補完[ガールズトーク-2(end)]
~"懐刀"レキ~
「そう言えばプリムローズ様」
徐に切り出したイオ様に、アシュタルテ様は「んー?」と間延びした反応を返す。木造りの広い浴槽で、肩どころか顎まで湯につかったアシュタルテ様は、先程から順調に投げ捨て続けている威厳を更に放り投げて、なんだかそのまま蕩けそうなくらいに緩んだ表情をしておられる。その隣でまったく同じ体勢と表情でつかっているヴェルメリオ様とは、容姿は似ていないのに姉妹のようだ。
ちなみにクチバさんは『ご用命の際はお呼びください』と静かに言い残して席を外している。この水寧庵をただ一人で管理しているので色々とやることも多いらしく、それでいて呼ばれれば水寧庵のどこに居ても聞こえるのだとか。
「先日の花告祭……貴女様は王子殿下に花を贈ったとお聞きしましたが」
「あれ、よく知ってるね」
蕩けた目をぱちくりと見開き、アシュタルテ様が意外そうに言う。
「ええ、実は――」
アシュタルテ様がレオンヒルト殿下に花を贈ったそのすぐ後に、殿下本人と偶然にお会いして事情を伺ったのだとイオ様が説明すると、アシュタルテ様は「あー」と納得気な声を出した。
「それで、その、もしやプリムローズ様は、殿下のことをお慕いして……?」
「ん?ぜろえ、じゃないや王子殿下がそう言ったの?」
「いえ。殿下ご自身は『アシュタルテ嬢に嫌われたので花を貰った』というようなことを仰っていたのですが、意味がよくわからず」
アシュタルテ様が王子殿下のことを『ぜろえん』と言い掛けた気がしたが、気のせいだろう。
それはともかく、あの件は私達の間で色々な謎が残る出来事であった。そもそもなんで王子殿下が魔法で姿を偽って一人でほっつき歩いていたのかとか。なんでアシュタルテ様は嫌いな相手に花を贈ったのかとか。というか殿下相手に臆面もなく嫌いと言ってのけるとか流石アシュタルテはやることが違うとか。ところでなんで嫌いと言われた殿下はあんなに嬉しげだったのか、というまさかの王子殿下マゾ疑惑(不敬)とか。
イオ様も大変に気を揉んでおられたので、この機会にご本人に訊いてしまおうということだ。
「実はね、クラリスちゃんと約束をしてたのよ」
「はい?」
いきなり全然関係なさそうな事柄が出てきて、イオ様がきょとんとする。
「クラリスちゃんってさぁ、主人の贔屓目抜きにしても相当美人だと思うのよ。良い子だし、働き者だし、アシュタルテの従者であるっていう点にさえ目を瞑れば超優良物件だと思うのよね。でも何故か全然男っ気がなくて」
真面目に憂慮している様子のアシュタルテ様には悪いが、それはだいたい全部貴女様のせいだと思われます。アシュタルテ家の風評のせいで他家の従者に避けられてるとかって理由が一割くらい、後の全部はクラリスさんがご主人様好き過ぎるせいである。
私が思うに、クラリスさんに男の気配がないのは、イオ様も一目置くレベルの『プリムローズ様ガチ勢』である彼女にとって、男と恋愛などにうつつを抜かしている暇があるのなら、その一分一秒でもアシュタルテ様に尽くしたいという、ちょっと行き過ぎた忠誠心の為せる業だ。
要するにクラリスさん本人に、恋愛などするつもりが微塵もないのだろう。
とまあ、アシュタルテ様もその辺は一応察しておられるようで、
「そりゃあ私に尽くしてくれるのは嬉しいけど、私としてはクラリスちゃんにも女の子としての幸せを掴んでもらいたいわけでしてぇ」
従者目線で見て、いやクラリスさん充分幸せそうですよ、というのは言うだけ野暮なのだろう。
「クラリスちゃんはクラリスちゃんで、私に学生らしい青春を謳歌して欲しいって思ってるみたいだから、一つ交換条件を設けたのよね」
「交換条件、ですか」
「そ。クラリスちゃんとフォノンちゃんが花告祭期間中に誰かに花を贈ったなら、私もそれに倣うってね。んで、二人は首尾よく殿方に花を贈ったみたいだから、私も考えなくちゃいけなかったんだけど……」
そこにあの、リヒトベルガー公爵令嬢ご乱心の件が起きたと。
「ほら、色々とそれどころじゃなかったじゃん?もう時間もないしどうしよっかな~って思ってたところに、都合よく殿下が現れたもんだから、これ幸いと」
「「「………………」」」
私達のなんとも言えない沈黙が満ちる。
そんな適当な理由で王子殿下に花を贈る令嬢は間違いなくこの方だけだろう。というか、
「ちなみに、殿下からはお返しの花を頂いたので?」
「え?貰ってないけど」
「頂いていないのですかっ?」
「うん。別にいら――もとい貰っても困るし」
実にあっけらかんと言うアシュタルテ様であるが、あの時のレオンヒルト殿下のそこはかとなく嬉しそうな様子を知っている私にしてみれば、これは流石に殿下が不憫でならない。だってアシュタルテ様今絶対『別に要らないし』って言おうとしましたよね。アシュタルテ様にその気がないというのはイオ様にとっては安堵すべき事態なのかもしれないが、そのイオ様もなんとなく気まずそうな表情だ。
敢えて空気を読まずにソシエがアシュタルテ様に質問する。
「アシュタルテ様的には、殿下はどうなんですか?」
「うん?どう思ってるかって?」
よくぞ訊いた!と私とイオ様は視線でソシエを讃える。
アシュタルテ様は特に考えることもなく、ぺかーっと笑顔で、
「性格悪いよね」
「「「………………」」」
一番に出てくる感想がそれって。
なんかこれ以上聞くと、聞けば聞くほど胃が痛くなりそうなので、この話題には触れないほうが良さそうだ。アシュタルテ様があまりにも笑顔なので、宣言通りにレオンヒルト殿下のことがお嫌いなのか、それとも口で言うほどお嫌いではないのか、それすらもわからない。
高速でアイコンタクトした私達は話題を変えることにする。代表して再びイオ様が口を開く。
「花告祭といえばもう一つ、気になっていたのですが。もしや、ガルム王太子殿下とアトリーさんは恋仲なのでしょうか?」
あの日、リヒトベルガー公爵令嬢との戦いの後始末で関係者が集められた際、アシュタルテ様を挟んで王太子殿下の従者とアトリーさんがそんなような話をしていた気がする。私達は遠目からその光景を意外に思って眺めていたのだ。
なにが意外かって、ファーストコンタクトであれだけ険悪だったアシュタルテ様とガルム殿下が、従者経由とはいえいつの間にかそれなりに良好な関係を築いていることもそうだし、平民階級のアトリーさんが物怖じせずにアシュタルテ様に絡みに行く光景もだし、アシュタルテ様がなんだかんだでそれを許しているということも、である。
「いいえ。現状は、のう――カーマイン殿下の片想いね」
またなにか言い掛けませんでしたかアシュタルテ様。
「あの殿下がアトリーさんに……まったく存じ上げませんでしたわ」
「そりゃあ、露見しないように相当気ぃ遣ってるからね。主にクゼくんが」
その理由は説明されるまでもなくわかる。
親睦会でのイメージが強い私達にとってはガルム殿下の印象とはあまり宜しいものではないが、実のところ殿下も一人の青少年に過ぎなかったということだろうか。アトリーさんに惹かれる理由もわかる。私は彼女と殆ど関わったこともないが、彼女が多くの意味で非常に将来有望な人物であることくらいは知っている。稀有な才覚に、人好きのする性格、そして類稀な美貌。
だから私達が気になるのはむしろ、そこにアシュタルテ様がどう関わってくるのかということだ。
「プリムローズ様は、ガルム殿下の恋路を応援差し上げているのですか?」
「成り行きでねー」
どうやら、最初は仕方なしに首を突っ込んだのがきっかけらしい。というのも、リヒティナリア女子の生態に疎いガルム殿下が、不用意にアトリーさんを構おうとするものだから、殿下を慕う令嬢が爆発寸前だったのだ。ちなみにその話だったら私も知っている。いつの頃からかガルム殿下がアトリーさんに構うこともなくなったので、興味を失ったのだと言われていたし、私もそう思っていた。だってあの殿下だから、大方アトリーさんの魔法資質に目を付けただけだとしか思えなかったことだし。強者を求めるガルム的思考回路で。
で、首を突っ込んだアシュタルテ様は、どうやらこれは殿下のガチ恋だぞと知ってしまい、令嬢達を爆発させないためにテコ入れをせざるを得なくなった、という経緯だ。
「でまあ、のうき――カーマイン殿下ってあんなだから、恋愛相談できる相手なんて居ないし、私が色々と都合よかったんだろうね。うちのクラリスちゃん、あの子と仲良いし」
所謂、渡りに船であったということだ。
「ガルム殿下は、真剣なのですか」
「じゃなければ、協力したりしないわ。イオちゃんには想像し難いかもしれないけど、のうきん――カーマイン殿下ってあれで結構純情なのよね。一途だし、一生懸命だから、応援してあげてもいいかなって」
確かに全然想像出来ないが、アシュタルテ様がそう言うからには、きっとそうなのだろう。
というかアシュタルテ様、今はっきりと殿下のこと『脳筋』って言いましたよね。
「悲しいことにあの子、鈍感過ぎて殿下の想いに全然気付いてないんだけども、まあでも別に悪い気はしてないみたいだし」
ああ、アトリーさんらしい。あの人はわりと家格の低い家の令息とかには元から非常に人気があったのだが、多くのアプローチを無自覚に完スルーしてきた猛者ですからね。それがまた男心を弄んでいるようで周囲の令嬢の気に障ったという事情も多分にあるわけだが。
にしても王太子殿下まで無自覚に魅了してしまったのか。罪な人である。
「イオちゃん達ももし良ければ、カーマイ――脳筋殿下のことそれとなくフォローしてあげてね」
「逆です!アシュタルテ様っ!」
私が思わずツッコミを入れてしまうと、アシュタルテ様は『イイネ!』とばかりに小さな親指を立てて見せた。
「ナイスよレキちゃん。ツッコミ待ちだったからスルーされたらどうしようかと思ったわ」
「心臓に悪いです……」
本当に。
遠慮なくネタにするあたり、意外なくらいにアシュタルテ様はガルム殿下のことを悪く思ってはいないようだ。そんな気がする。
「ところで、イオちゃんは気になるお相手は居ないの?」
「えっ!?」
ここでアシュタルテ様からの突然のぶっこみ!
入浴して血行が良くなったイオ様のお顔が、更にわかりやすく赤くなる。
「お。その反応、さては居るのね?」
「あ、あああの、そのえっと」
まさか目の前の貴女ですと言えるわけもなく、イオ様は挙動不審になってしまう。そしてその様子がますますアシュタルテ様の興味を惹いてしまう悪循環の完成である。
ちなみにイオ様がアシュタルテ様に向ける感情が『どっち系』なのかというのは、実は私にもよくわからなくて、なんだか訊くのも怖いので曖昧なままになってしまっている。別に同性愛者というわけではないはずだが。強いて言えば、アシュタルテ様以外の相手を特別視する気配がないのだ。異性が好きとか同性が好きとか以前に、まずアシュタルテ様が好き、みたいな。
「YOU白状しちゃいなヨー!だいじょうぶちゃんと内緒にするし、応援するから!」
「あうぅあぁ」
とか傍観している場合じゃなかった!
いけませんアシュタルテ様、それ以上はいけません!イオ様の精神的なキャパがオーバーしてしまいます!
ほらもうイオ様真面に喋れなくなっちゃってますから。憧れの人と混浴というだけで相当刺激が強いのに、その相手が裸で詰め寄ってくるという状況にイオ様の視線はあっち行ったりこっち行ったり大忙しだ。
たぶん全然真面に頭働いてないんだろうなぁ。こんな挙動不審なイオ様のお姿は初めて見た。
「あれ?イオちゃん?おーい」
「きゅう」
「イオちゃぁぁぁぁん!?」
ああ!イオ様が沈んだ!
のぼせてしまったイオ様を救出し、介抱は心得のあるクチバさんにお任せした。
脱衣所の片隅から聞こえてくるイオ様の悩ましげな呻き声をBGMに、私はクチバさんに代わってアシュタルテ様のお世話を請け負い、彼女の淡雪色の長髪を慎重に乾かす。水魔法使いとは水分を操作する専門家なので、私にとって頭髪の水分を飛ばすくらいのことはわけないのだが、相手が相手だけに緊張して慎重にならざるを得ない。
ちなみに湯から上がったアシュタルテ様はもと着ていた戦装束のゴシックドレスではなく、クチバさんが用意した浴衣を纏っている。ヴェルメリオ様も同じ装いだが、そんなサイズの浴衣の備えがあったことに驚きである。子供の来賓が訪れることもあるのだろうか。なおソシエは一足先に上がったヴェルメリオ様の御着替えをお手伝いした後、今はクチバさんのところでイオ様を仰ぐお手伝いをしている。
「あ!」
不意に声を上げたヴェルメリオ様が、脱いだ衣服と一緒に置いてあったご自分のリュックから何かを取り出すと、アシュタルテ様に駆け寄ってきて差し出した。
「あるじさま!これあげる!」
アシュタルテ様が座ったまま受け取ったそれに、彼女の髪を乾かしつつ私も肩の上から覗き込んで見てみる。アシュタルテ様がちょんと指で摘んでぶら下げているのは、小さなアクセサリーのような物だった。球形に磨かれた鉱石のようなものに、金属製の枠組みと洒落た飾り紐のストラップが取り付けられている。
「護符、かしら」
よく見れば鉱石部分の表面には精緻な紋章術が刻まれていて、魔法的な効果を付与されていることがわかる。その上から透明な樹脂のようなものでコーティングしてあるようだ。
「変わったデザインですね」
「ね」
目を惹くのは、その樹脂の表面に彫り込まれた特徴的な模様であった。大小三つの円弧が組み合わされたマーク。記号化された笑顔を表すそれは、所謂『にこちゃんマーク』とか呼ばれる類のものだ。樹脂に掘った溝に墨を入れて際立たせた『にこちゃん』が、でかでかと存在を主張しているせいで、デザイン的にはカジュアルにもフォーマルにも成り切れない中途半端な印象だ。それさえなければお洒落なアクセとして礼装にも応用が利きそうな作りだし、逆に普段使いするには『にこちゃん』以外の部分が少々大袈裟だ。
だけど、どこか、ほっこりするような不思議な調和があるのは何故だろう。
「ヴェルメリオ、どしたのこれ」
「もらった」
たどたどしいヴェルメリオ様の説明曰く、この護符は仕損品らしく、作った職人本人から『どうせ捨てるだけの物だから』と譲ってもらったそうな。
「へぇ……失敗してるようには見えないけどなぁ」
「ですね。普通にお金が取れる出来だと思いますが」
「ちなみにヴェルメリオ、これくれた人って、男の子?」
過保護なアシュタルテ様の確認に、ヴェルメリオ様は首を横に振った。
「めがねのおねーさん」
「ならよし。ちゃんとお礼は言った?」
「いった」
「よし。と言ってもヴェルメリオに、ってくれたものを私が貰ってもしょうがないんだけど……まあ今更か」
ヴェルメリオ様がこうしてアシュタルテ様に贈り物をするのは珍しいことではなく、むしろ毎度のことなのだそうだ。ヴェルメリオ様的にはご主人様に贈り物をするという行為自体が重要なのであって、アシュタルテ様が受け取ってくれて、少なからず喜んでくれればそれで満足で、自分が何を贈ったのかもすぐに忘れてしまうらしい。
結局ヴェルメリオ様自身に物への執着がないので、仮にアシュタルテ様に受け取ってもらえないとしたらヴェルメリオ様にとっても持っている価値の無いものになってしまうので、あっさりと処分してしまう。そうなるくらいなら、と受け取るのがアシュタルテ様の常のようだ。
「そこをいくと、今回は物が真面なだけ当たり回ね」
「真面でない物だったことが?」
「あるわよぉ。ねえヴェルメリオ、いつだったか『美味しかったから』って虫を持ってきたことあったでしょ」
「あった?」
あったのよ、とアシュタルテ様はヴェルメリオ様の額を優しく小突いているが、美味しい虫を贈られた彼女は一体どう処理したのだろうか。
「え?食べたけど」
「食べたんですか!?」
「うん。佃煮にしたら独特の食感で中々美味しかったわ」
知っていたことだが、アシュタルテ様は少々逞し過ぎる。
もしかしてその凄まじいタフネスが彼女の凄さの秘訣なのだろうか。
「一応言っておくけど、ちゃんと食用の虫だったからね」
「なんの慰めにもならないです……」
「まあ、ヴェルメリオが持ってきたのは食用の市販品じゃなくて、野生のを自分で捕まえてきたみたいだけど」
「それは聞きたくなかった……!」
例え同じものだとしても、そこには天と地ほどの違いがあるのだ。印象的な意味で。
ちょっとだけ気分が悪くなってきた気がする私を揶揄うような笑みで見上げていたアシュタルテ様は、受け取った護符に視線を戻し、なんとなしに眺めながら呟く。
「とりあえず、ありがたく貰っとこうかな」
何かの役に立つかも、と言って彼女はヴェルメリオさんの頭を撫でた。




