284話_side_Pr_フレンネル伯爵家_霊巌洞
~"転生令嬢"プリムローズ~
伯爵夫人のおかげなのか、はたまたハイメロートのおかげなのかはわからないが、とにかく私は一応伯爵閣下のお眼鏡に適ったようだ。
話を進めるにあたって、場所を変えようと促す夫妻の背に続き、霊原の中を歩く。
石造りの舞台があった山間の草原を通り抜けて、森の中へと分け入る。獣道ではなく、一定間隔で手摺用の杭と荒縄が配されていて、人が歩くために整備された山道という風情だ。勝手知ったる様子で進む伯爵夫妻の背を見失わない程度に着いて行きつつ、私は物珍しさに周囲を見回してみるが、生憎と鬱蒼と茂る木々と宵闇しか視界に入らない。ちなみに私の後ろにはイオちゃん一行が居て、先程イオちゃんの腕に抱かせたヴェルメリオは、今は何故かソシエくんのリュックサックの中に収まっている。本当に何故だ。
深く息を吸うと色濃い緑の匂いがする。石舞台の上でも遠くに聞こえていた渓流の音が、だいぶ近くに聞こえていた。空気に混じる水の気配を感じる。支流が合流しているのか、どうやらそれなりに水量のある川のようだ。
道の勾配は緩やかで、少しずつ下っている。おそらくは川の流れと並行して歩いているのだろう。
暫く歩むと、森が開けて夜空が見える場所に辿り着く。しかし、そこは先程とは違って草原というわけではなかった。
「わぁ……」
思わず声が出る。
それは巨大な穴であった。
山林の只中に、断崖のように切り立った穴が口を開けているのだ。一種のシンクホールであろうか。夜の闇のせいで全貌を見通すことは叶わないが、それでも常軌を逸した規模であることくらいは見て取れる。
「こちらだ」
呆然と眺めていた私は伯爵の声で我に返る。断崖の縁に沿うように整備された山道が続いていて、伯爵はそちらへと進んでいった。轟々と流れる水の音を直に感じる。空気中に舞う飛沫を鑑みるまでもなく、近くに滝がある。
たぶん、この巨大な穴のどこかに、川の水が流れ込む滝があるのだ。
今が夜であることを少しだけ惜しく思う。月明りのおかげで多少は見通せるが、大部分はとっくりと闇に沈んでしまっている景色に対してだ。晴れた日中だったら、きっと素晴らしい絶景が拝めただろうに。
そこから再び木々の間を歩き、ややあって辿り着いたのは人ひとりが通り抜けるには充分な広さのある岩窟だ。山中に現れた岩肌に、黒々とした闇を湛えた横穴が佇んでいる。見たところ天然の産物のようだが、人の手が入っていないわけではなさそうで、山道と同じく通行用に整備された形跡がある。
「足元に注意されよ」
伯爵は言葉少なに注意喚起をすると、躊躇なく窟の中に歩みを進めた。
まあ、閣下はともかくとして、その後ろに続く夫人は大丈夫なのかと心配になってしまう。だってどう見てもアウトドアに向かない着物姿だし、転んだりしたら色々な意味で大変である。そんな私の心配をよそに、夫人は夫人で通い慣れた道を行く様子で淀みない足取りであった。
流石に横並びで歩くスペースはないので縦列にならざるを得ないが、先頭の伯爵が闇の中に足を踏み入れると、どこからともなく湧き立った炎が壁に彫り込まれた燭台に燈り、窟内をほの青く照らし出した。
所謂『陰火』と呼ばれる、青い炎だ。
「最近は青い炎に縁があるな」
なんとなく呟くと、背後に続くイオちゃんがくすりと笑う気配がした。
尤も、ジークリンデ先輩の蒼炎はもっと鮮烈に目を焼く色彩をしている。この陰火はもっと優しい光で、だけど少しだけ不気味で、なによりも儚い趣があった。
まるで、黄泉の国へと歩いているみたいな、そんな錯覚すらしてしまうほどに玄妙な雰囲気に満ちていた。
そして――――
「…………」
今度は、言葉すら出なかった。
岩窟を下って辿り着いたのは、先程上から眺めていたシンクホールの底だ。
あまりにも巨大な穴の底には、湖があった。
予想の通り、山中で一つとなった川の水が流れ込んでいるようで、私達が辿り着いた場所とは反対側に雄大な滝がある。滝の麓はそのまま穴底と直径を同じくする巨大な湖となっていて、断崖に囲まれた景観は絵に描いたような地底湖の姿であった。
その湖の中央には隆起した岩塊の島があって、滝を背にする一つの寺院が建てられていた。
岩塊をそのまま削って基礎を作り、その上に飾り気のない木造の建築が佇んでいる。遠目には装飾こそ質素に見えるが、作り自体は歴史の風格を感じ取れる立派な寺院であると、そちらの造詣に乏しい私でも見て取れる。
岩窟の出口から寺院まではこれまた大層な木造の橋が渡されていて、朱塗りの欄干が鮮やかだ。要所に配置された擬宝珠は内側が繰り抜かれていて、そこには黄昏色の炎が燈って灯篭となっていた。
驚くほどに美しく、そして明るい空間だった。
月明りではない。
空中に蛍のように無数に漂っているのは、やはりほの青い陰火である。一つ一つは優しく穏やかな光でも、宙を埋める程の密度となれば光量は推して知るべし。だというのに目に痛くならないのが絶妙な塩梅であった。
上から眺めた際にはこんな灯りは見えなかった。というかそもそも穴の底が見通せなかったはずなのだが。
「空に『帳』を張っている。上からは見えん」
私の疑問を読み取ったのか、伯爵が教えてくれる。
察するに結界の類で秘匿されている場所なのだろう。これだけ大規模な空間を隠蔽しているにしては魔法の気配を全然感じなかったので、おそらくは私の寮室に施されているような論理結界の類だ。
まさしく、秘境ということか。
「ここは、どういう場所なの?」
「霊巌洞と呼ばれている。我らフレンネルの者が霊原で修練を積む際に滞在する場所だ」
「同時に、祭祀の時に訪れる来賓をもてなす場所でもあるのよ。貴女にとっては、ちょっと変わった旅籠屋くらいに思ってくださいな」
なんとも雅な宿だこと。
ここに来るまでの道が整備されていたのはそういう理由だったのか。降りてくる時の岩窟にしたって、視界こそ悪かったが足元はしっかりと均されていたし。
尤も、どう見てもただの宿泊場所という風情ではないので、本来の用途は別にあるのだろう。あるいは、霊的なランドマークだったりするのかも。前世風に表現すれば、所謂『かむなび』というヤツ。
伯爵夫妻に説明されつつ、中央の寺院に向かって歩を進める。
「この霊巌洞には、管理を担う専任の者が一人居るだけで、山影は入らない」
「山影というのは、周囲に潜んでいた者達のことですか?」
「そうだ」
石舞台から移動する道中でも、複数の隠密らしき気配が付かず離れずの距離感で追従していたことには気付いている。ただ、それらの気配は私達が岩窟に足を踏み入れるところを見届けると、それ以降は感じられなくなった。
言葉少ない伯爵に代わって、夫人が私の隣に並んで歩きながら言う。
「だから、そろそろ警戒を解いてはもらえないかしら。貴女のことはイオちゃんからよく聞いておりますの。できれば、わたくし達とも仲良くしてほしいわ?」
夫人がそう言って意味深な視線を愛娘に向けるので、釣られて私が肩越しに後ろを見ると、視線が合ったイオちゃんは恥じ入るように頬を染めてはにかんだ。
そんな可愛い顔をして、さては私の理性をぶち殺す作戦だな?
などと冗談はともかくとして、夫人が言っているのはつまりそろそろアヴァターを解除してくれてもいいんじゃないか、ということだ。
「うーん」
私は難しい顔にならざるを得ない。
最初に伯爵からのアヴァター解除要請を断った私であるが、実は警戒心故だとは一言も言っていない。勿論、山影とやらが周囲に潜んでいる状況でアヴァターを解除するのはリスクが上がる行為ではあるが、実際のところ私の対応力自体はアヴァターを解除しても然程変わらない。だって不意打ちを受けたら白魔礼装が仕事するから、時間が停滞している間に再度アヴァターを纏えば良いだけの話だし。
だから、私が渋る主な理由はそれじゃないのだ。
「諸般の事情、と仰られておりましたが……もしやアヴァターを解けないご事情が?」
イオちゃんが心配げにそう問うてくるが、実はそうなんですよ。
というのも、
「この服が問題でな」
首元の真紅のストールを持ち上げてそう言うと、フレンネル母娘は「服?」と異口同音に呟いた。
「この服はアヴァターの一部ではないので、今転神を解くと、着ている衣服が宙に残ってしまうのだ」
「ええと、でも、転神前は服を着ておられたのでしょう?でしたら服が二重になるだけでは……え、もしかして、その」
「別に裸で転神したわけではないですよ」
すごく言葉を選んでいる様子の夫人に苦笑気味に弁明する。
イオちゃんは何を想像したのか顔を赤くして明後日の方向を見ていた。
なお実際のところはよくわかっていないことなのだが、転神を使った際に着ていた衣服がどうなっているのかというと、おそらくは肉体と一緒にどこかに亜空間収納されているのだろう。アヴァターってのは即ち術理的な肉体なので、転神とは物理の肉体と術理の肉体を一時的に交換する能力であるとも言える。だから最初に着ていた衣服は肉と一緒の扱いというわけだ。
じゃあ今私がアヴァターで着ている衣服はどうなのかというと、これはアヴァターのプリセットであるあの恥ずい服を意図的に消して、裸のアヴァターにクラリスちゃんから借りた衣服を纏っている状態だ。術理の肉体に物理的な服を着ている状態。ここでアヴァターを解除すると、術理の肉体は物理の肉体+元々の服に置き換えられるので、服の中に服を着るという奇妙な状態になる。ところがどっこい、ことはそれだけに留まらず、服同士の座標が被った際には空間を獲り合って互いに押し退けられるはずなので、今みたいにタイトな格好をしていると高確率で干渉により衣服が吹っ飛ぶ。認識圏に守られた肉体に影響はないが、まあ肌着が多少残れば良いほうだろう。
というわけで、
「流石に、伯爵閣下の前でストリップをする勇気はありませんので」
私がそう言うと、地獄のような沈黙が満ちる。
寺院へと続く橋の中程で、全員の脚が止まる。私以外の女性陣が揃って視線を向けているのはこの場の唯一の男性である、先頭を行く伯爵閣下だ。聞き役に徹していたソシエくんとレキちゃんばかりか、ヴェルメリオまでリュックから顔を出して彼を見ている。いや、ヴェルメリオはノリで真似をしているだけだろうが。
「旦那様……」
「待て、俺に非はないだろう。……ないだろう?」
振り向いて憮然と告げた伯爵閣下だが、女性陣の視線の圧があまりに重いためか、自信なさげになって私に確認を取ってきた。私が普通に「ないです」と返すと、彼はあからさまに安堵した顔になった。
そりゃあ、伯爵は私の衣服事情なんて知らなかったわけだし。
もし知っていてアヴァターを解けと言ったのであれば、それは娘と同い年の女相手に『裸になれ』と言っているのとほぼ同義なわけで、変態の誹りは免れませんなぁ。
「というわけなので、着替える場所を貸していただけますか」
「心得た。話はその後にしよう」
ちなみに、アヴァターでの活動中にやむを得ず解除する必要に駆られた場合は、一度アヴァターのプリセットの衣装を展開して衣服を消し飛ばしてから、転神を解除して本来の身体に戻るつもりでいた。
クラリスちゃんからの借り物の衣服を消してしまうのは心苦しいが、貧相な裸体を晒すよりマシである。むしろクラリスちゃんにしてみれば徒に私の肌が晒されることこそを厭うだろうというのは想像に難くない。ついでに言うと、私が借りてきてる討伐者っぽい服装って、基本的にはクラリスちゃんはあまり着たがらない格好なので、ぶっちゃけ消し飛んでも大して惜しくないという事情もある。
私はクラリスちゃんにナマ足魅惑のマーメイドして欲しいだけなのに、彼女は中々着てくれないのだ。
尤も、クラリスちゃんは私に只管可愛らしい格好をさせたがるのだが、私は私でそういう衣服は殆ど着ないので御相子である。
フリルふりふりのゴシックロリータ風ドレスとか、中身の年齢的にいやーきついっす。
……まあ、今アヴァターの下にそれ着てるんだけども。




