322話_side_Marguerite_少し前_道中
~"騎士の卵"マルグリット~
――日々の鍛錬の成果が、あたしを救った。
赤い輝きは射撃魔法だった。リンさんを狙って樹上から放たれたそれに身を翳したあたしは、愛剣を抜刀しながら反射的に魔法を唱えていたのだ。思考をすっ飛ばして構築した魔法は『虹霓閃華』。あたしの憧れにして目標の魔法だった。
姉と行っている日々の鍛錬で、あたしは常にこの魔法を使おうと試みていた。その繰り返しが、あたしにこの魔法を使わせたのだ。
ただし、発動した魔法は完全には程遠い、出来損ないもいいところだ。
そもそもあたしは虹霓閃華を習得しておらず、使いこなすどころか真面に発動することすら叶わない。お手本である姉の手解きを受けてほんの少しずつ進歩はしている気がするけれど、今のところは習得出来る見込みもないというのが正直なところだ。
だからこそ、咄嗟の領域で発動したあたしの『イーリスもどき』は奇妙な発現を見せた。
本来、この魔法は遣い手が装備している刀剣と全く同じ性能を有する鏡像を魔力で創り出すものだ。虹を冠する名が示す通り、正しく発動すれば七本の鏡像を創り出すことが出来るはずなのだが、今のあたしが創れるのはたったの一本。しかもオリジナルよりも性能が大幅に落ちる劣化コピーを生むことしか出来なかった。故にあたしは普段の鍛錬では片手にオリジナルとなる愛用のレイピア、もう片方の手に生み出した鏡像を持つ二刀流のスタイルをとりあえず形にしようと考えていたのだが、
「イーリスっ!」
反射的に魔法を使ったあたしは、愛剣を持った手に鏡像を構築していた。
実体剣に重なるように構築された虹色の鏡像が、まるで強化魔法の如くレイピアを輝かせる。
あたしは飛来する赤い輝きに対して虹色のレイピアを振り抜き、衝突の瞬間、凄まじいまでの閃光が弾け飛んだ。それは見慣れた魔力斬撃とは一線を画していた。あたしの斬撃の軌跡を拡張する魔力の刃は魔力斬撃のそれであったが、それだけでは終わらなかったのだ。
例えるならば、万華鏡だ。
あたしの斬撃は無数に織り重なり、オリジナルの一撃を起点にシンメトリカルな紋様を描いた。目に痛いほどの極彩色の斬撃が、極大の爪痕を虚空に刻む。
「うあっ!?」
あたし自身まったく予想だにしなかった光量に、一瞬だが思わず目を瞑ってしまった。
少なくとも、飛来した赤い輝きを防ぐことには成功していた、と思う。実感が湧かないのはまるで手応えがなかったからだ。痛みも衝撃も感じなかった。意図せず発動したイーリスもどきのギラつく光が目に与えたダメージのほうが余程効いたくらいだ。
自分の魔法に自分で驚いてバランスを崩したあたしは、あわや馬車の屋根から転げ落ちるところをケイさんに支えられて踏み止まった。そんな無様なあたしと違って実に冷静なリンさんは、突然の事態に対する動揺を見せることなく、薄目で狙いをつけて弓を引き絞っていた。
「そこか!」
射撃魔法でこちらを狙ってきた存在は、木々の合間を高速で飛び移りながら移動しているようだった。リンさんは偏差射撃で見事にその移動先を射抜き、短い叫び声を上げた何かがもんどりうって地上へと落下するのがシルエットだけで見えた。
巨体の狼だったように見えたが、言うまでもなく普通は狼は樹の上を走らない。
魔法を使ってきたことを鑑みるまでもなく、あれの正体は明らかだ。
「魔獣……!」
「成程、あれが黒幕か」
人間でも魔法使いが必ずしも強力な戦士でないように、魔獣はあくまで魔法の素養がある獣というだけなので、それ自体が脅威に直結するわけではない。だが、そもそも群れを率いて然るべき強力な個体が、魔獣として生まれてくると、ああいうのが出来上がるわけだ。
魔法を操り、高度な知性を持ち、同種を支配して一種のコミュニティを形成する、枠外の存在だ。
「済まない。仕留め損なった」
次の矢を番えつつ、リンさんは悔しげに言う。
あたしの目には彼女の矢が目標に命中したということしかわからなかったが、射た本人であるリンさんの手応えとして、おそらく魔獣は健在なのだろう。あたしにしてみればあの状況から反撃の一矢を命中させた技能に感服こそすれ、という話だ。
というか、もしかしなくてもあたしのイーリスもどきが撒き散らした極彩色の閃光がリンさんの狙いを妨げた最大の要因だろうから、むしろすいませんっていう感じなのだが。
「マルグリット、貴女のおかげで助かった。ありがとう」
「うん。もうちょっと上手くやれればよかったんだけど」
「なんというか、凄い魔法だったな」
あたしもよくわかってないんです、とは言い難い。
というか今更ながらに、あたしは一体何をしたんだろうと片手のレイピアを見遣る。無我夢中だったから、よく覚えても居ない。もう一度やれと言われて再現出来る気もしない。
ただ、なにか、可能性のようなものが見えた気はする。
まあそれは追々考えるとして、とりあえずは支えてくれたケイさんにお礼を言おうと思って見ると、彼女は外套の上から胸を押さえて荒い息を吐いていた。
「ちょ、どうしたのッ!?」
「だい、じょブ……デシ」
「息も絶え絶えで大丈夫言われても!」
あと語尾もなんかおかしいし!
大慌てであたしはケイさんの背を擦ったりしてみるも、気休めにもなっていないようだ。
魔獣が落下した後方を警戒しているリンさんが、苦み走った顔で言う。
「魔獣の位置を探るために魔法を使ったからだ。また勝手に無茶をして……」
だがそのケイさんの勝手のおかげで命を救われているので、リンさんも強くは言えない様子で歯を噛みしめていた。
それにしても、ケイさんの苦しみようは普通じゃない。一体どういう状態なのだろうか。魔法使いに特有の、魔力に作用する病状を俗に『魔力疾患』と呼ぶが、おそらくはその類か。魔力疾患に関してはそもそも症例が少なく一貫性もないことが多いらしく、未だ解明されていない部分が多いと聞く。
下で他の狼を撃退しているグレンさんやリュウさんから口々に無事を問う声が掛けられたので、あたしとリンさんがそれぞれに応じる。その間も後方を睨んでいたリンさんは、ややあって緩く息を吐いた。
「流石の魔獣も、あそこから追い付いては来れないらしい」
「そりゃあ、この速度だし、しかもリンさんの矢も食らってるわけだし」
親玉が脱落した以上は、周囲を囲んでいる他の狼も遠からず退いてくれるだろうか。
しかし、なんとなく気持ちの悪さが残るのは否めない。
「あの魔獣、何がしたかったんだろ」
樹上を走っていたのは何らかの移動魔法を使っていたからだと判断出来る。群れを統率するために全体を俯瞰する位置取りをしていたのもわからなくはない。狼は地表を走るものだという常識からくる思考の間隙を不意打ちに利用したことも理解する。
だけど、何故リンさんを狙ったのか。
単純に一番手頃な位置に居たからか。あるいは卓越した弓の遣い手を危険視したからか。小細工を弄する知性があるのだから、グレンさんやリュウさんという強大な戦力を敢えて避けて、叩きやすいところを狙って来たのだろうか。
するとリンさんが、ぼそりと呟く。
「狙いは、私じゃない」
「え?」
狙いがあたしではなかったことだけは確かだ。あたしには魔獣に名指しで狙われる心当たりなどないし、最初からあたしが狙われていたのであればわざわざリンさんの前に割って入る必要などなかった。あたしはリンさんが狙われていると思って咄嗟に行動したが、もしあれがリンさんを狙ったものでなかったとしたら、魔獣の狙いはケイさんだったということになる。リンさんとケイさんはすぐ近くに居たから、結果的にリンさんを守る行動がケイさんをも守ったに過ぎない。
リンさんの口振りは、まるでケイさんが魔獣に狙われる理由があると言っているみたいだ、とあたしは思った。
得られた情報が、取り留めもなくあたしの脳裏を流れる。
魔獣はケイさんを狙った。
そして魔獣には策を弄する程度の知性がある。
となれば地上でこちらを包囲している狼の群れは丸ごと陽動ということだ。
魔獣は地上を陽動にして樹上からの不意打ちを敢行し、リンさんに迎撃されて退場した。
あたし達は、魔獣を退け、一先ず安心している。
安心?油断?思考の間隙……
――狼は、つがいで群れを率いる。
ぞくり、と背筋が粟立つのと同時に、あたしの視界に影が差す。
あたしは、またしても反射の領域で動いていた。
「――――イーリスぅッ!!!!」
振り向きざまの抜刀。変則的な頭上への斬り上げ。
再び顕現した多重に織り重なる七色の斬撃が弾き飛ばしたのは、まさにあたしの頭上から躍り掛からんとしていた巨大な黒狼であった。黒狼は赤い魔力を障壁として展開し、あたしの斬撃を受け止めつつ、唸り声を上げて空中を後退する。
「リンさん!!」
「ッ!」
既に矢を番えていたリンさんが速射するより一拍速く、黒狼は近くに伸びていた木の枝へと器用に噛み付き、相対速度で身体を旋回させて更に大きく上方へと跳ね上がる。そして魔力を纏って加速すると木々を足場にして縦横無尽に跳ね跳び回る。
とんでもないスピードで、目が追い付かない!
馬車の速度をものともせずに側面へと回り込んだ黒狼が、太い木の枝をばねのように使って凄まじい速度であたしへと突っ込んできた。
否、あたしではない。狙われているのは――
「させッるかゴラァ!!」
ケイさんの前に身体を割り込ませる猶予はない。
あたしは障壁魔法を構築し、遮二無二魔力を注ぎ込む。とにかく一瞬耐えればいいだけの不細工な防御であったが、黒い弾丸と化して突っ込んできた魔獣の突進を受け止めるには遥かに及ばず、一撃で粉々に砕き散らされてしまう。
だがほんの一瞬、黒狼の速度が緩んだその刹那に銃声が響く。
「リタ!」
呼び声はシビルさんのものだ。
彼女のマスケット銃による狙撃は黒狼の鼻っ柱を強かに叩き、魔力に阻まれてダメージにはならなかったものの突進の軌道を僅かに逸らし、身を躱したケイさんは紙一重で爪牙を逃れることに成功した。
だが、飛び抜ける黒狼の後ろ脚の爪が、微かにケイさんの外套のフードを掠り、引き裂く。
極度の緊張状態で時間が緩く流れるような錯覚の中、顕わになったケイさんの顏は――
「その眼……?」
あたしはその光景が咄嗟に理解出来なくて瞠目してしまうが、すぐにリンさんに鋭く名を呼ばれて我に返る。
いけない。なんにせよ後回しだ。今は魔獣をどうにかしなくてはならない。
「くそっ、ちょこまかと!!」
罵りながら矢を射るリンさんだが、木々を足場に飛び回る黒狼には惜しいところで中らない。
黒狼の回避能力のほうが一枚上手なのだ。ヤツは魔法を使って高速移動をしながら、精密に速度を制御して緩急をつけている。リンさんの偏差射撃の精度が非常に優秀であるが故に、ほんの少し速度を変えられると紙一重で中らない。
それどころか、先程のもう一匹の魔獣が見せた射撃魔法を使って反撃までしてくる。
こうなってくるとあたしには手が出せない。防御を担うことは出来るけど、攻撃は完全にリンさんの弓とシビルさんのマスケット任せだ。だからあたしは三度魔獣が吶喊して来た時に備えて、迎撃の心構えを決める。
「…………!」
レイピアを握る手に汗がにじむ。
今度こそ魔獣にイーリスもどきをぶち込んでやりたいところだが、残念なことに使おうとして使える気はしない。二度も使えたあれは、どちらも咄嗟の反射的な行動だったから出来ただけの偶然の産物だったのだとわかる。
だけど、泣き言を言っても状況は好転などしないのだ。
出来ることをするしかない。
「くっ、もう矢が……!」
遂にリンさんの矢のストックが切れる。
あたしは黒狼が牙を剥いて嗤ったように見えた。きっと勘違いではない。小賢しいことに、悠々と矢を躱しつつ、弾が切れるのを待っていたのだ。それは獲物を甚振る嗜虐性の顕れに他ならなかった。
だとすれば、ヤツの次の行動は間違いなく、
「――ッ!!」
来る!
赤い魔力を纏った黒狼が木々を足場に大きく枝を撓らせて跳躍し、黒い弾丸と化して突っ込んでくる。真正面から突っ込んで来られると、周囲を飛び回るのを見ている時と比較してもなお段違いの速さに感じる。
正直、あたしは殆ど反応出来ていなかったと思う。
気付いた時には、もう既に凶悪な爪牙に引き裂かれていたことだろう。
頼りになる護衛が居なければ、であるが。
「そうはいかん」
視界の端に、何かが飛び込んできた。
それが地上から跳躍して馬車の屋根に飛び乗って来たグレンさんであると気付いたのは、それこそ彼が黒狼の身体を横からむんずと鷲掴みにした後であった。
あたしの目と鼻の先で、巨体の黒い魔獣を、それ以上に巨大な闇色の腕が掴み上げていた。
「はぇ」
グレンさんは右腕に変わらず魔力製のポールアックスを持っていたが、左腕は大きく変容していた。
闇色の炎が燃え上がるように腕を覆い、何倍も大きな異形の腕を形成しているのだ。黒狼は口から涎を散らして巨体を揺すって脱出を試みるが、グレンさんのビッグアームはびくともしない。
黒狼は魔獣であるが故に、当然のように魔力を繰り、魔法を構築――
「ふん!」
しようとした瞬間にグレンさんが左手の握力を強め、締め上げられた黒狼は『ぎぁう!?』みたいな悲鳴を上げて魔力を霧散させた。すごく嫌な音がしたので、骨のいくつかは砕けたのではなかろうか。
グレンさんは少し前まで自身が居た後方の地上を肩越しに一瞥すると、あろうことかそちらに黒狼をぽいっと放り出した。
「ちょ」
まだそれ生きてるって!とあたしが泡を食って屋根から身を乗り出して後方を見ると、グレンさんが放り投げた魔獣の落下点には丁度リュウさんの姿があった。彼はあたしから借りただけの馬を駆っているとはとても思えない人馬一体ぶりで鋭く魔獣の下に回り込むと、得物の刀をすらりと閃かせた。
たん。
と、軽い音を立てて黒狼の首が飛び、胴体と別れたそれがごろごろと音を立てて道を転がり、あっという間に遥か後方に見えなくなる。
あたしは一部始終を間抜け面で眺めていることしか出来なかった。
「助けるのが遅くなって済まなかった」
平然とグレンさんが言うが、あたしはぶるぶると首を横に振った。彼の詫びている内容がどうのとかではなく、単に唐突に危機が過ぎ去って脳みそが上手く働いていないだけだ。
処理が間に合っていません、という意味での首ぶんぶんである。
なお、あたしの横ではリンさんが自身の外套を脱いでケイさんへと渡し、ケイさんは受け取った外套のフードを被り直して顔を隠していた。
先程彼女の素顔を見てしまったあたしには、彼女が顔を隠さねばならない理由がわかってしまう。
それは、瞳だ。
ケイさんの瞳は、左右で色彩が異なるのだ。
いや、厳密にはこの表現は正しくない。彼女のそれはオッドアイという意味ではなく、色彩が異なるのは瞳というより眼球そのものだ。
彼女の左眼は、右眼と色彩が反転していた。
白目が黒く。黒目が白い。
あたしはそれと同じ眼を知っている。
ううん、これは誰でも知っていることだ。
――人はそれを、魔物の眼と呼ぶのだから。




