259話_side_Pr_学院図書館
・てへぺろ回。
~"転生令嬢"プリムローズ~
図書館の二階の通路を歩いていると、珍しい人物と出会う。
相手もこちらに気付いたようで、彼女はその場でわざわざ私へと向き直ると礼儀正しく頭を下げた。
「こんにちは。ミス・アシュタルテ」
「ああ。こんにちはシスター」
白と青のツートンカラーに、金の挿し色をあしらった特徴的な色彩の装束。乙女の貞淑さと戦士の凛々しさを同居させるその装いは『教会』の武装司祭のものである。
修道女のウィンプルの下に覗くのは緩く波打つブロンドと、無機的なまでに美しい金色の瞳。
レイチェル・イリサ・パラディース。
私にとっては色々と複雑な関係性の相手であるところの彼女は、その両手に数冊の書物を抱えていた。正直に言って、私は今結構驚いている。こんな場所でシスターレイチェルに遭遇するとは微塵も思っていなかった。
その動揺が態度に出ていたのか、彼女はほんの僅かに小首を傾げた。
「私がこの場に居るのが不思議ですか?」
「ん、ああ……意外ではあったな」
ちなみに私も既に今日の分の物色を終えているので、シスターと同じように腕には書物を抱えている。奇しくも二人とも同じような厚みの書籍を、同じように三冊ほど選んだようだ。
あとは一階に降りてカウンターで貸し出しの手続きをするだけなので、目的地が同じ私と彼女は自然と肩を並べて通路を歩き始める。当たり前のように私の歩幅に合わせてくれるあたりがシスターレイチェルという女性である。それでもって当たり前のように私の分の書物も持たせて欲しいと申し出てくれたが、流石にそれは丁重に断っておく。
「気を悪くしたら済まないが、貴女が聖書以外を読んでいる姿を想像だにしなかった」
私が正直にぶっちゃけると、シスターレイチェルは一瞬きょとんと目を丸くして、それからクスリと控えめに破顔した。
「私は聖書ばかり広げているイメージですか?」
「うむ。勝手な想像だがな」
「残念ながら、それはハズレです」
シスターレイチェルはそう言うと、微笑みの形に目を細めた。
「うん?」
「実は私は、そもそも活字が得意ではありません」
「聖書も碌に嗜まない、と?それは聖職者としてどうなんだ」
「はい。いいえ、主の教えを宣べる手段はなにも文字に限りませんよ。こうして私と貴女が言葉を交わしているように」
「説法ならば結構だ。私は教会に帰依するつもりは毛頭ないのでな」
「はい。強いるものではありません」
なんだかなぁ……。
これだけの会話でもなんとなく伝わるかもしれないが、この子、なんか私に対して結構友好的なのだ。いや、この子は誰に対しても分け隔てなく平等に礼儀正しく慈悲を以て接する博愛精神の塊みたいな女の子なんだけど、逆に私に対してはそうではないというか。わかりやすく言えば、有象無象の学生の内の一人ではなく、私という個人を見て接してくれるというか。
理由はわかっていて、単に最初のアリーナでの模擬戦で私と彼女が鎬を削った仲であるからだろう。相対的な意味で、シスターレイチェルにとって私という女子学生は、学生の中では気安く接することの出来る相手というだけのことだと思う。あの時シスターとペアを組んだクロエ嬢に対しても、たぶん同様に若干親し気に思っているのかもしれない。
シスターレイチェルは誰に対しても過剰なくらいに丁寧に接する人間なので、逆に若干程度でも砕けた態度を取ると、すごくわかりやすく特別感が際立つのである。
結果として、なんだか私がお友達認定されているように見えるのだ。
シスターレイチェルって狂信者の宗教戦士っていうイメージが先行しがちだけど、逆に言えば教義が絡まなければそれなりに普通の女の子である。いや、というか普通よりもだいぶ聖人寄りの女の子ではあるが。彼女だって弱冠十九歳の乙女なんだから同年代くらいの少女と仲良くしたい願望だってあるだろうし、それで相手がアシュタルテだからといってそれを理由に避けたりしないのは彼女の誠実さの現れであって尊敬すべきところなのだ。
故に彼女と宗教的に対立さえしなければ、こんな風に冗談交じり(当社比)に雑談なんかも出来るわけだが。
胃が痛い。すごく。
シスターがこんなに友好的なのは、無論私がアンジュの正体であると知らないからだ。
それを知られた瞬間に、きっと彼女はなんの躊躇もなく腰のロザリオを抜いて光剣を振るうだろう。だからといって今この瞬間の友好的な彼女の姿が偽りかと言うとそうでなく、彼女は本心で私に友好的なのだ。
見えてる地雷を踏まないように歩いている気分だ。
だからもう胃が痛い。なおチート遡行持ちの私は病気しないので、大抵は幻痛である模様。
「それで?活字が苦手なシスターが何故こんな場所に居るんだ。昼寝の枕でも探しに来たのか?」
彼女の腕の中の書物を見ながら言うと、私のくだらない冗談にもシスターは律儀におかしげに笑ってくれた。
片手を口元にあてて、上品に声を抑えて囁くように笑う姿がなんとも絵になる。
「はい。いいえ、そうではありません」
「だろうな。そうだと言われたら驚くぞ」
「ふふっ、そうですね。あっ、そうだというのはそうだという意味ではなくて、つまりお昼寝の枕にするために書を借りに来たわけではないという意味です」
わかっとるわ!律儀か!……まあ、律儀か(納得)。
「これは己の勉学のために見繕ったものなのです」
「勉学?」
そう言えば試験週間だな今。シスターには微塵も関係ないことだし、関係あるはずの私も試験勉強なんぞ一切していないが。
「はい。教会本部より身に余る過分な評価を受け、こうして学生を導く立場として罷り越しました。全ては主の御導きなれど、この身は浅学菲才の若輩にありますれば、常に精進せねばなりません。学生を教え導くことで、私もまた多くを学ぶ機会を与えられているのです」
「要するに、講師として新米だから、色々と勉強することが多いということか。聖職者の言葉は装飾が多くていかん」
「はい。その通りです。弁舌が説法くさくなってしまうのは、職業柄ということで御寛恕いただけると――」
「それが装飾過多だと言うのだ」
「……では、どのように言えばよいのでしょうか?」
「てへぺろとでも言っておけ」
くっそ適当な私の言葉をシスターレイチェルは真剣極まりない表情で吟味し、徐ににっこりと笑って口を開く。
「職業病なのゴメンね!てへぺろっ」
「…………」
「…………」
「…………やればできるじゃないか」
「恐れ入ります。お耳汚しを」
キャラ崩壊乙。てかそんな可愛い声出せるんだね以前に、知ってるのが驚きだわ、てへぺろ。
遺憾ながらすごく可愛いかった。でもなんだろう、すごく怖い。
心臓がキュンとなったのは、たぶんトキメキだけが理由ではない気がする。なんか見てはいけない何かを垣間見たような。てへぺろで深淵を感じる日が来るとは思わなかった。
私の自爆はさておき、ともあれ勤勉なのはよいことだ。
シスターが抱えている書物の表題から察するに、どうやら肉体の挙動や仕組みに関する研究を綴った学術書の類のようだ。前世風に言えばスポーツ工学系の内容が近いだろう。つまり勤勉な彼女は学生を好く教えるために必要な知識を求めているのだ。シスター達の講義を受けている身として言うならば、決して彼女は知識不足というわけではなく、現時点でも外部講師として仕事が出来る程度には教養があるはずだ。
「『常に勤勉であれ』と主も仰っていますので」
「誓句だな」
誓句というのは前世で言うところの十戒みたいなものだ。教会の信仰対象である『主』が下々を導くために、最初に定めたと言われる最も根幹的な八つの教えのことを指す。シスターが今言った『常に勤勉であれ』はそのうちの一つということだ。
なお誓句には優先されるべき序列があって、一番下のものが『人に悖るなかれ』であり、そこから順番に序列が上がっていって、最終的に最も優先されるべき教えである『天に背くなかれ』がある。ついでに言うと『規律に正しくあれ』というのもあって、それがシスターレイチェルが規律の鬼と言われるほどにルールを遵守し、他者にもそれを求める所以でもある。
主による教えの根幹ということは、シスターレイチェルの行動指針の根幹でもあるということだ。この誓句の序列において、人に悖るな――即ち人道に悖るようなことをするなという教えが最下位に置かれているのが、全ての元凶というか、癌だ。
それって言い換えれば、他の誓句を遵守させるためであれば人道に悖る行為も止む無しと主が認めているとも解釈出来てしまうわけで、シスターレイチェルが色々な場面でパラノイアムーブしちゃうのも、元を糺せばこれのせいだ。当然だがこれは解釈次第の話なので、私が思うに最初に誓句を考えた主とかいうヤツは、人道を一番下に置きたかったというよりは、人から始まって天に至るためのステップアップの心得を説きたかっただけだと思う。宗教としては正しいのかもしれないが、大いなる何かの絶対性を担保するために相対的に下げられるほうは堪ったものではないと言いたいね。
結論、主とかいうヤツが一番悪い。
そんな事を口に出したら首が飛ぶので間違っても言えやしないが。
とか考えていると、不意にシスターが呟く。
「ミス・アシュタルテは――――何故、私を避けないのですか?」
どっきんこ!
口から心臓出るかと思った。まあ思っただけで、動揺を表に出すほど迂闊には出来ていないが。
「質問で返して悪いが、何故避けねばならないのだ?」
「この身の不徳の致すところです」
話を聞くに、アンジュの正体が云々とは全然関係ないことであった。
シスターレイチェルは前述の通り博愛主義の聖人みたいな女の子ではあるのだが、同時に狂信者のスメルも漂う困ったちゃんなので、今となっては学生からの彼女に対する評価はわりと二分されている。どちらかと言うと、敬遠気味の学生が多数派だろうか。
少なくとも、私のように雑談に応じるようなのは少数派だろう。
「避けられている自覚があるのならば、行動を改めてはどうだ?」
「はい、いいえ。私は自身の行動に恥じるところは御座いません」
これだもんなぁ。
なにをやらかしたのかと言うと、とある男子学生の耳たぶを斬り落としたのである。結構最近の話で、私が黒い森で彼女と戦ったすぐ後くらいの話だったと思う。
確か原作でも同様の展開があったのだが、被害者の男子学生は所謂『不良』というやつで、着崩した制服の隙間からアクセを光らせるようなヤンキーボーイだったらしいのだ。いかに格式高いエンディミオンといえど、やっぱり一定数はそういうアウトローが居るもので、特に家格の低い家出身の令息とかがそういう非行に走りがちだ。
そのヤンキーボーイはあろうことか、耳にピアスを付けた姿でシスターに絡んでしまったのである。どうせ美人のシスターに粉掛けようとしたとかそんなんだろうが、目撃者によると不良仲間数人でシスターを取り囲む勢いだったとか。
んで。
――その装飾品は服飾規定違反です。没収します。
とシスターが言って、あとはだいたい想像が付くだろう。
当然ヤンキーがお利口に従うわけもなく、根気強く言葉を重ねるシスターをむしろバカにしたような態度だったらしい。
私がその場に居たら『バカは貴様だ』と言ってやるものを。シスターレイチェルが言葉で説いてくれている内に大人しく従っておくべきだったのだ。結局『言葉では足りない』とシスターが判断したが最後、目にも留まらぬ光剣抜刀からの一閃で、憐れヤンキーボーイのお洒落なピアスは没収されてしまいましたとさ。耳たぶごと。
ちなみにその場に居た不良仲間の学生は首元にシルバーのネックレスを光らせていたらしいが、シスターの視線がついと向いた瞬間に死に物狂いでネックレスを外して渡したそうだ。
それはそう。ピアスが耳たぶごと没収されたのであれば、ネックレスはどうなるのか、考えるまでもない。
という経緯で、それ以降シスターレイチェルは『ヤバいやつ』認定されて避けられているというわけだ。
一応言っておくと、彼女に対して肯定的な人間も決して少なくはない。というのも、件の不良学生は不良故に周囲に迷惑を掛けていた奴等なので、むしろ懲らしめてくれて有難うという意見だってなくはないのだ。それに、いかにシスターがヤバいやつでも、こちらが品行方正にしていればその剣が向けられることはないのだから、常から行儀よく生活している大半の学生にとっては無害でもある。
ただ、だからといって躊躇なく剣を抜くような人に敢えて近付きたくはないので、結果遠巻きにされる現状ということだ。
シスターの質問の意図は、きっと肯定的でも否定的でもない私のスタンスが単純に気になっただけなのだろう。
なお私の正直な答えを言うなら『そんなことないですめっちゃ避けてます』なんだけども。アンジュの正体を知られないように立ち回っているという意味でね。
流石にそれを言うことは出来ないので、もう一つの正直な想いを語っておくことにする。
「シスターの問いの答えになるかはわからんが、私は貴女のことが嫌いではない」
困ったことに、これも本心なんだな。
私が彼女と本当の意味で和解することは未来永劫ないだろうと思っている。彼女が主への信仰に生きる限り、私とは相容れないのだ。
しかし、それと彼女に対する好意は私の中で対立しないのである。人としては好ましいし、出会いが違えば仲良くなれる世界もあったかもしれない。だけれど私は今、彼女を殺すことが出来る。その線引きを自分で決めているから。
私の言葉にシスターレイチェルは少しだけ目を瞠ると、柔らかな微笑を見せた。
心底から、嬉しそうな顔であった。
「私も、貴女が好ましいと思っていますよ」
本心からそう語った彼女もまた、その顔で躊躇なく剣を振るうことが出来るのだろう。
私がそうであるように。
きっと、私達はその在り方が、とてもよく似ているのだ。




