320話_side_Marguerite_少し前_ハイムゼート子爵領
~"騎士の卵"マルグリット~
半日掛けてベリエの黒い森を迂回したあたし達は、お隣さんであるハイムゼート子爵領に入っていた。
実家を出発したのが昼過ぎなので、現在時刻はとっくり夜が更けている。適当な宿を取り、乗ってきた馬を宿の厩に預けて世話を任せると、部屋で荷を下ろしてあたしはようやく人心地ついた。
乗馬のせいで変に凝り固まった筋肉を揉み解していると、隣ではシビルさんがしんどそうな顔でとんとんと腰を叩いていた。
「あ”~、普段馬とか乗らないから、くっそ疲れたわ」
そのわりには達者な乗馬だったと思うが。
あたしも学院に入ってからは馬に乗る機会なんてほぼ無かったから、久し振り過ぎて身体の節々が悲鳴を上げている。入学する前はそれこそ毎日のように馬を乗り回していたものだが。
ちなみに宿の部屋はグレンさんも一緒の三人部屋である。どうせ一晩の寝床にするだけの場所だし、一番費用が掛からない選択肢を取ったのである。別にあたしは男女一緒の部屋で雑魚寝になろうが全然気にならない性質だし、シビルさんとグレンさんが互いに気にしないのであれば、彼等の方針に従う。宿代は彼等が払ってくれているので。
ベッドに寝転がったシビルさんを拙いマッサージなぞで労わっていると、グレンさんが部屋に戻ってきた。
彼は室内の光景を見遣ると、ただでさえ険しい顔面を岩みたいに顰めた。
「シビル……お前がへばっていてどうするんだ」
「自分でもそう思うから言わんといて~」
情けない声を上げるシビルさんに、グレンさんは緩く息を吐いて「やれやれ」と呟く。
旅外套を脱いでいるグレンさんにあたしは声を掛けた。
「グレンさんは平気?」
「ああ。なんのことはない」
シビルさんに苦言を呈するだけあって、グレンさんは本当に平気そうだ。
そもそもの体力が違うのは見た目でわかるが、それを抜きにしてもグレンさんはあたしよりも余程乗馬が達者だ。彼はヴァルトラウテ子爵家の人間であり、つまりは騎士系の一族の出身であり、かつてはみっちりと乗馬の鍛錬も積んでいたのだろうと思わせる程度には洗練された振る舞いであったように思う。顔に似合わず、と言っては失礼だけど。
「マルグリット、キミも休め。シビルの面倒は俺が代わろう」
「あっはい」
「やぁよ。グレンさん馬鹿力なんだもの。私のお尻が四つに割れたらどうしてくれるのよ」
「そのほうが馬に乗りやすいかもしれんぞ?」
「なるかバカあだだだだだッ!?ちょ、ギブ!ギブギブ!!」
「声を抑えろ。他の宿泊客に迷惑だろう」
「言いながらぐりぐりすんのやめてくれるかなぁ!?」
仲いいなぁ、とあたしは二人を眺める。
親子ほど、とは言わないけどそれなりに年齢の離れた二人だ。グレンさんはあたしの父と然程も変わらない世代で、シビルさんとは十歳以上も離れているはず。尤も、この二人ってあのルークにすら『早く結婚すればいいのに』と言わしめる程の仲睦まじさなので、たぶん事実上の夫婦みたいなものなのだろう。そりゃあ同じ部屋で寝るのも全然平気っていうか、むしろあたしの存在が邪魔っていうか。
なおグレンさんのぐりぐり整体は痛いだけあって良く効いたようで、翌朝のシビルさんはすっかり快調そうであった。
翌日、あたし達が馬を引いてやってきた場所には、なにやら商隊のような一団が出立の準備をしていた。
「ここからは、この商隊に同行してブラッドフォードまで移動することになる」
昨夜の内に先方に話をつけてくれたらしいグレンさんがそう説明する。
商隊の規模はそれなりに立派で、馬車が四台と護衛の騎馬が複数といった具合だ。四台の馬車の内一台はおそらく商隊の主である商人や事務方の職員が乗るためのもので、他の三台は荷馬車だ。護衛も商会の人間らしく、装備には揃いの意匠が窺えた。
あたしは首を傾げる。グレンさんとシビルさんは実力者なので、自身を護衛として売り込むことも可能だろう。だけど商隊には自前の護衛が既に居るのに新たに討伐者を雇う必要はない。あたし達は移動手段として馬を持っているので、逆にお金を払って商隊の馬車に乗せてもらう必要もない。同行する意味とはなんなのだろうか。
あたしの顔に浮かんだ疑問にはシビルさんが答えをくれた。
「本当の意味で『ただ一緒に行くだけ』よ。そんなに珍しい話じゃないわ」
「そうなの?」
つまり、目的地が一緒なので一緒に行くだけということか。
シビルさんが説明してくれたところ、不慮の事態に備えるにせよ、外敵から身を守るにせよ、頭数が多いほうが融通は利くのだそうな。
それは確かに、とあたしも頷く。
次いでグレンさんも補足をしてくれた。
「ここからブラッドフォードを目指すとなるとハイムゼートの森を縦断することになる。距離的に、どこかの誰か達のような強行軍をしない限りは必ずどこかで一晩野営を挟む必要がある」
「商隊に同行すれば、その辺の設営とかはお任せできるから、楽なのよね」
あたし達三人だけで野営をすれば、全ての役割を三人で分担しなければならない。常に誰かが警戒役として備えていないといけないし、睡眠だって交代制になるだろう。だけど商隊に同行すれば組織的にキャンプを設営してくれるし、警戒も護衛の人達が担ってくれる。その代わり、あたし達はもしもの時には戦力として働くということだ。
襲撃が無ければあたし達には得しかないし、商隊側としてもキャンプの一角を間借りさせてやるだけで有事の戦力が確保出来るのだから悪い話じゃない。
「契約を交わしているわけではないし、信頼関係もないから、気を許し過ぎてはいかんが」
「要は、良いように使われないようにしましょうってことね。ま、同道する以上はアクシデントには一蓮托生だから、嫌でも協力して事に当たる羽目になるけど」
「なるほど。ちなみに外敵って?」
「基本的には野生の猛獣だ。馬や食料を狙われることが多い。それと野盗の類による襲撃も警戒する必要はある」
「大抵は何事もないから、変に気負う必要なんてないわよ」
あたしを安心させるようにシビルさんが言ってくれるが、仮に何かあったとしてもあたしが物の役に立つとは思えないから、その時はあたしは大人しくしておいて二人に対処を任せた方が賢明なのだろう。
「ところで、ルークの両親は強行軍って言ったけど、寝ずにこの先の森を縦断して、ついでにウチの黒い森も縦断して来たってこと?」
「そうなるな」
「イザベルさんはともかく、シリウスさんがぶっ壊れみたいな強さだからねぇ。おまけに体力おばけだし」
「ヤツに追従できる時点でイザベルも充分にタガが外れていると俺は思うぞ」
なんか、会う前からあたしの中での英雄伯夫妻のイメージがどんどん人外化していく。
ていうかちょっと待って。もし仮にあたしが将来ルークと結婚したとしても、今の夫妻の域に到達出来るとはとても思えないのだけどそれは。
ていうか更に待って。その人外っぽい人達ですら頭が上がらないらしい支配者クレメンスさんって一体……?
「ム…………どうやら、同じ目的の者達が居るようだぞ」
グレンさんの言葉で、あたしは悶々と回る思考を断ち切る。
彼が指し示す方向に目を向けると、そこには商隊の人間とは明らかに雰囲気の異なる一団が佇んでいた。商隊の人間は事務方は荷の確認に忙しく、護衛は段取り確認で忙しく、そんな忙しない空気の中で所在無げに立っているあたし達のようなのは非常に目立つ。
それは、四人組の男女であった。
かなり使い込まれた旅装に身を包んでいて、立ち居振舞いからも結構な場数を踏んでそうな感じだ。あたしの見立てなんて大してあてにもならないだろうけど。
一番目立つのは禿頭の巨漢で、グレンさんと比べても遜色ない体格の持ち主だ。ただ、面立ちはわりと穏やかで、年齢もそれなりに若そうだ。二十代の中頃くらいだろうか。体格に見合った巨大な槍を背負っているので、あれが彼の得物みたいだ。
その隣には黒髪の青年が居て、遠目にも整った容姿の所謂イケメンオーラが出てる。たぶん二十歳くらいかな。外套に隠れて良く見えないが、腰には刀らしきものを佩いているようだ。
青年の更に隣には黒髪の女性。イオのそれを彷彿とさせる艶やかな黒髪を背に流している、涼やかな風貌の美女だ。青年と同年代くらいで、佇む距離感から察するにそれなりに親密な仲なのだろう。彼女は立派な弓と矢筒を背負っている。
最後、その三人の影に紛れるように、あるいは守られるようにひっそりと佇んでいる人物が居るのだが、この人だけは外套をフードまですっぽりと被って容姿を隠してしまっているので、外見からは殆ど情報が得られない。ただ、体格から察するにどうやら女性であるようだ。
「へぇ……珍しいね。コテコテの東方人だ」
「そのようだな」
シビルさんの呟きにグレンさんも同意を示しているが、このリヒティナリア王国でも、特に東部においては黒髪の人間はそれほど珍しくない。それこそイオとか、ノエルとかもそうだ。だけど、黒髪の王国人と黒髪の東方人を見間違えることはまずない。何故って民族の違いから面立ちが相応に異なるからだ。具体的には肌の色味と顔の彫りがわかりやすい。
あたしはその辺、まったく偏見とかはないから、東方人だろうが南方人だろうが、イケメンはイケメンだし美女は美女だと判断する。ただ王国貴族の間では選民思想拗らせ過ぎて異民族を見下す風潮が根強いので、王国人以外の容姿を美醜断ずるに値せずと宣う者が少なくないという。
ついでに余談だが南方人というのは隣国ガルムの南部などで見られる浅黒の民族を指す。この王国にも所謂南方系という括りが存在しているが、これはその南方人の系譜である。でもって今あたしと共に居るグレンさんがまさに南方系の容姿であり、女性の例を言うならば彼の姪のクロエや、プリムローズさんのメイドのフォノンなんかがそう。傾向としては東方人は実年齢より若く見られがちで、南方人は逆に老けて見られがちであるそうな。
こちらが視線を向けていることに気付いたのか、もしかすると彼等のほうもこちらを気にしていたのかはわからないが、彼等は黒髪の美女を先頭にしてこちらに歩いてきた。
「こんにちは。貴方達もこの商隊に?」
と、意外なくらいに流暢な王国語で話し掛けてくる。
こちらは代表してシビルさんが応じる。なおリーダーであるグレンさんが応じないのは、そのほうがコミュニケーションが円滑に進むからだと思う。主に威圧感的な意味で。
「ええ。貴女達は、あー、旅行?」
明らかに訳ありっぽい一団に、なんと訊いていいのかわからない様子のシビルさんに、相手の美女はくすりと微笑んだ。
「そんなところだ。私はリン・シシド。一応言っておくとファーストネームがリンだから、そう呼んで欲しい」
「シビル・ストーンよ。よろしく」
「よろしく。こっちの三人は私の仲間なんだけど、済まないが王国の言葉が上手くない」
リンさんの紹介に応じて後ろの三人が微かに会釈のような動作をした。リンさんは王国語がペラペラだけど他の三人はそうでないらしく、だからリンさんが窓口として動いているのだと思う。
他の三人の名前はそれぞれ、禿頭の巨漢がダイ、黒髪の青年がリュウ、そして正体不明の女性がケイと言うそうだ。東方の名前は王国人には発音し辛いことが多いらしく、彼等の名は本名ではなく呼びやすく短縮したものなのだとか。
近くで彼等の外見を観察して気付いたが、リンさんも含めて彼等は皆一様に、肌の一部に朱色の刺青を入れていた。それほど目立つ感じではないが、揃いのデザインに見えるので、おそらくは民族的な文様なのだと思う。
「喋るのは全然だけど、聞いて理解はできるから、話し掛ければ通じはする……はずだ」
言葉尻で窺うようにリンさんから視線を向けられたリュウさんが苦笑しながら頷いた。
「ところでそっちのケイさんは、お顔を隠す事情があるのかしら?」
ズバリと切り込んだのはシビルさんだ。
するとケイさんは少しだけリュウさんへと身を寄せ、ダイさんが二人を庇うようにほんの半歩踏み出した。リンさんはというと虚を突かれたように目を丸くして、
「随分と率直に訊くのだな」
「いやだって、気になるじゃん?言えないなら言えないでいいから、とりあえず回答が欲しいじゃん?」
「私達の祖国では、あからさまな隠蔽は『訊いてくれるな』という意味なのだけど。まあ、郷に入りてはというやつか」
嘆息したリンさんが肩越しにケイさんを見遣ると、ケイさんはフードの奥から声を発した。
「見せる。できナイ。ごめんなさい」
単語で応じるケイさんの声音は、まるで小鳥の囀りみたいな可愛らしさだ。声だけで判断は出来ないけど、もしかしたらだいぶ若い、女性というより少女と言ったほうが正しい年齢なのかも。
喋れないケイさんの代わりにリンさんが意思を引き継いで説明する。
「お察しの通り、顔を晒せない事情があるんだ。後ろ暗い理由じゃないから、そっとしておいて欲しい」
「そっか了解。ごめんなさいね無神経で」
シビルさんが肩を竦めて詫びると、ケイさんは小さな声で「はイ……」とだけ応じた。
それからリンさんがシビルさんの背後のあたし達に視線を移す。そう言えば名乗っていなかった、とあたしは口を開き掛けるが、なんだかリンさんが難しい顔をしているので少しだけ様子を見てみる。
リンさんはその表情のままあたし達三人の姿を見比べて、思案気に呟く。
「いいとこのお嬢様と、その護衛の荒くれ二人?」
「だいたいあってるわ」
いやあってないあってない!
そりゃあ、客観的にあたし達の関係性を説明せよと言われたらそれはそれで難しいけれども。けれども、あたしがいいとこのお嬢様でないことだけは確かである。
「そういう貴方達は……」
お返しとばかりにシビルさんが目を細めて考える。
そしてケイさんから始めてリンさん、ダイさん、リュウさんへと順々に指をさしながら、
「お忍びの姫様と、その御傍付と、護衛の武官と、姫様の恋人?」
「全然違う。最後以外全部間違ってる」
あ、リュウさんがケイさんの恋人っていうのは正解なんだ。
全部外すつもりで言ったのであろうシビルさんは、一部正解したことがむしろ悔しそうだ。
「私はリュウの幼馴染で、ケイの友達。ダイはリュウの友達で、」
リンさんはそこで言葉を区切って、それからなんとも言えない表情で、
「私の兄だ」
「「似てない!!」」
思わず声を上げてしまったあたしとシビルさんが完璧に唱和した。
え、うそ。この黒髪クールビューティーなリンさんと、ハゲた筋肉達磨(超失礼)のダイさんが兄妹!?
あらゆる意味で正反対の容姿の二人が、なにがどうなるとそうなるのか全然わからない。
「このこと言うと絶対そういう反応されるのだけど……」
リンさんは不可解そうに自身の兄であるらしいダイさんを見る。
「そんなに似てないか?」
「「うん」」
「わりと同じ顔してない?」
「「してない」」
本気で不思議そうなリンさんとは対照的に、ダイさんはそこはかとなく申し訳なさそうに眉尻を下げていた。
ダイさんも決して不細工ではないが、いかにも男くさい風貌だ。大きな鼻に、厚い唇と、太い眉。双眸は柔和な垂れ目で、それが武骨な印象をマイルドに緩和している。
ちらとリンさんを見る。
「?」
小首を傾げた彼女の、すっと通った鼻梁、ちっちゃな口と、長い睫毛に縁取られた切れ長の瞳。
……うーーん。
ごめん。やっぱ似てねぇわ。
などと、シビルさんに舵取りを任せておいたらいつまでも名乗れないと判断したのか、グレンさんが口を挟んで自分の名とあたしの名を紹介してくれた。あたしは有難く乗っかってぺこりとお辞儀をしておく。
この王国においてはミドルネームを持つ者は貴族であるというルールは知っていたのか、あたし達の名を聞いたリュウさん達はそれぞれに多少身構えるような気配を見せたが、一人、リンさんだけは違う反応を見せた。
彼女の切れ長の瞳が映しているのはあたしの姿だ。
「マルグリット・ル・ベリエ……」
「はい……?」
そんなに変な名前だろうか、とあたしは困惑する。
するとリンさんは目を細めて、
「もしかして、親しい相手には『リタ』と呼ばれていたり……?」
「えっと、そう、だけど」
それもまた、マルグリットという名の愛称としては至って普通だと思うのだが。
リンさんのその反応はリュウさん達にとっても謎だったようで、全員が彼女に疑問の視線を向けていた。それに気付いたリンさんは誤魔化すように口元を緩ませて、小さくあたしに頭を下げた。
「いや、済まない。知人と同じ名前だったので、つい」
なんだそんなことか、とその場はそれで流すことになったのだけど。
あたしはその時のリンさんが一瞬見せた不可解な目が気になって仕方がなかった。
あたしの名を聞いた時の彼女の目。
驚愕と、困惑と、様々な感情が入り混じったような。
まるで『そこにあるはずのないもの』でも見たかのような色であったように思う。




