補完[スノードロップ-8(end)]
・この後は本編のほうに繋がるのですが、実際にヘルガーが登場するのはだいぶ先の話になると思います。
~"ソウルジャック"ヘルガー~
学院が長期休暇に入って、あたしは実家のシュヴァルツ伯爵家に帰って来た。
正直に言えばあたしにとっては実家は居心地のよい場所ではない。それは言わずもがなの『ソウルジャック』のせいであり、一応現在のあたしはこの魔法をそれなりに制御出来ているので闇雲に恐れられることこそなくなったが、だからといってかつての行いが無かったことにはならない。この魔法の悍ましさは一度でも受けた相手に対して文字通り魂に忌避感を刻み込んでしまうので、つまりかつて親しかった人間が多い場所ほど、あたしは疎まれるのだ。
疎まれることには慣れている。あたしが被害者面するのもおかしな話だ。
だから実家は居心地が悪い。周囲に要らぬ気を張らせてしまうのがわかっているから、申し訳なさが罪悪感を募らせるのだ。
休暇中であっても学生寮に留まることは可能なので、あたしには帰らないという選択肢があった。すすんであたしに会いたいという人も居ないのであれば、大人しく寮に篭っておくのが丸い選択かもしれない。それはそれで休暇中ずっとアイリスと二人きりだと思うとあたしの正気度が試される気がするが、それはともかく。
結局あたしが帰ることを選んだのは、偏に家族に会うためだ。情と言えば聞こえはいいが、実際は義理という程度の想いだが。
あたしの両親はあたしを疎み遠ざけたが、あたしの親としての責任を放棄したりはしなかった。むしろ出来得る限りの愛情を注いでくれていたと言えるだろう。我が子が怪物だからといって捨てたり放置したりしなかった。これを愛と呼ばずしてなんとするのか。
なので、まあ、あたしも子供としての責任を果たそうかと。
せめて休暇くらいは顔を見せるべきだろう。例え視線を合わすことが叶わなかったとしても。
「――ていう感じだった」
ていうわけで、あたしの目の前には父が居る。
実家の食堂で、帰って初日の夕食後であった。一応食事の際には母もこの場に居たが、母は食べ終えると逃げるようにして立ち去ってしまった。あたしとしては同じ場で食事をとってくれたことがまず驚きだ。あたしが学院に行っている半年間で、母は母なりに葛藤があって、あたしとの向き合い方を模索してくれていたようだ――というのは目の前の父が言葉少なに語ったことである。
あたしは食後の紅茶を片手に、これまでの学院生活のことを父に報告しているところだ。
あたしの首には学院長先生が用意してくれた魔法具があって、これのおかげで差し当たりは意図せずソウルジャックが暴発することはない。それがわかっているから父も表面上は平静にあたしに向き合ってくれる。同時に、それがわかっていても魂からくる忌避感に抗えない母を責めることは出来ない。
主に学業関連の報告を終えたあたしは、満を持して人間関係の報告に移る。
というか若干一名についての話だけど、あたしが本当に両親に伝えたかったのはこのことだ。
「父さん、友達ができました」
そう言うと、父は意外そうに少し目を見開いた。
それから慎重に言葉を選ぶように、
「それはつまり、お前の『それ』を知ってなお、ということか?」
「もちろん」
父が驚くのも無理はない。そもそもあたし自身が友達なんて出来るわけがないと諦めていたわけだし、父はあたしのこの魔法が過去、どれだけの『友達』を『友達だった人』に変えてしまったのかを知っているのだから。
「お前のメイドからはそのような報告は受けていないが……?」
「それはアイリスがサボってるだけ」
というのは半分冗談で、たぶん彼女のことだからあたしが直接こうして報告出来るように、あえて黙っていてくれたのだろう。
ただし、怒られたいがために本当にサボっている可能性も否定出来ないのがアイリスという人物なのだが。
そんなアイリスの生態を理解している父は頭が痛そうに眉間を揉んだ。
「まったく、あのメイドは……」
「ヤツはそうして折檻される日を待ちのぞんでいる」
「性癖はともかくとして、あれは得難い人材だから首も切れんのが悩みどころだな」
それ。
なんだかんだ言ってあたしはアイリスが好きだし、アイリスが必要なのだ。それに彼女は悪ふざけや手抜きの常習犯だし、魂の中は年中無休で発情期の飛び抜けたド変態だが、その気になればちゃんと優秀なのが始末に負えないところだ。
ある程度は好き勝手にしていても職を追われることがないとわかっているし、苦言も罵倒も折檻もウェルカムでむしろどんとこいな無敵の人なのである。
「それで、お前の友人はどこのご令嬢なんだ。……同性の友人だよな?」
「うん。異性の知り合いは皆無だからあんしんしていい」
「それはそれで不安だぞ」
将来的な意味ですねわかります。
でもどうだろう。それ。
同性の友人が出来ただけでも奇跡みたいな幸運なのに、異性となると更に難しい気がしてならない。具体的にはあたしは果たして誰かと結婚出来るのかという話。シュヴァルツ伯爵家の跡取りはあたししか居ないので、あたしがちゃんと婿を取ってこないといけないのはわかっているが。
父の伝手で相手をあてがってもらっても、上手くいくわけないのがわかり切ってるし。
それこそ、アシュタルテが男の子だったら全て解決だったのに。
そんな悩みはとりあえず横にポイして、あたしは父の質問に応じた。
「アシュタルテ侯爵家のプリムローズ。あたしの友達」
「あしゅ」
あ、父がフリーズした。
父はそれからゆっくりと時間を掛けて再起動すると、非常に悩ましい顔になる。
「アシュタルテ。アシュタルテか……よりによってと言うべきか。あるいはだからこそと言うべきか……」
「もしかして、ダメだった?」
言うまでもないが、貴族社会には派閥や序列といったルールが存在している。それは明文化されたものから暗黙のものまで様々だが、そう言えばあたしは自分の実家の立ち位置を良く知らない。こんな魔法を抱えてしまったあたしが社交界に顔を出せるわけもなく、またあたし自身も興味を持たなかったからだ。
もしかして、ウチはアシュタルテ侯爵家と敵対してたりするのだろうか。
あたしの不安を見て取った父が、表情を取り繕って口を開く。
「ダメというわけではない。ウチは特定の派閥に属しているわけではない。中立派と言えば格好も付くが、実態は田舎貴族なので派閥争いの潮流から縁遠いだけのことだ。必ずしも悪いことではないがな」
「じゃあ、あたしはアシュタルテと仲良くしてもいい?」
ダメと言われてもするけど。
すると父は苦笑気味に告げた。
「好きにしなさい。なにせ彼の侯爵家と我が伯爵家は王国の北と南の端と端だからな。立地が遠過ぎて良くも悪くも家同士の付き合いにはなり得んのだ。子供同士の個人的な付き合いであれば反対する理由はない」
アシュタルテ侯爵家が王国最北端に領地を有し、北の隣国である帝政ディ・エンテへの抑止力として機能しているのは知っての通りであるが、あたしの実家があるシュヴァルツ伯爵領というのはそのアシュタルテ侯爵領から王都を挟んで丁度対称くらいの地域なのである。シュヴァルツ領からだと王都に向かうよりも南の隣国であるガルムとの国境に向かったほうが断然近いくらいには南の端っこだ。
あたしが領地の立地に思うところは王都から遠過ぎて帰省が怠かったという程度の感慨でしかなかったわけだが、そのおかげでアシュタルテと大手を振って仲良く出来るのであれば田舎者も悪いことばかりではない。
なんて、ほくほく顔であたしが喜びを噛み締めていると、それを見た父が少々思案気になる。
「ところでヘルガー」
「はい?」
「お前、少し顔色が良くなったか?」
間違いなく表情は豊かになったが……、と若干複雑そうな顔になる父に、あたしは頷いて見せた。
「最近、ちゃんと眠れるようになった」
「なに、本当かっ!?」
思わず腰を上げて乗り出してきた父に、あたしはもう一度頷く。
「まだ、欲求が戻ってきたわけじゃないけど、前みたいに眠れないことはなくなってきてる」
「それは良いことだ。本当に。しかし、一体何故だ?」
父だってあたしの不眠症や拒食症を改善するために八方手を尽くした過去があるのだ。それが全く効果を為さなかったとは言わないが、改善は微々たるものであった。それがここに来ていきなり劇的に改善へと向かっているというのだから、父としては理由が気になるのは当然のことだろう。
なのであたしは正直に告げる。
「クマさんを抱くと眠れる」
「は?」
父の目が丸くなったので、あたしはもう一度告げる。
「クマさんを抱くと眠れる」
「そ、そうか」
あたしがアシュタルテの趣味を真似して職人に作らせたクマさんこと、アシュタルテ色の『プリム』の効能は劇的と言う他ない。
なんせあたしはただ彼女を抱き締めているだけでいいのだ。真っ白な色合いに瑠璃色の瞳を有するクマさんを胸に抱いてベッドに入り、『プリム』が想起させてくれるアシュタルテとの日々を回想していれば、自然と瞼が落ちて眠りについているのである。
無理矢理意識を落とすために疲労する必要もないので、眠りの質も良く、あたしの睡眠環境は驚くほど快適になった。
「まさか、そんなことで改善するとは」
「あたしもびっくりしてる」
「ふむ。まあしかし、お前の症状はそもそも心因性である可能性が高かった。となれば畢竟、心の持ち様一つで大きく状況が変わるのも道理かもしれんな」
たぶん、父の言っていることは正しい。
しかし、だからこそこの問題は根が深く、明快な解決法がなかったのだし、父もあたしも過去、ある程度の改善を見たところでそれ以上を望むのは諦めざるを得なかった。
「食欲のほうはどうなんだ?」
「そっちはまだなにも」
「そうか。だが、おそらく理由は同じだったとすれば、そちらも改善に向かうのは時間の問題かもしれんぞ」
希望的観測が多分に入った父の言葉であったが、あたしもそうなればいいなと思う。
同時に、たぶんそうなるだろうという根拠のない予感のようなものがあった。
結局なにもかもがあたしの心の問題でしかなかったというのなら、きっとこの予感は正しいのだ。
あたしのお腹が数年ぶりに『ぐぅ』と鳴ったのは、それから僅か二日後のことであった。
時は経ち、学院の休暇も折り返し地点をとうに過ぎたある日のこと。
長年悩みの種であった症状の改善や、家族や使用人との関係改善に励んでいたあたしは、気付けばすっかり長い時間を実家で過ごしてしまっていた。勿論、まったく悪いことではない。
先述の通りシュヴァルツ領は王都から非常に遠く離れているので、後期のカリキュラムが開始する前に余裕を持って王都に戻ろうと思えば、そろそろ実家を発つことを考えたほうが良いだろう。長旅の道中には往々にしてアクシデントが付き物なので、すんなりと目的地に辿り着くことのほうが珍しいのだし。
「お嬢様。お手紙ですよぉ」
と、そんなことを言いながらアイリスがあたしの自室にやってきた。
あたしは首を傾げた。確かにアイリスは片手に白い封筒のようなものを持っているが、一体どこの物好きがあたしなんぞに手紙を送ると言うのだ。アイリスがわざわざ直接持ってきたということは、あたし個人へと宛てた手紙であるということなのだろう。
「いや、しょーじきちょっと不審ですけど、宛名は間違いなくお嬢様のお名前ですし」
見れば、アイリスが持つ封筒はなんの飾り気もない白一色の武骨な品で、封蝋に印もない。あたしから見えている面には『ヘルガー・ツェツィーリエ・シュヴァルツ』と確かにあたしの名前が宛名として書いてあるのが見て取れる。
「誰から?」
問うと、アイリスは封筒の裏面を細めた目で凝視し、
「えぇと、私は存じ上げない方だと思いますが、『アンジュ』と――」
「よこせ」
その瞬間、あたしはかつてない機敏さでアイリスから手紙を奪い取っていた。
心当たりがあり過ぎる差出人の名前に、あたしは嬉々として封筒を開封して中身を取り出す。そんなあたしの所作を目にしたアイリスはきょとんとしていたが、すぐに呆れたような顔で「誰からかわかりました」とぼやいた。
アイリスの反応なんて知ったこっちゃないあたしは手紙の内容に目を通し、そして敢然と立ちあがる。
「アイリス、すぐに旅支度をして」
「は?」
「休暇は終わった。明日にでもしゅったつする」
アンジュことアシュタルテからの手紙の内容については、おそらく機密保持の観点から意図的に内容を暈している部分があって明快に理解出来たとは言い難いが、一つだけわかるのは、彼女があたしの助力を必要としているということだ。
だとすればあたしが行かない理由なんてない。
「ちなみに、目的地はどちらへ……?」
せめてそのくらいは教えて、と訊いてくるアイリスに、あたしは答えた。
「ブラッドフォード伯爵領」
そこで、彼女があたしを待っている。
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