281話_side_Le_フレンネル伯爵家_霊原
~"懐刀"レキ~
ヴェルメリオ様を転移魔法のマーカーとしてアシュタルテ様をこの地にお招きする。
書斎にてその方針を固めた後、イオ様が最初に行ったのは伯爵閣下へのご報告であった。事がフレンネル家の内情に関わるということは、当然イオ様の裁量で処理出来る範疇を超えている。幸いなことに本日は伯爵閣下、夫人ともに在宅であったので、直接城内の両親の元を訪ねたイオ様から迅速に説明がなされた。
そして報告を受けた伯爵閣下は、イオ様の判断を大筋で支持し、アシュタルテ様をお招きするにあたって一つの場所を提示した。
それがこの城郭の後背に広がる山林の只中に存在している『霊原』と呼ばれる場所だ。霊原は特別な場所であり、立ち入ることが出来る人間は限られている。フレンネルの名を持つ人間以外だと、ラヴィエ・イストリ両子爵家の人間でフレンネルの専属従者として仕える者は立ち入りを許可されている。つまり私とソシエはイオ様の付き人としてならば入れるが、私の姉などはラヴィエ家の人間であっても専属の主人が居ないので霊原に入ることが出来ない。あとは伯爵家からの信頼が篤い極一部の従者が立ち入るくらいである。
とは言えど、私の知る限りでは立ち入る人間が厳しく制限されているのは儀礼的な意味合いが強い。霊原とはどのような場所なのかというと、歴代のフレンネル家の人間が鍛錬を行った修行の場であり、同時にそんな彼等の霊魂を祀る祭祀場でもある。要はフレンネル家にとって非常に霊験あらたかな場所なので、部外者を極力排しているということだ。
「――――そのような場所に、アシュタルテ様を招いても宜しいのでしょうか?」
イオ様の背を追って山道を歩きながら、私は疑問を吐き出した。隣を歩くソシエは相変わらず通学鞄を背負っていて、その中にはヴェルメリオ様が収まっている。道中の景色を見せないために彼女をリュックに押し込んでいるわけではなくて、どうやら単に彼女はソシエのリュックが気に入ったらしく、自分から嬉々としてご機嫌に内部に収まっていた。見た目は子犬、正体は少女、しかし狭いところを好む感性は猫のようだなと思った。
城郭の後背に広がる山林は全てがフレンネル家の所有する土地なのだが、件の霊原は城の裏手を出て山道を登り、一つ尾根を越えた先にある。修行場として使われる場所でもあるので道行はそれなりに険しい。私とて日々の鍛錬は怠っていないが、それでも息が上がる程度には道が険しい。山道は最低限の整備しかされておらず、場所によっては勾配がきつく、均されてない地面は歩くだけでも体力が奪われる。イオ様やソシエはまだまだ余裕そうだが、私は二人に比べれば体力が劣るのは否めない。
「父上がよいと仰るのならば、良いのでしょう」
「はぁ……?」
「別段、見られて困るものがあるので立ち入りを禁じているわけでも御座いませんので。霊原に眠る偉大なる先達に礼を払ってくれる人物であれば、本来は立ち入りを拒む理由もないのですよ」
「そうなのですね」
「実際、ごく限られた人数ではありますが、毎年他領からも先達の墓参りに訪れる方々が居ります」
そういう場合は目付役こそあるが入山自体は許可されているようだ。
霊原の環境を維持するのには専門の役職が居て、これを『山影』と称する。訪問者の目付役を務めるのがこれ等の者達だ。山影は立場上はフレンネル伯爵家の使用人の一部署であるが、通常の使用人じみた仕事は一切行わず、ただ霊原とその周囲の山々の環境維持と墓守を行うだけの特殊な役柄なのだ。なお嘘か真か、フレンネル家が抱えている私兵の中で最も精強なのが山影であるとか。
イオ様の専属である私でも霊原を訪れたことは数えるほどしかないので、山影の実態も殆ど知らないのだ。おそらくは現在こうして山道を歩いている私達の姿も、どこかに潜んだ山影が見守っていることだろう。
「でも、そうなると伯爵閣下はよくアシュタルテ様の入山をお許しくださいましたね」
不思議そうに言うソシエの言外の疑問は理解出来る。なにせ『あの』アシュタルテなのだから、という意味だろう。
それは私も少なからず思った。アシュタルテ侯爵家のプリムローズ様が信頼と尊敬に値する人物であると私達は知っているが、それは同じ学院で過ごし多少なりともかの令嬢の人となりを知る機会に恵まれたからだ。
だがイオ様の父君である閣下におかれては、アシュタルテ様を評価する基準は対外的な人物評に頼らざるを得ないはずだ。だとすれば、残念ながらアシュタルテ様の風評は決して褒められたものではない。無論、侯爵家の他の方々に比べればずっと大人しめの風評となってはいるが、だとしても『無礼の権化』とまで言われるアシュタルテの例には漏れないという程度でしかない。
「そこに関しては、母上のお言葉がありましたので」
「ユリア様の?」
「ええ。恥ずかしい思い出ですが、わたくし、幼少の頃にはよく母上に相談しておりました。プリムローズ様の隣に並び立つにはどうすればよいのか、と。故に母上はわたくしがプリムローズ様をお慕いしていることも熟知されておりますし、独自に情報収集もされていたようで、プリムローズ様が噂通りの人物ではないこともご存じでした」
なんと。それは知らなかった。
てっきりイオ様の想いは個人的なものだと思っていた。なんといっても四大貴族間のパワーバランスと対外的な姿勢というものがあるので、伯爵夫妻としては立場上イオ様とアシュタルテ様の交流を認めるわけにはいかないのだろうとばかり。
ところが実は、イオ様の想いの一番身近な応援者は母君のユリア様であったらしい。
鬱蒼と茂る森の中を歩き続けること暫く、昼下がりに入山したはずの私達が霊原に辿り着く頃には既にとっくりと日が落ちていた。
霊原という名の通り、山林の只中には森が開けた草原地帯がある。然程標高の高い山ではないので、高原と言うよりは盆地と言ったほうが正しい。頭上を遮る木々がないので月明りが眩しく、近くを通る渓流のせせらぎと虫の声が微かにささめく静謐な空間であった。
更にその中心部には地形を均して作られた石造りの大仰な舞台がある。祭祀のためのもので、年に一度、鎮魂の儀式を行う際に招かれた『巫女』と呼ばれる神職が舞うための場所らしい。
そこが今回、アシュタルテ様をお招きするのに選ばれた舞台でもある。
私達が辿り着くと、そこには既に伯爵夫妻が待ち構えていた。
「来たか」
そう発したのは当代フレンネル辺境伯であるオド・キサラギ・フレンネル閣下。イオ様の父君だ。
黒髪よりも少しだけ色味の薄い濃灰の頭髪を有する偉丈夫で、真に失礼ながらその容貌は貴族の当主というよりはならず者の頭領と言われたほうが納得出来るくらいに人相が凶悪である。自他ともに認める強面であらせられるのだ。
その身に纏うのはフレンネル家に特有の東方風の装束と、王国貴族の有爵者であることを表す家紋入りの外套をその上に羽織っている。異文化の折衷案のような装いが自然に見えるのは、ご本人の風格によるところであろう。片方の腰には愛用の得物である太刀を帯びておられるのだが、拵えからして異形じみた怪物のような大振りの太刀である。
そしてその傍らに影のように寄り添っているのが、先程話題にも上がった伯爵夫人のユリア・ミナツキ・フレンネル様だ。こちらはまさしくイオ様の母君であると思わせられる、よく似た非常に美しくたおやかな容貌をされていて、やはり東方風の着物を身に纏っておられる。これはご本人達が常々仰っていることではあるが、ご息女であるイオ様の容姿に父君である伯爵閣下の成分が微塵も受け継がれていないのは誰もが幸いと認めるところであった。ただし、その反動かイオ様のお心意気は父君の若い時分に驚くほど似ていると称されているようだ。強面に似合いの厳めしい性格をしておられる伯爵閣下とイオ様の性格に共通点があまり見出せない私であるが、閣下のことを昔から知る人物はイオ様を見ては口を揃えてそう評するので、きっと実際そうなのだろう。
お二人は私達よりも遅れて出発したはずであるが、いつの間に追い越されていたのかわからなかった。閣下はともかくとしてユリア様のお着物は山歩きに適しているとはとても思えないのだが。
余談だがフレンネル家にはもう一人、イオ様の弟君である長男様が居られるのだが、彼はこの場には来ていない。伯爵閣下が立ち会うことを許さなかったのかはわからないが、私如きが詮索することでもない。
「ヴェルメリオとやらはここへ」
閣下の威厳あるお声を受けてソシエが慌ててリュックを下ろし、ヴェルメリオ様を外に出した。
ヴェルメリオ様は怖いもの知らずなのか、子犬の姿のまま尻尾を振りながら、駆け足で閣下の足元まで近寄っておすわりをする。
「…………」
閣下は無言のままヴェルメリオ様を見下ろし、ヴェルメリオ様は首を傾げる。閣下は強面過ぎて、どんな顔をしていても怖いのだと、伯爵家の方々とそれなりに交流のある私ですらそう思う。そんな閣下なので表面上から内心が全く読めず、ただ只管に威圧感だけが周囲に放たれるのだ。
あの視線を至近距離で受けて少しも怯まないヴェルメリオ様は間違いなく豪胆である。
「あらあら、小さなわんちゃんですこと。こんなに可愛らしいメッセンジャーなんて、素敵だわぁ」
高まる緊張感をほんわかとぶち壊したのは、相好を崩してヴェルメリオ様を迎え入れたユリア様だ。しゃがんだ彼女に優しく頭を撫でられてヴェルメリオ様は気持ちよさそうに目を細めて尻尾を加速させている。
その横で閣下が顰め面をしていなければ非常に心温まる光景だった。
「ごめんなさいね。この人も悪気があってこんなに怖ぁい顔をしているわけではないのよ」
「あい。べつにこわくない」
「良い子。この人ね、こんな顔してるけど可愛いものに目がないの。でもほら、思う存分に愛でたいけど近付くと怖がらせるからってジレンマですのよ?」
「余計なことは言わんでよい」
なんだか凄い情報を聞いてしまった気がするが、閣下がジロリとこちらを見遣ったので慌てて視線を逸らす。私は素早くソシエとアイコンタクトを交わす。私達はなにも聞かなかった。オーケー。
ちなみにイオ様は母君そっくりの表情で「あらあら」と微笑んでいるので、ご家族内では周知のことだったのだろう。
「早速だけど、貴女のご主人様を呼んでくださるかしら?」
ユリア様にお願いされて、ヴェルメリオ様はその場で首を巡らせてなにやらきょろきょろとしている。
ややあって、ようやく「わかった」と頷いてくれた。
転移出現の空間を確保するために石造りの舞台の中心へと向かうヴェルメリオ様と離れて、端で控える私達の元へと伯爵夫妻も近付いてきた。てくてくと歩んでいくヴェルメリオ様の小さな姿を眺めるユリア様が、イオ様そっくりの所作でおっとりと頬に手を当てて呟いた。
「あんなに可愛らしいのに、手練れですわね」
「そのようだな」
当然のように応じた閣下にも、そう判断するに足る根拠がおありのようだ。
私などの目には夫妻が揃って子犬姿のヴェルメリオ様を愛でていたようにしか見えなかったわけであるが。
「あの子、わたくし達の願いに応じる前に、周囲を見渡したでしょう?」
確かに、と私は頷く。
すると閣下が片手で顎を摩りながら、感心した様子で、
「周辺に潜ませている山影の居場所を、寸分違わず見抜いているようだ」
「は……?」
「その上で主人を呼ぶことに応じたということは、この状況を『可なり』と判断したということだろう」
「わたくし達が侮られている……というよりは、わたくし達が彼女と、彼女のご主人様を侮っていたのね」
そう、アシュタルテ様の優秀な子飼いであるヴェルメリオ様が、主人をお呼びするにあたって危険性を看過するはずがない。フレンネル家の霊原という極めて特殊なアウェーの環境において、しかも周辺には気配を消して身を潜めている実力者が多数居る状況で、それに気付いていながらもヴェルメリオ様はこう判断したのだ。
この状況で主様に危険はない、と。
きっとそれは、ヴェルメリオ様自身の実力と、アシュタルテ様への圧倒的な信頼感からくる判断なのだろう。




