321話_side_Marguerite_少し前_道中
~"騎士の卵"マルグリット~
商隊の設営したキャンプで無事に一夜を明かし、その翌日の道中であった。
殆どの道程を消化し終えて、この調子ならば昼前には森を抜けられるだろうと、そんな見立てに少々気が緩んでいたその時。
どこからか、遠吠えが聞こえた。
野犬か、それとも狼か。それ自体は珍しくはないが、しかし最初の遠吠えに応じるように次々と響き渡る咆哮が、あたし達の一団を取り囲むように四方八方から聞こえてくるとなれば話は別だ。
どうやら、猛獣の群れに囲まれているらしい。
「多いぞ……」
馬であたしに並走するグレンさんが拙そうに呟く。
俄かに空気が変わったのがあたしでも感じ取れる。咆哮に怯えて動揺する馬達を鎮めようとする声が聞こえてくる。あたしの馬はベリエの騎士隊から借りているもので、領内の猛獣狩りなどでも運用されている馬なので、その辺、他の馬よりは耐性があるようだが。
そんな馬とは違って経験に乏しいあたしは素直にグレンさん達の指示を仰ぐことにする。
「こういう時は、どうするの?」
「おそらく商隊は速度を上げるだろう。荷馬車を引いた馬では逃げ切れんが、森さえ抜ければ如何様にもできる」
「そうねぇ。人的な安全を取るなら足を止めて防衛をするべきでしょうけど、相手の群れは大きそうだし、なにより商人様は損失を嫌うもの」
今居る護衛の数で全部を守り切れる保証はない。最も守るべきは先頭の馬車に乗っている非戦闘員の人達だから、そこに護衛を割くと、敵勢力の規模次第では後続の荷馬車のどれかは諦める必要があるだろう。それこそ、荷馬車の一つを犠牲にするつもりで囮にすればそれ以外は逃げ切れるかもしれないが、商人は現段階で決してその選択をしないはずだ。
この商隊はそれなりの大所帯だ。一度脚を止める選択をしてしまえば容易には動き出せない。だから最初から逃げに徹する選択肢を取るという判断は、リスクは増えるが上手くすれば損失を最も抑えられるという点で金勘定的に妥当だ。
幸い、あたし達が現在進んでいる道は森の中に造られた街道であり、馬車が通行するように整備されているので、馬車同士がすれ違えるほどの道幅がある。ただ、それも邪魔な木々を伐採して空間を確保し、これまでに多くの馬車が通行した結果として地面がそれなりに均されているという程度であり、勾配もあれば凹凸もあるし、場所によっては道端の木の根が張り出していて足を取られたりもする。今は朝方なので視界は比較的明るいが、頭上までを木々に覆われている場所が殆どなので、森の外と比べるとやはり薄暗くはある。
要は、速度を出して通行することは想定されていないのだ。
「ま、商隊の馬車は良い馬車みたいだから、そう簡単に事故ってひっくり返ったりはしないでしょう」
「だと良いがな」
ちなみに商隊の荷馬車はポピュラーな幌馬車ではなく、牽引する馬四頭に車両は太い四輪を備え、荷台は柱と梁を渡して壁もあれば屋根もあるちょっとした倉庫じみた頑丈な造りである。頑丈ということはそれだけ積載量が多いということであり、案の定荷を満載している馬車はそもそも鈍重だ。魔法的な補強が入っているようだから馬車自体は強行軍にも耐えられるとしても、四頭の馬の内で一頭でもやられればおそらく脚が止まる。
あたし達は商隊の一団を後から追うように馬で駆けているので、防衛上の役割は殿ということになるだろう。
その時、先頭のほうから護衛の人間のものと思われる声が聞こえてきて、どうやら周囲を取り囲んでいる狼の群れを確認したようだ。グレンさんの予想通りに商隊の馬車はぐんと行軍速度を上げ、あたし達も置いて行かれないように速度を上げる。鈍重な馬車が最高速度を出したところでたかが知れているので、追従するのは難しくない。
最後尾の馬車が巻き上げる土くれと砂煙から視界を守りつつ、
「狼がこんな風に群れで襲ってくるなんてこと、あるんですか?」
あたしが何気ない疑問をグレンさんに投げてみると、彼は背後を警戒しつつ言う。
「無いとは言い切れん。だが、俺も初めての経験だ」
「言うて、私らのホームは黒い森だから、外での経験なんて知れてるけどねぇ」
シビルさんの言葉にグレンさんは「違いない」と返した。
愛用の得物である魔法銃のマスケットを構えるシビルさんと、魔力で創り出したポールアックスを肩に担いだグレンさんを見遣りつつ、あたしはどうするべきかと考える。あたし達の荷物は商隊の馬車のすみっこに置かせてもらっているが、愛用のレイピアだけは当然身に着けている。あたしの実力で変に色気を出して商隊の護衛まで担おうとしても邪魔するだけな気がするので、差し当たりは自分の身と馬を守ることに専念するのが妥当なところだろうか。
「おーい!マルグリット!」
「ん?」
呼び声が聞こえて前方の馬車に視線を向けると、最後尾の荷馬車の屋根の上からリンさんがこちらを見ていた。
彼女等はあたし達と違って自前の脚を持っていないので、商人に乗車賃を払って馬車に荷物として載せてもらっているのだ。あたしが速度を上げて馬車の横に付けると、屋根から身を乗り出したリンさんが風に靡く髪を押さえながら言う。
「もしよければ、リュウにその馬を貸してやってくれないか?」
「リュウさんに?」
「ああ。貴女を侮るわけじゃないが、リュウは騎馬戦に長けているから、きっと役に立てる」
ヒアリングだけは出来る系のイケメンであるリュウさんはリンさんの隣でその言葉を聞いて、自負するように頷いて見せた。
リンさん達の認識ではあたしはあくまで護衛の二人――と思われているグレンさんとシビルさんに守られる立場だし、ていうか実際にそうなっているし、だったらどうせ戦力にならないあたしを馬に乗せておくくらいなら実力のあるリュウさんに脚を与えようということだろう。
あたしは考えるまでもなく了承した。
勿論止まって交代している余裕なんてないので、あたしは手綱を短く握ってお尻を浮かせると身体を前に寄せた。リュウさんは荷馬車の壁を伝って器用にするすると降りてくると、並走するあたしの馬へと飛び移る。丁度あたしの身体を腕の中に抱くようにして背後から手綱を握ったリュウさんを確認すると、あたしは馬の背に立って馬車へと飛び移った。身体強化魔法があるのでこの程度の軽業は朝飯前である。
「やるね。お嬢様」
「どうも」
屋根に登るとリンさんが悪戯っぽく称賛をくれたので、あたしは曖昧に笑っておく。
「それに、良い馬だ」
「でしょ?」
ベリエ騎士隊の馬を褒められるのははっきりと嬉しいので、今度はしっかり笑っておく。
馬を駆って離れていくリュウさんを視界の端に捉えつつ、あたしは馬車の屋根上から周囲を見渡す。流石に良い馬車を使っているのか、速度のわりに意外なくらいに揺れが少ないので、吹き付ける風と時折飛び出している樹木の枝にだけ気を付ければ姿勢を安定させるのは難しくない。
目を細めて注視してみると、森中の街道を囲む木々の向こうに黒い影が時折過るのが見て取れる。商隊を取り囲んで並走している狼の群れだ。それも、相当な数である。既にそこかしこで襲い来る狼を撃退する護衛の剣戟の音が聞こえてきていた。
「マルグリット、遠距離攻撃は?」
「全然」
射撃系の魔法は使えないとは言わないが、あたしが実戦レベルで習得している攻撃魔法は圧倒的に近接戦闘用に偏っている。射撃系は苦手で、命中精度がお察し過ぎるので碌に練習もしていないのだ。
正直、あたしがここに居て出来ることは殆どない。
背に負っていた弓を構えているリンさんはそれで味方を援護するようだが、あたしに出来ることがあるとすれば、リンさんや彼女の傍らで身を縮こまらせているフードの人物――ケイさんが馬車の上から転げ落ちないように、もしもの時には支えるくらいだろうか。勿論、狼が馬車に取り付いた時には愛用のレイピアを振るって応戦するつもりだが。
なおリンさんの兄であるダイさんはこの馬車の御者台に詰めている。御者をしているわけではなく、彼の得物はリーチのある槍なので、馬を狙ってきた狼を突き返すことが出来るように備えているのだ。
「リンさん達、魔法は?」
「リュウだけだ。私達は使えない」
そっか、とあたしは呟く。
商隊の護衛の人間もその大部分は非魔法使いかデミで構成されている。確か魔法使いは補助向けの適性の人が二人居るだけだったはず。この進行速度を維持するためにはその人達の魔法的な補助が不可欠だろうから、戦力として数えることは出来ない。
となると、最も強力な戦力はやっぱりというかグレンさんだ。
「後ろは、あの御仁に任せておけばよさそうだな」
一団の背後から追い縋ってくる無数の狼を景気よく薙ぎ払っている闇色の暴威を見遣って、リンさんが畏怖とも呆れともつかない息を吐く。馬上で、しかも背後への攻撃という不安定な条件ながらも、グレンさんのポールアックスは絶好調だ。魔力製の武器の利点をフル活用して、長さや規模を随意に変じつつ、豪快に狼を薙ぎ払っている。
側面から襲い掛かってくる相手には森の木々が遮蔽物となってこうはいかないので、空間が開けた最後尾にグレンさんを配したのは適役と言う他ないだろう。
「私も仕事をしなければな」
言いつつ、矢筒から一本取ったリンさんは、弓に番えて狙いを定める。
然程時間を掛けずにひょうと放たれた一矢は、高速で流れる木々の間に明滅するみたいに垣間見える狼の一匹の前脚の付け根あたりを射抜いて転倒させた。
「すごい!」
手放しに称賛するあたしに、リンさんはこころなしか得意げな顔をして見せた。
いや実際、その後も続けて矢を射るリンさんの命中精度は相当凄い。あたしも鍛錬の一環で弓を手に取ったことがあるから少しだけわかるけど、この高速で走行する馬車の上、揺れ難い構造とはいえ地面がそもそも安定しないのだから相応に上下左右に振られる場で、木々という遮蔽物が多く、対象は同じく高速で移動する動物で、しかも相対的に後方へと流れる空気の動きがあるから射られた矢は当たり前に直進などしない。
それだけの悪条件をものともせずにこれだけバンバン中てるのだから、控えめに言って達人級の技量である。
ただ、如何に彼女が百発百中の命中精度を誇ろうとも、矢の数には限りがあるので考えなしに射まくるわけにもいかない。次なる矢を番えて慎重に機を窺っていたリンさんだが、俄かにその柳眉が寄る。
「マルグリット、王国では狼がこの規模の群れを作るのは珍しくないのか?」
「ごめん。詳しくない」
「そうか。だがこれはいくらなんでも多過ぎるよ」
それはあたしも少し疑問に思っていた。
馬車の屋根の上に居るあたし達からは馬車の全周を見渡せる。木々に紛れて群れの全容が掴めないので確定は出来ないが、少なくとも十匹や二十匹で済む規模じゃあない。あたしの認識では狼の群れなんて精々が十匹くらいの規模であると思うのだが。
だって、そこには種としての合理性があるものだ。
狼の群れは一つのつがいを統率者として組織されると聞く。狼は人間のような情報伝達技術を有していないので、つまり群れの規模は自然とトップのつがいが掌握出来る規模に収まるように出来ていなければおかしい。
ふと、ケイさんが言葉を発した。
「リン。――――」
あたしにはリンさんの名前を呼んだことしかわからないけれど、その後に続いたケイさんの発言を聞いたリンさんは目を丸くした。異国の言葉でいくつかの遣り取りを交わした後のリンさんにあたしは訊ねる。
「あの、ケイさんはなんて?」
「群れは一つじゃないって。複数の群れを率いて私達を襲わせている黒幕が居ると言ってる」
「そんなのがわかるの?」
それが本当ならば二重の意味で驚くべきことだ。黒幕とは一体何者なのか、そして何故ケイさんにそれがわかるのか。
戸惑うあたしに、リンさんは冷静な顔で告げる。
「無理に信じろとは言わないけど、ケイが言うことは本当だよ。この子にはそれがわかる」
「だったら、その黒幕?を討てば……!」
「群れが瓦解する可能性は少なくないな」
「なら!ケイさん、ソイツの居場所はわかるの!?」
王国語を理解は出来るケイさんは、逸るあたしの問いに微かに、しかし確かに頷いて見せた。
状況を打開出来る光が見えた、と喜ぶあたしとは裏腹に、リンさんは険しい顔だ。彼女はあたしとケイさんの間を遮るように身体を割り込ませた。
「ダメだ」
「え?」
「一つ、虚言を詫びる。察しているだろうがケイもまた本当は魔法を使うことが出来る」
そう語るリンさんは何故か酷く苦しげな顔をしている。
その理由はすぐにわかった。
「だが、ケイの身体は魔力行使に耐えられない状態なんだ。些細な魔法でも使えば体調に悪影響が出てしまう」
「そんな……」
黒幕とやらの存在を看破したのはケイさんの魔法の力だろう。だとすれば既に彼女は相応に無茶をしていることになる。おそらく黒幕の正確な位置を掴もうとすれば、ケイさんは更に魔法を使わなくてはならないのだ。リンさんはケイさんに魔法を使わせたくないから、先程は彼女が魔法使いではないと言ったのだろう。
流石にそんな事情では無理を言うことは出来ない。現状、別にあたし達は追い詰められているわけではないのだ。狼の群れの規模が明らかでないだけで、今の程度の攻勢であればこのまま充分に撃退出来る見込みはある。
ただ、気懸りなのはその黒幕が出てきていないことであるが……。
「済まないが、このことは――」
忸怩たる面持ちで何かを言い掛けたリンさんを見つつも、あたしは視界の端でその後ろのケイさんの姿も捉えていた。
だから気付いたのだ。
ケイさんがフードの下で、驚いたように息を呑み、明後日の方向を振り仰いだのである。あたしは殆ど釣られるようにして彼女と同じ方向へと視線をやり、高速で流れ行く頭上の木々の枝葉の中に、明らかに陽光ではない赤い輝きを見た。
直感だった。
その禍々しい光が狙う先に居るのは、
「――――リンさんッ!!」
考えるより早く、あたしは咄嗟にレイピアを抜刀し、輝きの前に立ちはだかった。




