316話_side_Sumeragi_かくりや
~"小さいほうの闇の巫女"スメラギ~
この屋敷は、少しだけ特殊な場所に在るらしい。
家主であるおかあさん曰く「常世と地続きでない何処か」であるらしく、おかあさんの魔法によって創り出された一種の異界なのだそうな。
おかあさんはその異界を『幽世』と呼んでいる。
幽世に居を構える屋敷は、即ち『幽家』である。
今の私が生まれ、過ごした場所だ。
久方振りにかくりやへと戻ってきた私は、庭園を臨む縁側に腰掛けてぼんやりとしていた。この幽世には空もあれば山もある。景色も地平線も存在しているが、その全てが茫洋として判然としない。夢の中に浮いているような世界だ。基本的にはこの屋敷以外は全てまやかしなので、在るようで何もないというのが正確なところなのだが。
私の視界には、庭園を騒々しく走り回る小さな影が映っていた。
「こけっこっこー!今こそ鳥類のおそろしさを知らしめるときー!」
「ひええええ、食物連鎖には逆らえません~!」
ハーティとスコールである。
こけこけ言いながら追い掛けているニワトリのぬいぐるみみたいなのがハーティで、ぴーぴー泣きながら逃げているサソリのぬいぐるみみたいなのがスコールだ。普段の面影など微塵もないその風貌はなんだか絶妙にファンシーなデフォルメがされていて、ぽてぽてと庭を転がり回る光景は実に微笑ましく愛らしい。
本人達はわりと本気で追走劇を繰り広げているみたいだが。
あ、とうとうスコールが捕まった。
ぬいぐるみ同士がじゃれているようにしか見えない本気の取っ組み合いから視線を外し、私は傍らの縁側を見下ろした。そこにはこんもりと丸くなっている黒い毛むくじゃらが。
「あの、止めないでいいんですか?」
「ほっとけ」
にべもなく言い切ったのはフェンリスである。
彼もまた二人の従者と同じように、常の面影など微塵もない矢鱈とファンシーな風貌に変わってしまっている。本人曰く狼らしいけど、デフォルメも相俟ってどこからどう見てもただの子犬の風情であった。
なんで彼等が揃いも揃ってこんな有様なのかと言うと、先日の討伐者達との戦闘において服用した薬品の副作用らしい。正確にはこれ自体は薬効ではなくて、副作用を和らげるために自らこういう形態を取っているだけらしいのだが。
「その副作用があったから、あまり使いたがらなかったんですね」
件の薬品の存在は私も前から知っていて、使うと一時的に魔物を強化する働きがあるとは聞いていたものの、そうそう美味しいことばかりなんてあり得ないわけだ。
私の呟きに、フェンリスは丸まったまま適当な口調で答えた。
「なんもねえ場所から勝手に魔力が湧いてくるわけじゃあねえからな。一時的に限界以上の魔力を行使できるのは、その分をどこかから持ってきたからだ…………まあ、どこからかって言うと、自分の身体を解いてるんだがよ」
要するに、魔力に依って立つ生命である魔物の肉体とはまさしく魔力そのものなので、本来は肉体を構成するために保持しなければならない分の魔力を一時的に攻撃等に転用出来るようにするのが件の薬品なのだ。
魔物の肉体を構成する魔力というのは、割合的には普段自由に行使出来る魔力よりも余程多いのが普通だ。だからそのほんの一部を転用出来るだけで戦力は大幅に上がるはずだ。ただし、ほんの一部であっても肉体の根幹を削っているに等しいので、多大なリスクは常に伴う。
命を削って能力を強化する。まさしくドーピングである。
「逆に言やぁ、こうして後で帳尻合わせさえすりゃあ実質ノーリスクだがな」
先の戦闘において攻撃に転用した魔力の分だけ、肉体の規模を縮小して恒常的に消費する魔力を削って回復に充てているのだ。これは彼等が強力な魔物であるから出来ることで、雑多な魔物があの薬を服用すると、大抵は制御が効かずに肉体の魔力まで使い切って消滅してしまう。
「俺はともかく、アイツ等は大概ボロクソにやられたしなぁ。どの道回復を図る必要はあったから、大して変わらねえよ」
「それは、そうですね」
あれは本当に間一髪だったと私は思う。
案の定、フェンリスからの帰還指示を無視して戦闘を続行していたスコール達であったが、あと一歩でも助けに入るのが遅れていたらおそらく彼女等は滅ぼされていただろう。目覚めたてとは言え『昇格者』は昇格者だ。セラフィーナのポテンシャルを正しく評価し切れていなかった私のミスである。伝令をフェンリス任せにせずに最初から自分で連れ戻しに動くべきだった。
フェンリスとてスコール達が死んでもいいと思っていたわけではなかろうが、いかに彼等が人間に近しい姿と情緒を有していても本質は魔物だ。成り立ちが異なれば生死観も相当に異なるので、仮にあの時スコール達が殺されていたとしてもフェンリスはその死を悼みはしないだろう。
ちなみにフェンリスの『ボロクソ』という表現は大袈裟でもなんでもなく、私が救出した際のスコール達の有様は本当に酷いものだった。スコールはまるで巨大ゴーレムにでも殴り飛ばされたみたいに全身粉々だったし、ハーティはどう器用に攻撃を食らえばそうなるのかわからないくらいに綺麗に顔面だけが粉砕していた。結果的に見れば片腕が飛ばされただけで済んだフェンリスが一番軽傷だったというオチだ。
物理に比重を置いていない魔物の肉体なので、そんな重傷でも後遺症なく完治するだろうが、私の肝が冷えるのでもう少し自愛して欲しい限りだ。
「幸い、サヤん家だったら変な邪魔が入ることもねえし、回復に専念できらあ。ついでに言えばサヤも寝てるから勝手に上がり込んで寛いでても文句言う奴も居ねえし」
「おかあさんは別に文句は言わないと思いますけど……」
文句というか、ナチュラルに『なんで居るの?』とか『出て行けば?』とかは言いそう。
半分になった魂を回復するために休眠に就いたおかあさんは、未だ目覚めてはいない。この屋敷は一応私の家でもあるので、おかあさんが起きていなくても私は好きに利用することが出来るため問題はないのだが、少しばかり寂しくは思う。
と、その時であった。
欠伸でもせんばかりに気の抜けていたフェンリスが、不意にぴんと耳を立てて身を起こした。
「どうかしましたか?」
「いや、前言撤回っぽいな」
変な邪魔が入りそうだ、と彼は言った。
気付けば、微笑ましくもけたたましい取っ組み合いを演じていたスコールとハーティも、フェンリスが注視しているほうと同じところを見ていた。
私も遅れてそちらを見遣ると、
「今の貴様に『変』と評されるのは納得し難いな」
いつの間にか、庭園の隅に一人の影が立っていたのだ。
それは全身を黒いローブで覆っていて、立てた襟と目深に被ったフードのせいで一切の人相もわからない。ただ、聞こえた声音と体格から察するに、どうやらフェンリスと同様の若い男性体のように思える。
その人物は無造作な歩みでこちらへと近付いてくると、自然と道を譲ったスコールとハーティの間を当然のように通り抜け、縁側に居る私達と相対する位置で立ち止まった。私は警戒心を持って立ち上がって身構えるが、フェンリスは丸まってこそ居ないが変わらずに座ったままである。
「誰かと思えばアスタルか。随分と久し振りだなおい」
「そうだったか?……そうだったかもしれんな」
距離が近付いたのでもう少しだけ相手の人相がわかる。フードの下に僅かに覗き見えるのは目元とそこに掛かる前髪くらいだが、新雪のように真っ白い頭髪と、夜明け前の空みたいな瑠璃色の瞳だった。瞳は魔物に特有の反転瞳なので、やはりフェンリスと同じく人型の魔物だろう。
アスタルと呼ばれた彼はどうやらフェンリスと旧知の仲らしい。
「相変わらず陰気な格好してんなアンタは」
「放っておけ。そういう貴様は変わり過ぎだろう。なんだそのザマは」
「これか?まあ、ちょっとな」
アスタルの声音からは感情が読み取れず、言葉だけで判断すれば剣呑に思えるところだが、気安いフェンリスの態度を鑑みればおそらくこれで平常通りの遣り取りなのだ。
そんなアスタルはぬいぐるみモードのフェンリスを暫く無言で見下ろし、徐に溜息を吐いた。
「貴様ともあろう者が、落ちぶれたものだな」
「しゃあねえだろ。魔王が寝てんだからよ」
なんだろう。アスタルが言及したのは今のぬいぐるみモードのことではなく、もっと根本的なところであったように聞こえた。
それに対するフェンリスの返答も意味深だ。
そういえば、私はフェンリスのことを殆ど知らないな、と今更ながらに気付く。
「だから私は、魔王に忠誠など誓うべきではないと言ったんだ」
「結論が出たみたいに言うんじゃねえよ」
「今、私がその気になれば容易く貴様を消滅させられるぞ。それ以上の論議が必要か?」
平坦にそう告げたアスタルに、私は息を呑む。空気のように無視されている私の存在がアスタルにとってなんの障害にもなっていないことは明白だが、もし彼がフェンリスを害するつもりであれば私は黙っているつもりはない。後ろで小さくなってぷるぷるしているスコール達だって同じだろう。
だが、とうのフェンリスは暢気に構えている。
「いやそれ、元々そうだったろ。俺がアンタに勝ててたことなんて一度もねえよ」
「どうだかな」
「とにかく、俺はこっちを選んだんだ。今更どうこう言ってもしゃあねえだろ?そっちの役目はアンタが居るんだから、俺が居ても居なくても一緒だろうが」
それに、とフェンリスはふと思い出したように付け足す。
「アンタを筆頭に『四公』は言うこときかねえ奴ばかりだからな。俺くらいは魔王の肩持ってやらねえと可哀そうだろ」
「アレがそんなタマか」
呆れたように、あるいは面白くなさそうに鼻を鳴らしたアスタルに、フェンリスは「んで結局何の用だよ」と用件を訊ねる。
「いや……貴様にではなく、ここの家主に用があったのだが」
「サヤに?アンタ知り合いだったか?」
「初見だ。ただ、ベルフェルテから妙なことを聞いてな。真偽を確かめに……といったところだ」
「ベルフェ?アイツが言うことが真だった試しがねえが」
「それは貴様が舐められているからだ」
「あーはいはい」
そこでアスタルの瑠璃色の瞳が初めて私を見た。
思わず身体が強張り、背中にしっとり汗をかく。別に威圧的な感じではないのだが、なんというか、逆の印象を受ける。あまりにも冷たくて、静かで、気をしっかり持たないと見詰められただけで魂が凍えそうな錯覚すら感じるのだ。
「貴様の母親はどこに居る?」
「あの、寝てます。ごめんなさい」
「朝になれば起きる、という風でもなさそうだな」
今更な話だが、この幽世はおかあさんの魔法で創り出された特殊な場なので、本来はそう簡単に侵入出来る場所ではない。アスタルがフェンリスを以て一目置くレベルの実力者であるならば、ここに当然の顔をして入り込んでいることそのものは納得するしかないにしても、だからと言って容易くはなかったはずだ。
そうまでしておかあさんに訊きたいことがあったとすれば、はいそうですかと素直に帰ってはくれないだろう。
私がおかあさんを起こしてくるべきか、と考えていると、その予想に反してアスタルはあっさりと踵を返した。
「では改めよう。フェンリス、家主が目覚めたら話を通しておけ」
「ああ?いつになるかわかんねえぞ」
「そう遠くはないだろう」
確信めいた口調でそう言い残すと、歩き去るアスタルの背中は風景に溶けるようにぼやけて、見えなくなった。
この幽世から居なくなったのだ。
緊張しすぎて疲れたみたいに脱力しているスコールとハーティを眺めつつ、私は傍らのフェンリスに問い掛ける。
「あの人は一体……?」
「昔馴染みだ。愛想はないがそれなりに話しやすい奴だぞ。魔物基準だとな」
それはまあ、なんとなくわかる。
魔物の知り合いが多いわけではない私だが、フェンリス達の話を聞く限りでは、そもそも理性的に話が通じるだけでも充分に上等である、というのが魔物というものらしい。
それはそれとして、非常に気になるワードが出てきていた。
「あの……先程あの人のことを『四公』と」
四公とは所謂『魔公』と呼ばれる強力な魔物のことだ。魔界における有力者である公爵級が全部で四人居るから。
「そうだな。アイツは四公の筆頭だ。『氷獄』のアスタロト。魔王が寝てる今、魔界最強はアイツなんじゃねえか?」
「そんなかただったんですね。なんだか、そのわりにはだいぶ、なんというか大人しい人に思えました」
「独特の美学っつうか、拘りがあるからなアスタルは。真の強者は実力をひけらかさない、みてえな」
成程。強者の美学というものか。
「ちなみに名前が出てたベルフェも四公の一人だし、なんとなく察してると思うが俺もかつてはそうだ。んでもう一人ゴリラみてえなのが居る」
「ご、ごりら……?」
あんまりにもあんまりなフェンリスの説明に困惑せざるを得ない。
なお彼が魔公の一人であるというのは、明言されたことこそなかったが、これまでの付き合いで見知った情報から、彼の言うようになんとなく悟っていたことではあった。
「伝承では、魔公は魔王と一緒に滅ぼされた、とされていますが」
「ああ、そりゃほぼ事実だ。滅んでこそいねえが、アスタル以外の魔公はあの戦いで力の大部分を失って表舞台から姿を消した」
「だから人間側からは死んだと思われていたんですね」
「そういうことだ」
アスタル改めアスタロトが立ち去った方角を見遣りながら、フェンリスが呟く。
「アイツが出てきたってこたぁ…………もうそんな時期なのか」
「?……どういう意味ですか」
私の問いに、フェンリスは嘆息気味に応えた。
「残り時間は多くない、ってことだ」
2022/7 一人称を『わたし』→『私』に修正。セラフィーナの一人称とナチュラルに間違えました。




