271話_side_Ser_黒い森
~"討伐者の少女"セラフィーナ~
わたし達を助けてくれたのは同い年くらいの女の子だった。
スメラギと名乗った、綺麗な子だ。名前に相応の異国風の装いも然ることながら、黒髪赤目という特徴的な容姿。きっと一度見たら忘れないだろうから、初めて会う人だとは思う。
ここに居るってことは討伐者なのだろうけど、わたし達が普段使いしているロビーとは別方面のロビーを拠点にしているのかも。他の人が駆け付けてくる様子がないけど、まさかソロで活動しているのだろうか。
いや、考えるのも感謝するのも後だ。
まだマンティス種は健在なんだから。スメラギさんの攻撃で多少なりともダメージを負っているはずだし、だいぶ距離を取ることが出来たけど、見る限りまだまだ戦意は衰えていなさそうだ。
その魔物を見据えるスメラギさんの赤い瞳は、酷く冷静だった。魔物を睨むでもなく恐れるでもなく、ただ少しの警戒を以て見ているだけという風。そして彼女は同じように冷静な目でわたし達を見るのだ。
「選んだ?」
彼女は言った。逃げるのも、立ち向かうのも決めるのはわたし達だと。
わたしは逃げたかった。今すぐにあの魔物の目から逃れたい。
でも、
「わたし達、立ち向かえるの……?」
「その気があるのなら」
わたし達がこの場に残ったところで、スメラギさんの足を引っ張るだけなのでは。だったらせめて彼女の邪魔にならないようにこの場を離れて、ギルドに戻って援軍でもなんでも呼んでくるべきだ。
わたしの理性はそう言ってる。でも、
「立ち向かうなら、手伝ってくれますか?」
「セラ!?」
わたしの言葉に、ランディーが目を剥く。きっと彼はわたしが逃げるだろうと思っていたのだ。もしかしたら、彼自身も逃げたいと思ったのかもしれない。
スメラギさんは魔物に杖を向けたまま、平坦に応じる。
「そのつもりだと、既に言った」
「じゃあ……やろう。ランディー」
ここで逃げちゃあダメだと、ダメになると思ったのだ。
わたしもだし、なによりランディーが。
この経験はきっとわたし達を縛り付ける。トラウマになる。今を逃げて生き残ったら、きっとずっと負け犬のままになる。ここで感じた恐怖と絶望に囚われて、真面に討伐者なんてやれなくなっちゃう。
そうなれば、ランディーの夢も野望もなにもかも、おしまいだ。
わたしが彼と一緒に居たいと思うのは、彼のことが好きだからだ。決して恵まれた境遇じゃなかったのに世の中に対して卑屈にならずに、見果てぬ野望を胸に邁進するランディーが好きだったのだ。すぐに弱気と不安に負けそうになるわたしは、誰かが手を引いてくれないとダメなのだ。
だから二人してダメにならないためには。ここで、二人で、生まれたてのトラウマを撲滅するしかないのだ。
わたしは震える脚を叱咤して立ち上がると、ランディーが受け取りあぐねているせいでスメラギさんが持ったままの剣を代わりに受け取った。
中古のボロ剣。使用者から魔力を吸い出して攻撃力に変えるだけの、極めて単純な魔法具。碌にメンテもしてあげられないせいで、あちこちにガタが来ていて、いつぽっくり逝ってもおかしくない。でも、ずっと一緒に頑張ってきた。わたしと同じくランディーの相棒と言える存在かもしれない。
なんだかんだで愛着と信頼感のあるそれを、無理矢理ランディーに握らせる。彼はまだ踏ん切りがつかない様子だが、ちゃんと剣を受け取ってくれた。なら大丈夫だ、とわたしは知っている。誰より彼を見てきたから。
「『連繋魔法』を構築する。キミは、私の指揮下に入って」
そう言ってスメラギさんがわたしを一瞥する。
連繋魔法の存在くらいは知っているけど、わたしは勿論使えないし、使われたこともない。
「あの、ごめんなさい、やり方が、」
「手を取って。それだけでいい」
そうして差し出された手は、わたしの傷だらけでがさがさの掌とは似ても似つかぬ、繊細で綺麗な白い手だった。
おっかなびっくり手を重ねると、思った通りに滑らかな肌触りの少し冷たい手であった。だけどそのことに対して何かを思う暇もなく、スメラギさんの手を取った瞬間に、わたしの視界が光ったのだ。
圧倒的な光の奔流が視界を駆け抜け、そして目に視える全てが一変した。
「え?」
周囲の景色が変わったわけではない。ましてや黒い森の木々が輝き始めたわけではない。
わたしに視えている世界が変わったのだ。まるで世界にフィルターが掛かったみたいだった。これまでの視界に重なるように、もう一つの世界が視えているような気分だ。
いや、それも厳密には正しくない。きっとわたしには元々これが視えていた。だけど理解が及んでいなかっただけだ。変わったのはわたしの理解度だ。
輝くように映るのは、魔法の姿だ。
黒い森という魔物が内包する魔法の姿が、マンティス種を構成する魔法の姿が、そして世界に満ち満ちている豊潤な魔力の輝きが、わたしの視界を劇的に彩る。
「なに、これ……」
すごい。それしか出てこない。
これを齎したのは、考えるまでもなくスメラギさんが構築した連繋魔法だろう。彼女の指揮下に入ったおかげで、わたしにも彼女が視ている世界の片鱗が感じられているだけだ。きっと生まれながらの魔法使いにとってはなにも特別な視界ではないのだろう。生まれながらの出来損ないだったわたしにとっては、劇的な変革であった。
マンティス種を構築するものがわかる。何故、魔物を討伐することでスケマティックが得られるのかまったくわかっていなかったが、今なら理解出来る。単純なこと。魔物とは『それ』で出来ているものだから、だ。
それとは。
つまり、そう。『魔法モデル』だ。
「生まれた時から視える人も居れば、一生をそれに気付かずに終える人も居る。キミは、きっかけが必要だっただけなんだね」
連繋魔法のおかげでスメラギさん側からもわたしの変革がわかるのか、彼女は静かにそう口にした。
これが、魔法使いにとっての普遍的な世界の視え方なのだ。物理的に見えているものが変わったわけじゃなく、同じ景色を見た時にわたしが理解出来る情報が増したのだ。
「こう、かな……?」
自然と、わたしは感覚を手繰っていた。
脳裏に思い描くのは、先程スメラギさんが見せた魔法の形。連繋魔法でスメラギさんと魔法的に繋がっているおかげなのか、彼女が使った魔法の形が理解出来る。この理解こそが魔法モデルだ。
直感に従って魔力を動かすも、何かが足りない。結実しない。
すると、スメラギさんが囁く。
「唱えて」
宣言。そう、宣言だ。
わたしの理解を結実させる最後のピース。
この魔法の名は、
「『空灼く白光』っ!」
ごっそりと自分の中から魔力が失われる感覚があって、それはわたしの肉体を離れ、薄紅色の稲妻となって空を灼いた。スメラギさんのそれと比べると、あまりにも大味で、過剰な魔力が籠められた、わたしらしい出来損ないの魔法だった。
それでも、初めて唱えたわたしの魔法だった。
威力だけはあったはずのわたしの魔法は、残念ながら狙いがダメダメで、マンティス種から僅かに逸れた方向へと飛んだ。警戒して軽く躱したマンティス種の、その複眼が危険に煌めき、雰囲気が変わる。
攻撃の予兆だ、と感覚的に悟る。
成程、魔法使いが討伐者として重宝されるわけだ、と変に冷静な自分が納得する。魔法モデルを理解出来るかどうかで、そもそも魔物に対する理解度と得られる情報量が桁違いに大きいのだ。
魔物とは術理の生物だ。物理の生物である人間の行動の予兆が視線や筋肉の動きに現れるように、魔物にだってそれがある。スケマティックという魔法モデルの集積体でもある魔物は生きた魔法そのものであり、魔法がわかれば魔物がわかる。
「キミ。そこのキミ」
スメラギさんが不意に呼びかけ、わたしの魔法行使を目にして大口開けて呆けていたランディーが我に返る。
「お、俺かっ!?」
ランディーは魔物とスメラギさんのどちらに注意を向ければいいのかわからずに右往左往しているが、スメラギさんはというと至ってマイペースというか、最初から一貫している平坦な態度を崩さない。
「キミの友達がキミを強くする。だから、恐れずに、立ち向かって」
きっとスメラギさんは平時からこうなのだろうと思わせる平坦な語り口でランディーに投げ掛けられた言葉は、情動に乏しくも叱咤するような響きがあった。
次から次へと襲い来る状況に付いて行けずに途方に暮れている様子だったランディーは、スメラギさんの言葉を受けてわたしのほうを見る。
わたしが彼の瞳をまっすぐに見返すと、彼は何故か少しだけ、安堵したみたいに目を細めた。
「おっしっ!」
いきなり声を上げて、ランディーは剣を持っていないほうの手で自身の頬を張る。とっても良い音がして、じんわりと赤くなった頬のままランディーはヤケクソ気味に告げた。鼻水垂れてるし、全然締まらない彼らしい姿である。
「男は度胸!やってやらぁ!おいセラ、信じるからなぁ!?」
わたしが見て取った予兆の通りに、猛然とこちらに驀進してくるマンティス種を迎え撃つように、ランディーが前へと躍り出る。疲弊して負傷した状態の彼では、マンティス種を食い止めるなんて夢のまた夢だ。一瞬後の未来では、きっとランディーは引き裂かれる。
彼にだってそんなことはわかっているのだ。
それでも彼が前に出たのは、その言葉の通り、わたしを信じたからだ。
「ええい!女も度胸!スメラギさん、どうすれば!?」
わたしが問い掛けるまでもなく、彼女は一つの魔法を唱えていた。
連繋魔法を通じて彼女の魔法をラーニングしたわたしが、後追いで同じ魔法を唱える。
「ランディー!なんか強化っぽいやつ!」
「お、おうっ!?」
スメラギさんの赤い魔力とわたしの薄紅の魔力が連なって、ランディーの肉体を二重に強化する。ランディーは突然の感覚に戸惑ったようにたたらを踏んだが、魔物がすぐそこまで迫ってきているのに気付いて、混乱のままにそちらへと踏み込み、刃毀れし始めた愛剣を振るう。
硬質な音が響き渡り――――ランディーの剣がマンティス種の片腕を刃ごと叩き切った。
「「うっそぉ!?」」
自分で強化しておいて驚くわたしと、自分で叩き切っておいて驚くランディーの声が重なる。
唯一微塵も動揺していないスメラギさんを横目に見れば、彼女は今の強化魔法以外にもいくつもの支援をランディーへと掛け続けていた。それを理解してわたしは納得した。きっと大部分はわたしではなく彼女の魔法のおかげなのだ。
「それは違う」
「え?」
内心を読んだみたいな呟きだった。もしかして連繋魔法のせいで本当に筒抜けなのかもしれない。
「こと身体強化で技量と同じくらいにモノを言うのは受容と理解。キミの支援だから彼は良く受け入れたし、キミはこの世の誰よりも彼を強くする」
「わたしの魔法が……ランディーを強くする」
「支援を切らしてはいけない。魔物はまだ生きている。彼一人では勝てない」
「え?あっ」
見れば、マンティス種の残った片腕と鍔迫り合いをしていたランディーが弾き飛ばされたところだった。相手も満身創痍の様相だが、疲労度合いでいったらランディーのほうが深刻だろう。
「ど、どうすればいいのっ!?」
思わずスメラギさんに縋り付くと、しかし彼女は何故か前線に向けていたはずの片手の杖を下ろしてしまった。
「必要なものは見せた。あとはキミ次第」
「ええっ!?」
「なにも難しくはない。彼を勝たせるためにキミができる全てを為せばいい」
前方ではランディーが必死の形相で魔物と斬り合いを繰り広げている。彼はこちらを見なかったし、わたしの名を呼ぶこともなければ、スメラギさんに助けを求めもしなかった。ただ愚直に魔物に立ち向かう見慣れた背中が何を言っているのか、わたしにはわかる。
待っているのだ。わたしを。
わたしを信じると、決めたから。
一度決めたら気持ち悪いくらいに一途に邁進するのがランディーなのだ。
それこそ半年もの間、諦めずに草むしりしちゃうくらいに。
ランディーはきっと賢くはない。
でも、わたしもきっと大概バカだ。
そんな彼が、夢を叶える姿が見たいから。
無理でも無茶でも無謀でも。
そのためにわたしが出来ることは、なんだって全部してあげたいから!
「よぉし!!よくわかんないから全部乗せだぁ!!」
「よくわからんが、来いやぁ!!」
わたしの叫びに、ランディーの威勢のいい声が応じる。
どうしようもなく二人ともハイでヤケクソだった。
さっきスメラギさんが使って見せてくれた強化魔法を、ラーニング出来たやつだけ片っ端からランディーに掛ける。わたしの魔力がごりごり減っていって、なんか気怠いを通り越して身体から力が抜けて、なんかまた漏れちゃいけないものが出た気がするけど、そんなの今はどうでもいい。
薄紅色の魔力を炎のように纏ったランディーが、雄叫びを上げて突貫する。
「うおおおおおおおっ!!」
地面を半ば砕くほどの凄まじい踏み込みで、愚直に真正面から魔物の間合いを侵す。
当然のように迎撃に動いたマンティス種の隻腕を、
「ふんぬぁ!!」
あろうことかランディーは魔力を纏った拳で粉砕し、そしてもう片方で握った愛剣を振り被る。噴き上がる魔力が業火の如く刀身を覆っているボロ剣は、今この瞬間だけはどんな名剣よりも頼もしい姿をしていた。
口角から泡を飛ばすほどに力んだランディーの、渾身の斬撃が、最早防ぐ術を持たない魔物の胴体を狙う。
「くぅらええええええぃ!!」
轟、と大気を巻き込みながら横薙ぎに振り抜いた一撃が、マンティス種の胴体へと直撃し――――そして殆ど抵抗すらなく真っ二つに両断した。
ついでに『ぼぎっ』とすごく嫌な感じの音がした。
「勢い余って俺の腕が折れたああああ!?」
「わああああああ肘が曲がっちゃいけない方向むいてるぅぅ!?」
「おいセラぁ!どうすんだこれ痛くないのが逆にヤバげなんだけどおお!?」
全部乗せした強化魔法の中に鎮痛作用のあるものが混じっていたのだ。魔法ってすごい。いやそうじゃなくて。
「スメラギさん!助けてスメラギさん!」
「強化魔法を考えなしに使うとこうなる。腕が折れる程度で済んでよかったね」
「えっ、もっと酷いことになる可能性あったの……?」
「わりと高確率で、死ぬ?」
「おいいいいいい!?セラお前なんてことしてくれたんだ!?死んでたらどうするつもりだったんだあ!!?」
「ちょ、キモいキモい!その腕見せんなこっちくんなぁ!!」
「だとゴラァ!?誰のせいでこうなったと思ってやがる!?」
「おかげで魔物に勝てたんだからいいでしょお!?結果オーライってやつだもん!」
「ところでキミ。小便くさいんだけど」
「うわああぁ!?ごめんなさいスメラギさん!てかそしたら手ぇ放してくれます!?」
「放してもいいけど、今連繋魔法が切れると、私が肩代わりしてる反動がキミを襲うから。彼みたいになるよ」
「わりと高確率で死ぬやつ!?」
「そう」
「ひっ、ぐじゅ、はなしゃにゃいでぐだじゃい……!」
「わかった」
「ていうかあのー、俺の腕ぇ、治るんすかこれぇ……?」
「綺麗に折れたから、すぐ治る」
「そういうもんなの……?」
変な方向に曲がっている自分の腕を微妙な顔で見ているランディーと。
おしっこくさいまま蹲って泣きじゃくるわたしと。
そんなわたしと手を繋いだままやっぱり平然としてるように見えるスメラギさんは、実は少しだけ顔を顰めて小さな鼻をすんすんしていた。くさくてごめんなさい。
なんだかとっても締まらないけど、間違いなく、生き残ったのだ。
魔力に還って消えゆく魔物の残滓が、木々の合間から落ちる月光の中に融けていった。




