331話_side_Citron_少し前_討伐者ギルド_ブラッドフォード支部
~"気弱な討伐者"シトロン~
いきなり現れて場の空気を全部掻っ攫って行った謎の少女に誰もが注目する中、私の気のせいでなければ彼女はほんの一瞬だけストレガさんに目配せをしたように見えた。傍目にはきっと、少女の視線が偶然にストレガさんのほうに向き、そのまま通り過ぎたように見えただけだろう。だけどストレガさんの傍らにいた私にはわかった。彼女は確かに意図してストレガさんを見た。
私にはその意図がわからなかったけど、ストレガさんは小さく舌打ちを零した。
そして小さく私の手を引きながら、小声で言う。
「ほら、逃げんで」
「え?」
あの少女を置いて行ってしまうのか、と疑問を視線に乗せてストレガさんを見遣ると、彼女は渋面でぼそぼそと呟く。
「え、やないわ。なんのためにあのお嬢が傾いて注意引いてくれたと思っとんねんボケ」
言い合う時間も惜しいということか、ストレガさんは強引に私の手を引いて、しかしひっそりと歩き出す。未だに喧騒の中心では少女が男に魔法銃を突き付けており、誰もが固唾を飲んでその動向を観察していた。少女の正体や実力が未知数過ぎて、何をやらかすか誰も予想出来ないので眼が離せないのだ。それこそ、奪った銃の引き金を引いて男の脳漿をこの場にぶちまけたとしてもおかしくない、と言わんばかりの緊迫感が漂っていた。
だから、今なら私達は逃げられるのだ。私達が動いたことに誰も気付かないなんてことはあるはずがないけど、気付いたところでそれどころではないから。
ここに至って、愚かな私もようやく理解する。つまりあの少女は男に銃を突き付けることで人質に取り、周囲の酔っ払い連中の動きを規制し、今のうちに逃げなさいとストレガさんに合図を送ったのだ。合図に気付いたストレガさんが不本意そうなのは、見ず知らずの、しかも同年代くらいの少女に一方的に助けてもらった不甲斐なさからだと思う。ストレガさんは言葉と態度こそ強い人だけど、私のような愚図をなんだかんだで見捨てないでいてくれるように、本質的には義の人なのだ。
きっとストレガさんは自分を責めている。なにもかも、悪いのは全部私なのに。
「あ、」
その時、私は気付いた。
ストレガさんに引っ張られてこの場を離脱する直前、未練がましく少女のほうを振り向いてしまって、それに気付いたのだ。
それはとんでもないことだった。あの少女の優位を一瞬にして失わせてしまうだけの威力がある情報だったのだ。しかも少女本人はどう見ても気付いていない。幸いなことに今のところは私以外に気付いた人は居ないようだが、きっと時間の問題に違いない。
私はこれを少女に伝えなくてはいけないと思った。
クズで卑怯な私だけど、なけなしの誠心くらいは持ち合わせているのだから、私達を助けるために渦中に飛び込んだあの少女に報いなくてはならないと思うのだ。だからここで見ない振りなんて出来ないのだ。
言え、言うんだ。伝えるんだ自分――!
勇気を振り絞り、自分を叱咤して、私は裏返ったような声を出す。
「銃!ロックが掛かってます撃てませんっ!!」
やった。言えた。私は安堵した。
だって大変な事態だった。少女が男の眉間に銃口を突き付けているからこそ均衡を保っている状況なのに、あろうことかその銃が撃てないのだ。
大抵の魔法銃というのは銃身に刻まれた紋章術で以て魔力を弾丸へと精錬するのだが、使用者がデミの場合は自身の意思で銃身に魔力を流すという行為が出来ない。だから銃のほうに使用者の魔力を吸い上げるような能力を付与するのだが、紋章術の性質上その効果は常に発揮される。基本的には実銃と同じくトリガーを引く動作と発射が連動しているので、魔法銃においてはトリガーを引くことで使用者の魔力を吸い上げて弾丸を精錬、発射まで行う。そのプロセスはほぼほぼ瞬間で完結する。これが何を招くかというと、使用者が銃を構えていなくても、例えばホルスターに入れて携帯している状態でも、何かの拍子にトリガーが動けば弾丸が放たれるのだ。魔法銃には装填という過程がないので。
こういう暴発事故を避けるための機構が、私が言った『ロック』なのである。多く見られるのはバネやトグルを用いた留め金状の部品に敢えて紋様の一部を持たせることで、パッチンとそれを倒さないと紋章術が完成しない――というような物理的な切り替え機構だ。どちらかというとロックというよりはオンオフの切り替えと表現したほうが正しいかもしれない。
少女が男に突き付けている魔法銃はロックが掛かっている。使用時は立っているべき留め金が倒れていて、故に紋章術が完成していないのだ。あの状態でいくらトリガーを引いたところで銃は魔力の弾丸を精錬しないし、勿論発射もされない。おそらくは彼女が男から銃を奪う際の一連のどこかで、どちらかの手が触れるなりして偶発的にロックが掛かってしまったのだ。
大変なところだった。
少女の窮地を未然に防げたと思って、私は達成感を覚えていた。
「こ、この……」
のだが、何故か私を振り向いて凝視しているストレガさんは、凄い形相で唇を戦慄かせていた。
そして彼女が叫ぶ。
「デカい声でなに言うとんねんドアホぉ!!?」
「ひぇっ」
な、なんで怒鳴られるの?と私は混乱の極致であった。
珍しくちゃんと人の役に立つようなことが出来たと思ったのだ。だってそうではないか。この膠着状態を作り出したあの少女の手腕は疑うべくもないが、それは抑止力となる魔法銃の存在があって初めて成立する状況なのだ。
抑止力が機能していないと知られれば、男達が少女を恐れる理由は減衰する。状況は瓦解するだろう。
だから私は彼女に気付いてもらおうとしたのだ。銃のロックを外せ、と。眼の前の男に気付かれる前に。
気付かれる、前に?
「あ」
私が間抜けな声を零した時には既に事態は動いていて、少女に銃を突き付けられて固まっていた男が強引に銃を奪い返していた。何故なら少女の銃にはロックが掛かっているし、私の忠告を受けたはずの少女は不思議そうな顔をしていて、明らかにロックがなんなのかそもそもわかっていないからだ。
つまり、恐れる理由がなくなったので、男は自分に突き付けられた銃身をむんずと掴んで、万が一にも撃てないようにロック機構を押さえながら、少女の手から銃を奪い返したのである。
「わっ、と」
少女はというと少々驚いたような声を上げたものの、特に抵抗することなく手を放していた。
男は手元に返って来た銃を構えると、これ見よがしにロックを解除しながら数歩下がる。同じ轍を踏まないように、少女の間合いの外まで移動したのだ。
ここに形勢は逆転した。他でもない、私が要らないことを言ってしまったせいで。今なら銃を奪い返せますよ、と男に教えてしまったのだ。しかも最悪なことに結局私達は逃げられていない。せめて私達(というか私)というお荷物が居なくなった後であれば、銃を奪い返されてもあの少女単身でならばどうとでも逃げられたかもしれないのに。
男は強張っていた顔に、徐々に厭らしい笑みを取り戻していく。
「おら嬢ちゃん、そこに並べよ」
銃口で示された位置に、ストレガさんが諦めたような顔で移動する。私は引っ張られるがままだ。あの少女の異常なまでに鮮やかな手並みを見て、周囲の連中も流石に余興を楽しむ気分では居られなくなったのか、ちらほらと武器を取り出している者も居るようだった。
そしてその少女はというと、なんだか非常に意気消沈しているようだった。がっくりと肩を落として、とぼとぼとストレガさんの隣に並ぶ。私も含めて三人が並んで立たされた形である。
「さぁて、舐めた真似してくれやがって……まさか無事に帰れるとは思ってねえよなぁ?」
脅すように銃を揺らす男の言葉に、私は蒼白になって震え上がり、ストレガさんは忌々し気に唇を噛んで睨み付け、少女は項垂れたまま何事かをぶつぶつと呟いていた。なんか「だっさ。わたしだっさ」とか言ってる。銃のロックに気付かなかったことを悔やんでいるのだと察するが、ごめんなさいそれ全部私が悪いんです。
「特にそっちの嬢ちゃん、てめえにはキッチリ落とし前をつけさせねえと気が済まねえな」
「…………」
当たり前だが、最も目の敵にされているのは銃を奪った少女であり、男は血走った目で彼女を睨んでいる。
対する少女は相変わらず俯いてなんか呟いていて、え、あれこの人もしかして聞いてない?
「手始めに、この場で脱いでもらおうか。全裸で土下座して俺達全員満足させれば許してやらんでも――、おい聞いてんのかてめえ!!」
「ふぇ?」
怒鳴られてようやく自分が話し掛けられていることに気付いたのか、少女は目を丸くして顔を上げた。
そしてなにを勘違いしたのか、慌てるように両手を振ってみせた。
「あ、すいません!わたし貴方のママではないので、そんなに頼まれてもおっぱいは出ませんよ?」
あんまりにも予想外な発言過ぎて、隣のストレガさんが思わずといった風で噴き出した。
信じられないことに、この少女この期に及んで先程の挑発の続きをしているのだ。
優位に立ったと思った矢先に真正面から虚仮にされた男は、当然のように頭に血を昇らせた。怒りのあまりに腕が震えるのか、銃口が揺れて定まらないくらいだ。彼は真っ赤な顔を憤怒の形相に歪め、
「て、てめえ……舐め腐るのも大概にしやがれ!!ブッころ――」
男が銃を突き付けてトリガーに掛けた指に力を籠め。
ストレガさんがせめてもとばかりに少女を庇うように身を翻し。
私は怯えて動けず状況を眺めることしか出来なくて。
そして少女は微塵の動揺もない澄んだ目で銃口を見据えていて――
「それはこっちの台詞だよ」
言葉と共に、朱い閃光が飛来した。
それは男が構えた魔法銃にぶち当たり、部品と血飛沫を散らせながら男の手から銃を奪った。撓りながら戻って行く朱い光は、どうやら魔力で生成された鞭のようだった。
男は悲鳴を上げて手を庇い、少女は部品を散らして飛んでいく魔法銃を何故か無念そうな顔で見詰めていた。私とストレガさんを含めたその他全員が声のほうへと振り返り、そして驚愕する。
自然と割れた人垣の真ん中を靴音も高く堂々と進んでくるその人物は、この場においてあまりにも有名な存在であったからだ。
年の頃は初老程度の女性だ。
背が高く、姿勢がいい。
結った長髪には白いものが混じり始めているが、かつてはそれはもう鮮やかな朱色であったことだろうと片鱗が今なお見て取れる。
表情は険しく、眼光は鋭い。美しいが、化粧っ気はまるでない。
年齢を感じさせないメリハリのある肢体を、狩人を思わせるタイトな衣服で包んでいて、その上から豪奢な毛皮のコートを羽織っている。コートの襟元にあしらわれているのは、本物の狼の毛皮だ。それも、どちらかというと剥製をそのまま首に巻いていると表現したほうが正しいくらいの、荒々しい意匠である。
場に居るだけで空気が変わる。
誰もが一目置かずには居られない圧倒的な存在感。
赤原の女帝ことアウグスタ・メルクーシン、その人であった。
あの朱は彼女の色だ。『赤原同盟』のパーソナルカラーでもあり、私の髪を括っているリボンやストレガさんの首元を彩っているスカーフのように、『赤原同盟』に参加している討伐者は必ずこの色を身に着ける決まりがある。
「嗚呼ほんと、どう落とし前をつけてくれようかねぇ……」
ゆっくりと進みながらアウグスタ様が軽く腕を振ると、魔法銃を弾き飛ばすのに使われた魔力鞭が地面を叩いて鋭利な音を響かせる。たったそれだけのことで男達は竦み上がり、私の心は高揚する。
「アンタ達、ウチの子等に随分と舐めた真似してくれてるようじゃないか」
じろりと睥睨するのは酒場に集まっていた討伐者連中であり、その中でも特に矢面に立っていた男と、その周囲に侍っていた『パンドラ』所属の者達だ。アウグスタ様の鞭によって手指を抉られた男は、傷口を押さえながら浅い呼吸で脂汗を流している。それは決して傷の痛みだけが理由ではないだろう。
アウグスタ様は巨大クランのリーダーであると同時に、本人が『レベル4』の討伐者なのだ。そんじょそこらの討伐者が百人単位で襲って来ても鎧袖一触にしてしまえる実力者なのである。そんな人物が、怒り心頭の面持ちで迫っているというのだから、平然として居られるわけもない。
明らかな旗色の悪さを見て取ったのか、先程までは酒場で呑みつつ囃し立てていた者達がこっそりとその場を離れようとしていた。
「どこに行くおつもりで?」
だが、いつの間にか立ちはだかった青髪の女に行く手を塞がれる。青髪の女はその一房を朱色に染めていて、つまり『赤原同盟』のメンバーであるとわかる。ただ、私は見たこともない人物だったので、きっと上層部に位置している人なのだと思う。
気付けば、恐ろしいことに酒場はすっかりと朱色に包囲されていた。私やストレガさんを取り囲んでいた男達の更に外側を、更に多くの女性討伐者が包囲しているのだ。勿論、その全員が朱色の意匠を身に纏っている。
私達の騒動にはかかわらず、比較的遠くで呑んでいた者達が、巻き添えで包囲されては堪らないとばかりに声を上げた。
「ちょっと待ってくれ!俺達は無関係だ!そいつらが勝手にやったことだ!」
その必死の主張をアウグスタ様は鼻で嗤った。
「ハン!なら何故止めなかった?それが無理でも何故眼を背けなかった?笑って見てた時点で同罪さね。どうせ、あわよくばお零れに預かろうとでも考えていたんだろう。反吐が出るね!」
たぶん、この事態はずっと前からアウグスタ様達に把握されていたのだ。だから彼女達は確信をもって責めるべき相手を断ずることが出来る。本当の意味で無関係である酒場の店員や、本当に巻き込まれただけの不運な客などは包囲に含めることなく誘導して外部へと逃がされているようだった。
この場に残されたのは私達を辱めようとし、そしてそれを楽しむことを良しとした男達だけだ。
男達を睨み、アウグスタ様は意趣返しのように言う。
「アンタ達、まさか無事に帰れるとは思ってないだろうね」
女帝は鞭で強く地面を叩き、高らかに宣言した。
「一人残らず去勢してやるよ!覚悟しなァ!!」




