272話_side_Ser_黒い森
~"討伐者の少女"セラフィーナ~
「てかスメラギどこいった?」
「わかんない」
「俺の腕、治ってるように見える?」
「見た目は」
「怖くて動かせねえわ」
ぽつぽつと小声で会話をしながら、ランディーと二人、ギルドを目指して進む。
そう、二人きりだ。
わたし達を助けてくれたスメラギさんは、ランディーの腕に治癒魔法を掛けてくれたかと思うと忽然と姿を消してしまった。まるで最初から居なかったみたいに、綺麗さっぱり痕跡もなく。
わたし達のライセンスカードに記録された討伐スコアの数字と、戦利品であるマンティス種のスケマティックの存在があの戦いが夢でも幻でもなかったことを教えてくれているけれど、中心に居たはずのスメラギさんの存在だけが何故か酷く現実感に乏しかった。
なんにせよ、彼女は彼女の事情があって自分から姿を晦ませたのだと予想はつくので、わたし達はとりあえずスメラギさんを探すよりもギルドに戻ることにしたのだ。というか、スメラギさんの庇護がない今、マンティス種と言わずともその辺の魔物に出会っただけで死ねる。そのくらいわたしもランディーも疲れ果てている。
ちなみにわたしの魔法使いデビューはやっぱりスメラギさんのサポートあっての期間限定に過ぎなかったみたいで、彼女の連繋魔法がなくなった途端に魔法を使えないわたしに逆戻りであった。あの時の感覚は覚えているから、自力で魔法が使えるようになる日が来るのも遠くないと思うのだけど、少なくとも今は無理だ。
幸いにも、マンティス種を恐れて身を隠していた他の魔物種はまだ活動を再開していないみたいで、わたしとランディーは特に問題もなくセーフゾーンの近くまで戻ってこられた。転移門のアーチを潜れば通い慣れたギルド支部に帰れる。
転移門の周辺はいつも地元の討伐者が屯していて、ちょっとした小休止や雑談に興じている光景がお馴染みなのだけど、今日は殆ど人影がない。もしかするとマンティス種出現の報は既にギルドに伝わっていて、地元の討伐者は森に入るのを控えているのかも。
ただ、地元の討伐者じゃない人なら居た。
「あら?」
篝火の灯りを反射して輝く金髪が美しい輪郭を描いている妙齢の女性。
最近ここバッヘル支部に現れ、あっという間に注目の的となった人物で、姉妹討伐者の姉のほう。
ハイゼンさん。ハイゼン姉だ。
彼女の傍らにはパーティーを組んでいる推定ベテラン討伐者――確かベルさんとやらの姿もあったが、ハイゼン妹は居ないみたいだ。なんのつもりかわからないが、誰も居ないセーフゾーンにたった二人で留まっていたらしい。
ハイゼンさんはわたしとランディーの姿を認めると、その悔しさも湧かないくらい綺麗な顔に意外そうな表情を浮かべた。
わたしはなんとなく彼女のほうに近寄りたくなくて、その場に立ち止まる。隣を歩いていたランディーは気付かずに数歩進み、それからわたしが立ち止まっていることに気付いて怪訝そうに振り返った。
「セラ?」
彼に名を呼ばれるも、わたしの視線は変わらずにハイゼンさんに注がれている。
わたし、この人が嫌いだ。
別にこの人がわたしに直接何かをしたわけじゃないけど、というかそもそも会話したことすらなかったんだけど、なんというかその『眼中にない』感じが気に障って仕方がなかったのだ。ハイゼンさんにしてみれば『そんなの知らない』って話でしかないだろうけど。
だって、おかしいじゃないか。
あんまりにも不公平じゃないか。こんなにも美人で、いい服を着て、皆から好かれて。
貧しい孤児院に生まれ育ったわたしにとって、劣等感や羨望という感情は常にともにあったものだ。だから慣れてるし、諦めてもいた。上を見てもキリがないし、だったら隣に居るランディーを見ていたほうが万倍マシだ。
でも、だからといって、ハイゼンさん。あなたはダメだ。
だって、おかしいじゃないか。
なんでそんなに何でも持っているのに、敢えてわたしと同じ場所に入ってくるんだ。わたしやランディーが不平不満を無理矢理飲み込んで、死ぬような思いでこなしている日々の依頼を、どうしてそんなに楽しそうにやれるのだ。
まるで、当て付けみたいに。
どうしてなのか。本当はわかっている。
この人は持っているからだ。優れた容姿に、人好きのする性格に、衣服を見るにお金も持っているのだろう。そしてなによりも、この人は『余裕』を持っている。生きることに余裕しかないのだ。だからわたし達があんなに必死にこなしている依頼を、あんな遊び半分みたいな顔でへらへら笑いながら奪っていけるのだ。
だって、この人は、嫌になったらやめればいいだけなのだから。
当て付けだって?とんでもない。
この人はわたし達のことなんて眼中にもないに違いないのだ。だからわたしにだけ一方的に劣等感と苛立ちだけが募っていくのだ。
わたしはこの人が嫌いだ。大嫌いだ。
「えーと……?」
黙ったまま立ち止まって睨み付けるわたしに、ハイゼンさんは困ったように眉根を下げた。
嫌だ嫌だ。本当に嫌になって仕方がない。わたしだってわかっているのだ。ハイゼンさんには悪気があるわけじゃないのだろう。だからといってその振舞いを受け入れられるほどにわたしは人間が出来ていない。
この人を見ていると頭がどうにかなりそうだ。
ハイゼンさんを通して、わたしはわたしの姿を見せ付けられる。あまりにも身勝手で醜い、わたしという人間の矮小さを写す鏡なのだ。
だからわたしはこの人が嫌いなのだ。視界にすら入れたくないくらいに、居なくなって欲しいのだ。
「いこーぜ、セラ」
再度ランディーに呼ばれ、わたしはようやく歩みを再開する。
ハイゼンさんを極力視界に入れないように、俯き気味に早足で横を通り過ぎようとする。通り過ぎようとした。
でも出来なかった。
わたしが近付いた時に、ハイゼンさんが小さく笑うような呼気を漏らしたからだ。
「っ……なにが、おかしいのよ」
思わず、彼女の顔を睨み付ける。
すると彼女は弁明するみたいに片手を振って、
「酷い格好だ、と思って」
一瞬何を言われたのかわからなかったが、理解した瞬間に頭が沸騰しそうになる。
そりゃあそうでしょうね、と吐き捨てたくなる。ただでさえみすぼらしい中古のローブを着ているわたしなのに、今に至っては魔物との戦闘で転げ回って泥だらけ。ボロのローブは更にボロボロだし、ついでに言えばたぶんくさい。はっきりと染みになっちゃってるので、たぶん端から見ても一発でモロバレだろう。粗相的な意味で。
自分のビジュアルの酷さなんてわざわざ言われなくてもよくわかっている。なのになんて嫌味な人なんだ。
わたしは怒りのあまり震える声音で口を開く。
「良いご身分ですね。貧乏人を見下すのがそんなに楽しい?」
「楽しいかと言われたら楽しくはないわね」
いけしゃあしゃあと言ってのけたハイゼンさんの神経が理解出来ない。
怒り心頭のわたしと、対照的に寛いだ様子のハイゼンさんを見比べてランディーはおろおろしているし、ベルさんは一歩引いて状況を見守っているようだった。
「ごめんね。別に馬鹿にしたわけじゃないのよ」
「だったらなんのつもりで、」
「ちょっと懐かしくなっちゃって」
「は?」
懐かしい?何を言ってるんだこの人は。
わたしの無様な姿のどこに、この人が懐かしむ要素があるというのか。怒りに困惑が加わって睨むことしか出来ないわたしに、ハイゼンさんは何故か視線を彷徨わせた。よく見ると少しだけ顔が赤いように見える。篝火の灯りのせいだけではないようだ。
「いや、だからその~」
「なによ?」
「しまったなぁ……言うんじゃなかったぁ」
「だからなにが?」
最初からこんな人無視してギルドに戻ればよかっただけの話なのだが、一度喧嘩腰で絡んでしまった以上引っ込みもつかなくて、わたしが苛立ちも顕わに詰め寄ると、ハイゼンさんはやけっぱちみたいに叫んだ。
「お漏らしよ!」
「「「…………はい?」」」
「だからぁ!昔自分が漏らした時の酷い有様思い出しちゃってなんかこう……うわあなに言ってんだ私!」
うああああ、と頭を抱えて呻くハイゼンさんの色々な意味であんまりな姿に、わたしもランディーも目を丸くすることしか出来ない。
同じく目を丸くしていたベルさんが破顔一笑する。
「あっはっはっはっは!何を言うかと思えば!」
「笑わないでベルさぁん……いやむしろ笑って!いっそ笑い者にして!」
「いやいや、わかるわかる。誰でも一回くらいはやらかしてるから。私だって若いときにはイヤこの話はやめよう」
違うんだ私はだからトイレ休憩を挟むべきだと言ったんだ……と勝手に黒歴史を思い出してブツブツ呟いているベルさんは何がしたいのかわからないし、別に私は我慢出来なくなって膀胱が決壊したわけじゃあないんだけど。いや知らないけど。
「ああもう……セラフィーナちゃんだっけ?本当にごめんね、そんなつもりじゃなかったのよぅ……」
「えっと、あの、もういいです。別に」
めちゃくちゃ恥ずかしそうな顔をしたハイゼンさんを前にして、流石のわたしも怒りが持続しない。
先程までとは別の意味でなんだこの人状態である。ベルさんもだがなんで勝手に自爆したのか意味がわからない。
一頻り呻いたハイゼンさんはやっとの思いでなんとか表情を取り繕うことに成功していた。顔はまだ赤いが。
「こほん……お詫びに、ってわけじゃないけどソレ、なんとかしてあげるわ」
「へ?」
「そのままじゃロビーに入り辛いでしょう?」
それはそうだ。こんないかにも『やらかしました』みたいな格好で人が集まるロビーに戻るのとか、普通に嫌だ。でもまあ、わたし孤児だし、見栄張るほどのプライドもないから。
「ベルさんはそっちの子、お願いね」
「よしきた」
「は、ちょ、まぐえぇ」
いつの間にか復活していたベルさんにランディーが凄まじい速度で確保されてしまった。潰れたカエルみたいな声が聞こえたけど、大丈夫かな。
見れば、ランディーが「掠り傷だ!」と言って放置していた先の戦闘の傷に、手慣れた様子で応急処置をしてくれているみたいだ。手慣れているというのは手際もそうだし、なんか、気恥ずかしそうに抵抗するランディーを抑え込むのが上手いというか、それこそ慣れた様子に見える。
「ちょっと失礼」
なんて横を眺めていると、ハイゼンさんがいきなりわたしのローブを捲り上げた。
勿論ローブの下にもちゃんと服を着ているけれど、ある意味、外よりも酷いことになっているのは言うまでもない。じゃなくて、それ以前に今この人どうやってわたしの前まで移動したんだろう。気付いたら目の前に居たけど。
「なにをして、」
謎の暴挙に抗議してわたしは彼女の手を振りほどこうとするが、それよりも速く、ハイゼンさんがふっと息を吐いた。
瞬間足元から立ち上った冷たい風がわたしの身体を撫ぜていき、生理的な反応で鳥肌が立つ。
「つめたっ!?」
「ほい終わり」
「って、え?」
ハイゼンさんがパッとローブから手を離したので、重力に従って裾がすとんと落ちる。今度はわたしがそれを捲くって自分の脚を確かめてみる。念のために下着まで確かめてみるも、わたしの粗相の跡は綺麗さっぱり消えていた。
まあそうだろうな、とは思っていたけど、やっぱりこの人も魔法使いだった。魔法の才能って、何も持っていないわたしが唯一持っているものだったのに、ハイゼンさんは当然のようにそれも持っていて、わたしよりも達者に使いこなすのだ。
わたしはまた一つ、この人のことが嫌いになった。
別に頼んでもいないしこの人が勝手にやっただけなのだけど、だからといってお礼すら言えない輩であると思われるのは心外なので、わたしはむっつりとした声音で「ありがとう、ございます」とだけ絞り出す。
なんかいかにも不本意っぽい響きが自分でもどうかと思うくらいにガキっぽくて、これなら言わないほうが良かったかもしれない。
などと思いつつ、わたしは横のほうを見遣る。
「ほぉら大人しくしなさい。怪我を放っておいていいことなんてないんだから」
「大袈裟なんだって!こんなの唾でもつけときゃ」
「化膿してから泣いても遅いんだぞっ」
「いてっ、滲みる!滲みるからそれ!」
「男の子だろ。我慢しなさい。それとも痛いの痛いの飛んでけ~、ってやって欲しい?」
「もうやってんじゃねえか!ガキ扱いすんじゃぬえぇ!!」
ガキ扱いするな!ってガキしか言わない台詞よね。
……まあ、ちゃんとお礼を言えただけ、あれよりはマシだと思おう。
その後ロビーに戻ったわたし達がマンティス種の討伐を報告すると、当然一悶着あった。お前等みたいな雑魚が討伐出来る相手じゃねえ、みたいなことを周囲の討伐者から口々に言われたのだ。ただ、わたし達のライセンスカードには討伐スコアが記されているし、なにより動かぬ証拠であるスケマティックを持ち帰っているので、疑っていた連中も渋々ながらに認めざるを得なかったようだ。
尤も、彼等を黙らせることが出来た一番大きな要因は、結局わたしとランディーが二人で討伐したわけでなくて、腕の立つ協力者が手伝ってくれたおかげだと説明したからなのだが。
そういうことならまあ、わからなくはない、と。
それで、わたし達は当然、ギルドの受付嬢のミレイユさんにスメラギさんのことを訊いてみた。
これまで一度も見掛けたことがない人だったので、たぶん他のロビーを拠点に活動している討伐者だろうと予測はしていた。だけどロビー自体は複数あれど、受付窓口はここにしかない。だから他のロビーを普段使いしている討伐者も依頼受注の際には絶対にこのロビーを経由するのだ。だとすれば、少なくとも受付嬢の人達は彼女のことを見知っているはずだ。
と、思ったのだが。
「ええと、スメラギという名の討伐者の記録は……見当たらないですね」
事情を聞くために通された職員用スペースで、依頼管理用の魔法具を使って検索を掛けたミレイユさんが困ったようにそう言う。
本当は討伐者の個人情報を勝手に他の討伐者に開示してはいけないのだが、今回は事情が事情なので特別にわたしとランディーだけに教えてくれることになったのだ。
「見当たらない……?」
「おそらくですが、ライセンス登録をしている名前が違うんだと思います。わりとそういう方も居るんですよ」
スメラギというのは異国風の名前だから、もしかするとこの国風の名前を別に持っている可能性もあるのだとか。討伐者ギルドは国際組織なので、複数の国家を股に掛けて活動している討伐者も存在する。だが、少なくともスメラギさんや、あと有名どころではフレンネル伯爵家なんかの係累である東方国家にはギルドの勢力圏が及んでいない。つまり言語対応していないということだ。
まあ、スメラギさんめっちゃ王国語喋ってたけども。
「もう一つは、そもそも依頼を受けたことがない人物である可能性もあります」
「そんな人が居るんすか?」
ランディーが意外そうに言うけど、考えてみれば確かに居てもおかしくない。
「ええ、居ますよ。金銭目的で討伐者をやっていない方は依頼を受注する意味もないですから。依頼を受けたことがなくてもライセンス自体は持っているのであれば登録情報と照合が出来るんですけど、それも大きな支部とかに行かないと無理です」
「へぇー。そういうもんか」
「でも、黒髪赤目の若い女性という外見は相当に特徴的なので目撃証言を募るのは難しくないかと。今すぐにとは流石にいかないので、また後程お知らせするという形でも構いませんか?」
「あっはい、だいじょうぶです」
他の受付嬢にも訊いてみますね、と約束してくれたミレイユさんにお礼を告げて、わたし達は二人で借りている狭い家に戻り、その日は泥のように眠った。
そして二日後。わたしとランディーは再びギルドを訪れていた。
慣れない魔法行使は色々な意味でわたし達の肉体に大きな負荷をかけていたみたいで、戦いの翌日はランディーは酷い全身筋肉痛で、わたしは重度の倦怠感でとてもじゃないが部屋から出られなかったのだ。
若さのおかげなのかあるいは大概そういうものなのか、一日休んだらなんとか動けるようになったので、こうして一日空けてギルドに戻ってきたというわけだ。時間は夕方。討伐者にとっては早朝に等しい。前日に充分過ぎる休息を貪ったおかげで、今日ばかりはランディーも早起きして一緒に行動している。
まだひと気に乏しいロビーでわたし達を迎えてくれたミレイユさんは、なんだか申し訳なさそうな顔をしていた。
「それで、その、スメラギさんは……?」
なんとなく予感を覚えつつも、わたしは訊いてみる。
ミレイユさんはゆるゆると首を横に振った。
「私の先輩方や、他のロビーで活動している討伐者、職員にも情報提供を募りましたが……」
「誰も知らなかった、んですか?」
「はい。スメラギと名乗る黒髪赤目の女討伐者を目撃した者は、貴女達以外に存在しません」
討伐者ギルドの施設は、黒い森への玄関口だ。同時に、森から侵攻する魔物勢力を封じ込める檻でもある。
故に黒い森に入るためには必ずギルドの施設を経由する必要がある。不正に出入りする方法が無いわけではないだろうが、決して容易ではない。魔物の出入りを許すわけにはいかないのだから、当然である。
それなのに、バッヘル支部で活動している誰もスメラギさんを見たことがないという事実が意味するところとは。
「尤も妥当な予測としては、貴女達の目撃した彼女が、姿を偽っていた可能性ですね」
「まあ、そうだよな。なんも言わずに消えたし、正体を知られたくない事情があんのかもな」
ランディーは尤もらしく頷いているが、わたしは少々腑に落ちない。
根拠らしい根拠なんてないが、連繋魔法で繋がった感覚が訴えるのだ。あのスメラギさんが外見を偽っていた姿だとは、どうしても思えなかった。
「…………あなたは、いったい誰だったの?」
問い掛けに、返る答えなどない。




