323話_side_Marguerite_少し前_道中
~"騎士の卵"マルグリット~
群れを率いていた魔獣が討たれた後、他の狼達はすぐに散り散りに遁走してしまった。強力な魔獣である黒狼のつがいに逆らえず従わされていただけで、その支配者が居なくなったのであたし達を襲う理由もなくなったのだろうか。あるいは、丁度そのくらいのタイミングで一行はハイムゼートの森を抜けたので、単純にテリトリー外に出たので諦めただけかもしれない。
ともかく、森を抜ければ目的地であるブラッドフォード伯爵領は目と鼻の先であるが、商隊は森を抜けてすぐの場所で停止して野営の準備を始めていた。狼に包囲された緊張状態と、それから逃れるための全力疾走を強いられた馬達の疲労状態は限界に近く、休息が必要だろうと判断されたためだ。まだ昼前の時間であるが、おそらく次の出発は明日になるだろうという見込みだった。
馬の世話や馬車の整備、商品の状態確認から陣地の設営にと商隊の人間は大忙しの様相を呈しているが、あたしはそんな風景を座って眺めていた。下手に手伝おうとしたところで邪魔して怒られるか気を遣われるのが関の山だし、そうでなくとも、ただの同行者であったはずのあたし達は対魔獣戦の働きによってすっかりお客様待遇に昇格してしまったらしく、どうぞ寛いでいてくださいとお茶を貰って体よく追い払われてしまった。そんなこと言われても、戦働きをしたのは殆どグレンさんとシビルさんであり、あたしは自分の身を守っていただけというのが正直なところで、寛ぐどころか現在進行形で行動を続けているグレンさん達を差し置いてあたしだけが寛いでいるというのも据わりが悪いことこの上ないのだが。
なおグレンさん達が今何をしているのか、というかそもそもどこに居るのかというと、まさに通り抜けてきた森の中に引き返している。黒狼の魔獣の片割れはグレンさんにギュッとされてリュウさんに首ちょんぱされて絶命したわけだが、そのつがいの魔獣はリンさんの矢を受けて樹上から落下こそしたものの存命の可能性が高い。知性があり人間を襲う魔獣となれば捨て置くにはあまりに不穏、とグレンさんとシビルさんとそれからリュウさんはわざわざ引き返して魔獣に引導を渡しに行ったのである。ちなみにあたしの馬は引き続きリュウさんに貸し出し中なのだ。
とまあ、そんなわけであたしは一人、ひっそりと物陰で商隊の野営準備を眺めながらグレンさん達の帰りを待っている。なんか、対外的にはあたし達三人ってすっかり『騎士系のお嬢様と護衛の討伐者が二人』っていう認識になっちゃったみたいで、つまるところ何故かあたしがグレンさん達の雇い主であると見做されてしまっているのだ。先の戦闘においてグレンさん達が見せた精強さに感謝と畏怖を覚えてやまない商隊の人達は、我らが英雄達のご主人に失礼は罷りならんとばかりにそれはもう丁重にあたしをもてなしてくれてなんかもうほんとすいません。
「こんなところに居たのか」
と、あたしに声を掛けてきたのはリンさんだ。傍らにはフードを被ったケイさんの姿もある。
「なんでそんな隠れるみたいに座っているんだ?」
「居た堪れなくて」
あたし大したことしてないし、感謝ならグレンさんにどうぞ、である。商隊の人達に見つかるともれなく感謝されてしまうので、あたしは隠れて過ごす所存なのである。
事情を説明するとリンさんは涼し気に笑った。
「貴女は案外と奥ゆかしいのだね」
「それなんか間違ってると思う……そういうそっちはどうなのよ?」
グレンさんほど派手な立ち回りはしていないが、リュウさんやリンさんも結構な活躍であった。実際に魔獣を討ち取ったのはリュウさんだし、商隊の被害が少なく済んだのはリンさんがその弓術で以て魔獣を釘づけにしていたからであると言える。
あたしの問いにリンさんはにこりと微笑んだ。
「乗車賃がロハになった」
「ろは?」
「無料ってことだ」
東方特有の表現だろうか。自前の移動手段を有さないリンさん一行は商隊にお金を払って馬車に同乗させてもらっていたらしいのだが、そのお金が戻って来たということみたいだ。てかむしろ商人さんはリンさんやグレンさんに謝礼を渡してもいいくらいだと思う。だって、たまたま彼等が同道していたから魔獣を撃退出来たのであって、言っては失礼だが、商隊の本来の護衛の人達だけであの黒狼のつがいに対抗出来たとは思えない。もしそうなっていれば、きっと尋常ではない被害が出たことであろう。
たぶん、そもそも森を抜けられなかったんじゃないかな。
ただ、もしかしたら逆の可能性もあるのだが。
即ち、あたし達が同道していなければ最初から魔獣に襲われるようなことはなかった、という可能性だ。
今になって思えば、あの魔獣のつがいは最初から最後までケイさんを狙っていたように思う。襲い掛かった獲物の中にケイさんが居たから固執したのか、あるいはそもそもケイさんが居るからこそ襲ってきたのか。
リンさんがケイさんを連れてこの場に現れた理由はなんとなくわかっている。きっとケイさんの顔を見てしまったあたしに釘を刺しにきたのだ。なおこの場に居ない最後の一人であるダイさんがどこで何をしているのかというと、彼は普通に商隊の手伝いをしていた。強行軍のせいで車輪がイカれた馬車の整備をしている場所で、車輪を交換するために馬車の車体を持ち上げている男達の中に彼の背中が混じっているのが遠目に見える。
あたしの視線に気付いたリンさんが苦笑気味に言う。
「ダイが気になる?どうやら先の一件で碌に活躍できなかったことを悔いているみたいで、自分から手伝いに走っているよ」
「いや別にサボってたわけじゃないでしょ。たまたま出番がなかったのは喜ぶべきことじゃない?」
「違いない。が、ダイは図体に似合わず気にしぃだからね。昔から」
未だに若干信じられないが、リンさんはダイさんの実の妹ということなので、流石に実感が籠っていた。
さて、と仕切り直したリンさんが商隊の面々からケイさんの姿を隠すような位置取りに立つと、あたしの目の前でケイさんはフードに手を掛けた。
顕わになったのは亜麻色のショートヘアーを揺らす可憐なかんばせだ。ケイさんの年の頃はあたしと殆ど変わらないように見えるが、東方人に童顔が多いことを鑑みれば、たぶん少し年上くらいなのだと思う。柔和な面持ちで、隠してしまうのが勿体ないと素直に感じるくらいの美少女だ。リンさんの顔も大概綺麗だが、勝るとも劣らない。
しかし――、
「驚いただろう?」
王国語を離せないケイさんの代わりにか、リンさんが静かに口を開いた。
先程垣間見てしまった通り、ケイさんの顏には、特に左半分に異変が現れていた。最も顕著なのは魔物と同様に色彩が反転してしまっている左目。そして美しい亜麻色の頭髪は左の前髪から側頭部の辺りまでが脱色したように白く染まり、対照的にその周辺の肌の色は黒ずんだように変色しているのだ。
まるで、禍々しい何かが、顏の左半分を侵食しているような印象を受けた。
「呪詛でね」
リンさんが忌々しそうに呟き、ケイさんは耐え難いとばかりに唇を引き結んでフードを被り直した。
「故郷に居た頃、ケイはとある魔物に呪われてしまった。以来、左目から始まった呪詛は徐々に、だが確実にケイの身体を侵し続けている」
「もしかして、魔法が使えないのも……?」
「ああ。呪詛はケイの魔力系に巣食っている。その状態で魔力を操るというのは、呪詛を自分から活性化させているに等しい」
「解呪は?」
それが呪詛であるならば、対抗手段はある。呪詛を操る魔物というのは少なくないから、討伐者には解呪を専門に生業としている者だって居るのだ。簡単に解決するならば苦労はない、とあたしは内心では悟りながらも問いを発した。
案の定、リンさんは力無く首を振った。
「知り得る限りを試した。だがこの呪詛は強力過ぎる。プロの解呪士でも手も足も出なかったよ」
「そう……」
あるいは、呪詛を掛けた張本人を討つことが出来れば解ける可能性は高い。だけどそれほど強力な呪詛となると、当然の帰結として掛けた本人は相応に強力な魔物なのだろう。実力的に討伐が可能かという問題と、それ以前にその魔物が黒い森の奥地や、ひいては魔界に引き籠ってしまっていればそもそも討ちに行くことすら叶わない。
「リンさん達は、何故この国に?」
東方の地は遥か遠い。この王国に至るまでの旅路は決して易しいものではなかったはずだ。しかも、ただでさえ苦しみの中にあるケイさんに長旅を強いるのはどう考えても賢い選択とは思えない。
更に言えば、
「ケイさんにとって、この国は危険だ」
「それは『教会』の権勢が強いからだね」
「うん。気を悪くしたらごめん。でもケイさんのその眼は魔物の眼だ。教会の関係者に見つかれば、袋叩きにされる」
少なくとも、確実に迫害されるであろう。過激な者ならば、それこそ魔物を討伐するようにケイさんを害そうとするだろう。ちなみにあたしも一応は教会の信徒なのだけど、碌に礼拝にも行かない不良信徒なので、幸いというかケイさんの外見に隔意は無い。あたしが実際の魔物を知っていて、戦った経験があるというのも大きいだろう。実際の魔物を知っているからケイさんが魔物ではないという当たり前の事実を事実として理解出来るけど、実際を知らない人ほどケイさんを魔物と同一視して排斥せんとすることだろう。
とにかく、だからケイさんはこの国では神経質なまでに顔を隠さなければならない。
だが、裏を返せばそれは、そのリスクを負ってもなお彼等にはこの国を訪れる理由があったということだ。
「消極的な理由が一つと、積極的な理由が一つある」
あたしは無言で続きを促した。
「まず、私達は故郷を追われた身だ。身の安全のためにも新天地を目指す必要があった」
「それが消極的理由なの?命が掛かってるのに?」
「それだけならば、別にこの国である必要はないから。教会の勢力圏外のザンクシオン辺りを目指したほうが賢明だ」
なるほど確かに。学術都市国家ザンクシオンは国際魔法協会の総本山だ。教会と協会は伝統的に険悪な関係性なので、教会を避けるためにザンクシオンを目指すのは理に適っている。それにあそこは昼夜問わず研究と解明に明け暮れる学問の牙城であると聞く。そんな場所であれば、もしかしたらケイさんに掛けられた強力な呪詛を解くヒントが得られるかもしれない。
なお、ザンクシオンはここから更に北寄りの西方に位置しているので、リンさん一行の目的地が最初から彼の国であったとすれば王国を避けて北の帝国経由のルートを取るのが一番安全だろう。教会的な意味で。
「積極的にこの王国を目指した理由というのは、希望があるから」
「希望?」
「そう。ケイに掛けられた呪詛を解くことができるかもしれない人物が、この王国に居るんだ」
なんだか迂遠な物言いだな、とあたしは率直に思った。
噂話を頼りにして来た、とかいう類の確証に乏しい話だろうか。
「なんかふんわりしてるね」
「まあね。実際、確証はないんだ。会えるかどうかわからないし、助けてもらえるかもわからない。だけど、きっとケイに残された時間は多くない。一縷の望みにでも縋るさ」
リンさんの直截な物言いにあたしがハッとしてケイさんの様子を窺うと、彼女は『自分が一番わかっている』とばかりに力無く息を吐いていた。
彼女等があたしにここまで事情を語ったのは、不可抗力でケイさんの顔を見られてしまった以上、あたしから少しでも情報を得たいからだと思う。なにせこの広大な王国で、確証のない人探しをしようと言うのだ。どんな些細な手掛かりでも欲していることだろう。
そして、あたしも知ってしまった以上は協力したい。これを見て見ぬ振りは騎士道に悖る行いだ。
「あたしにできることはない?協力するよ」
「忝い。貴女はそう言ってくれると思っていた。気高さにつけ込むような真似をして済まない」
「いいって。気高くなんてない。当然のことよ」
あたしが敢えて明るく笑って見せると、リンさんは参ったように苦い笑みを浮かべて、ケイさんは深々と頭を下げた。
いやその、大見得切ったものの、ぶっちゃけあたしに大したことが出来るとは思えないし、そんな迫真の感謝されるとまた居た堪れなくなっちゃうんだけど……。
「実は、その人物の名前も居所もわかっているんだ」
「へ?でもさっき、会えるかわからないって」
「うん。会ってもらえるかわからないんだ。というか、私達が突然訪ねたところで十中八九門前払いか、最悪殺されるまであると考えている」
え、と言葉に詰まるあたしに、リンさんは告げた。
あまりにも馴染み深い、その名を。
「プリムローズ・フラム・アシュタルテ侯爵令嬢」
彼女が私達の希望だ、と。




