255話_side_Cz_大学区_射撃場
~"お目付け役"クゼ~
「アトリーと出掛けたい」
徐にそう切り出したカーマイン殿下に対し、対面に座る少女――アシュタルテ侯爵令嬢はなんとも言えない表情になった。
「行けば?」
いや知らんがな、と言わんばかりの雰囲気だ。
その反応に何を思ったのか、殿下は言葉を重ねる。
「つまり、所謂デートをしたいという意味だ」
「だから、行けばいいだろう」
「簡単に実現するのであればわざわざお前に相談していない」
憮然とした殿下の言葉に、アシュタルテ嬢は「ほう?」と呟き、傲然と足を組んだ。
「ガルムの流儀では急に呼び付けて一方的に用件を告げる行為を『相談』と称するのか。生憎と寡聞にして知らなかったよ」
皮肉というよりは呆れに近い物言いに、殿下は「む……」と唸る。
私がフォローをしようと口を挟むより早く、殿下が再び口を開いた。
「無作法を詫びよう。お前の知恵を借りたいのだ」
こうまで素直に出られるとは思っていなかったのか、アシュタルテ嬢は毒気を抜かれたような様子だ。ちなみに私はわりと驚愕していた。少し前までの殿下からはまるで想像出来ない態度である。立場上軽々しく頭を下げることが出来ない殿下にとって、可能な限りの低姿勢であると言える。
アシュタルテ嬢は暫し瞑目して眉間に皴を寄せていたが、ややあって嘆息と共に目を開く。
「おいオセロー、茶」
「は、ただいま」
彼女からの要求に私は迅速に反応する。私は彼女の従僕ではないので命令に従う義務などないが、主であるカーマイン殿下の利になる行動を厭う理由はない。今の私の役目はなるだけアシュタルテ嬢のご機嫌をとって、彼女が気持ちよく殿下の相談に乗ってくれるように誘導することに他ならない。
アシュタルテ嬢は私が注いだ紅茶を、心を落ち着けるようにゆっくりと口に含む。
「……ふぅ。美味い茶を馳走になった礼に、相談くらいは乗ってやろう」
取って付けたような理由だが、リヒティナリア貴族的には必要な様式なのだろう。きっと。
「で?なんでいきなりそんなことを言い出したんだ貴様は」
「うむ。欲が出たのだ」
「はあ?」
「先日、アトリーと共に過ごした一時があまりにも甘美でな。次を望みたくなったのだ」
花告祭の最終日、殿下の寮室にアトリー嬢を招いた際のことである。寮室までアトリー嬢を送り届けてくれたのが他でもないアシュタルテ嬢なので、当然事情を知っている彼女はすぐに思い至った様子で「ああ」と呟く。
「要はなにか?アトリーと二人で過ごした時間が忘れられなくて、もっと欲しくなったと?」
「その通りだ」
「正直なのは結構だがな」
果たしてこれは相談なのか惚気なのか、と心なしげっそりしたアシュタルテ嬢の表情が困惑を物語っていた。
なお殿下がそのように思われるようになったのには副次的な要因もあって、なにかというとここ数日、学院生活の中で恋人同士の姿を見る機会が圧倒的に増えたのである。勿論、花告祭というイベントで目出度く結ばれた初々しいカップル達の姿であるわけだが、構内のみならず商業地区で仲睦まじく連れ添う姿や、あるいは寮の近くで待ち合わせる光景なんかも良く目にする。
つまるところ、そんな光景を見て、殿下は御自身とアトリー嬢の姿を重ねてしまったのだろう。
「――とまあ、そんな塩梅でして」
「確かに、カップルの姿を目にする機会は増えたな。一過性のものだろうが、実に青春らしくてよろしいことだ」
「他人事のように言うのだな。お前は」
「私が当事者になれるように思うか?」
馬鹿馬鹿しい、と肩を竦めるアシュタルテ嬢だが、私は普通にあり得ると思うのだが。彼女自身の考えはともかく、アシュタルテ嬢ほどに優秀で美しい女性とあれば、少なくとも故国でなら間違いなく引く手数多だ。確かに容姿は幼いが、逆に考えればこれから年齢相応に成長したとすれば確実に絶世の美女になることが約束されていると言っても過言ではあるまい。
この国ではアシュタルテという名前がわりと悪い意味で特別なのは理解しているつもりだが、ガルム人の発想で言わせてもらえば、そんなくだらないことに拘泥してアシュタルテ嬢という稀代の人物を敬遠することこそ愚かしいと思えてならない。
まあ、言っても詮無いことではあるので口にはしないが。
「しかし相談と言われても、私の答えは変わらんぞ」
即ち、勝手にデートでもなんでもすればよろしい、と。
「今更私が口うるさく言わんでも、人目を忍ぶ必要性くらいは理解しているだろう?」
「ああ」
「じゃあ行ってらっしゃい。なんだが。まさか血迷って私にお薦めのデートコースを訊いたりしないだろうな?」
恋愛経験のない私に訊くなという意味なのだろうが、アシュタルテ嬢は自分で言ってて少しくらいは悲しくならないのだろうか。ならないのだろうなぁ。
「お前への相談というのは、その人目を忍ぶという行為についてだ」
「それがなにか?」
「いや……まだ必要なのか?」
一時期に比べればアトリー嬢の周辺はだいぶ落ち着いてきていると言える。それこそ、私がこの学院に編入した直後くらいは殿下の軽はずみな行動も相俟って、アトリー嬢の周辺を取り巻く貴族令嬢の悪感情が地雷原もかくやの様相を呈していたというのに。
だから、今となってはそこまで神経質に殿下とアトリー嬢の関係を隠さずとも良いのではないかと思わなくもないのだ。勿論、大っぴらに明け透けに出来るわけはないので、そうではなくて殿下がアトリー嬢に少なからず友好的であるという気配くらいは匂わせても良いのでは、と。どの道どこかのタイミングでそういう方向に変えていかないと、仮に殿下の想いが無事に実ったとしても、いつまで経っても彼女との関係を公然のものとすることが出来ない。
と、我々は考えているのだが、これはあくまでも私が調査した所感に過ぎない。他国からの留学生で、しかも男である私が調査出来る範囲には限界がある。故国からの留学生には女子学生も居るので、そういう彼女等に協力してもらっても、やはり完璧ではない。文化の差という大きな壁が立ちはだかる限り、例え同性であっても、ガルム女子にはリヒティナリア女子の機微が明快には理解出来ないのである。
つまり我々の憂慮とは、なんだか若干落ち着いてきているように見えるアトリー嬢の周辺が、実は全然そんなことなかったりしたらどうしよう、ということだ。我々の軽挙が導火線に火をつけて大爆発、などということがあってはならない。
なので、ここは賢く識者の意見を伺おうというわけだ。
「そうだな……」
アシュタルテ嬢はおとがいに指を当てて思案する。
「実際、一時期に比べればだいぶマシになっているだろう。私はアトリーとの交流を然程隠していないから、まあ私はともかく私の友人である第二王女の影響力はそれなりに大きい」
「貴女経由で王女の不興を買うことを恐れる者が増えた、ということですね」
「気に入らない平民を貶める代償が王女からの不興では、とても割に合うまい。実際に恐ろしいのはシャルではなくヤツの取り巻きだがな」
友人の友人、という迂遠な距離感でありながら、さりとて王女は王女だ。実際にアトリー嬢を貶めることが王女の不興を買うかどうかはともかく、その可能性が少しでもある以上、慎重になる者は少なくないだろう。
「だが、だからといってアトリーが安全かというと、そうは言い切れんのが正直なところだな」
「何故だ」
「当たり前だが王女の不興を恐れない輩も居るからだ。何故ならばこれは極めて個人的な話であり、実効力がないからな」
「アトリー嬢が平民だから、ですね」
つまりは王女の怒り云々は確かに一考に値するだろうが、それはあくまでも個人の感情の話であり、それ以上にはなり得ないのだ。これが貴族であれば話は違う。どんな弱小貴族であったとしても、横の繋がりや、あるいは所属する派閥があればそれが少なからず抑止力となる。しかしアトリー嬢は平民なのでそれがない。
簡単に言えば、王女殿下との繋がりを匂わせるのは確かに強力な抑止力となるのだが、反面、それがどうしたと開き直られてしまうとそれ以上をとどめる力がないのである。
「面白半分にアトリーをいじめていた輩はほぼ絶滅するだろう。だが、変な言い方だが、真剣に真面目にアトリーをいじめているようなのは消えはしないだろうな。無論そいつ等も慎重にはなるだろうが、だからといって徒に刺激すれば」
「鬱憤が溜まっている分、爆発の被害は激甚、か」
項垂れ気味に呟いた殿下に、アシュタルテ嬢はダメ押しのように告げる。
「しかも、だ。貴方の王太子という立場には威力がある。アトリーを貶めんとするのはなにも悪感情によるものだけではないということだ」
「つまり?」
「アトリーに対して、手段を選ばないような真似は難しくなっただろう。だが、貴方の権力を狙ってくるような輩は、手段を選んでお利口にアトリーを排除しに来るぞ。そうなれば実効力のない抑止力程度では止まるまい」
「それを防ぐためには、そもそもアトリーをターゲットにさせるなということか」
結論として、やはり時期尚早ということだ。
現時点ではあくまでも、アトリー嬢を貶めんとする令嬢勢力の内、最も与し易い勢力の無効化に成功しただけのこと。そうなればその後ろに控えていたもっと厄介な勢力が台頭してくるのは自明のことだ。
「成程。心得た。やはりお前に相談してよかった」
「……どういたしまして、だが。素直過ぎて気色悪いぞ貴様」
「む?特に振舞いを改めたつもりはないが」
本当に殿下ご自身に自覚はなさそうだが、端から見ていると瞭然である。
殿下のアシュタルテ嬢に対する態度が目に見えて軟化してきた理由としては、おそらく先日の花告祭の一幕が大きい。殿下とアトリー嬢の逢瀬を実現させるために、彼女は自身の不調を押してまで動いてくれた。というか実際に倒れたようだし。そこにはアシュタルテ嬢なりの思惑が勿論あったのだろうが、彼女の狙いがどうあれ恩義は恩義だ。
というわけで、この場に彼女を呼んだのはもう一つ目的がある。
「時にアシュタルテ」
「あん?」
「少々、お前に対する負債を減らしておきたい。なにか俺に望むことはないか?」
アシュタルテ嬢は私などが淹れたお茶の対価として今回の相談に応じてくれたようだが、そもそもはそれを含めてここで清算するつもりであったのだ。殿下の申し出にアシュタルテ嬢は少しだけ考え、そしてすぐに望みを口に出した。
「では、知りたいことがある」
「訊くがいい」
二つ返事で応じる殿下は、訊かれたことがなんであれ答えるおつもりだろう。
些か軽挙ではあるが、なんだかんだでアシュタルテ嬢の人となりをそれなりに理解出来る程度の付き合いがあるので、然程心配もしていない。
尤も、だからってこの問いは予想していなかったが。
「フォルカという男、どうなんだ?」
脈絡が無さ過ぎて、私と殿下は思わず顔を見合わせてしまった。
それから、殿下が問い返す。
「どう、とは?」
王太子の近衛を務めるだけあって、あれでフォルカは故国ではかなりの名家の出身だ。まあ、それは私もそうなのだが。そのフォルカの出自に関してアシュタルテ嬢にはなにか思うところがあるのだろうか。
続けてアシュタルテ嬢は当然のように言う。
「勿論、妻帯者ではないんだろうな?」
なにが勿論なのかはわからないが、私の知る限りではその通りである。過去に婚姻の経験があるということもなかったはずだ。
そのように説明すると、アシュタルテ嬢は満足そうに頷いた。
「一応訊いておくが、故郷に恋人がいるとか、そんなオチではないだろうな?」
「プライベートのことなので確実とは言えませんが、居ないと思いますよ」
同じ勤務体系をしている私だからわかるが、恋人と会っているような気配はない。働き方を見ればだいたいはわかる。
そう説明すると、やはりアシュタルテ嬢は満足げに「うむうむ」と。
こんな質問をする意図なんて、それこそアシュタルテ嬢がフォルカに懸想している以外の解答が見出せないのだが、先程『恋愛の当事者にはなれない』と言い切ったのは他でもない彼女自身である。
「望むならば、フォルカと会う機会を用意するが?」
「いや結構」
殿下の善意の申し出は、アシュタルテ嬢に秒で断られる始末。
「むしろ呼ぶな。フォルカを忙殺せずに、適度に野放しにしろ」
「はぁ……?」
「簡単なお遣いとかで、外に出向く機会を多く用意してやってくれると、私は嬉しいぞ?」
「例えば?」
「図書館とかお薦めだな。本を読め殿下」
いよいよ意味がわからん、と殿下は天を仰いだ。
意味は解らない。さっぱりわからない。が、
「それがお前の望みならば、考慮しよう」
「うむ。ありがとう」
困惑が窮まったような殿下の微妙な表情と、対照的に晴天みたいなアシュタルテ嬢の笑顔が印象的であった。




