下を御するはずの立場に居ながら良いように動かされている無様さに罪がないなどと言えるわけがない。
そして、恨みという感情を持続させるのは、思う以上に難しい。
その対象が明確であればまだしも、顏も実態もわからない相手を恨み続けられるようには、人間というものは出来ていないのだ。
最も恨むべき相手であるはずの顔も知らない三人のことはどうでもよくなり。
クランそのものを恨み始めていたヒューゴの矛先はいつの間にか。
わかりやすい『対象』である女帝本人への恨みへと移り変わっていった。
元をただせば配下を御しきれていなかった彼女に全ての責任がある。そして実際にアニキ達を始めとする男達を弾劾して追い詰めているのは他でもない女帝自身だし、姑息な者達を盲目的に守護しているのも女帝である。
女帝が悪だ。
ヤツさえ居なければこんなことは起こらなかったに違いない。
女帝、討つべし。
などと考えたところで、結局ヒューゴには何も出来ない。
高齢の女帝は基本的に前線には出てこないので、偶然に見えるような機会もなく、あの酒場の一件がむしろ例外的だったのだと知る。女帝の居城である『赤原同盟』のクランハウスに侵入するなどという大それたことが出来るわけもなく、そもそも、老いたとはいえ『レベル4』の実力者である女帝にヒューゴが挑んで勝てる可能性など万に一つもありはしない。
故に、今日。
これが千載一遇の好機だったのだ。
活動中にはぐれサラマンデルの襲撃を受けた時は、ついに悪運も尽きたかと天を仰ぎたくなったものだが、援軍に現れたパーティーの面子を確認してヒューゴは瞠目した。
フレデリカ・メルクーシン――まさかの女帝の孫娘が居たのである。ついでに件のシトロンという少女も居たが、そんなことは気にならない程度には女帝の孫の存在は衝撃的であった。ガイウスの指示に従って戦いに臨みながらも、ヒューゴは昏い衝動を抑えることが出来なかった。
フレデリカを死なせたい。
ただそれだけだった。
フレデリカ本人に思うところは殆どなかったが、そんなことはどうでもいいのだ。孫娘が死ぬことで、女帝が少しでも傷付けばそれでいいのだ。間接的にでもなんでもいいから、ほんの僅かでもいいから、女帝に復讐をしたかったのだ。
しかしながら、ヒューゴが思惑を達成するには、サラマンデル種という魔物は強力過ぎた。だからこそフレデリカが勝手に死んでくれるかもという期待はあったが、同時にヒューゴ自身が死なぬように、自らを守りつつ立ち回るので精一杯だったのだ。
気付けば、憎くて仕方がなかったはずの『赤原同盟』の女討伐者とも肩を並べて手を取り合い、必死こいて戦っているうちに、いつの間にか戦闘は終わっていた。ヒューゴは生き残り、フレデリカも負傷こそすれ生き残ってしまった。
重傷を負ったフレデリカであれば、今ならヒューゴの実力でも殺せるかもしれない。そう考えなかったと言えば嘘になるが、実行には移せないことは嫌でも理解させられた。フレデリカの周囲には治療のために多くの人間が集まっているし、英雄伯やガイウスを始めとした実力者が目を光らせているので、妙な真似をすれば即座に鎮圧されるのがオチだろう。
行き場を失った昏い情動を抱えてとぼとぼと歩くヒューゴがそれを目にしたのは、果たして幸運だったのか。
「ん? あれは……」
溶岩流のすぐ傍で、こちらに背を向けて立っている男女が居た。
なんでわざわざあんな所に、と不審に思ってヒューゴは目を細め、溶岩の赤光で眩む視界が回復してくると、息を呑んだ。
その男女の片割れ、女のほうが件のシトロンという少女であると気付いたからだ。装備を見れば『赤原同盟』であることはすぐわかるし、後ろ姿だけでも背格好からシトロンであることは間違いなかった。もう片方の男のほうは『剣の誓い』だったと思うが、まあどうでもいい。
重要なのは、まるで誂えたような場所に、シトロンが無防備な背を向けて立っているということだ。
ヒューゴは立ち止まり、息を潜めて周囲を見回す。
見える範囲には誰も居ない。
今ならば。
ヒューゴの脳裏に魔性の誘惑が囁く。
あの細い背中を少し押してやるだけでいいのだ。
それだけでシトロンは足を踏み外し、溶岩流の中に落ちて焼け死ぬであろう。
フレデリカを死なせることは最早叶うまい。
その失意の中に降って湧いた絶好の機会は、ヒューゴから冷静な判断能力を容易く奪い去る。
そうとも。
そうじゃないか。
アニキ達がクランを追われた直接的な原因を作ったのはアイツなのだ。
アイツが間抜けにもアニキにぶつかってきたりしなければ、あの酒場での騒動はそもそも起きなかった。アニキやセンパイ達は一人残らずクランを追われて生活に窮しているというのに、もう一方の当事者であったアイツはお咎めなしというのは、不条理じゃないか。
だが、とヒューゴは逡巡する。
彼の心境としては既にシトロンを溶岩の中に突き落とすことに一片の躊躇も抱いていなかったが、それにはあの男のほうが邪魔だ。シトロンと一緒に突き落としてしまえば済む話ではあった。しかし、まだ少年と言ってもいい年齢だろうが、それなりに鍛えていることが見て取れる体躯は少し押した程度では揺らぐまい。
ヒューゴは『赤原同盟』に報復をしたくて仕方がなかったが、それと同じくらい保身にも拘った。
やるなら確実に始末しなければならない。
あるいは――、
「っ!?」
次の瞬間、ヒューゴは快哉を上げそうになった。
少年のほうが、シトロンから離れていくのだ。都合の良いことにヒューゴが居る側からは遠ざかる方向に、踵を返して歩いていくではないか。息を潜めるヒューゴの眼前には、ついに邪魔するものがなくなった少女の背中だけが映っている。
ヒューゴは自分に言い聞かせる。
とん、と押すだけでいい。
ガキはこちらを見ていない。他に見ているヤツも居ない。
アイツを押す決定的な瞬間さえ見られなければ、後はどうとでもなる。
あんな危険な場所に立っているアイツに非があるのだ。アイツは足を踏み外して勝手に落ちて死んだのだ。俺は咄嗟に助けようとしたが間一髪で間に合わなかっただけだ。
こんなチャンスは二度と来ないぞ。
ここを逃したら、今後一生こんなクソみたいな思いを抱えたまま生きていくことになるぞ。
そんな人生で、俺は良いのか?
「いいわけねえだろ」
ヒューゴは、とん、と少女の背を押した。
それだけで少女はバランスを崩して前のめりに倒れ、あっけないくらい簡単に、赤い光の中へと落ちていった。




