365話_side_Rex_ちょっと前_黒い森
~"主人公の幼馴染"レックス~
ミアベルの一撃でサラマンデル種が消し飛ぶと、辺りに満ちていた溶岩の海は急速に冷え固まり、空を埋め尽くしていた炎精は光の粒となって霧散していく。目に痛いくらいに赤々と輝いていた溶岩の灯りが徐々に弱まっていき、夜の薄闇がようやく戻ってきた。
俺が魔法で作り出したキューブ群も、俺が魔法を解除してしまえばただの岩石塊に過ぎない。そして魔法で無理矢理に押し固めて高密度を維持していたキューブは自然に存在出来ない構造物であり、俺の魔力の影響下を離れると自壊して地形の一部へと還っていった。
シリウス氏はアヴァター姿のリゼルさんを呼ぶと、離れた場所で待機しているロイド氏達への情報伝達と、早急に治療が必要なリッカの身柄を任せると先行して出発させる。残された三人――俺とミアベルとシリウス氏は徒歩での帰還である。
少し前まで溶岩海だった場所にすぐに魔物が現れるわけもなく、未だ所々が赤熱を保っている黒い地面をシリウス氏を先頭にして歩む。シリウス氏はまるで消耗した様子もなくケロリとしているが、俺とミアベルは疲労感もあって道中の口数は少ない。
「結果的にだが、ロイドの奴がお前さん等にマギアドライブを任せたのは正解だったな」
そんな折、前を行くシリウス氏がふと思いついたように背中越しに言った。
「ミアベルはともかく、俺はマギアドライブの補助が無ければさっきで死んでましたからね」
「生き残ったのは、ドライブを正しく使いこなしたお前さんの実力さ。まあ、しかし、ロイドが想定してた試験運用とはまるで違う状況になっちまってる感は否めねえな」
俺は苦笑しつつ、誤魔化し気味に大剣のドライブを撫でた。
テスターとしての俺に求められていたのは、基本に忠実で尚且つ標準を逸脱せず、そして細部までを網羅する運用であると理解している。人工知能としては赤ん坊であるマギアドライブへ教示するために、まず堅実な基礎を構築しようという段階だ。
そのはずが、俺は『Gキューブ』とかいう特殊過ぎる魔法を教え込んでしまった。四則演算を教えるはずの生徒に微積分を教えたようなものである。緊急事態だったのでロイド氏も斟酌してくれるとは思うが、小言くらいは貰うかもな。
なおミアベルの場合は、最初からハチャメチャやることを求められてのテスターなので、正しく役割を遂行していると言えなくもない。ただし、ロイド氏が想定していたハチャメチャ具合を軽く逸脱しているのも確かだろうが。
暫く進むと、視界の中にまたちらほらと溶岩の光が映り始めた。
不思議なことだが、溶岩を生み出す根源であったサラマンデル種の至近であるほどに急激に冷え固まり、逆に遠く離れるほどに熱量を保ったままなのだ。おそらくは魔物の認識圏の影響下にあったかどうかの違いなのだろう。遠くも近くもサラマンデル種が生み出した溶岩には違いないが、近い溶岩は魔物の消滅の道連れとなって熱を失い、遠い溶岩は自然に冷え固まるまでは流動し続けるということだ。
川のように流れる溶岩を避けて、土手状に盛り上がった場所を選んで進む。
「この溶岩も、森が閉じたら消えちゃうんだよね」
なんか変な感じ、とミアベルが呟く。
確かにな、と応じる。朝日が昇って黒い森が閉じれば、ここもただ普通の岩肌へと変わるのだろう。まだ夜明けまでは多少時間があるが、少なくともこの光景を見る限りはそれまでに全部の溶岩が固まることはあるまい。明日の夜に再び森が開いた時にどうなっているのかは少々気になるところだ。
ロイド氏達が待機している場所まで戻ってくると、どうやらリッカの治療に当たっているところだった。労わりの言葉と共に俺達を迎えてくれたドノヴァン氏に状況を訊くと、リッカの傷は軽いものではないが彼女本人は意識を取り戻しており、然るべき治療を施せば問題なく完治する見込みだそうだ。それを聞いてほっと息を吐いた俺に、ミアベルが小声で「よかったね」と悪戯っぽい笑みで言うので、なんとなく気恥ずかしさを覚えた俺は彼女の頭をぐりぐり撫でて誤魔化しておく。
とはいえこの場で本格的な治療を施すことは現実的でないので、現在はギルドに帰還する前に最低限の処置を施しているところらしい。
戦闘のドタバタで逸れていたガイウス氏麾下の『パンドラ』パーティーも合流しており、気付けば総勢二十名を超える大所帯だ。あれだけの戦闘で死者が出なかったことは幸いであり、ドノヴァン氏曰く『珍しいくらいの幸運』とのことだった。
俺はふと、傍らの幼馴染を見遣る。
「…………」
「もぉー髪の毛ぐちゃぐちゃじゃんかー……ん? なに?」
「いや」
俺のせいで乱れた頭髪を手櫛で整えていたミアベルが視線に気付いてきょとんとした目を向けてくる。
珍しいくらいの幸運はもしかしたら必然かもしれないな。などと根拠もなく思う。
「助けに来てくれて、ありがとうな」
そう言うとミアベルはますますきょとんとして、それから、花が開くような笑みを浮かべてみせた。
「えへへ。間に合ってよかった。…………あ、リゼルちゃんとシリウスさんにもお礼言うんだよ?」
「勿論。それにミリティアさんにもな」
「あとノエルにもね」
わかったわかった、と肩を竦めるとミアベルはおかしそうに笑った。
さて、リッカの応急処置には今暫くの時間を要するようだ。傷の具合がどうのというよりは、リッカ自身が施していた氷属性の封印処置の影響を取り除くのが厄介だとかで、ノエルさんを含めた水属性とそれから光属性が総出で対処に当たっていた。
それ以外の面子は安全確保のために周辺警戒を行っているのだが、先にも言ったように即座に魔物が現れるような状況でもないためそれなりに手持無沙汰ではあった。なお俺達はセーフゾーンまで戻らずにサラマンデル種が生み出した溶岩流の近くに留まっているのだが、これがまさにその、サラマンデル種を恐れた他の魔物種が接近してこないという事情故の判断だった。魔物の襲撃を警戒しながら最寄りのセーフゾーンへと移動するよりは、この場でリッカの処置をしたほうが都合がいいのだ。
問題点があるとすれば暑いことだが、この森で活動している討伐者にとってはむしろ慣れ親しんだ気温ですらある。
一応俺はリッカと並んで最も消耗の激しい人間であるはずなので、休んでいていいと言われてはいる。実際、魔力は殆どすっからかんに近く、魔力枯渇による体調の不良――倦怠感とか頭痛とか、そんな程度のものがあるにはあるが、体力自体は全然余裕がある。伊達に常から鍛えてはいないし、サラマンデル戦では只管に頭を酷使しただけで肉体労働は殆どしていないわけで。
とまあ、そんなわけでただ座っている気にもなれず、俺は適当に周辺を散策していたのだ。
その途中で、とある少女に遭遇した。
「あ。お疲れさん!」
にかっと笑って片手を挙げてくれたのはミアベルの友人のストレガさんという少女だった。サラマンデル種と戦う前に、セーフゾーンでリッカと知り合った際に彼女やシトロンさんとも少しだけ言葉を交わしている。
ストレガさんは俺やミアベルの二つ年上らしいが、外見はやや童顔気味で、教えられなければ同年か年下にすら見えたかもしれない。赤い髪の前髪を左右で分けてヘアピンで留め、つるりと綺麗なおでこを曝け出したヘアースタイルも幼い印象を助長していそうだ。ちなみにシトロンさんは俺達とストレガさんの中間の年齢であり、クランではストレガさんの直属の後輩ということで日々しごかれているらしいのだが、愁いを帯びた雰囲気の漂うシトロンさんは逆に実年齢よりも大人びて見えるため、二人並ぶと若干のちぐはぐ味があると俺は思った。
だからなのか、一人で現れたストレガさんの隣にシトロンさんが居ないことが気に懸かる。
「お一人ですか?」
「せやで。ちゅーかシトロン見てへん? 探しとんねんけど」
「いえ、見ていませんが」
なにかあったのだろうか、と考えているとストレガさんはハタハタと片手を振った。
「や、別にアイツがサボっとるからトッチメたろ、いうわけやないで。自分で言うのもアレやけど、ウチ等ってほらアレやから」
「どれですか」
「ちゃうねん。ザコやねんな。せやからものの役にも立たへん、ゆうて大人しゅうしとけ言われてんねん」
すごく明るい顔であっけらかんと言っているが、要するに周辺警戒役を任されるほどの力量がないので安全なところで適当に時間を潰していろと上位者に宣告されてしまったということか。尤も、四パーティーが集合しているおかげで人員は充分に足りているので、強いて未熟な少女達を働かせる必要もないという大人達の妥当な判断であると言えばそれだけだ。
ストレガさん達だって最初のサラマンデル戦には参加してしっかりと貢献していたのだから、ここで休んだって文句は言われまい。
で、そういう事情ならばシトロンさんもどこかで休んでいるだけなのでは、と思うのだが、
「それはそうなんやけどな? アイツ後ろ向き過ぎんねんで、こーゆう時にほっとくと碌でもないことばっか考えるんよ」
探し人の姿を求めがてら、自然と一緒の方向に歩き出したストレガさんは呆れたような顔で語る。
俺の印象としても彼女の物言いは否定出来ないというか、頷くところが多い。というのも、こう言っては失礼だがシトロンさんは少々ネガティブ過ぎるきらいがありそうだ。ほんの短い時間交流しただけの俺でも察せられる程度には、そういう雰囲気の少女である。
「まあ? シトロンにしてみればウザイ先輩なんぞ居らん方が気が休まるんやろけど、せやかてウチにも姉の責任っちゅうもんがある」
「姉……ああ、クランの『姉妹制度』というやつですね」
「せや。シトロンを一端の女に仕上げてやらへんと、ウチもいつまでも認めてもらえへん」
その言葉こそ現状に憤っているような物言いであったが、ストレガさんの表情は決して悪く思っている風ではなかった。それこそ、手間のかかる妹のことを微笑み混じりに愚痴るような、本当の姉のような面持ちであるように思える。
「シトロンはな、根暗でどんくさいやっちゃけども、頭がええねん。ウチなんぞよりもよっぽど大した人間やで。せやからなんとかしたりたいなぁ思ってんねんけど、まあ所詮ウチやから、中々うまいことはいかへんね」
「そんな風に思ってくれる人が居るだけで、幸せなことですよ」
「にしし。本人には嫌われてるやろけどな」
人間関係のことなので、これという正解はないが、俺が思うにそういう素直じゃない愛情の類はいつか必ず相手に伝わる日が来る。もしかしたらシトロンさんは厳しい先輩であるストレガさんを疎んでいるかもしれない。その印象は一生続くかもしれない。だが、例え疎ましく思っている相手であっても、だから感謝もしないということにはならない。
あの人のことは嫌いだけど、実力は認めているし働きに感謝もしている。そんな関係性の相手など社会で生きていればそれなりに出てくるものだ。勿論、願わくばストレガさんが後輩に注ぐ愛情が正しく報われてくれることを、であるのは言うまでもない。
「ほな、ウチはシトロン探しがてらミアベルにでも絡んでくるわ。もしそっちで見付けたらウチが探しとる言うといてな!」
ほななー、と元気に手を振って駆けていくストレガさんを見送り、俺は少し新鮮な気分になった。少々言葉は強いが、溌剌とした明るい雰囲気で中々気持ちの良い少女だ。良くも悪くもわかりやすくて、貴族社会ではお目に掛れない人種だなと独り言ちる。
歩みを再開した俺ではあるが、そもそも目的らしい目的もなく散歩しているに等しい状況なので、ならばとシトロンさんの姿を探してみることにする。周辺警戒に従事していないということは少なくともこの近辺のどこかに居るはずであり、適当に人に訊きつつ探せばすぐに見付かるだろうと気楽に構えて行動に移す。
で、結局シトロンさんがどこに居たのかというと、なにを思ったのか溶岩流の畔に独りで佇んでいた。
先の戦闘時に味方を守るためガイウス氏が『地隆操作』で作り出した巨大な溝の底を、溶岩がドロドロと煮立ちながら流れている。一時期よりは溶岩の流量がだいぶ減っているので、水面(?)も低いところにあって届く熱気はそれほどでもない。シトロンさんはその溝の切り立った縁に立って、ぼんやりと溶岩の流れを眺めているようだった。
足を踏み外すような位置ではないが、なんとなく不安を煽る後ろ姿ではある。
「シトロンさん?」
なにをしているんですか、となるべく刺激しないように静かに声を掛けると、俺の不安を他所にシトロンさんは冷静な様子で肩越しに俺を見た。まあ、それでもいきなり声を掛けられて多少動揺した雰囲気ではあったが、つまり俺がイメージする彼女にしては冷静という意味だ。
「あ……レックスさん」
「どうも。お疲れ様です」
「お疲れさま……ふへへ」
へらりと特徴的な愛想笑いを浮かべて、シトロンさんは再び溶岩に向き直った。彼女のシルエットを縁取る溶岩の赤い光に、俺は微かに目を細める。
そしてシトロンさんは辛うじて聞き取れる程度の声量でぽつぽつと呟く。
「いえ、その……なんというか、独り反省会、というか」
「反省会ですか」
「ええ、はい。えっと、今回も愚図だったなぁ、とか。またストレガさんに怒られちゃったな、とかとか」
ふむ、と俺は一拍考える。
「シトロンさんはしっかりと仕事をしていたように思いますが」
「でもそれ、ほんとあの、私とかただ変な弾みたいの投げてただけだし……」
ロイド氏謹製の謎樹脂弾のことである。サラマンデル種に対する飽和攻撃のための一斉投擲の投手の一人だったのだ、彼女は。というか他に特別な役割を持っていた者以外は全員もれなく投手に動員されていたわけだが。
ちなみに本当にそれだけをやっていたわけではないのだろうが、生憎と俺は戦場では彼女と別の場所に居たので働きぶりを知る立場にない。
「課せられた役割をなんであれ果たしたのなら、なんら恥じるところはないと考えますが」
「まあ、そうなんですけど……それにしたって出来の良し悪しというものがあってですね」
「ああ成程。それは、難しい話ですね」
そこで『やることやってんねん何が悪いんや!』と自分を肯定出来る性質ならば気苦労も少なかろうが、少々どころではない内罰的思考のシトロンさんには難しそうだ。
ただ、自省は行き過ぎると自傷になりかねない。シトロンさんにはまさにその傾向があるように思える。こういう時こういう人には多少強引にでも前を向かせてくれる第三者が居たほうがいい。シトロンさんの姉役としてストレガさんをあてがったのが誰かの意図だったとしたら、その人物はよく人を見ているなと思う。
というわけで先程会ったストレガさんが探しているという旨を伝えようとすると、それより先にシトロンさんが口を開く。
「ストレガさんが探してる、ですよね。すいません、わかってます。お手数を……」
「お見通しでしたか」
「付き合い長いんで……えっと、長いのは私が愚図なせいなんですけど」
そう自らを卑下するものではない、と言ってやりたいところだが、言ったところで彼女は余計に自分を下げるだけだろう。
それに、先程ストレガさんの思うところを聞いてしまった以上は、俺が出る幕ではないということもよくわかっている。俺の正解はこの場を辞してストレガさんにシトロンさんの居所を伝えることだろう。
シトロンさんの背中に向けてその旨を伝えようとすると、またもや彼女のほうが少しだけ早く口を開いた。
「レックスさん」
「はい?」
「私って、なんでここに居るんでしょうね」
その問い掛けは、脈絡がないとか以前に意図が不明瞭過ぎて俺には答えようがない。
シトロンさんは補足のように言う。
「なんで私なんかがフレデリカ様のパーティーに入れてもらえたんだろう、って。ずっと考えてて」
「ああ。そういうことですか」
「です……ほら、その、レックスさんはフレデリカ様と気が合うみたいだから、もしかして考えてることわかったりなんかするかな、とか思って。すいません、そんなこと言われても困っちゃいますよね」
困るかと言われたら、まあ困る。というか俺とリッカは愛称で呼び合うことになったわけだが、あくまでも戦時の極限状態下でのことだ。冷たいことを言うようだが、今日の活動を終えてそれぞれの居場所に戻ったら、もう二度と会うことがない可能性だってあると思っている。なにせ、そもそも属している社会が違うのだから、俺が学院に戻れば討伐者のリッカと接点はなくなる。
そんな事情はさて置いて単純にリッカの人となりから推測を立てるとしても、俺は『赤原同盟』の内部事情など知る由もないので、流石に情報が足りなさ過ぎて思考の立脚点すら覚束ない。
そこでふと、脳裏に過るのは、
――――頭がええねん。
先のストレガさんの言葉を思い返した俺は、なんとなくシトロンさんが既に自分自身で答えを出しているのではないかと、そんな気がしてきた。俺に問い掛けたのは彼女が彼女である所以というか、単に自信がないからというだけのことだろう。
「シトロンさんは、何故だと思うんですか?」
なので率直に訊いてみると、シトロンさんは少しだけ黙り、またぽつぽつと語り出す。
「……守ってくださってる、んだと思うんですよね」
「守る?」
一体何から?
リッカが彼女をパーティーに加えることで抑止力になるということは、やはり『赤原同盟』の内部事情が絡んでいると考えるのが妥当であるとは思えるが。
「ふへへ……すみません。自意識過剰ですね。私に守る価値なんてないのに」
何を言っても自己否定がセットでついてくる、難儀な子だな。
俺の持論としては、守る価値というのは守られる側が決めることではない。守りたいと思うこと、それが価値だ。一方的な押し付けであり、その体現者である騎士という人種の傲慢でもある。
無論、本当の意味で価値を求めて――つまりビジネスとして他者を守る生業を否定するつもりはないが。
溶岩を眺めたまま動く気のなさそうなシトロンさんから視線を離し、俺は立ち去ることにした。
出会ったばかりの俺などが何を語ったところで響くまいし、筋合いでもない。それでも言葉にして伝えておくことに意味はあると思うので、一応立ち去る前に彼女の自己否定については「そんなことないですよ」とだけ言っておく。
するとシトロンさんは「すみません」とだけ返した。
「…………」
歩き出しつつ、俺は黙考する。
先程シトロンさんが言った『守る』という言葉の意味するところだ。リッカが彼女を守ろうとしているならば、当然そこには何らかの脅威が存在するはずだ。
リッカに尋ねてみるべきだろうか。部外者であろう俺が口を挟むことではない可能性が高いが、しかしシトロンさんに脅威が迫っているとなれば、場合によっては彼女の友人であるミアベルも無関係ではいられないかもしれないので。
そんなことを考えながら歩いていたせいで、俺は気付かなかった。
「きゃぁっ!?」
背後から短い悲鳴が聞こえて、咄嗟に振り返る。
シトロンさんが独り佇んでいただけだったはずの場所に、もう一人の人影が増えている。
その影はシトロンさんが立っていた辺りに向けて腕を伸ばしていて、そしてシトロンさんの身体は少し離れたところにあった。
彼女の足元に地面はなく、
「シト、」
俺が思わず呼び掛けた時には既に遅く、シトロンさんの身体は赤々と輝く溶岩流へと落ちていった。




