補完[スノードロップ-7]
~"ソウルジャック"ヘルガー~
気付いたら、知らない場所だった。
……などという経験をすれば普通の人は多少なりとも動揺するのかもしれないけど、生憎とあたしは微塵も慌てなかった。だって『ソウルジャック』が発動して誰かの魂の部屋に入ると、大抵はその状況に陥るので、最早慣れたものだ。
とはいえ、今回に関しては誰かの魂の中にお邪魔しちゃったわけではなさそうだ。
「アシュタルテの部屋だ……」
魂ではなく、寮のほうである。
あたしには見覚えのない部屋だけど、内装のデザインから学生寮の一室であるとわかる。調度品のグレードを見れば、あたしの部屋よりも格の高い場所であることも。
「あー……」
少しぼんやりとしていた思考がはっきりしてきて、こうなった理由を思い出す。
十中八九、アシュタルテの魂から現実に回帰した瞬間に、案の定情報過多で意識が吹っ飛んだだけのことだと思うが。初めてアシュタルテの魂を見た時以来、二回目のやらかしである。
そんなわけでここはアシュタルテの私室で、あたしが寝かされていたのは彼女のベッドだろう。あたしの制服はシャツ以外脱がされていて、たぶんベッドに寝かせる時にクラリスあたりが世話をしてくれたのだと思う。
とりあえず、いつまでもアシュタルテのベッドを占領しているわけにはいかないので、あたしは身を起こした。
誰も居ない室内を何気なく見渡してみるが、流石は最上級である『天琳』の棟と言うべきか、あたしの寮室に比べても一室の規模が全然大きい。最も顕著な違いは天井の高さだ。ただ、なんというかその広さのせいで余計に際立ってしまうのだが、
「なんか、アシュタルテらしい部屋かも」
とにかく物がないのだ。
備え付けの調度品以外の、部屋主の個性を見て取れるような私物の類が本当に少ない。精々が机のまわりに置かれた学院の教材類と、その近くに積まれた図書館からの借り物と思しき書籍類、あとはベッドサイドに置かれた白いテディベアくらいだ。
しかし、いかに見る物がないとはいえ、他人の私室の中を無遠慮に観察するのはよくない。
あたしの制服はすぐ近くの見えるところに纏められていたので、あたしはベッドを抜け出してそれらを身に着けることにする。ちなみに貴族の令嬢においては自分で自分の着替えをしないという輩が少なくないが、あたしは都合上大抵のことは自分でやるので、勿論制服だって一人で着られるのだ。
などと誰に対するものかわからない細やかなマウントを取りつつ、あたしが姿見の前に立ってタイの据わりを調整していると、部屋の扉が開いてアシュタルテがひょっこりと顔を出したのが鏡面に映った。
「む。起きたか」
いつもの仏頂面で現れた彼女がこちらに歩み寄ってきたので、あたしは最後の仕上げに『ソウルジャック』制御用の魔法具を首に引っ掛け、姿見から視線を外して身体ごとアシュタルテに向き直った。
「ごめん。世話かけた」
あたしはぺこりと頭を下げる。
今更ながら経緯を説明しておくと、現在は放課後の一時であり、あたしは『やりたいことリスト』の項目を埋めるべくアシュタルテのお部屋を訪問したのである。要するに、放課後に友達と一緒に遊ぶ、というのがやりたかったのだ。アシュタルテも快く受け入れてくれて、意気揚々と寮室を訪ねたところまでは良かったのだが、そこでアシュタルテと視線を合わせた際、あたしの『ソウルジャック』が発動してしまう。
それ自体は最早珍しいことではない。
本来、あたしのソウルジャックが意図せずに発動するためには対象と魂の波形が合っていなくてはならない。友人として交流を続けていればいずれは自然と波形が合ってくるはず、という経験則からくる予想を華麗に裏切り、あたしとアシュタルテは余程魂的な意味で相性がいいのか、それとも中の人のせいか、すぐに波形が同調してしまって会うたびにソウルジャックが発動するようになっていた。
あたしはアシュタルテに会うたびに彼女の魂を観測しているということだ。といっても、初回以降はあたしの意思で戻ってくることも出来るようだったので、大抵はソウルジャックが発動して、あたしが何もせずに解除してそれだけだ。本当はそれだけでも対象には凄まじい不快感を齎してしまうのがあたしの魔法だけど、例によってアシュタルテには魂を見られている自覚すらないらしい。
なお、ソウルジャックには対象固有のクールタイムというものがあるので、本当の意味でアシュタルテと視線を合わすたびに発動しているわけではなくて、一度発動すれば暫くは大丈夫だ。一度でも発動してしまえばあらゆる意味で充分な魔法だったので、これまではクールタイムを気にしたこともなかったけれど。
で、『アシュタルテ城』の中でたまに気まぐれでアンジュが現れて声を掛けてきたりすると、あたしもそれに応じて、結果的に今日のようなことになったりする。
あたしの謝罪に対して、アシュタルテは仏頂面を緩めて苦笑を浮かべた。
「詫びるべきはこちらじゃないのか?」
「なんで?」
「どうせ、私の中の人が貴様を無理に引き留めた結果だろう。倒れたのは」
アシュタルテの魂の中の人であるアンジュって、つまるところアシュタルテ本人なはずなので、流石によくわかってらっしゃる。
「魔法についての講義を聞かせてくれたよ。五時間くらい」
「……我ながら、頭おかしいんじゃないかソイツ。貴様も律儀に付き合わんでもいいんだぞ」
「ううん、あたしも楽しかったから」
主にウキウキで説明するアンジュの顔を眺めているのが。
あたしが思い出してほくほくしていると、対照的にアシュタルテは非常に物言いたげな顏だった。
「あ。ベッド貸してくれてありがと」
「ん、ああ。私のせいで倒れたのだから、介抱するのは当然のことだ。むしろスマンな、私のベッドしかなくて。この寮室には一応来客用の寝室すらあるのだが、使うわけないと思っていたので掃除すらしていないんだ」
へーそんなのあるんだ。
ちなみにその辺、あたしはまったく気にならない。そもそもクラリスとかのメイキングが入ってるだろうからベッドが同じでも寝具は違うだろうし、ぶっちゃけアシュタルテが使った寝具そのままだったとしても全然気にならないし、ていうかいっそ同衾でもいいくらいだけどそれ言うと引かれそうだからちょっと黙っておこう。
アクシデントはあったが本来の目的を果たすべく、あたしとアシュタルテはお茶をすることにした。場所は折角なのでアシュタルテの私室のままで、給仕をするのは勿論クラリスだ。
アシュタルテが実家から連れてきている専属メイドはもう一人フォノンという子が居るはずなのだけど、基本的に彼女はあたしの前には出てこない。なんでもクラリスの許しが出ないのだとか。万が一にもお嬢様のご友人に失礼があってはなりませんので!とクラリスは真顔で告げたが、正直あたしってそんな大したもんじゃないですよっていうか、フォノンとも仲良くしたいなっていうか。
おそらく、クラリスが危惧しているのはフォノンが粗相をすることではなく、あたしの目を見てしまってソウルジャックが発動した結果『あの台詞』を言ってしまうことをこそ警戒しているのだろう。クラリスはというと文句の付けようもない完璧な振る舞いながら、さり気なく決してあたしと視線を合わさないように立ち回ることを心得ているのだから成程優秀だ。
「ところでアシュタルテって、部屋にモノ置かない主義なの?」
殺風景すぎる私室を見回して訊いてみると、対面に座った彼女は小さく鼻を鳴らした。
「ミニマリストを目指すつもりはないが、まあ気付いたらこんな景色になっていることが多いな」
「まあ、頭の中だけで楽しそうだもんね」
なんにも物なんてなくても、頭の中で魔法モデルを考えているだけで一生分楽しんでそうなのは、魂の中を見たあたしにはよくわかっている。するとアシュタルテは満更でもなさそうな顔になって肩を竦めた。
「楽しいというか、もう習慣みたいなものだな」
「そっか」
となると気になるのは、いかにも特別感を醸し出しているベッドサイドのテディベアの存在だ。
この部屋で唯一わかりやすく、アシュタルテの人間味が窺えるオブジェクトである。
「あたし、アシュタルテはネズミが好きなんだと思ったけど。枕元に置くのはクマさんなんだね」
「前にも言ったが、マウスが好きなのではなく単なる仕事道具だ。そしてクマさんは私のマブダチだ」
「まぶだち」
「うむ。もう十年来の付き合いになるな」
そう言ったアシュタルテに補足して、クラリスが「私よりも先輩なのですよ」と微笑みながら教えてくれた。
十年物の人形となると中々の年季ものだが、先程近くで見た限りでは新品同様の綺麗さであったように思う。ただでさえ汚れが目立ちそうな純白の色彩なので、それだけアシュタルテがあのクマさんを大切にしているということだろう。
となればおそらく、アシュタルテ城のどこかには象徴的なオブジェクトとしてクマさんを表すものが存在しているはずだ。いつか、アンジュが許してくれたら探してみようっと。
「なにか、特別な品なのかな?」
「品自体に特にいわくがあるわけではない。オーダーメイドだからこの世に一つの逸品ではあるだろうがな」
出自は詳しく知らんのだ、とアシュタルテは言った。
というのも、
「実はあのクマさんはお兄様からのプレゼントでな」
「確か、お兄さんがふたり居るんだっけ?」
「うむ。そのうちの下のお兄様がな、私の五歳の誕生日にプレゼントしてくださったのだ」
「……なんか意外だね。アシュタルテの実家って、そういうかんじじゃないと勝手におもってた」
なんせあのアシュタルテ侯爵家なのである。
それともなにか、いかに外道と呼ばれる冷血一族であっても、やはり末っ子は可愛いのだろうか。
尤も、目の前のアシュタルテもその一族の人間なのだから、彼女の兄が噂とは違って人情的な人物であったとしても、それほど意外な話ではないのかもしれない――と、あたしは思ったのだが、
「いや。貴様が正しい。ウチの実家は全く以てそういう感じじゃない。あのクマさんだって、お兄様は私を喜ばせようとしたわけでなく、贈って自分が満足したいがために用意させただけだろう。というか実際プレゼントを手配したのはお兄様の意思でも、品物を決めたのはオーレンス……執事長辺りではないかと私は睨んでいる」
「あらら」
「ま、結果的には私は心底気に入っているしお兄様も満足しただろうから、誰にとってもよい話で終わったので、いいのではないかな」
淡白にそう結んだアシュタルテは心底そう考えているようで、おそらく侯爵家はそういう感じなのだろう。
納得したあたしは一息吐いて紅茶に口を付け、
「ちなみに上のお兄様からはプレゼントにクラリスをもらったぞ」
「ぶふっ!ごほっ、ごほっ」
紅茶が変なところに入ったあたしは盛大に咳き込み、その『プレゼント』さんに背を擦られる羽目になった。
なおあたしが噴いた紅茶は綺麗な華の形をした氷像になっていた。
その夜、あたしは早速アイリスにお願いをしてみる。
「クマのぬいぐるみ、ですか?」
「クマさん」
「クマさんのぬいぐるみ、ですか?」
「そう」
なんのことはない。アシュタルテの真似っこをしたくなっただけだ。彼女が大切にしている物と同じ物を持つことで、なんか勝手におそろい感を味わってしまおうという魂胆である。
ちなみに別にアシュタルテに内緒ではない。彼女には「あたしもクマさん持とうかな」と言ってみた。アシュタルテは苦笑気味だったけど、ちゃんと大事にするのならばいいんじゃないか、と肯定してくれた。
「特注いたしますか?」
「うん」
「では職人を呼びます。少々お時間をいただくことになるかと」
それで構わない、とあたしは委細をアイリスに一任した。彼女はどマゾの変態だけど職務上は有能なので、任せておいて間違いはない。
「ご所望の仕様がございましたら先に伺っておきたいのですが」
「うんとね、」
手配する職人を決める際の参考にしたいのだろうアイリスの問い掛けに、あたしは決めてあったことを説明する。
「大きさは小さめでいい。色は真っ白で、瞳は瑠璃色にしたい」
「ラピスラズリですね。ちなみにそのすごく既視感のある色の組み合わせは」
「アシュタルテ色」
臆面もなくあたしが言ってのけると、アイリスは「ですよねー」と半笑いになった。
「一応訊いておきますけど、お嬢様はお気に入りの人形に名前を付けたりする派ですか?」
「やったことない。でもあたしのクマさんには『プリム』って名前を付ける予定」
勿論これもちゃんとアシュタルテの許可を取ってある。
許可を求めた際のアシュタルテは、まさに今のアイリスみたいな顔になっていた。
「悪いとは言いませんけどね……お嬢様って、わりとヘラってますよね」
「自覚はしている」
「あんまりそういうとこ出し過ぎるとアシュタルテ様に引かれちゃいますから、気を付けないとダメですよ!」
尤もらしいことを言うアイリスに、あたしは素直に「うん」と頷いた。
たぶん誰もが今、アイリスに『お前が言うな』と思ったことだろうけど、あたしは敢えてスルーしたのである。
わかりやすいツッコミ待ちに反応してやって、どマゾを喜ばせるつもりなどないのだ。




