329話_side_Citron_少し前_討伐者ギルド_ブラッドフォード支部
~"気弱な討伐者"シトロン~
あぁ、私ってなんでこんなドジなんだろう。
内心で自らを呪う言葉をいくら並べ立てようとも、現実逃避にもなりやしない。思えばいつもこうなのだ。すぐにドジを踏んで、周りにも迷惑をかけて、自己嫌悪で泣いて、自省が過ぎて色々と疎かになって性懲りもなく繰り返すのだ。
眼の前には酒臭い息で私を怒鳴りつける男性討伐者が居て、いつの間にか周囲の酔っ払いにすっかり囲まれてしまって逃げ場なんてない。私はこうなる前に逃げるべきだったと理屈ではわかっている。討伐者を志すとまず最初に学ばされるのは、自分の身は自分で守れということ。そしてそれが出来ないならば討伐者になんてなるべきじゃないということ。身を守るとはなにも立ち向かい打倒するという意味だけではなくて、敵わない難事からは迅速に逃げる判断をするという意味でもある。
だけど、気弱な私は怒鳴られると身が竦んでしまう。
条件反射で謝ってしまう。
それで状況が好転することなんてないと自分が一番わかっているのに、私の理性は臆病に勝てた試しがない。
「おいおい嬢ちゃん、どう落とし前つけてくれんだ、ああ?」
「ひ。ひぃっ、ごめんなさいごめんなさい」
私が前方不注意でぶつかったのは事実だから、それは謝らなくてはいけないと思う。
同時に、彼等が通路にはみ出して騒いでいたのだって悪いのだから、何故私だけが悪者にされるのかと憤りも感じている。
どちらも悪いのだから一方的に詫びる必要なんてなくて、即座に逃げるべきだった。でも初動で間違えたから、私は包囲されて動けない。だからもう馬鹿みたいに頭を下げて許しを乞うしかない。
「嬢ちゃんがぶつかったせいでよぉ、見ろぉこれ。酒が零れちまった」
「ごめんなさいっ」
「しかもよ、そのせいでアイツの一張羅が台無しじゃねえかおい」
別の男がこれ見よがしに服を見せてくる。そこには確かに真正面から派手に酒をぶっかけられたみたいな真新しい染みがあって、悪いことに色の濃い酒だったらしく、洗ったとしても綺麗に落ちるとは思えない有様であった。
私は青くなる。
私がぶつかったせいで酒が零れて、それが掛かってああなってしまったのなら責められてもしょうがない、と思ってしまう。
「べ、弁償します。弁償しますから」
私はもう半泣きだった。周囲を屈強な男性討伐者に囲まれた状況が恐ろしくて仕方がないのだ。しかも彼等は誰も彼もが酔っていて、私が怯える様を嫌な笑顔で楽しんでいるのがありありとわかるのだ。
酒の肴に袋叩きにされるかもしれない。殴られるのも蹴られるのも勿論怖いけど、もっとずっと酷いことをされるかもしれない。実際、そう言う話はたまに聞くのだ。自分が当事者になるとは思ってもみなかったし、それがこんなに恐ろしいとも思っていなかった。
お金を払って解放されるなら、そうしてしまいたい。そうするべきだ。
尊厳も意地もかなぐり捨てて弁償を申し出た私に、男が告げる。
「そうかぁ?じゃあ――」
彼が口にした金額はあまりにも法外なものであった。
いくらなんでもそんなにするわけがない、と理性ではわかっていても、私は言葉もなく首を振ることしか出来ない。
私は討伐者としては劣等もいいところだけど、一生ものの幸運で『赤原同盟』に拾ってもらえた。立場は先輩達の使いっパシリでしかないけど、それでもスコアランキング二位のクランに属しているので野良討伐者よりは稼いでいる。
だけど、男が告げた金額はそういう次元ではなかった。周囲の連中は口々に「ふっかけすぎだろ!」とか「そのボロがそんなするかよ!」とか言って囃し立てているが、やはり誰も止めてはくれなかった。
「む、無理です!そんな、」
「じゃあしかたねえな」
男が溜息交じりに呟き、私は勘弁してもらえるのかと安堵しかける。
本当に愚かしく、度し難い。
そんなわけがないのに。
「なら身体で払ってもらおうか」
「え……?」
厭らしい眼で私の身体を眺め下す視線に、思わず腕を抱いて後退る。周囲の連中は待ってましたとばかりに歓声を上げた。私は嫌でも悟らされる。最初からそのつもりだったのだと。
「顏はガキだが、中々いい身体してんじゃねえか嬢ちゃん。なぁに、それだけのもんがありゃあ、すぐに弁償代くらい稼げらあ」
「ひっ、いやぁ……」
「なんせ、客はいくらでも居るからよ」
そう言って、わざとらしく他の連中を示して見せる。
無意識に後退り続けていた私は、退路を塞いでいた男達に腕を掴まれた。こうなるともう真面な思考なんて無理で、恐慌状態に陥った私ががむしゃらに抜け出そうともがいても、当然男性の腕力には敵うべくもない。
と、そこに、
「ちょぉおおおおい待てやコラああああああああ!!!!」
包囲を外から掻き分けて現れたのは、私の先輩であるストレガさんだった。おでこを出したヘアースタイルが特徴的な、赤髪に良く似合う勝気な性格の女性で、私よりも一個年上なだけとはとても思えない程に優秀でしっかりした人だ。『赤原同盟』における私の先輩であり、グズな私の面倒を押し付けられてしまった可哀そうな人でもある。
今日も私はストレガさんと一緒に行動していたのだ。いつもどんくさい私はストレガさんを怒らせてばかりで、今日も例に漏れずやらかして彼女と逸れてしまって、探し歩いていたら不注意でこの様だ。
「ガキ一人に寄って集ってなにさらしとんじゃボケェ!!」
凄まじい形相で乗り込んできたストレガさんは私の腕を拘束していた男達を喧嘩キックでどつき回して、剣幕に圧された男達が手を離したので私は解放された。すぐにストレガさんは私の腕を取って庇うように背に隠してくれたが、結局状況はなにも変わっていない。
どうしようもない私のせいで、ストレガさんまで窮地に巻き込んでしまっただけであった。
心底から申し訳ないと思う。だって彼女はクランから私の面倒を見ろと言われているのだから、この状況を見過ごすことが出来なかったに違いないのだから。
先程私と交わした弁償云々の世迷言を繰り返す男に、ストレガさんは牙をむいて眦を吊り上げた。
「はぁ!?そのキッタナイ服がそんなするわけないやろが!?目ん玉腐っとんのかワレぇ!?」
「この世に二つとないブランド物なんだよこれがな」
「ハッ!並ぶもんがないくらいに醜悪な汚物、の間違いやろ!」
「へっへ、何を言おうと構わねえが、ただその嬢ちゃんがぶつかったせいでこうなったのは事実なんだなぁ」
あくまでも自分は被害者で、詫びを要求するのは正当だと言いたいのだろう。
ストレガさんは私に確認を取ったりはしなかった。それは賢い彼女は端から相手の言葉を聞くつもりなどないからであり、同時に私に確認を取れば私が重圧に負けて非を認めてしまうことが見透かされているからだ。
「なんなら、嬢ちゃんが代わりに弁償してくれてもいいんだぜ?と言いたいところだが――」
意味深に言葉を切って、男はストレガさんの身体を視線で舐めまわす。
ストレガさんが小声で「きっしょいんじゃボケ」と呟いたのが私には聞こえた。
「その貧相な身体じゃあ、一生掛かっても返せねえなこりゃ!」
「しかもひでえ西方訛りじゃねえか。どうせ移民だろ?どんな病気持ってるかわかったもんじゃねえぜ」
「違いねえ!あーあ、顏はそこそこ良いのにもったいねえなぁ」
好き勝手馬鹿にしたような物言いに、周囲の連中が一緒になってゲラゲラと声を上げる。
ストレガさんは怒りのあまり顔を真っ赤にして拳を震わせていたが、激発することはなく気を落ち着かせるように長く息を吐いた。
「アンタ等、ウチ等に手ぇ出したら女帝が黙っとらんで……!」
低い声で脅すように告げた言葉は、ブラフだった。
私達は確かに『赤原同盟』の一員だし、クランリーダーである女帝ことアウグスタ様は情に篤い方であると聞いている。だけど『赤原同盟』は巨大クランであり、末端も末端である私や、その世話係を任されているようなストレガさん程度の立場では、そもそも女帝その人とは碌に会話したこともないのだ。
十中八九、アウグスタ様は私達の存在など認識もしていないに違いない。
それを見透かしているのか、男は嘲るように答える。
「んなこと言ったら俺達だって『パンドラ』の一員なんだぜ?俺達に歯向かったら黒竜卿が黙ってねえぞー?」
眼の前の男だけではなく、周囲で飲んでいる誰もが揃いのバッジを衣服に着けていた。それが『パンツァー・ドラグーン』に所属している証であることはここで活動している討伐者ならば誰でも知っている。それと同時に、『赤原同盟』と比べてもなお巨大なクランである『パンドラ』なので、ただ所属しているだけの人間であれば無数に居るのだということも。
末端のメンバーであろうこの酔っ払い共の乱痴気騒ぎの収拾に黒竜卿が直々に動くわけがない。子供にだってわかることだ。つまり、女帝もまた然りだとストレガさんの苦し紛れの脅しを皮肉って馬鹿にしているのだ。
私はストレガさんの意識が既に眼前の男達には向いていなくて、忙しなく動く視線から彼女がなんとかして退路を探していることに気付いていた。
「す、ストレガさん。わ、わた、わたしを置いて、い行ってください」
縋り付いて、真面に回らない呂律でやっとの思いでそれだけを言う。
ここに分け入ったストレガさんなのだから、彼女だけならば同じように逃げられる。彼女が追い詰められた顔をしているのは、私というクソの役にも立たないお荷物を抱えてしまっているからだ。
私は足が竦んでしまって、ストレガさんに縋り付いていないと真面に立つことも出来ない体たらくだ。元々私が蒔いた種だし、男達の興味が私の身体にあるというのなら、私が諦めて犠牲になればいいのだ――なんて冷静に考えられるわけがない。助けて欲しい。本当はストレガさんを置いてでも自分が逃げたい。そう考えているクズな自分が居ることに気付いていた。
だから私がなけなしの勇気を振り絞っている間に、どうかストレガさんには逃げて欲しい。クズな私が本当にクズなことを言ってしまう前に。
そんな私を、ストレガさんは見下し、軽蔑した視線をくれた。
「ウチ、アンタのそういうところホンマ嫌いやわ」
「ご、ごめ」
「だったら最初から割り込んでへんわボケ」
そう吐き捨てたストレガさんの拳がにわかに魔力を纏う。
彼女が両手に嵌めているグローブ型の魔法具が起動したのだ。実力行使で脱出を図る判断をした彼女に、取り囲む討伐者連中はむしろ面白い余興とばかりに興奮を高める。相対するのは元々矢面に立っていた目の前の男――私が最初にぶつかってしまったあの男性であった。ストレガさんの臨戦態勢にも少しも動じてないところを見る限り、きっと腕に自信があるのだろう。酒に酔っているのに、負けるわけがないと言わんばかりの悠然とした態度である。
一触即発の緊張感の中、
「あの。やめませんか?」
いきなり近くから聞こえてきた声に、私は二重にびっくりした。
本当にいつの間にかとしか言いようがない唐突さで、私とストレガさんの隣くらいの場所に一人の少女が立っていたのだ。いつからそこに居たのかまったくわからないし、声を出すまで誰にも気付かれていなかったことがまず驚きなのだが、それ以上に驚いたのは、現れたその少女が怖いくらいの美少女だったからだ。
年の頃は私やストレガさんと同じくらいか、少し年下くらいに見える。他ではちょっとお目に掛ったことがないくらいに色鮮やかなストロベリーブロンドの頭髪に、ロイヤルカラーを彷彿とさせるエメラルド色の瞳。そして作り物めいた、と表現しても決して大袈裟ではないと思えるほどの整った容貌。服装は言ってしまえばどこにでも居そうな、年頃の女子らしく適度に可愛らしいだけのもので、ただその素朴さが逆に美貌を際立たせているような印象だ。
色々な意味で衝撃的な闖入者の出現に虚を突かれたように誰もが視線を向ける中、その少女は不思議なくらいに平穏に口を開く。
「その人、謝ってるんだから許してあげればいいじゃないですか。いじめるような真似して、大人げないですよ」
「そうは言うがよ嬢ちゃん、こちとら服を台無しにされてんだ。謝って済む話じゃあ、」
「わたし、最初から見てましたけど。その人がぶつかってお酒零したって、嘘ですよね」
その人、と指差されたのは私。少女が話しかけている相手はあの男だ。
男は顔を顰めて少女に凄む。
「ああん?」
「その人がぶつかるよりも前に、あなた達がふざけてお酒零したんじゃないですか。見てました」
「おいおい嬢ちゃん、おめえが誰だか知らねえが適当言ってんじゃあねえよ。誰がそれを証明できんだよああ?」
気のせいでなければ、男のその言葉に少女は失笑を堪えたように見えた。
あんなに可愛らしい顔をして、しかし若干似合わない仕草を私は意外に感じた。誰がそれを証明出来るのかという言葉は、男が私に吹っ掛けた難癖にもそのまま当て嵌まるので、きっと彼女は男が語るに落ちている様子を笑ったのだと思う。
少女はそのままさり気なく歩み出て、私達を庇うような位置取りをした。この子がどこの誰でなんのために割り込んできたのか一切わからないので、ストレガさんは不審そうに、だけど少し心配そうにその姿を目で追っている。
「言っとくがよ、こっちには証人が大勢居るぜ?その嬢ちゃんが俺にぶつかって来て、それで酒が零れてこうなったんだ。そうだろ、なあ!?」
男が周囲に同意を求めると口々に肯定の返事があった。それはそうだろう。全員がグルなのだから口裏を合わせるに決まっているのだ。それがなんの証明にもならないことはこの場の誰もがわかっている。だからこんな遣り取りにそもそも意味はないのだ。
だと言うのに、少女はあろうことか笑みを見せていた。
堪え切れないとばかりに、口元を押さえてクスクスと声を零しているのだ。容姿も合わさって非常に可愛らしい姿だというのに、状況にそぐわな過ぎていっそ異様にすら映る光景である。
「おう嬢ちゃん、なに笑ってやがる」
「くふふっ、いえ……すみません。あんまり面白いことを言うから」
「ああん?」
少女は可憐な表情のまま、不思議そうに小首を傾げて言う。
「その人がぶつかって、その衝撃でお酒を零して、あんなに派手にぶちまけちゃったんですよね?そう仰るんですよね?」
「だからそうだって、」
怪訝そうに口を開く男の言葉を皆まで聞かず、少女はとうとう笑いを隠さずに軽やかに私へと歩み寄って、ストレガさんとは逆の側から私の肩を抱いた。おっかなびっくりと肩を跳ねさせる私に構わず、少女は愉快そうに謡うように紡ぐ。
「え?なにあなた、こんなに華奢な女の子とちょっと肩が触っただけで、大袈裟にびっくりしてお酒いっぱい零しちゃったんですか?そんなに痛かったんですか?その図体は飾りなんですか?あなたってきっと乙女よりも繊細で羽毛よりも軽いんですね!失礼ですけど討伐者向いてないと思うんでぇ、実家に帰ってママのおっぱいでも吸っていたほうが長生きできると思いますよ?」
一息に語られた少女の言葉に、男は一瞬何を言われたのかわからないようにフリーズしていたが、そこに込められた凄まじい侮辱を徐々に理解したのか、その顔面が酔いとは異なる赤みを帯びる。
危ない、と思った時には男は既にこちらに向かって拳を振り上げていて、そして私は私の肩から優しく手を放して一歩踏み出す少女の背中を見た。
そこからの光景を、たぶん私は一生忘れないと思う。
「調子コいてんじゃあ、――」
男が振り被った拳に応じるように踏み込んだ少女は、
「よっ」
なんて軽い掛け声とともに、その拳を軽くいなしてしまった。
擬音を付けるならば『ぺいっ』って感じの、虫でも払うような仕草だった。
しかしその実、彼女は男の拳に真横から自分の掌を中てて、力を外側に誘導して攻撃を空振らせたのだ。相手の動作を完全に見切っていないと出来ない真似であった。
咄嗟に飛び出そうとしたストレガさんも、目を瞠っている。
「このっ」
実力に自信があったのであろう男は驚愕しつつも、即座に逆の手で腰のホルスターから銃を抜いた。紋章術の装飾が施された魔法銃の類だ。彼はその銃口を少女の顔に向けようとした。それは討伐者として日々命を懸けて戦っているが故の、不測の脅威に対する防衛反応の顕れであったのだろう。
少女は自身の顔面目掛けて持ち上がってきた銃口に対し、
「おっとと」
するりと逆の手を動かしていた。
男の動作を追うように、持ち上げた手で魔法銃のグリップを下から叩き、その銃口を上へと逸らしたのだ。
刹那の差で銃声が轟き、少女の頭上を紙一重で飛び抜けた魔力の弾丸が、ロビーの高い天井に虚しく着弾して僅かな塵を降らせた。
「ふっ」
少女はそこで止まらず、鋭い呼気と共に腕を振るい、銃を握る男の指を拳で強かに打った。銃撃を逸らされた際の予期せぬ衝撃に加えて、指を狙い打たれた痛みに男が堪らず取り落とした魔法銃を、少女は空中で危なげなくキャッチすると、手の中で器用にくるりと回転させ、流れるように鮮やかな手並みで逆に男の眉間に銃口を突き付けたのだ。
殆ど状況を理解出来ず、奇妙な体勢で固まってただ銃口を凝視して冷や汗を流すことしか出来ない様子の男に、少女は可憐に笑って見せた。
「暴力に訴えるの、よくないけど時には必要だと思います」
「は、は……?」
「でも軽々しく抜くのはダメです。これを抜いた以上、誰かの命を懸けることになると理解していますか」
諭すような口振りとは裏腹に、少女が告げた意図はあまりにも明確だった。
彼女は銃口を突き付けてこう言っているのだ。
殺意を向けるならば、逆に殺されることをも覚悟せよ――――と。




