256話_side_Pr_学生区
~"転生令嬢"プリムローズ~
「お兄様が?」
内線を受けたクラリスちゃんが告げた言葉に、私は訝しんだ。
どうやら上のお兄様が学院に襲来したらしい。私は事前に何も聞いていないが、どうやらお兄様は私との面会を望んでいるようだ。
「如何いたしましょうか?」
お兄様は現在、学外からの来客用の応接室に通されて居るらしい。私が内応すればいつかのハイメロートのように寮室に招くことも出来るわけだが、私はかぶりを振った。
「私が行くと伝えろ」
「畏まりました」
上のお兄様といえば下半身の申し子であるからして、そんな性獣を女子学生寮に招くなんてとんでもない。
私は真剣な顔で、クラリスちゃんとその横で話を聞いていたフォノンちゃんへと命じる。
「いいか、私が戻るまでこの部屋に居ろ。絶対に付いてくるな」
迫真の念押しにクラリスちゃんは若干の苦笑気味に、フォノンちゃんは不思議そうに了承の返事を寄越した。ついでにクラリスちゃんに、上のお兄様の危険性をフォノンちゃんへと教育しておいてもらおう。フォノンちゃんは勤続年数も短いし、ほぼほぼ最初から私の専属だったから、お兄様達の生態も噂程度にしか知らないのだ。
いけないいけない。あれは女の敵である。
「では行ってくる。くれぐれも、頼むぞ!」
しつこいくらいに言って、私は足早に寮を出た。
というわけでお兄様が待っている部屋に辿り着いた私は、入学以来久し振りに彼と顔を合わせた。お兄様は私の姿を見るなり、端正なお顔を綻ばせて嬉しそうな声を上げる。
「やあプリム。相変わらず愛らしいねお前は」
「お兄様も、お変わりないようで」
彼が座って待っていたソファの対面にちょこんと腰を下ろす。
まあ半年足らずでそうそう変わるものでもないが、色々な意味で相変わらずの様子に安心すればよいのか、呆れればよいのか。私がこの部屋に辿り着くまでの廊下で、微妙に衣服が乱れた若いメイドと擦れ違ったことには、今更思うところもないが。
本当に、隙あらばつまみ食いをするものだから始末に負えない。
お兄様は白銀の長髪を靡かせる、甘いマスクの美丈夫である。今が男盛りということか、年々渋みと色気が増しているように思う。いかにアシュタルテ家の悪評が付いて回ろうが、この顔で迫られたら大抵の女子は陥落必至であろう。実際、クソほど浮名を流しているし。これでアシュタルテじゃなかったら一大ハーレムくらいは築いていそうなものである。
ただ、お父様の若い頃にそっくりと評されることがままあるお兄様なので、その性質は勿論甘いだけじゃない。今も私との再会を喜びながらも、細められた視線の奥の、まるで爬虫類のような酷薄な輝きだけが少しも緩まない。
そんなお兄様も現在は立派な王宮勤めの一人であり、その装いは高位の王宮官吏の制服である。
「本日は、どういった御用件で?」
普通に勤務時間内だと思うのだが。
「所用で近くまで来たので、ついでに寄ってみただけだ」
「然様ですか」
はよ帰れ、と視線に乗せて返すと、お兄様は楽し気に笑った。
「やはり学院はいいな。貴族の子女が惜しげもなく脚を晒して闊歩している場所など、他にない」
おまわりさーん!この人でーす!
臆面もなく何を言っとるんやコイツ。トチ狂ってこの人を中に入れなくて本当に良かった。
このエンディミオン以外にも学院は存在するし、ここと同じようなミニスカートの制服を導入している場所だってあったはずだが、少なくとも高位の貴族の子女は基本的にここに通う。それは学院のグレード的に当然のことだし、となるとつまり、マリアやジークリンデ先輩やエカテリーナ嬢などの高位の令嬢の生足がタダで見られるのは王国広しといえどここだけである。
「ところでプリム、ちゃんと友達は出来たのか?兄に紹介してくれても良いんだぞ?」
「この流れで紹介するわけがないだろ」
「そんなことを言って、さてはお前ぼっちなんだな。可哀そうに」
「はい。なのでお兄様に紹介する友人など居ません帰りやがれください」
そんな挑発に乗るとでも思ったのか馬鹿め!
私の大事な友達をこの性獣の視界に入れてなるものか。まあ、そう、どうしてもということならシャルちゃんくらいは紹介してもいい。たぶんオリヴィエさん付きだから、シャルちゃんにエロい目向けると真っ二つにされるで。
「冗談はさておき、本題は?」
「ああ。貸していたモノをそろそろ返してもらおうかと思ってな」
「ああ、成程。それで私はなにをすれば?」
私はお兄様に借りがあるのだ。というのも、この学院に入学してすぐの頃に一悶着あった、マルトー子爵家の令息のことを覚えているだろうか。クラリスちゃんを辱めようとして、私がブチ切れて思わず『ハートキャッチ(物理)』しそうになった彼である。ドロシーと知り合うきっかけにもなったあの一件のことだ。
あの件で、事態の収拾というかマルトー子爵家への制裁に動いてくれたのが、何を隠そう目の前のお兄様である。マルトー子爵令息が迅速に学院から追放されて、しかも二度と戻ってこないのはお兄様のおかげさまなわけだ。私は所詮学生の身分に過ぎないので、私自身が声を上げたところで家格で圧倒的に下の子爵にすら及ばない。なのでお利口に実家の力に縋ったのである。
なお、お父様ではなくお兄様に頼ったのは、お父様に頼ったが最後、マルトー子爵家そのものが消滅した挙句、一族郎党全部が絶望のどん底に叩き落されることが確定的に明らかだからだ。お父様はその辺まったく容赦しないというか、慈悲というものがないので。しかもお父様は私のことを溺愛しているので、まあポーズなのだが、とにかくその私を泣かせた相手の家となれば、そりゃあもう容赦なく叩き潰してくださることだろう。別に私は泣かされてないが、お父様に泣き付くという意味で。
そこで上のお兄様である。性欲の権化だが、我が家の中では一番温厚な性質の人物である。
お父様が複数持っている爵位の内、上のお兄様は伯爵位を譲られているので、実はアシュタルテ侯爵家の後ろ盾を使うまでもなく、お兄様単身でもマルトー子爵家よりも強かったりするのだ。そんでもってこの件に関してはマルトー側の非しかないので、大儀もあるとなればお兄様にとっては赤子の手をひねるよりも簡単な仕事だったに違いない。
一応言っておくとマルトー子爵家はちゃんと存続しているし、お兄様がやったのは件の令息を野放しにしないよう子爵に約束させたのと、慰謝料的なものをほんの少し頂いただけである。なのでお兄様はむしろ美味しい思いをしたのかもしれないが、私の不始末で不要な労力を払わせてしまったのは事実なので、借りは返さねばならない。
「プリムは『宵の霊薬』というモノを知っているか?」
お兄様の口から飛び出したのは、思いがけず、最近知った言葉であった。
「小耳に挟んだ程度ですが。なんでも魔物を強化する効能があるとか」
「知っているならば話は早い。実はその『宵の霊薬』を手に入れたいんだ」
そういうお兄様は至極真面目な表情だが、内心は読めない。意図もまた然り。
「この薬品の情報が出回っているのは主に討伐者界隈だ。王政府にも伝手がないわけではないが、討伐者ギルドの領域に大々的に踏み込むことは難しいし、すべきでない理由もある」
そこで、とお兄様は言う。
「都合の良いことに、お前の玩具は討伐者の真似事をしているだろう?」
「ええ。真似というか、そのものですが」
「なので討伐者の立場から、『宵の霊薬』を押さえるように動かしてくれ」
玩具というのは私の私兵であるヴァイスヤークトのことであり、確かに彼等はホワイトファングという名のフロントクランを持っている。
「都合の良いことに、私は既に子飼いにそのように命じています。ので、既に行動を開始しているでしょう」
「それは本当に都合がいいな。持つべきものは優秀な妹だな」
「ただ、背景をお伺いしてもよろしいか?」
何故お兄様がそんなことを私に依頼してくるのか、である。これが彼の職務上の行いであるとすれば、勤務時間内にプライベートで会いに来るなどという迂遠な真似をしないだろう。
これが意味するところとは、お兄様はあくまでも公人として行動しており、しかし公然と動けない類の依頼であるということだ。私以外にも同様の目的で動かしている手勢は居るのだろうが、討伐者界隈への伝手となると信用性も加味するとそうそう簡単に用意出来るものではないはずなので、そこをいくと私の存在はお兄様にとってまさに渡りに船と言わんばかりに都合の良いものだろう。
なんせ、ホワイトファングは本業の隠れ蓑とはいえ、等級は最高位の一つ下であるBランクなので討伐者界隈で言えば上から数えたほうが早いレベルの有力クランなのだ。畢竟、業界への影響力もそれなりのものを誇る。
私の質問にお兄様は一つ頷くと、
「欲しているのは、『宵の霊薬』そのものというより、その製法だ」
「実物ではなく、製法を入手せよと?」
「そうだ。おそらくだが、実物を入手して組成を調べたとて、複製も儘ならないだろう」
確信的な語りは、なんらかの根拠を持っているということだ。
つまりお兄様は『宵の霊薬』というものの正体を、断片的に掴んでいるのだ。
「結論から言えば、『宵の霊薬』は『黎油』と同質の液体である可能性がある」
「『黎油』と同じ……」
知っての通り、黎油とは黒い森を焼き払うための必需品。その製造は教国内でしか行えず、故に王国や近隣諸国で使用される全ての黎油は教国からの輸入品だ。
黎油を散布することで黒い森を焼却可能になるのは、それ自体が魔物の生命力を減退させる効力を有しているからだ。黒い森はそのものが一種の魔物であるから、黎油によって生命力を減退させれば焼却後の再生を妨げることが出来る、と。ちなみに他の雑多な魔物種に対しても黎油は当然効果を発揮する。ただ、最大効率を発揮するには魔物の体内に取り込ませる必要があるので、すべての魔物に有効に作用させるのは難しく、基本的には黒い森そのもの以外の魔物には使われない。
「つまり、その方向性が正負で逆を向いているだけで、効果を発揮する仕組みは同じものであると?」
「あるいは、同じ方向性が毒にも薬にもなっているか、だな」
「ふむ……」
そう言われてみれば、成程確かにその可能性はある。
そしてもしその予測が正しければ、なんとしてもその製法を押さえたい意図は理解出来るのだ。黎油そのものではなくとも、『宵の霊薬』の製法を突き止めれば同質の液体である黎油を精製出来るかもしれない。それは教国の干渉を跳ね除けることが出来ない諸国の共通の悲願である。
黎油の供給を教国からの輸入に頼っている限り、かの国からの干渉を断ち切ることが出来ない。黎油に類するアイテムを自国内で賄うというのは、国家安全保障上の課題でもあるのだ。
「理解しました。お受けします」
「うん。頼むぞ」
黎油は手元にあるのに自国で生産出来ないということは、実物を調べても製法がわからないということだ。これは即ち精製の過程に魔法的な手法――上位フェイズの工程が入っているので、物理的に組成を調べても解明出来ないということ。
お兄様が回りくどい手段で私に依頼をしに来たのは、これを教国に気取られるわけにはいかないからだ。
何故ならば黎油の存在はかの国が各国に絶大な影響力を誇る理由なのだ。教国にとって、各国が独自に黎油に代替可能な手段を得るということは、悪夢というより他ない。黎油という切り札が効力を失えば、それはもうこれまで散々教国の好き勝手に対して我慢してきた各国からの意趣返しが始まるに決まっているのだから。
ただ、黎油を抜きにしてもかの国の教会が世界最大規模の宗教であるのは事実なので、完全に影響力を排することは叶わないだろう。しかし、少なくとも一方的な関係ではなくなる。そうして初めて宗教と政治の在るべき距離感に戻るのだ。
ここで重要なのは、だからこそ教国の影響力は現状既に国家運営の相当深い部分まで根を張っているということ。
あり得そうな未来図としては、王政府が『宵の霊薬』の製法を突き止めた瞬間に教国の尖兵である教会が出張ってきて、『それは異端だ!』とかなんとか言って闇に葬ろうとする、とかだろう。そうなれば、おそらく止められない。
「お前にはわざわざ言うまでもなかろうが、くれぐれも背中には気を付けろ」
お兄様が今日一番真面目な顔で言う。
「気取られれば、俺達を消しに来るのは十中八九『黎明機関』の連中だろう。我らがアシュタルテ侯爵家といえど、流石に黎明機関とことを構えたくはない。宗教屋と喧嘩しても損しかないからな」
「心得ていますよ」
ええ、はい。心得ております。とても。
……既に一回やりあってます。とは流石に言えない私であった。




