298話_side_Ser_黒い森_奥地
~"討伐者の少女"セラフィーナ~
『トード種』の生息地である湿地帯に行くのですら大冒険だったわたしにとって、奥地なんて最早異世界みたいなものだ……と、思っていたのだけど、まさか本当に異世界だったとは思いもしなかった。
黒い森は最奥で魔界と繋がっていて、奥に行けば行くほど魔界との境界に近付き、そこはこちらとあちらの法則が入り混じる危険地帯となっている――というのは、知識では一応知っていたことだ。討伐者の端くれとして知っていて当然の、常識ではある。ただ、底辺を彷徨っていたわたしやランディーにとっては全く縁のない話と思っていたのだ。だって森の奥に挑戦するどころか、外周付近の浅い地域を舐めるのが精一杯だったわけだし。
だから本当に、机上の知識として持っていただけ。
でも、現実は知識を軽く凌駕していた。
まず、色がおかしい。
わたしが知っている黒い森は、森そのものが一種の魔物と言われていても、所詮森は森だ。その色彩は大抵が茶色と緑、そして黒。だけれど今わたしの視界に映る景色は毒々しいまでに彩り鮮やかだ。
極彩色とでも言えばいいのだろうか。全体的な色味は先に挙げた森の色に相違ないのだが、所々に奇妙なオブジェの如き植物の姿が目立ち始め、それらは作りものみたいな原色をしていたり、何色と表現すれば正解なのかまるでわからないビビッドな色合いをしていたりする。それどころか、照明みたく光り輝いていたり、光線を放って虚空に線を描いていたり、独りでにぐねぐねと踊っていたりもする。
「夢に出そうな景色だねぇ……」
と、流石のヴェルナーさんも軽口に張りがない。
わたし達は今、地面の上に大きく張り出した大樹の根の上を進んでいるのだが、たかが根の一本だというのに、その幅はパーティー全員が横並びに歩いても余りあるくらいだ。いや、実際には警戒しつつ陣形を組んで歩いているけど。
そして当然樹木の根が一本だけなわけもなく、複数の巨大な根が立体的に交差して絡み合った景観は、さながら橋のようだ。
もっと言えば、根が巨大だということは、その上に乗っかっている幹や枝葉も相応のサイズだということ。
「小人になった気分だわぁ」
戦々恐々とレベッカさんが呟く。
周囲の植物や地形のスケール感がおかしいのだ。全部が全部そうではなくて、普通の植物だって勿論あるけど、それが意識に上がらない程度には巨大植物群の存在感が凄すぎる。おそらく、これが魔界の植生というものなのだ。
「外から見たら、こんなに大きい木なんてなかったのに」
わたしは不思議に思う。黒い森を外から眺めると、少なくとも見た目は普通の森だ。その木々の背の高さも。森の奥地というのは中心部のことだから、奥に行くほどにこんなに巨大な木々が増えてくるのなら、外から見た森はこんもりと山形に膨らんでいないとおかしい。
その疑問に答えてくれたのはクロードさんだ。
「魔界に近付くほどに空間が歪んでいると言われますからね。実際には木々が高くなっているのではなく、僕達が居る地面が低くなっているのでしょう」
「黒い森を上空から観察すると、中心部は巨大な奈落になっているように見える、らしいよねぇ」
「クロードさん達は以前にも奥地に来たことが?」
わたしの質問にクロードさんは首を横に振った。
「数えるほどですが、無いわけではありません。しかし、これほど奥に来るのは初めてです…………ヴェルナー、ライセンスカードの反応は?」
「移動はしてない。もうすぐそこだよ」
ギルドから貸し出されている特殊な魔法具を使って捜索対象の位置を確認したヴェルナーさんが言う。それに反応してレベッカさんがしかめっ面で「キナ臭いわぁ」と呟いた。
わたし達の今回の仕事は遺留回収と捜索救援の合わせ技だ。一番最初に遺留回収の対象となった二人の討伐者の内、魔物によって奥地へと連れて行かれてしまった一人の遺留品を回収すること。これを対象Aとする。そしてその遺留回収に赴いた結果、新たに消息不明者となったパーティー全員の捜索と救援、場合によっては遺留品の回収。これを対象Bとした。
魔法具を使って対象Aのライセンスカードの位置を調べると、どうやら昨日の時点で反応があった地点よりも更に奥地へと移動していることがわかった。それだけでも充分に怪しいのに、更には対象Bの反応も同じ地点に集中しているのだ。
対象Aの遺留回収に向かった対象Bのパーティーが、たまたま回収地点の付近で行動不能になるか死んでしまったのだとも考えられるが、そうでないとすれば、これはつまり対象Aを奥地へと移動させた魔物が、対象Bを同じように移動させた可能性がある。そこには紛れもない知性の片鱗が窺えるということだ。
少し離れて周囲の斥候に出ていたクレアさんが戻ってきた。
「クレアさん、周辺の様子は?」
「近くに魔物は居ない。ただ、もう少し奥に行くと、それなりに居るっぽいし」
「では、ここで小休止としましょう」
クロードさんの号令で、わたし達は警戒を保ったまま脚を止める。
この辺りは魔界植物の輝きのおかげで昼みたいに明るいし、周辺の植物が巨大なのでサイズ比的に空間が広く開けている。近くに魔物が現れればわたし達の姿は丸見えだろうが、逆も言えるということだ。そもそも遮蔽物を探して身を隠しながら進むには周囲の環境が異常過ぎるので、わたし達はリスクを取ってでも植物等から距離を取ることにしていた。
食虫植物よろしく、魔界植物が人間を捕食するのだとしてもわたしは一向に驚かない。身を隠すために植物の茂みの中に入ったら、そのまま食われて消化されました……なんて笑い話にもなりやしないのだ。
ここに至るまでの道中でも、当たり前だがそれなりの数の魔物と戦っている。
進行優先で避けられるものは避けたけど、やむを得ず戦って討伐した魔物の数は既に両手足の指を総動員しても数えきれない数だ。先程最後に戦った相手はわたしにとって因縁深い『マンティス種』の群れであったが、流石はわたし以外は『レベル3』の集団ということか、実に危なげなく勝利していた。
かつてわたし達が死ぬ気で討伐した相手を軽々と片付けられたことに衝撃を受けるよりも先に、滅多に現れないとされていたマンティス種が集団で現れたことにこそ驚きを禁じ得なかった。
つまり、それだけの危険地帯に足を踏み入れているということだ。
警戒役をクレアさんとロルフさんに任せて、魔法使い三人が方針を相談する。一応言っておくと三人というのはわたし以外の魔法使いという意味だ。わたしが知識的に役に立てるわけがないのはわかりきっている。ならばせめて周囲の警戒に従事するべきと思いたいところだが、クロードさんからは『体力温存に専念してください』と指示を受けている。
わたしは一番未熟だし、知識も体力も足りていない。だけれど決して無力じゃない。支援型の魔法使いであるわたしの魔法は、パーティーの生命線になり得るのだ。そのことをちゃんと理解しているので、わたしは体力を温存することこそが自分の大事な役割なのだと理解している。
「ねぇクロちん。ちょっと引き返したほうがよくなぁい?」
「おやレベッカさん、ビビってんの?……と言いたいところだけど、考慮に値すると思うよクロード」
「状況が不可解なのは理解していますよ」
わたしには彼等が一様に抱いている懸念がわからなかった。
先述のように回収対象の位置が変わっているのは確かに不審だが、彼等の懸念はそれだけではないように思うのだ。だってそれだけが理由なら、そんなことはもっと前にわかっていたはずだから、今になって言い出すのはおかしい。
クロードさんはわたしのほうを見て、理解が及んでいないことに気付いた様子で説明してくれた。
「ギルドから貸し出された捜索用の魔法具は、決して性能が低いわけではありませんが、それでも黒い森の中でライセンスカードの微かな反応を捜索するには心許無いと言わざるを得ません」
「あ、はい」
「これはライセンスカードが発信している特有の魔力波長を受信して位置特定を行っていますが、原理的に対象に近付くほどに鮮明かつ詳細に観測可能であることは理解できると思います」
「わかります」
「なので、出発当初は大まかな方角しかわかりませんでした。方角の方向に進めば近付くことになります。ある程度近付けばある程度の位置がわかります。一番最初に対象Aの遺留回収に臨んだパーティーはこの時点で対象Aが奥地にあることがわかって遂行を断念しました。そして今、僕達は対象の位置がほぼ正確に特定できる距離まで近付いています」
とそこでヴェルナーさんが口を挟む。
彼は教え好きというか、教えたがりな人なので説明役を買って出たくてたまらないのだ。
「ところでこの魔力を媒介にして位置特定を行うという原理自体は、黒い森を囲むギルドの観測設備にも使われているものだよね。しかし大規模な観測設備を以てしても、黒い森の奥地や、ひいては魔界の様子を観測することはできない。何故か解るかな?」
「ええと」
わたしは考える。ヴェルナーさんがこうやって問題を出してくるのはいつものことなので、自然とわたしも考える癖がついて来た。正直ちょっと面倒くさいと思うけど、お陰様でわたしの知性は確かに進歩しているので、結果的には感謝している。面倒くさいけど。
クロードさんはなんと言ったか。確か、特有の魔力波長を受信していると言ったはずだ。となると、
「魔界に近いと、魔力の波長が消されちゃう……?」
「そうだね。だいたいあってる。魔界というのは魔力に依って立つ世界だからねぇ。その辺の植物を見てもわかるけど、ライセンスカードの波長如きが比較にならないレベルの波を発している魔法的オブジェクトが桁違いに多過ぎるのさ」
「だからねセラちゃん。本当を言うとアタシ、こんなに奥地まで来る羽目になると思わなかったのよぅ」
レベッカさんはそう言うが、ヴェルナーさんの説明と彼女の言葉がいまいち結び付かない。
だけどレベッカさんに教えてもらうのはなんとなく癪なので、わたしは自分で考えてみて、すぐに思い至る。
「こんな奥地まで来て、ライセンスカードの反応を捉えられている事実自体がおかしい……?」
誰にともなく呟くと、クロードさんが「そうですね」と頷いてくれた。
「あり得ないことかというと、そんなことはありません。何故ならば魔界との境界線は曖昧で、厳密にどこからがとは決まっていないからです。例えばライセンスカードが魔界との境界線ギリギリこちら側の地点にあったとすれば、反応を拾うことはできるでしょう」
「だけどそれは『運が良ければ』って話だよ。こんな場所まで来て、こんな鮮明にカードの魔力を拾えるなんて、ハッキリ言って異常だ」
「ま。普通に考えて誰かのお膳立てを疑うわよねぇ」
要するに、ライセンスカードを移動させた魔物が、わざと見付けられる場所に置いていったか、あるいはわざわざ魔力波長を増幅させて見付けさせようとしているのだ。
「魔物がそんなことを考えるんですか?」
「頭のいい魔物ってのは存在するよ。ともすれば人間以上にね。ただ――」
「そんな魔物が雑魚ではあり得ない、ってのがいやんなところよねぇ」
知性が高く、強力な魔物。その条件に当てはまる存在をわたしは知っている。
大型種だ。
バッヘル領の黒い森は大型種が出現出来る規模ではないはずだが、魔界との境界線上までならばその限りではない。わたし達が普段戦っている魔物は小型種であり、これらは大型種の眷属なのだ。だから例えば、今回の件を裏で操っている大型種が『クラブロード』だとすれば、眷属の『クラブ種』に命令してライセンスカードを移動させて討伐者を誘き出し、自分は魔界との境界線に潜んで獲物がやってくるのを手薬煉引いて待っている――ということが考えられるのだ。
ただし、そうだとしても根本的な疑問は残る。
「だけど、バッヘルに出る魔物なんてロードになっても高が知れてる種ばかりだ。そんな知恵が回るヤツがいるとは思えないな」
「同感です。だからこそ不可解なのですが」
クロードさんは暫し悩んだ様子だったが、結論を出した。
「現時点で引き返すに足る決定的な理由はありません。続行します」
「了解」
ヴェルナーさんは肩を竦め、レベッカさんは多少不安そうだがリーダーに従う姿勢を示した。
「ただ、こうなってくると対象Bのパーティーが無事でいるとは思えないねぇ」
「仮に生きているとしたら、それは生かされてる……ってパターンよね」
「その場合はどうするの?クロード」
「状況によりますが、基本的には生存者の救出を試みます。ただし僕達の安全確保が優先です。場合によっては見捨てることを覚悟しましょう」
クロードさんの言葉はそれなりに冷淡だが、正しい。
仮にこの状況が魔物の計略だとすれば、対象Bのパーティーはわたし達をおびき寄せるための餌にされたということだ。そんな真似をする知性がある魔物が、人質という概念を持っていても不思議じゃない。
「引き返すことになるとしても、せめて状況を確かめてからです。なにもわからないまま戻っても、それこそ無駄足以外の何者でもない」
「ま、そうだね。臆病風に吹かれたパーティーなんて後ろ指を指されるのは御免だよ」
クロードさんとヴェルナーさんのその遣り取りで方針が決定したことを悟る。このパーティーの意思決定は基本的にこの二人の意見交換で行われるのだ。ここにレベッカさんが加わったのは、偏に彼女がこの場で最も経験豊富な討伐者だからだろう。なお年齢のことを言うと凄まれるので誰も触れないが、レベッカさんはパーティーの最年長である。なお年齢は『四捨五入すれば三十歳』とのこと。
撤収を推していたレベッカさんは結果的に方針を却下された立場になるが、彼女は大丈夫だろうかとわたしが見遣ると、視線に気付いたレベッカさんはウィンクをくれた。全然平気そうだ、っていうかわたし如きが心配するなんて烏滸がましいか。
「ここからは『連繋魔法』を構築して進みます。皆さん、警戒を厳に」
わたし達は再び奥地へ向けて足を踏み出した。
――暫く進んだが、不思議と魔物に遭遇しない。
「クレアさん?」
「……さっきまでは魔物の気配があったし。でも、居なくなってる」
まるで道を譲られているみたいで、酷く不気味だ。
それと関係あるのかはわからないが、わたしは進めば進むほどに息苦しさのようなものを覚えていた。
「セラちゃん、大丈夫ぅ?」
「はい……なんとか」
この症状を説明するのは難しい。胸が苦しいような、目が痛いような、耳鳴りがするような。
強いて言うならば、感覚が圧迫されているとでも表現しようか。
するとヴェルナーさんが口を開く。
「セラフィーナさんは普通の魔法使いよりも魔力に対する感受性がだいぶ優れているみたいだからね。この環境は、入ってくる情報量が多過ぎるのかもしれない」
成程、とわたしは腑に落ちる。
スメラギさんとの連繋魔法を通じて目覚めたわたしの魔法的感覚だが、どうやら世間一般の魔法使いのそれと比較して少々異質らしい――というのは、ヴェルナーさんやクロードさんに魔法を教わる過程で明らかになったことだ。
あの時、わたしは周囲の魔力の動きや魔法モデルを視覚的に捉えることが出来た。それはスメラギさんと繋がっていた時限定のことであったが、それ以降もあの感覚が完全に消えたわけではない。あれほど鮮明ではないが、変わらずにわたしは魔法というものを感受している。
「しかし、セラフィーナさんの感覚はこの状況で非常に頼りになります。苦しいでしょうが、」
「わかってます。大丈夫です」
行動出来ない程じゃあないし、わたしが役に立てるならば望むところだ。
現在パーティーはクロードさんが構築した連繋魔法の影響下にある。連繋魔法というのがそもそもなんなのかというと、簡単に表現すれば『意識下の連繋を可となさしめる魔法』であるとされる。この魔法でリンクした状態にある人間同士で、潜在的な意識や認識、感覚をある程度共有することが出来る……と言われてもよくわからないので、わたしがヴェルナーさんから教わった表現は、互いを感じ取れるようになる魔法、というものだった。
例えば危機感の共有。誰かが何かに対して『危ない!』と思えば、それが全員に伝わる。あるいは誰かが窮地に陥って『助けて』と思えば、やはり全員にそれがわかる。
互いを感じ取れるということは、仲間がそこに存在しているということがわかるということ。この感覚が齎す安心感は非常に強く、士気の維持にも大きく貢献する。この連繋魔法がどの程度の効力を発揮するのかは術者の能力に大きく依存するという点がネックだが、単純にあるなしだけで比較しても集団としての連携能力には雲泥の差が出ると言われている。らしい。
ちなみに、この連繋魔法には魔法使いでないクレアさんとロルフさんも加わることが出来る。デミである彼等は魔力を認識することだけは出来るので、連繋魔法から認識を一方的に受け取ることは出来るのだ。ただし、彼等は能動的に魔力を操ることは出来ないので、逆に彼等が認識したものを連繋魔法によって他者に伝えることは出来ない。
だから本当は斥候役のクレアさんが魔法使いだとパーティー全体の索敵能力の向上に繋がったりするのだが、それは無いものねだりなのでしょうがないのだ。
でも、わたしが有する魔力を捉える認識能力は、ことこの状況下においてはクレアさん以上の索敵能力を発揮するだろう。
なにせ、わたしには魔法そのものが見えるのだから、仮に魔物が迷彩魔法で視覚的に見えなくなっていても、わたしにはわかるのだ。もしくは、異常な魔力の動きがあれば即座に違和感として知覚出来るので、不意打ち対策にも有用なはずだ。
「大丈夫です。行きましょう」
わたしはもう一度言うと、歩き出す。
圧迫感の理由はわたしの特異な感覚が齎すものでもあるのだろう。だけど同時に、きっと精神的なものでもある。
わたし達の周囲は輝かんばかりに魔法の気配に溢れているが、あまりにも静か過ぎる。
遠くを見れば魔物が居ないわけではないのだ。しかしわたし達には近付いてこない。気付かれていないだけである、と楽観するのは簡単だが、わたしにはどうにも、違うように思えてならない。
おそらく奴等は、敢えて息を潜めているのだ。
一体、何故?
そして、わたし達はそれと出会う。
奥へと進むと、広く開けた空間に出た。そこはまるで聖堂のように、巨木が左右に一定間隔でシンメトリに並び、遥か頭上で枝を絡めてアーチ状の屋根を作り出していた。地面はどうやら水場のようだが、ここもまた巨木の根が複雑に絡み合って水面と同じ高さに床面を形成している。魔界の植物が振り撒く胞子が光り輝いて虚空を漂い、まるでシャンデリアのような絢爛な光を降らせていた。
自然に形成された空間にしては整い過ぎている。たぶん、黒い森という魔物が意図的に作りだした場なのだ。
樹木の聖堂、とでも言おうか。
その中心からやや奥に、異質な細い人影があった。
わたし達はその人影と相対するように姿を現さざるを得なかった。その人影が明らかにこちらに気付いて視線を向けていたので、隠れて様子を窺うのは無理だと悟ったのが一つ。そしてその人影の足元にはわたし達の捜索対象と思われる複数の人間が倒れ伏していて、その容態を確かめる必要があったのが理由のもう一つだ。
「――――ようこそ来やがりました。人間のおまえら」
声が届く範囲まで近付くのを待ち、その人影は慇懃に告げた。
外見は若い女に見える。クラシカルな従者服――いわゆる『メイド服』に身を包んだ、背の高い美しい女である。作り物染みた白い肌に、鉄錆色の頭髪。従者服の上からでもわかる非の打ちどころのないプロポーション。
しかし、その妙な台詞を聞くまでもなく、彼女が尋常の人間ではないことは明らかだ。
その双眸は瞳の色彩が人間のそれとは反転していたし、頭上には一見するとヘッドドレスの飾りのようにも見えたが、二本のねじくれた角が生えているようだった。
「魔物……?」
わたしは呆然と呟いていた。
そうとしか思えないが、そんなことがあるのだろうか。
「足元の彼等は、一応生きてるみたいだけど……」
声を潜めて呟くヴェルナーさんが言い淀んだ理由はすぐにわかった。
わたし達の前に対象Aを探してこの場を訪れたのか、あの魔物メイドにこの場に連れて来られたのかはわからないが、倒れ伏す人間は全部で六人居る。対象Bのパーティーだ。微かな呻き声と時折痙攣する様子から息があることはわかるけど、五体満足の者は一人も居ない。
というか、手足が真面に残っている者がそもそも居ないように見える。
「惨いな」
ロルフさんが掃き捨てるように言う。
あの有様では、殺してやった方がまだしも慈悲があるとわたしでも思う。
すると魔物メイドがこてんと首を傾げる。木組みの玩具を思わせる人間味のない動作だった。
「これでございますか?スコールはぶっ壊すつもりはありませんでした。人間のおまえらには人質という文化があると理解しておりますので」
「スコールというのは、貴女の名前ですか?」
魔物メイドの物言いに色々と言いたいことはあるが、とりあえずクロードさんが情報を引き出そうと質問する。
「そのようです。スコールに個体名は必要なかったのでなかったのですが、御館様がそう呼ぶのでそう呼ぶことになりました」
「御館様……?」
伊達や酔狂であんな格好をしているわけではなくて、どうやら魔物メイドのスコールは正しく従者であるらしい。御館様と呼ばれる存在も、おそらくは魔物なのだろうが、スコールのように人型をしているのだろうか。
その時、わたしは常に感じていた息苦しさが増したような気がして胸を押さえた。
呼吸が苦しいというわけではなくて、なんというか、強い圧迫感を覚えるのだ。それは目の前のスコールからではなく、四方の壁が自分に向かって迫ってきているかのような。
「クロードさん……たぶん囲まれています」
わたしの感覚を信じるならば、迫る壁は魔力だ。能動的に動く魔力がわたし達を包囲しつつある。この場で能動的に動く魔力の正体を考える必要はない。魔物に決まっているのだから。
わたしは悟った。ここまで不自然なくらいに魔物に遭遇しなかったのはスコールの差し金だろう。彼女はわたし達をこの場に誘き出す意図があった。そして遠くに身を潜めているように感じた魔物の気配は、わたし達を逃がさないための包囲網だったのだ。
「スコールはダメだと言ったのですが、生憎とこの子達は我慢弱いのです」
スコールの言葉に応じるように、樹木の聖堂を形作る列柱上に並んだ巨木の合間から夥しい数の魔物が湧き出した。
それはわたしが見たことがない魔物で、一言で表現すれば巨大なサソリである。巨大な鋏と毒針が特徴的なシルエットで、スコールの頭髪と同じ色彩の鉄錆色の甲殻に包まれた、人間大のサイズを有する毒虫であった。
スコールの言葉から判断するに、倒れ伏す討伐者達の手足をもいだのはこのサソリどもなのだ。一目では数え切れない物量だ。数十体という規模だろう。
「なんだあの魔物……初めて見る」
「アタシも、見たことないわね」
小声で交わされる会話から、わたしのみならずパーティーの全員が初見の魔物であるとわかった。
つまり、対抗手段が確立出来ていない相手だということで、控えめに言って最悪の事態だ。臨戦態勢を取りつつ、クロードさんが続けてスコールへと問い掛ける。
「スコールさん、貴女の目的はなんですか?」
「スコールはおまえらの中から『有格者』を見付けてこいと御館様に言われております」
「有格者とはなんですか?」
「イデアの担い手となり得る存在でございます。ところでおまえらのどれが有格者ですか?スコールにはおまえらの見分けがあんまりつかないので、できれば手を挙げて欲しいのです」
クロードさん達は揃って『何を言っているのかわからない』という表情だ。わからないのはわたしだけじゃなかったみたいで少し安堵。
ということはスコールはその『有格者』だか『イデアの担い手』だかを誘き寄せるために今回のことを仕組んだのだ。でもわたし達にはそもそもそれがなんなのかすらわからないし、まあわかったとしても素直に教える理由がない。
徐々に包囲を狭める魔物――サソリなので暫定『スコルピオン種』かな――との戦端が開かれようとする直前、スコールが「あ」と声を上げた。
「おまえらおまえら、大人しくしないとこっちのおまえらを殺します」
こっちの、と指差したのは足元の討伐者達だ。
人質としての利用価値を思い出したらしい。
クロードさんは一瞬だけ苦い顔をすると、しかしきっぱりと告げた。
「どの道長くはないでしょう。申し訳ありませんが、見捨てます」
せめて遺留品は回収してあげたいが、この状況ではそもそもわたし達が生きて帰れるか。いわんや他人の救援をしている余裕なんてあるわけもなかった。呻き声を上げている討伐者達は、既に真面な思考もままならない容態らしく、クロードさんの言葉に反応することもない。
スコールは再びこてんと首を傾げる。
「おかしいですね。人間は相互扶助の生き物だと聞いていたのですが。やはりぶっ壊したのがいけなかったのか」
そして一人納得したように頷く。
「スコールは学びました。人質は六人も要らなかったのです。今度は一人だけぶっ壊さずに残しましょう。他の五人は――」
わたし達を取り囲んだスコルピオン種の群れが、後から後から湧き出して、さざ波のようにぎちぎちと甲殻を鳴らす。
開戦の合図はスコールの号令であった。
「――喰い散らかせ」




