273話_side_Dor_バッヘル領_宿
~"訳ありメイド"ドロシー~
旅先の慣れない環境であっても、ボクの身体は決まった時間に目を覚ます。
機能性のみを追求してデザインされた暗殺者の肉体にとって、睡眠とは休息ではなくメンテナンスに過ぎない。必要ならば実施し、定刻通りに完了するもの。
要するに、自分の頭の中に自前の目覚まし時計を持っていて、寸分違わず目が覚めるということだ。
「く、ぁ…………ねむ」
まあ、だからといって微睡まないわけではないのだけど。
そろそろ滞在して半月程になる宿の一室である。バッヘル男爵領基準ではそれなりにグレードの高い、討伐者御用達の宿泊施設だ。ボクに言わせればだいぶ上等な寝床であるが、普段は侯爵令嬢をやっているスレイにしてみれば馬小屋みたいなものだろう。
ボク達は実の姉妹という設定だし、部屋は同じほうが都合がいいので、一室しか取っていない。二人で使うには多少手狭だが、基本的には寝に帰ってくるだけの部屋なので、然したる問題でもない。
と言っても、実質寝ているのはボクだけなのだが。
ベッドから抜け出してもそもそと身繕いをしつつ、ここに居ない同居人のことを考える。
まだ早朝と言っていい時間帯だ。討伐者時計ではなく、一般的な意味での早朝である。昨夜も模範的な討伐者らしく結構な時間まで活動していたので、こんな早朝に起床していては満足な睡眠時間なんて取れやしない。ボクは常人に比べれば大概睡眠を重要としない生き物であるが、そんなボクが眠気を覚えているということは、ボク基準ですら睡眠時間が足りていないということだ。直截に表現すればメンテナンスの時間が足りていない。それは後で空いた時間に昼寝でもして補完すればいいだけなのでどうでもいいが、問題はそのボク以上に寝ていない輩が存在しているという事実である。
「一体、どういう生態をしているんでしょうね……」
鏡台の前で髪を梳かしつつ、ぼやく。
スレイのことである。この生活が始まってこのかた、ボクは彼女が眠るところを見たことがない。ボクが寝るときには決まって彼女は起きているし、こうして目覚めた時にも決まって彼女は起きている。
たぶん、そもそも眠っていないのだろう。
その理屈自体は理解出来なくもない。だってスレイのあの姿はアヴァターなのだから、転神状態なので睡眠を必要としないのだと考えればおかしな話ではない。おかしいのは、そうなるとヤツのアヴァターにはどう考えても維持限界が存在していないということだ。
意味が解らないが、きっとスレイには『消耗する』という概念がないのだろう。
なんということだ。ボクの姉は人間ではなかった……!
「うん、こんなところですかね」
身繕いを終えて、自分の姿を一通り確認して合格点を出す。
今日も完全なリスティ・ハイゼンの出来上がりである。
結局、ボクにとって重要なのは仕事をこなして報酬を得るということだけだ。そのために必要だから身繕いに時間を掛けるし、キャラだって作るし、姉が人間をやめていても気にしない。
大事なのはお金である。お金は正義。異論は認める。
そもそも論を言えば、ボクだって厳密に人間であるとは言えないわけで。だって年取らないから。不老であっても不死ではないし、年を取らないからって寿命がないというわけでもないと思うけれど。少なくとも普通の人間ではない。
だからリスティとスレイの二人揃って人外姉妹でちょうど良いのではなかろうか。
ボクは別に自分が人間でなくても気にしないし、姉が人間でなくても気にしない。
そんなことより大切なのは。
プリムローズは金払いが良くて、そしてボクのことを『友達』などと称する変人だということだ。
部屋に居なかったスレイの姿を探したボクは、一人宿の中を歩いた。実のところ心当たりはあるので、目的地は決まっている。討伐者御用達の宿であるここには、裏手にわりと開けたスペースがあって、身体を動かしたい宿泊客のために開放されている。
スレイはこの時間、大抵そこに居る。ボクはこの時間も情報収集にあてていることが多いので、スレイのほうに顔を出すことは殆どなかったが、今日は時間があるので見に行ってみようと思い立ったのだ。
そうしてボクが顔を覗かせると、案の定、広場の一角にスレイとベルの姿があった。ベルはベルで、ベテランの討伐者らしく少々特殊な生活リズムが出来上がっているようで、朝までは起きていてこの後眠るのだそうな。
二人で何をしているのかというと、まあ鍛錬である。
ボクは邪魔にならないように少し離れた位置に辿り着くと、手ごろな木の幹に背を預けて腕を組む。視線の先ではそれぞれの得物を手にしたスレイとベルが打ち合いをしている。
ベルの両手にはお馴染みのショートソードが握られていて、彼女はまるでジャグラーみたいな取り回しで刃を振るう。膂力で鍔迫り合うという選択肢は端から捨てていて、トリッキーな軌道と速度で以て相手の防御をすり抜けて、斬り裂くことだけを追求した戦理。剣術というよりは暗殺術に近いものだが、魔物を相手にする討伐者においてはある意味妥当な戦術なのだ。
魔物に対する常套手段とは、防御の上から叩き切るか、防御をすり抜けて撫で切るか、である。
そんなベルと相対するスレイは、片手に直剣を持っていた。鍛錬用に貸し出されている武骨な模造刀なので刃は立っていないボロっちい剣だ。
正直、ボクは彼女が剣を使うという発想がまったくなかった。それはスレイの正体であるプリムローズの体躯からしても、剣を扱えるとはとても思えなかったからだ。
ところが、である。こうして眺めてみると、中々どうして腕が立つように見える。ボクは剣術を修めているわけではないが、目だけは肥えているつもりなので、ボクがこれまで目にしてきた数々の剣士と比較しても、決して見劣りするものではない。アヴァターであるが故の身体能力に助けられている感はあるが、逆に言えばアヴァターの過剰出力を上手いこと制御して剣術に落とし込んでいるのだ。
ただ、相手をしているベルは生半可な腕の持ち主ではないので、戦況はスレイの劣勢だ。
てか初対面の時に『腕が立つわけじゃない』とか嘯いていたベルに「嘘吐くな!」と言ってやりたい気分だ。くそ強いじゃないか。尤も、適性的に単独行動に向かない人間であるとは思うので、パーティーメンバーを求めた判断自体は切実なものだったのだろう。金勘定を間違えて路頭に迷っていたのも事実だったし。
「さあ、ペースをあげるよ!」
そう宣言して、ベルが刃を振るう速度が一段階速くなった。両手の銀光が縦横無尽に閃き、くるりくるりと独りでに踊っているかの如き光景だ。攻撃に傾倒し、攻め続けることで相手に反撃を許さず封殺する、とても攻撃的な立ち回り。
ベルが手加減してくれていた間はそれなりに真面にやれていたスレイであったが、速度が上がると途端に追従しきれなくなる。それでもわりと頑張って防いではいたのだが、防御に回った時点でベルの術中だ。徐々に体勢を崩していくような攻め手に追い詰められて、程なくして得物の剣を弾き飛ばされた。
物騒な風切り音を立てて吹っ飛んできた模造刀は、面倒なことにボクのほうへと向かってくる。ボクは嘆息しつつ木の幹から背を離し、慎重に両手で剣をキャッチした。時間的に今日はこれでお開きだろうと判断して、ボクは二人に歩み寄って声を掛ける。
「おはようございます」
二人からは口々に「おはよ」と「おつかれ」が返って来た。前者がスレイで後者がベルだ。ベル的にはこれから休むところなので、おはようの気分じゃないのだ、というのは彼女とつるみ始めた当初に聞いたことであった。
ボクは普段、この二人の力量に関して言及することはないんだけど、今日は折角なので訊いてみることにした。
「ベルさんから見て、姉の腕はどうなんでしょう?」
ボクの問い掛けにスレイが「それ訊いちゃう?」と反応して、白々しく耳を塞ぐジェスチャーをした。自分の居ないところで訊けとでも言いたいのだろうか。そんなスレイの態度とは対照的に、ベルはわりかし真剣な顔で、思案するようにおとがいを指でなぞる。
「一言で表現すれば、変態だよね」
「どうするんですか姉さん、ついにベルさんにまで変態と言われましたよ」
「正直ちょっと興奮する」
ダメだコイツ早くなんとかしないと。いや手遅れか。
ボク等の姉妹芸にも慣れたものと苦笑で受け流したベルが言葉を続ける。
「スレイさんも自分でわかってるだろうから言うけど、全然才能を感じないわ」
「ですよねー」
「そうなんですか?」
「うん。リスティちゃんも自分で打ち合ってみればわかるんじゃないかな。姉妹でそういうことはしないの?」
「ええ。しません。姉が嫌がるので」
「だって!可愛いリスティに剣を向けるなんて出来ないっ!」
「キモいです」
「直球!?」
ショックを受けるスレイ(ちょっと嬉しそう)はスルーして、ボクは内心で首を捻る。ボク自身は剣術に造詣が深いわけではないが、先程までの打ち合いを見る限りでは、とてもスレイが無才であるようには思えなかったが。
「スレイさんの剣はね、誰かの動きを真似てるだけのように見えるね」
「真似、ですか?」
「そう。私の攻め手に対して、一番相応しい反応を選んで剣を振ってる。スレイさん本人が剣の理屈を感覚的に理解出来てないから、時々素っ頓狂な動きをする。これ、私も結構な練習になるから助かってるよ。スレイさんは一度した『失敗』はすぐに修正してくるから、同じ勝ち筋が通用しない。だから私も常に新しい手を考えて駆使しないといけない。まあ、こうやって稽古を始めた当初のスレイさんは失敗ばかりだったから、付け入る隙しかなかったんだけど」
成程。ということはスレイがベルと先程のように打ち合えるようになってきたのは実はごく最近の話だということか。つまりはベルに敗北するたびにその負けパターンへの対処法を構築し、勝ち筋を見出すのではなく負け筋を無くす方向に進歩しているということだ。
それは間違いなく、
「変態の所業ですね」
「でしょう?スレイさんは腕が立つとは思ってたけど、ここまで手も足も出ないレベルとは思わなかったなぁ」
大袈裟に肩を落として見せるベルに、スレイは気まずげに「あはは」と笑っている。
つまり今のベルの説明の裏を返せば、スレイにはベルの攻め手に対して反応を選択して実行するだけの余裕が常にあるということだ。
「実際、スレイさんってば私の動きが全部見えてるもんね。たぶん、今までで一番怖い相手だ」
スレイが全ての動きを見切っているということは、彼女が剣への拘りを捨てて本領を発揮し始めたら、文字通りにベルは手も足も出ずに封殺されてしまうということでしかない。
変態的な見切りと、変態的な反応速度。ボクが思うにスレイにはアヴァター云々を抜きにしても、そもそもそういうところがある。コイツには死角がないのだ。自身に近付くあらゆる全てに反応しているような挙動をしばしば見せる。そして対処方針を決定して実行するまでのルーチンが異常なまでに速過ぎる。たぶん、比喩でもなんでもなく、思考速度が人間のそれを逸脱しているのだろう。そうでないと説明がつかない。
「個人的には、スレイさんが剣を練習する必要は全然ない気がするけど。でも、何か理由があって、必要なことなんだよね?」
「まあね。付き合わせてごめんね」
「言った通り、私も良い練習になってるから構わないよ。最近はスレイさんが手強くなってきたから、どうやって崩すか考えるのが楽しいんだ。尤も、この分だとすぐに私はお役御免になりそうだけども」
スレイがしていることは、自分の中で『剣の理』とも言えるメソッドを構築しようとしているのだ。今はベルという攻撃的な遣い手への対処を通して、防御的な動きを学んでいるところ。誰かの真似をしているということは、手本となる理想形は既にスレイの中にあって、それを血肉に変えようとしているというべきか。ただ、ベルの言う通りにスレイに剣才がないのならば、それはどこまで行っても猿真似の域を出ないだろう。
別に、才能がなければ強くなれないとは言わない。だが、才能がある者と同じ高さに到達するために、その比ではない労力を要することだろう。ならば拘泥せずに、才能がある分野の技能を重点的に磨いたほうが余程賢い。使える時間は有限なのだから。
近接戦闘手段を模索するとしても、スレイならば剣を握るよりも腕から魔法を放つほうが絶対的に強い。
「ところでスレイさん、剣の腕を磨くのはいいんだけども。そもそも自分の剣を持ってたっけ?」
「ここには持ってきてないけど、あるわよ」
ベルの素朴な疑問に、スレイは何でもなさそうに答えた。
「とっても凶悪な魔剣がね」




