285話_side_Io_フレンネル伯爵家_水寧庵
~"黒髪令嬢"イオ~
これは試練なのだ。そうに違いない。
プリムローズ様が、わたくしの忍耐を試されているのだ。
今こそ、日々の鍛錬で培った精神力が問われているのである。
霊巌洞の中心に佇む寺院の名を『水寧庵』と言うが、その一室をプリムローズ様にお貸ししてアヴァターを解除するために着替えをしてもらった。この水寧庵と霊巌洞の管理を行っている専任の者は、クチバという名の女性なのだが、彼女が補助役兼目付としてプリムローズ様に同行している。本当はわたくしがお手伝いをしたかったのだけど、何故かレキとソシエが口を揃えて『クチバ様にお任せしましょう』と言うものだから、涙を呑んで大人しく室外でお待ちすることにしたのだ。
ちなみにクチバは少々特殊な立場の人物で、外見は割烹着姿の黒髪美人である。
結論から言えば、レキ達の進言は全く以て正しい意見であった。主にわたくしの忍耐的な意味で。
「待たせたな……――どうした?」
そうして現れたプリムローズ様のお姿の、麗しいこと!
あの色々な意味で(主にわたくしの)心臓に悪いアヴァターを解除したプリムローズ様は当然わたくしが学院で見慣れたいつものお姿なわけであるが、その身に纏う衣装がわたくしの想像だにしないものだったのだ。
学院の制服でないのは当たり前だが、まさかドレス姿をお目に掛れるなんて。
バトルドレスの一種と見受けられるが、ゴシック系のデザインラインで黒基調のローズピンクとのツートンカラーだ。アンダーバストのコルセットで華奢なボディラインを強調している上半身に対し、下半身はレイヤードのスカートが花弁のように折り重なってふんわりとしたシルエットを形作っている。膝丈のスカートの下にはペチコートと、足元はヒールの高いロングブーツだ。
プリムローズ様は元々、花の意匠を好まれる方であるが、このドレスも例に漏れないことが一目でわかる。全体のシルエットも然ることながら、随所にあしらわれたフリルはローズピンクの色味と合わさって、まるで本物の花弁のようだ。コルセットの留め金やベルトの尾錠は一つ一つが職人の手のものと思われる精緻な彫金細工で、彼女の象徴であるプリムラをデザインしていることがわかる。
淡雪の如き長髪は高い位置でサイドテールにされていて、ヘッドドレスと一体になった髪留めで結い上げられている。御髪を彩る一際大きなリボンも、ダメ押しのように花弁の形をしていた。
「そ、そのお姿は、一体……」
わたくしがなんとかそれだけを絞り出すと、プリムローズ様は少しだけ気恥ずかしそうに頬を染めて、スカートを指でちょんと摘んで見せた。
はうぁ!
嗚呼いけません、そんな可憐な仕草をされては、わたくしの精神がもたない。
「うむ。所謂戦装束というやつなのだが」
「もしや、そのお姿でお役目を?」
「いや、一応、子飼いの連中と揃いの制服があるのだが、あまりにも華がないとクラリスにダメだしされてな。私としては、機能さえ満足していれば外見には然程こだわりもなかったので、ならばとヤツに一任してみたのだが……まあこの有様だ」
ああ、クラリスさんグッジョブでございます。わたくしは内心で彼女を褒め称えた。
流石はプリムローズ様の専属従者。プリムローズ様が最も映える装いをよくわかっておられる。
「バトルドレスとしての機能のほうは私が監修したからまったく問題ないし、これで意外と動きやすいんだ。その辺、クラリスもデザインと機能性を両立させるために職人の元で学んだりして並々ならぬ労力を割いた結果だと知っているので、無碍にもし辛くてな。デザインはすごい好みだし……」
言い訳っぽく早口でもにょもにょと呟きながら、きょろきょろと自身の装いを眺めるプリムローズ様の所作が愛らし過ぎる。
凝視するわたくしの視線に気付くと、彼女は誤魔化すようにその場でくるりと一回転して、スカートをふわりと広げて見せる。
「どうだ?……その。似合う、だろうか?」
自信なさげに、はにかみ顔でそんな台詞を言われると、わたくしはもうフリーズするしかない。
よく似合うし、可憐過ぎるし、美しいし、素晴らしいのだが、どんな言葉で表現したとしても実物には及ばないのである。
強いて、今の彼女のことを言葉で表現するとすれば。
唯一、それらしい表現があるとすれば、これはもはや――
「尊い」
わたくしは神に感謝した。
ちなみにその神様はアシュタルテ家のお仕着せを纏った銀髪の女性の姿をしている。
胸を押さえて奇跡の顕現に感じ入るわたくしを、プリムローズ様は「大袈裟なヤツだな」と笑い、レキとソシエは微笑ましさを若干通り越した呆れ顔で眺めていた。
別室で待っている両親の元へとクチバに案内されるプリムローズ様を追いながら、わたくしは小声でレキ達に問い掛けた。
「わたくしにゴシックファッションは似合うでしょうか……?」
「「…………お嬢様」」
さてはコイツお揃いの衣装仕立てるつもりだな、みたいな顔で見られた。
だってだって、とっても素敵なんですものっ!
水寧庵の内装は王国の様式が半分と、東方の様式が半分くらいの折衷となっている。
来賓が立ち入るような場所は基本的に王国様式で土足可であるが、東方様式は土足厳禁の板張り畳敷きが基本だ。両親が会合の場に選んだ一室は畳敷きの部屋で、ブーツを脱いで入室したプリムローズ様のお姿を目にした母上の第一声がこれである。
「あらあらまあまあ!なんて可愛らしいのかしら!」
「場にそぐわない装いですが、ご容赦いただきたい。これしかないので」
「まったく問題なくてよ。ねえ旦那様」
母上に水を向けられた父上は無言で頷く。
傍目には母上だけが燥いでいるように見えるだろうが、その実、父上も母上に負けず劣らず可愛いものがお好きなので、プリムローズ様の装いに感激していないはずがないのだ。
その証拠に、
「プリムローズ嬢」
「はい?」
「息子と婚約してウチの子にならないか?」
真面目くさった顔でそんなことを言い出す始末。
プリムローズ様は冗談だと捉えたようで、苦笑して「お父様が頷けば構いませんよ」と答えられた。それを受けて父上は至極真面目な表情でアシュタルテ侯爵の攻略法を思案し始める。
「イオちゃんも昔はこういう格好してくれたのだけど、最近は全然ですもの。わたくし寂しくって」
おっとりと呟く母上に愛想笑いを返して、プリムローズ様はわたくしに共感の視線を向けてくる。
彼女自身、クラリスさんの押しに負けての装いでしかないので、すすんでこういう格好をしたいとは思っていないのだろう。
なおわたくしは今、とってもそういう格好をしたい。ごめんなさいプリムローズ様。イオは裏切りました。故あって、裏切るのです。
「本当に可愛らしい。ちょっとズルいくらいですの。なんというか、こう――」
母上は少し言葉を探して、徐に顔を明るくした。
「尊さすら感じますわ!」
部屋には入らず廊下で控えていたレキ達から、『親子ですね』とでも言いたげな視線を感じた。
紆余曲折あったが、漸く本題に移る。
畳敷きの一室で、両親とわたくし、そしてプリムローズ様が向かい合って座る。他の者達――レキとソシエ、クチバとそれからヴェルメリオさんには席を外してもらって、別室で待機してもらっている。
母上が手ずから点てたお茶をいただき、遠く聞こえる滝の音に耳を傾ける。状況が違えば安らかなひと時になったであろう。この場にプリムローズ様がいらっしゃるのが奇跡のようなものなのだが、いつかやり直しが出来ればいいなと思う。
父上と母上が肩を並べて座り、その正面にプリムローズ様が。わたくしは両親の横か後ろに座るべきなのだろうけど、我儘でプリムローズ様のお隣に腰を据えさせてもらった。
意外だったのはプリムローズ様は正座に殆ど抵抗感がないようだ。父上は『脚を崩しても構わない』と仰ったが、プリムローズ様はドレスのスカートの下で行儀良く脚を畳んで涼しい顔で正座している。それどころか、若干怪しい点は見られるものの、お茶を飲む作法に至ってもある程度の理解があられるようで、わたくしは彼女の教養の深さにまたもや憧れを強めるのであった。
まず口を開いたのはプリムローズ様だ。
本件はそもそも彼女からわたくしへの手紙が契機となっているので、彼女から今一度経緯の説明をされる。わたくしは既に手紙で知っている内容が大部分であるし、それは父上にも既にお伝えしているが、やはり当人の口から聞く方が伝わることは多い。
「――つまり其方は、とある目的のために『教団』に対する調査を行っており、討伐者に扮して活動していた。その過程で遭遇したスメラギなる人物の素性を確かめるために、我がフレンネル家に照会を求めた、ということだな」
「その通りですが、私が直接接触したわけではなく、目撃証言を聞いただけです。確証もない情報に過ぎませんので、差し当たりはご息女に心当たりを尋ねてみようという程度の動機でしたが」
父上に対し、口ではそう言っているプリムローズ様であるが、おそらく彼女には一つの予想がある。
最悪のケースを想定してしまったが故に、秘密裏に照会を求めてきたのだ。
そしてそれは彼女の誠意だ。
父上は聞いた内容を整理するように暫しの間を置くと、重々しく口を開いた。
「結論から言えば、スメラギという名に心当たりはある。その名を持つ者が居るとすれば、フレンネルの縁者に違いない」
ここまでは言うまでもないことだ。だからこそ、プリムローズ様を直接お呼び立てしたのだから。
「時にプリムローズ嬢、フレンネル家の人間のミドルネームの意味をご存じか?」
「……東方における家名の一種であると推察しますが」
「いかにも」
リヒティナリア王国においてはミドルネームを持つ者は貴族であると定められている。ミドルネームとは貴族だけが名乗ることが出来る特別な名前ということだ。この名付けに厳格なルールは存在しなくて、各家の独自のルールに基いて決められていることが多い。
大まかにわけて、第二のファーストネームである場合と、第二のファミリーネームである場合があるのだが、王国の主流が前者でフレンネル家は後者のパターンなのだ。ちなみにプリムローズ様のミドルネームである『フラム』は彼女の祖母の名前から頂いたものらしい。第二王子殿下であるレオンヒルト様の『カイン』と第二王女殿下であるシャーロット様の『レヴィン』は、それぞれの母君のご生家に由来する名前だ。他には、叙爵されたばかりの新興貴族は、平民として元々持っていた家名をもじってミドルネームとするのが慣例であるとされる。あるいは、新興貴族の中には極端に音の短いミドルネームを有する者が少なくないが、それは『名乗りが長い(=名前が多い)ほど貴い身分である』という王国黎明期の慣例に則って、末席である身分を弁えて敢えて短い名を付けるというケースなのだ。例えば、ベリエ男爵家のマルグリットさんのミドルネームである『ル』とかがそう。これもまた、ルールではなく各家が自発的にやっていることに過ぎない。
「フレンネルのルーツを遡ると東方の『青爛』という国家の王族に辿り着く。随分前に国号が変わってしまっているので、かの国は既に存在せず、その王家の一族もまた然りだ」
「もしやその王家というのが……?」
「そう、スメラギ家だ。リヒティナリア王国建国前よりフレンネル家は存在していたが、統一戦争において並々ならぬ功績を立てた異国の英雄『アキヒト・スメラギ』と、時のフレンネル家の女当主が婚姻を結び、以後両家の名を冠した『スメラギ・フレンネル家』として四大貴族の一角を担ったのだ」
遠い東方国家の王族がリヒティナリアの統一戦争に参戦した経緯には様々な事情があったようなのだが、それは流石にこの場で語ることではない。
しかし、スメラギ・フレンネル家として興ったはずの当家が、今はただのフレンネルとなっている。そこに、今回の件に関わるかもしれないクリティカルな内部事情が存在するのだ。
「当時、異国へ訪れていたアキヒト・スメラギには四人の従者が居た。その四人が後の分家となった。俺の生家である『キサラギ家』や、先代の生家である『ミナツキ家』はその一つということだな」
「いつか、なにかの経緯で『スメラギ』の名を使うことが出来なくなった……?」
「というよりも、その名を名乗る者が途絶えたのだ。つまりスメラギ家の直系は記録上、既に存在しない」
「!」
プリムローズ様が目を瞠る。
即ち、わたくし達は厳密にはスメラギ・フレンネル家の直系の子孫ではないのだ。家を絶やさないために分家から新たに当主を立て、そこから始まった分家由来のフレンネル家というのが、現存するフレンネル家の正体である。尤も、直系でなくとも傍系ではあるので、建国の英雄の末裔であることには変わりないため、四大貴族を僭称しているわけではない。
なので、それ自体はいいのだ。あまり吹聴出来る事柄ではないが、継承問題の一例として珍しい話でもない。
問題は、
「だが、途絶えたと思われていたスメラギ家の直系が、生存している可能性が出てきた」
「正統性を問うお家騒動が勃発……という話ではなさそうですね」
それはそれでわたくし達にとっては憂慮すべき事態となっただろうが、そうであればまだマシだった。
件のスメラギなる少女が本当にスメラギ・フレンネル家の直系で、正当な後継者であると主張されたのであれば、そしてそれが証明されたのであれば、父上が然るべき対応をしてフレンネル家の正しき姿を取り戻すことになるだろう。
だが、違うのだ。
スメラギ家の直系は『存続』ではなく『生存』している可能性があったのだ。
「……スメラギ家の直系が途絶えたと思われていたのは、今より二百年ほども前の話だ」
「二百年……――待て、先程、閣下は生存と仰ったか?」
プリムローズ様も、その表現が単なる言葉の綾ではないと察したようだ。
「いかにも、そう言った。記録によるとスメラギ・フレンネル家最後の直系は『サヤ・スメラギ・フレンネル』と言う名の女性だ」
「今回目撃されたスメラギは、そのサヤとやら本人であると?根拠は?」
「確証ではないが、根拠はある。もし、」
一旦言葉を区切り、父上は眼光を鋭くして、覚悟を決めたように告げた。
「もし、そうであれば。我々にとってスメラギは討伐対象となる」




