補完[雷哮-4]
・ここで脳筋殿下を一つまみ。
時は、学院が休暇に入る少し前まで遡る。
前期最後の一大イベントであった花告祭を終え、その後の阿鼻叫喚の期末試験をやり過ごし、目前に迫った長期休暇に向けて緩やかに弛緩しつつある雰囲気のエンディミオン魔法学院において、男子学生寮の一室である男が眉根に皴を寄せて考え込んでいた。
彼の名はカーマイン・ラハ・ガルム。
隣国ガルムの王太子であり、現在はリヒティナリア王国へと留学中の身である。
威圧的に逆立つ金色の頭髪に、紅玉の如き切れ長の瞳。長身の体躯は鍛え上げられたしなやかな輪郭を描き、その所作もまた研ぎ澄まされたように無駄がない。顔のつくりは間違いなく美男子と評して余りあるものだが、その纏う雰囲気の鋭さと体格によるものか、どこか男くさい武骨な魅力が前面に立っているような印象だ。
そんな王太子が自室内で落ち着きなく動き回りながら眉間に皴を寄せる光景は、奇妙を通り越して少々の恐ろしさすらある。
「…………」
室内にはカーマインだけではなく、その挙動不審さを戦々恐々と眺めるもう一人の男子が居た。
彼の側近であるクゼ・オセローだ。
クゼはカーマインに仕えて長いので、大概彼のことを知り尽くしていると言っても過言ではない。同年かつ同性であるということで、カーマインの最も近くに侍ることを望まれた従者であったからだ。そのクゼが今更カーマインのことを過度に恐れる道理はない。立場上まったく恐れないではそれはそれで問題なので、クゼはその辺り上手くやる男であった。
なのでクゼが現在恐々とした表情を覗かせているのは、カーマインの行動の不審さが恐ろしいからではなく、むしろその理由がばっちりわかり切っているからだ。それでもって、最終的には絶対に自分が苦労する羽目になると悟っているからだ。変わるのはその程度の具合だけであり、故にクゼはどうか自分への被害が少なくて済みますようにと祈るしかない。
「クゼよ。俺は決めたぞ」
はた、と立ち止まったカーマインが厳かに告げる。
クゼは内心で『来たキタ』と思いながらも、表面上は至って平静に応じた。
「学院が休暇に入る前に、アトリーとデートをする!」
「御意」
実のところこのカーマインという男、屈強で威圧的な風貌からは想像し難いことながら、その内面は現在同級生の少女に片想い真っ只中という青春模様であった。
その相手こそがミアベル・アトリーなる少女。なんと平民階級である。
王族かつ王太子であるカーマインが平民であるミアベルに惚れたことは、まあ所謂『運命の出会い』だったとして納得するにしても、そうなれば当然二人の恋路は平坦な道のりではあり得ない。……二人の恋路というか、現時点ではカーマインがミアベルを振り向かせるという段階で躓いているわけだが。王太子であるカーマインにそこらの令嬢が片想いするという例であれば腐るほど見てきたクゼであるが、まさかこの異国にてその逆のパターンを見る羽目になるとは想像だにしていなかった。
さておき、クゼは慎重に言葉を選ぶ。
最近のカーマインが思い悩む事柄は大抵がミアベル関係なので、デート宣言自体は別に意外でもない。ちなみに何故カーマインがわざわざクゼに宣言したのかというと、つまりあらゆる根回しをするのはクゼの仕事であるからだ。
「しかし殿下。恐れながら申し上げますが、」
「よい。わかっている。アシュタルテの忠告を蔑ろにするつもりはない」
頷きつつそう告げたカーマインに、とりあえずクゼは胸を撫で下ろした。
現状、カーマインからミアベルへの恋心は周囲に決して悟られてはならないものだった。それは平民階級の特待生という立場上ただでさえ敵が多いミアベルに対して、例によってカーマインに想いを寄せる幾多の令嬢からの敵意までもが向かないようにするためだ。ガルムという良くも悪くも単純明快な国民性の国で生まれ育ったカーマインやクゼにしてみれば、暗黙の文化が根強いリヒティナリア王国の貴族学生の陰湿さは想像を絶していた。その文化の違いが原因で色々とやらかしそうになるカーマインに度々忠告をくれていたのが、件のアシュタルテ侯爵令嬢プリムローズであったのだ。
つい先日も、カーマインは彼女にまったく同じ相談をしたばかりだ。ミアベルとデートがしたいと述べたカーマインに対して、プリムローズは最初こそ『勝手にしろよ』と言わんばかりの辟易した表情を見せていたが、結局なんだかんだで親身にアドバイスをくれるあたりがあの令嬢の親しみ深いところであり、カーマイン達が今となっては彼女に対して頭が上がらない理由なのだ。
「勿論、衆目を避ける必要がある」
「は」
そのように整えよ、という意味ですねわかりますとクゼは頷いた。
「アトリーにも窮屈を強いることになるやもしれんが、ここで手をこまねいていては一向にアイツとの仲が進展しない。違うかクゼ」
「恐れながら、その通りかと」
なんせミアベルという少女は超がつくほどの鈍感だ。恋愛的な感性が死んでいるといっても過言ではない。
故に王太子であるカーマインから特別に目を掛けられているという状況にあってなお、ミアベルはカーマインのことを普通の友人だと思って疑わない節がある。
つまり、なんとかしてミアベルに恋愛感情を意識させる必要がある。そのためには押すしかないのだ。押してダメならもっと押せ、幸いにしてそれはカーマインの流儀であり、ガルムの国民性でもある。
「なのだが……」
と、そこまで揺ぎ無かったカーマインの語調が不意に弱まる。
「クゼよ。俺はアトリーとどこで会えばよいのだ?」
「は……」
クゼもまた困り顔になる。そもそもそれが問題なのだ。
人目を避けるという大前提があっても、別にそれだけが条件ならば選択肢はいくらでもある。しかしこれはデートなのだから、雰囲気も大事だ。惜しむらくはここがクゼにとってホームではなく、異国の環境であるということだ。要するに詳しくないし、調べるにしても限度がある。
クゼは一生懸命考えた。もう休暇までの時間は少ないのだ。それまでにカーマインとミアベルのデートを成立させるための方策を打ち出さねばならない。十中八九、この後のカーマインの台詞は「クゼ、なんとかしろ」である。それが自分の職務なのだからクゼには文句などないが、だからと言ってなるべく苦労はしたくないのが人情だ。
そこでクゼは思いつく。
「殿下。こちらからリードするのも大事ですが、まずはアトリー嬢の意向を伺いましょう」
「む。そうだな、それはその通りだ」
これで『デート?嫌です!』とか言われたら悩み損だ。
尤も、ミアベルの人間性を鑑みればほぼ間違いなく断られはしないだろうが。何故って彼女には恋愛脳が備わっていないので、カーマインに二人で会おうと乞われたところで彼女にとっては仲良しの友達と遊ぶ感覚程度でしかないのだ。それでもって喜べばいいのか悲しめばいいのか、ミアベルは友達をとても大事にする人物だ。
なのでカーマインもクゼも実はデートの申し出が通ること自体は疑っていないのだが、クゼがここで言いたいのはその先である。
「殿下、アトリー嬢は平民階級です。価値観の違いがございます。殿下や私の感覚で委細を決めてしまっては、却って彼女には負担になるやもしれません」
「むぅ……確かに」
身に覚えがありそうなカーマインが低く唸る。
簡単な例を挙げれば、カーマインがミアベルを食事に誘うとして、彼が普段利用しているようなグレードの食事処などに彼女を誘った日には、ミアベルにしてみればドレスコードやマナーのことで頭がいっぱいになって味を楽しむどころではなかろう。そもそもそれ以前に、高級すぎる食材が平民の舌に合うかと言われると微妙な気もする。
カーマインは過去にもそれで度々やらかしたり、やらかす前にプリムローズに叱られていたりする。
そこで、とクゼは続ける。
「まずはアトリー嬢に打診し、もし了承いただければ彼女の望みに沿うように仕儀を整えましょう」
「うむ。アシュタルテにも『独りよがりは止せ』と言われたことだしな」
得心して頷くカーマインの姿に、クゼは内心で『しめしめ』とほくそ笑む。
上手いことミアベルに決定権を押し付けることに成功した。自分が駆けずり回って秘密のデートコースを整えるくらいなら、最初からミアベルに決めさせてしまえばいいのだ。幸い、ミアベルは頭の良い少女だから、恋愛的な感性が死んでいても、人目を忍ぶ必要性や背景はちゃんと理解してくれている。そしてあの少女のことだから間違いなく贅沢を望んだりはしない。おそらく、非常にエコで平和なデートを提案してくれるはずだ。クゼの口からカーマインにそんな提案をすれば秒で却下されるだけだろうが、他でもないミアベルの口から言わせれば秒で認可なのだ。
「よし。ではクゼ、後は任せる」
「御意」
どうやら今回はわりと楽が出来そうだ。とクゼは穏やかな気持ちで行動を開始するのであった。
翌日。講義を終えたミアベルは寮への帰り道にとある場所へと立ち寄ろうとしていた。
仲の良い友人達は皆それぞれに用事があるとのことで、今日の帰路はミアベル一人だ。そんな時、ミアベルは決まって訪れる場所があったのだ。
微かに鼻歌を歌いつつ上機嫌でミアベルが目指したのは、講義棟と学生寮を結ぶ道のりからは僅かに外れた場所にひっそりと佇む、素朴なガゼボであった。ミアベルにとってはとある人物と出会った思い出の場所であり、そして今でもその相手と会う時はいつもその場所なのだ。
それはミアベルの個人的な友人の一人で、同時に憧れの人でもあるクラリスという女性。アシュタルテ侯爵令嬢プリムローズの専属従者として勤めている人物で、立場上ミアベルが彼女に会える機会は多くないが、だからこそ少ない機会を大事にしていた。ミアベルとクラリスは示し合わせて会っているわけではないので、時間があるときにそれぞれが勝手にこのガゼボを訪れて、たまたま会えるのを楽しみにしているのだ。
会えるかどうか、というドキドキがミアベルの心を弾ませる。その感じが、彼女は嫌いではなかった。
「今日はクラリスさんは居るかなぁ~っと――――っ!?」
目的のガゼボが見えるくらいの位置まで来たミアベルは、逸る気持ちをそのままに、ちょこんと背伸びをして梢の向こう側のガゼボを覗き見た。
そしてそこに目的の人物の姿勢よい立ち姿を認めて瞳が喜色に輝いたのも束の間、すぐにその表情は驚愕に彩られることになる。
「な、なんだと……!?」
戦慄くミアベルの視線の先には、クラリスと肩を並べてなにやら談笑しているもう一人の人物が居た。
数舜フリーズしたミアベルはすぐに再起動すると、猛然と走り、勢いのままにガゼボに侵入し、その人物に詰め寄る。
「ロぉーーーーーイ!こらロイ!なんでロイがここに居るのっ!?あ、クラリスさんこんにちは!」
「はいこんにちは。ミアベルさん」
にこやかに応じてくれたクラリスはいい。今日も素敵だ。アシュタルテ侯爵家のシックでセクシーなメイド服を隙無く纏い、艶やかな銀の長髪と涼やかな空色の瞳を有する美女である。佇まいも含めて、ミアベルが知る限りで最も美人なのがこの女性であった。
問題はその隣に見慣れた男が立っていることである。
ミアベルの幼馴染であるロイこと男爵令息レックス・モラン・コーリッジだ。詰め寄るミアベルの頭を片手で押さえつつ、レックスは慣れた態度で答えた。
「邪魔して悪いな。ちょっとお前に用があったんだ」
頭を押さえられたミアベルは頑張って両手を振り回してやり返そうとするものの、当たり前にレックスのほうが腕が長いので彼女の腕はレックスの頭に届きもしない。そんなじゃれ合いを見せる幼馴染達に、傍らのクラリスは微笑まし気にして優しい視線を注いでいた。
「クラリスさんのところで待ち伏せすればお前に遭遇できると踏んでいたが、大当たりだな」
「きさま……!わたしに会うためにクラリスさんを利用したと言うのかっ!」
「その通りなんだが、そんな言い方をされると俺が極悪人みたいに思えてくるな」
「クラリスさん大丈夫だった!?ロイになにか変なことされてないっ!?」
「いえ。コーリッジさんは博識なのね。とても有意義に過ごせました」
「騙されちゃだめだよクラリスさん!ロイは外面ばっかりいいけどハイレベルの変態でぎにゅああああああああああっ!!!?」
ミアベルの頭を押さえるレックスの片手に万力のような力が籠められ、ミアベルは主張をするどころではなくなった。
ぎりぎりぎり、とレックスは爽やかな笑顔で握力を強めてくる。
「で、出ちゃう!ミアベルさんのいっぱい詰まった中身がああああっ」
「お前……実は前言われたこと地味に気にしてたな?」
たっぷりお仕置きをされた後でようやく解放されたミアベルは、ガゼボの椅子にくったりと腰を下ろして恨めし気にレックスを見上げる。
「で、結局なんの用なの。言っておくけどクラリスさんを狙ったってダメだよ!クラリスさんはアシュタルテさんのものなんだからロイ如きには渡さないよっ!」
「ツッコミどころで畳み掛けてくるのやめてくれないか」
「ふふ。本当に二人は仲が良いのですね」
上品に笑うクラリスの言葉に対して、ミアベルとレックスは口を揃えて「「それほどでもない」」と返した。
実際、ミアベルとレックスは幼馴染であるがそれほど長い時間をともに過ごしたわけではなかった。レックスの実家の領地であるコーリッジ男爵領にミアベルの一家が移住してきた頃から付き合いが始まり、それからレックスが王都の学院に通い始めるまでの数年間だけだ。このエンディミオンで再会するまでは連絡を取り合ってすらいなかった。
だというのにこうまで息が合うのは、たぶんレックスという人間の凄いところなんだろうなとミアベルは思っていた。ミアベルが彼に対して特別気安い感情を向けているのは事実だが、それが違和感なく成り立っているのはレックスが如才なく合わせてくれているからであるとちゃんと理解しているのだ。要は、彼は懐が大きくてミアベルを甘えさせてくれるから成り立つ関係性なのだ。
「用件だが、実はクゼから訊いて欲しいと頼まれたことがあってな」
そういってレックスは簡潔に要点だけを説明した。
「――というわけだ」
「ええと、つまり、カーマイン君がわたしと一緒にお出かけしてくれるから、どこか行きたい場所はないかってこと?」
「まあ、ソウイウコトダナ」
案の定これがデートの打診であると微塵も理解していない反応のミアベルに、しかしレックスは慣れたものだと頷いた。こころなしか漏れ出した呆れのせいで若干棒読み気味にはなっていたが。
ミアベルは答えを返す前に、何故か傍らのクラリスを窺い見る。するとクラリスも心得たものと頷いて、
「お嬢様のお手を煩わせることのないようにお願いします」
「はいっ!」
笑顔のクラリスに威圧され、ミアベルは背筋を伸ばす。
クラリスの主人であるプリムローズがカーマインの恋路の助言役として胃を痛める羽目になっているのは上述の通りなので、忠実なるクラリスとしてはプリムローズの心労が少なくなるように謀るのは当然のことである。
「ちなみにミアベル」
「ん?」
「相手が王太子だからといって、必ず受けねばならんわけじゃないぞ。断ってもいいんだ」
返ってくる言葉をなんとなく予想しつつも、誠意として忠告をしたレックスに対して、ミアベルは予想通りの笑顔を見せた。
「んーん!折角誘ってくれてるんだもん。断るわけないよ!」
「そうか」
純度百パーセントの笑顔を向けられて、レックスは色々な意味で微笑ましそうに苦笑した。ついでにクラリスも同じような表情をしていて、まるで二人の年長者が手の掛かるけど可愛くて仕方がない子供を見守っているような雰囲気である。実際にはレックスはミアベルと同い年でしかないわけだが。
さて快諾したミアベルであるが、とはいえどうしたものかと考える。
正直ミアベル自身であればどんな場所でもそれなりに楽しめる。なんせ貧乏寄りの平民の生まれである彼女にとっては、この学院内の施設はどれもこれもが新鮮で、ただ練り歩いているだけでも楽しかったりするのだ。
ただ流石のミアベルも、人目を忍ばねばならない事情が仮になかったとしても、その練り歩きにカーマインを付き合わせるのが間違いであるとは理解しているのだ。尤も、実際にはカーマインは想い人であるミアベルと一緒ならそれこそどこでもハッピーなのだとこの場で知らぬは本人ばかりである。
「あ!」
暫し考えたミアベルは、とても素敵なことを思い付いて顔を輝かせた。
そしてレックスに向けて口を開く。
「じゃあ、クゼ君に伝えて欲しいな」
その後に続いた言葉を聞いて、クラリスは「ミアベルさんらしいですね」と微笑み、レックスは「いいと思うぞ」と頷いたのだった。




