270話_side_Ran_黒い森
~"討伐者の少年"ランディー~
ああ終わったな、と俺は悟った。
セラと二人でなんとかやってきた半年間。どこで潰えてもおかしくないような綱渡りの生活だったけど、最期はあっけないくらいに唐突に訪れたのだ。
いつも通りに依頼をこなしていた。相も変わらず薬草を採取して、帰り道だった。俺達はたった二人のパーティーで、しかも新米で素人で実力もない。だから魔物との交戦は極力避けるように立ち回らないといけない。数で来られるとあっという間に詰んでしまうからだ。
その点、今日は調子が良かった。そんな俺達だから、目当ての薬草の群生地に魔物が居れば場所を変えるか、あるいは立ち去るのを待つしかない。そのせいでただの薬草採取にも矢鱈と時間が掛かるし、既にそういうものだと割り切っていた。
でも今日は、一度も魔物に邪魔されることがなかったのだ。近くに魔物の気配を感じれば、採取を中断して身を潜めてやり過ごさなくてはいけない。それすらもなかった。かつてない程にスムーズに採取を終えて、俺達は帰路についた。
毎回こうだったらお金も貯まるのにね、などとセラも珍しいくらいに上機嫌で。
そこで、ソレと遭遇した。
大の大人の身の丈を優に超えるほどの体躯に、景観に溶け込む褐色の甲殻。その中で鈍色に輝く凶悪な刃と、毒々しい極彩色の複眼が異彩を放っている。キシキシと甲殻が擦れる音を立てながら、しかしそれ以外は異様なくらいに静かに出現したそれを、俺達は呆然と見ていることしか出来なかった。
『マンティス種』と呼ばれる魔物の一種だ。
この黒い森にも出現が確認されている種だが、滅多に出てこない。存在が確認されたら即座に討伐依頼が出されるほどの危険なヤツ。もし出会っちまったら一目散に逃げるしかない、なんてセラと冗談交じりに話していたことがあったが、実際に遭遇すると、その異形のあんまりな威圧感に身を竦ませることすら出来なかった。
既に魔物は俺達の姿を捉えている。無機質な複眼がこちらを睥睨しているのがわかる。少しの身動ぎでもしようものなら、忽ちその腕の刃でこちらの首が飛ぶのではないか。そう思うと、何も出来ない。
愕然と悟る。
俺達が今日、他の魔物にまったく遭遇しなかった理由は、コイツだったのだ。魔物は魔物同士であっても同種以外ならば捕食する性質があるので、この森において頂点に等しいマンティス種の出現によって、それを恐れた他の魔物が身を隠していたのだ。新米の俺達はそのことに違和感すら覚えず、能天気に喜びすらしながら、のこのことマンティス種の前に現れてしまったのだ。
「…………!」
警戒しているのか甚振るつもりなのかわからないが、マンティス種は俺達を睥睨しながらゆっくりと弧を描くように位置取りを変えていく。キシキシと甲殻が鳴り、時折両腕の刃物を打つ甲高い音が混じる。
まるで俺を迂回してセラに近付こうとするような魔物の挙動に、俺の背後に居たセラが息を呑む音が聞こえた。実際の魔物の意図なんてわからないが、魔力を糧とする魔物にとっては俺よりもセラが美味そうに見えるのは確かだろう。
「セラ、セラ……動けるか?」
魔物から視線を逸らさず、小声でセラを呼ぶ。ヤツがセラを狙っているのだとすれば、俺はなんとしてもセラを逃がさなくてはならない。そう思うと不思議なことに、硬直していた肉体に熱が戻ってきたみたいに動けるようになった。
剣を握る手に力が籠る。
「ランディー、無理、こんなの無理、動けないよ」
「なら俺が担いでやる。逃げるぞ」
立ち向かったところで勝ち目はないだろう。逃げたところで絶対にマンティス種のほうが速いから、きっと無駄だ。
でも俺はセラを逃がさなくてはならない。本当は俺が魔物を食い止めて、その間にセラに逃げてもらうのが一番だけど、彼女が動けないなら俺が担いででも逃げるしかない。
とにかく、この場にこのまま居ても、助かる未来はない。
「ダメ、無理。おしっこちびりそう」
「俺もだ」
小声で言いつつ、俺は機を窺う。機なんてあるのかわからないし、俺に見切れるとも思わないけど、とにかく魔物から視線を逸らさない。
不意にセラが「あっ」と小さな声を出す。思わず、といった風。何かに気付いたのか、もしかしたらちびったのかもしれないが、とにかくその声が契機となった。
俺がセラを担ぐために振り返ろうと下肢に力を籠めたのと、マンティス種が姿勢を低くして飛び出したのは同時だった。
そこからは殆ど反射の領域だった。
「ンなろぉ!!」
「キャアっ!?」
俺を無視してセラを斬り裂こうとした魔物の凶刃を、俺は奇跡的に間一髪割り込ませた愛剣で弾くことが出来た。悲鳴を上げたセラがその場に尻餅をつくのが視界の端に見えていたが、それを気にしている余裕はない。
マンティス種が俺にターゲットを絞って、突撃してきたからだ。
俺なんかよりも余程巨大な身体をしているというのに、冗談みたいに速い。巨躯を支える強靭な四本足で地面のみならず乱立する木々すらを足場にして、気色悪いくらい滑らかに、胴体を揺らすことなく真っすぐに驀進してくるのだ。
「くそっ!!」
正直、攻撃は全然見えていなかった。
あまりにも速過ぎる魔物の挙動に対して、俺は破れかぶれで剣を振り抜く。力任せのフルスイングが偶然にも魔物の攻撃とかち合って、互いに弾き飛ばされる。相手は巨体だが、体重は軽い。脅威は速さと鋭さであって、真正面から打ち合えば俺でも対抗は出来るのだ。
自分の首がまだ繋がっていることに安堵している余裕すらない。滴る汗を拭うことも出来ず、俺は声を上げた。
「セラ!逃げろ!はやくっ!!」
「えっ、で、でもっ!」
少しでも魔物の注意が俺に向くように、中古の愛剣の機能で体内の魔力を吸い上げて攻撃力へと変換する。刀身が纏う魔力の密度が増し、陽炎のように揺らめく。多少は警戒してくれたのか、マンティス種は俺を見ながら威嚇のようにカチカチと刃を鳴らした。
「行けって!」
「ランディーが死んじゃう!!」
んなこたわかってら、と叫ぶことは出来なかった。三度魔物が接近してきたからだ。俺は馬鹿の一つ覚えで剣を振り抜く。マンティス種の挙動はある意味素直で、直進の際に胴体を揺らさないように動くので真正面から向き合っていれば両腕の刃物を視界に捉え続けるのは難しくない。だから冷静に見切れば防げたのかもしれないが、こんな状況で冷静になれるわけがない。我武者羅に振った剣は真正面からくる魔物を迎え撃ったが、幸運はそう何度も続かない。打ち合って逸れた魔物の攻撃が俺の二の腕を浅く抉った。
鮮血が飛び、セラが悲鳴染みた声で何か叫んだが、なに言ってるのか全然聞き取れない。
怯んだら即終わりだと直感的に理解している俺は、遮二無二踏み込んで魔物に剣を振るう。勢いだけの一撃は軽く躱されたが、マンティス種を再び後退させることには成功した。
極度の緊張状態で頭がバグってるような気がする。
ここは俺に任せて逃げろ、とか。そういう台詞が言えれば格好もつくんだけどな。なんて場違いな思考すら流れる。
正直、勘弁して欲しかった。セラのヤツ。
俺がどんだけ勇気を振り絞って立ってると思ってるんだ。この期に及んで「でも!」とか「だって!」とか、やめて欲しい。そんなことを言っている暇があるのなら一刻も早く逃げてくれたほうが、俺だって助かるのに。
助かるってのは、つまり生き残れるって意味ではないけど。
いやだって無理だろ、これ。なんだこの魔物。俺達なんてクラブ種にも手こずるような雑魚なんだが。マンティス種に勝てるわけないだろうが。
逃げるしかない。
でも相手のほうが速いなら、どちらかが食い止めるしかない。餌になってでも。
で、そういうのって、俺の役目じゃん。
生き残るなら、セラじゃん。
嫌がってたセラをこの世界に引き摺り込んだのは俺なんだし、そんな俺がセラを犠牲にして生き残るって、それ最悪だ。むしろ俺が死ぬのは自業自得だけど、それにセラを巻き込んじゃダメだって思う。
俺は頭悪いけど、そんな俺でもわかることはある。
セラは俺とは違う。なんてったって、セラは魔法の才能があるのだ。俺なんかよりもよっぽど未来がある。然るべき場所で、然るべき指導を受けられたとしたならば、きっとセラは一角の討伐者にだってなれるし、もっと他の仕事だってあるだろう。だって魔法があるのだ。魔法ってのはそれだけのアドバンテージであるはずなのだ。
だからセラがこんな底辺で燻ぶっているのは、だいたい全部俺のせいなのだ。
才能もないくせに無謀な野心を抱いてしまった俺の巻き添えで、セラまで要らない苦労をしょい込んでる。
セラの人生には、俺が邪魔だ。
そんなことはわかっていたのだ。でもセラがなんだかんだ文句を言いながらも俺の傍に居てくれるのが当たり前だったし、嬉しかったから、彼女を解放するという選択肢が取れなかった。
責められるべきは俺の弱さだ。あらゆる意味で、クソザコな俺が悪い。
だから、違うだろ。
そうじゃない、と叫びたかった。
「っ――こっちだ!ほら!!」
今まで見たことがないくらいの魔力を纏ったセラが、声を上げながら走り出す。
俺の剣に籠められた魔力なんて目じゃないくらいの上等な餌に、マンティス種は一瞬で俺からの興味を失って、セラを追って動き出す。
全身が総毛立ったのがわかる。セラが何をしようとしたのかなんて、考えるまでもない。あろうことか自分を囮にして、俺を逃がそうとしているのだ。
「バカ!!やめろッ!!」
違う、それは違う!
そんなことをしちゃいけない!
心がそう叫ぶのに、たった数度の魔物との交錯ですっかり疲弊してしまった俺の脚は、咄嗟にセラを追い掛けることすら出来ない。
いや、追い掛ける必要なんてなかった。
マンティス種の俊敏性を前にして、セラの脚では満足に距離を取ることがそもそも出来なかったからだ。
「セラ!避けろッ!!」
瞬く間に追いついた魔物が、勢い余ってセラの背を蹴り飛ばす。くぐもった悲鳴をあげて地面を転がったセラに待ち受ける未来なんて一つしかない。
「よせ……やめろよ」
魔物の脚にローブを縫い留められて、セラは満足に起き上がることも出来ない有様だった。上からのしかかるように陣取ったマンティス種の凶刃が振り上げられるのを、俺はアホみたいに眺めていることしか出来ない。
セラは魔物のほうを見てすらいなかった。彼女は泥に塗れた顔をくしゃくしゃに歪めて、一心に俺のほうを見ていた。
その彼女の唇が、小さく動くのがスローに見える。
にげて
と、声なき声が届いた。
何も出来ない。俺には何も出来なかった。
鈍色に輝く刃が、セラの細い首に振り下ろされ、
「――――『空灼く白光』」
突如、木立の向こうから放たれた眩い輝きが魔物を強襲し、態勢を崩したせいで狙いが逸れた凶刃がセラの顔の横の地面を穿つ。
「連弾。『空灼く白光』」
続く宣言と共に連続して飛来した輝きが爆音を轟かせて魔物を叩き、初撃以外は躱されたが魔物は大きく後退せざるを得なかった。
俺は這うように移動すると、殆ど飛びこむようにしてセラの傍らにしゃがみ込んだ。
「セラ!無事か!?生きてるよな!?」
「う、うん……」
生きている実感が湧いていない様子のセラを抱き起こしつつ、俺は彼女に怪我がないか確認する。魔物に蹴飛ばされて転がった際に擦り傷くらいは負っているだろうが、目に見える大きな傷はない。
「ちょ、待ってランディー、放して。ってか離れて」
「え?なんで」
「漏らしたからよバカ!」
などとくだらない言い合いをしている俺達の横に、誰かが立った。
「そういうのは、後にして」
魔物を見据えつつ、平坦な声で俺達を注意したその人物は、一風変わった装いの若い女だった。
丈の短い法衣みたいな異国風の服に、これまた異国風の長外套を羽織り、片手には身長ほどの大きさの杖を携えている。装いよりも特徴的なのはその容姿で、夜を流し込んだみたいな漆黒の頭髪に、赫赫と輝く赤い瞳。白皙の整った面立ちだが、年の頃はおそらく俺達と同じくらいで、大人と子供の中間みたいな、未完成の美しさのような印象を受けた。
彼女はマンティス種に牽制の魔法を数発放つと、視線だけでこちらを窺った。
「私はスメラギ。キミ達に助太刀するつもり」
言葉は流暢な王国語だが、その名は明らかに異国の響きだ。
スメラギと名乗った少女は、杖を持っていないほうの片手に、いつの間にか俺の剣を持っていた。先程セラに駆け寄る際に放り出していたらしい。スメラギは手首で剣をくるりと回転させると、俺のほうに柄を差し出してきた。
「キミ達が選んでいい」
「は?」
「剣を取るか。キミ達が選んでいい」
思わず俺とセラが顔を見合わせていると、スメラギは差し出した剣を強調するように揺らしながら、少しだけ早口に告げた。
「あまり猶予はないから早く決めたほうがいい。逃げるなら守る。立ち向かうなら手伝う。でも、」
選ぶのはキミ達だ、とスメラギは呪文のように繰り返した。




