74話_side_Cz_学究区_その辺
~"お目付け役"クゼ~
「夜会でアトリーと踊る」
殿下のその言葉を聞いた瞬間、私は思った。
ついに来たか……!
学院行事の夜会が近付くにつれ、殿下がそう言い出すのは時間の問題だと覚悟はしていたが、そうでなければきっと私は天を仰いでいただろう。なお、殿下はあたかも規定事項のように告げているが、実際はそうしたいのでクゼなんとかしろ、とそういう意味である。
要は夜会の日にドレス姿のアトリー嬢を差配せよ、と。
私は条件反射で御意を告げると、なにはともあれ殿下のご要望を叶えるべく動き出した。
「……はぁぁ」
そして、ひと気のない道端のベンチで途方に暮れているのであった。
いやいや、無理だって。
流石の私も今回ばかりは正解が見えない。
まあなんとかなるだろ。と思って行動し始めた私であるが、外堀を埋めるべくアトリー嬢の周囲を探れば探るほど暗雲が立ち込めてくるのだ。
何が問題かと言うと、それはもうアトリー嬢の立場である。ただでさえ最初の魔法資質測定以来、悪目立ちしてしまった彼女に対する周囲の貴族女子からの風当たりは非常に強いのだ。
我が主の行動も、彼女の立場を危ぶめるのに一役買っているのは言うまでもない。
嫉妬ややっかみから始まったアトリー嬢に対するいじめ行為だが、常習化したそれはタチの悪いことに女子学生にとっては一種のストレス解消行為にすらなっているようだ。おそらく、今現在アトリー嬢に粘着質に付き纏っている輩は、ただ単に便乗しただけの愉快犯が大半だろう。いじめが楽しくてやっているだけ、という根が深くはないがそれ故にいくらでも湧いて出る類の屑どもだ。更に悪いことに、アトリー嬢の存在そのものを疎ましく思っている根の深い奴等が、後ろからそういう愉快犯を焚きつけているという構図だ。
そしてソイツ等が手ぐすねを引いて待っているのは、他でもないアトリー嬢を叩く材料だ。
手段の為には目的を選ばない奴等だろうから、なんでもいいのだ。アトリー嬢を少しでも叩く口実が出来れば、誘蛾灯に群がる虫の如く嬉々として湧いてくることだろう。薪を組み上げて、火種が投下されるのを待っているのだ。
そんな危うい立場の上に立っているアトリー嬢を、殿下が夜会の会場で誘ってみろ。どうなるかは火を見るより明らかだ。
アトリー嬢が今現在それなりに学院生活を送れている理由は、半分は彼女自身の不屈の精神力の賜物。
そしてもう半分は彼女の友人達の全霊の支援によるところが大きい。
洞察力と知識でサポートするクライエイン嬢に、腕っぷしと気の強さで周囲を威嚇するベリエ嬢、そして自身の家格とコネクションで徐々に味方を作っているハートアート伯爵令嬢。おそらく誰か一人でも欠けていたら今の危うい均衡は成立しなかっただろう。
で、あるが故に、我が主が下手なことをすれば、均衡が完膚なきまでにぶっ壊れるのは必定。
おそらくアトリー嬢はそもそも夜会には出てこない。貴族の学生は暗黙の了解で参加することが半ば強制となっているが、平民階級には関係のない話なのだから。なので、十中八九クライエイン嬢辺りがアトリー嬢を説得して、夜会の日は寮で大人しくしているように言い含めているだろうし、ベリエ嬢達もその判断を支持するだろう。
そこに私が空気も読まずにアトリー嬢に夜会への参加を要請などしようものなら、おそらく、いや間違いなくベリエ嬢にぶっ殺される。
事情も背景も理解しているし、完全無欠に彼女らの判断が正しいので、もしそうなったら私は大人しく殺されるべきなのだが。
だが、である。
こちらも主命なのだ。我が職務に賭けて『はいそうですか』と引き下がるわけにはいかない。
カーマイン殿下が望まれた以上、私はどんな手段を駆使してでも、夜会の日にアトリー嬢をドレスでラッピングして殿下の御前に連れてくる義務があるのだ。
問題は、それを成したところで、アトリー嬢に無理強いをすればそれはそれで殿下の機嫌を損ねるであろうことだ。
「どうしろと……」
つまりは八方塞がり。
これは確信に近い予想だが、私が事情を話して正面からお願いすれば、アトリー嬢本人は夜会の日に殿下と踊ることを了承してくれるだろう。だが同時に、彼女の友人達は決してそれを許しはしないだろう。
私が見るに、ベリエ嬢とハートアート伯爵令嬢の反対意見だったならば、アトリー嬢は場合によっては聞き入れないこともあるだろう。だがクライエイン嬢だけは違う。おそらく物事の判断基準という点において、アトリー嬢はクライエイン嬢に絶対の信頼をおいている。だから彼女がノーと言えばノーだ。そしてクライエイン嬢は間違いなくノーと言う。
そう。実のところ一番厄介なのは控えめなあの少女なのだ。商家の娘であるとのことだが、中々どうして肝が太い。教養に富んでいて虚言甘言の類にも慣れているだろうから言いくるめるのは難しいだろうし、力関係を正しく理解しているから脅しやブラフも効くまい。
最も賢い選択は殿下を説得して諦めていただくことであろうが、それが出来れば苦労はしない。
私がアトリー嬢の窮状を殿下に教えたりしたら、殿下のことだから激昂して犯人捜しを始めるだろう。良かれと思ってアトリー嬢の護衛まがいのことを始めるだろう。彼女が自分の庇護下にあると大々的に宣言するだろう。
全て逆効果だ。
ことこの問題に関しては最悪の手ですらある。
王族として王道を歩む殿下には、正攻法こそが悪手であるという状況が本質的に理解できないのだ。
それを私が説明したところで、殿下は聞いて下さるだろうが理解してはくださらないだろう。精々がお目付け役がまた煩く言っている、くらいにしか思わないことだろう。
武を尊ぶガルムの王族であらせられる殿下は、国家の価値観の体現者でなくてはならない。故国では、困難を打ち破る手段は常に武力である。何故ならば強い者こそ尊く、強い者に従う国民性だからだ。ガルム的価値観で言えば、夜会で殿下がアトリー嬢に声を掛ければ、周囲の者はアトリー嬢に一目置くことだろう。強者に望まれるとは大したやつだ、と。
リヒティナリアでは違う。この国は固定観念と暗黙の了解の社会だ。ガルムでは出る杭は歓迎される。リヒティナリアでは出る杭は打たれる。
「ぬかったなぁ」
溜息が零れる。
こんなことならもっと事前に根回しをしておくべきだった。それでどうにかなったとは到底思えないが、少なくとも今よりは希望があっただろう。
言い訳にしかならないが、まさかアトリー嬢の立場がこれほどまでに薄氷の上だったとは思っていなかったのだ。
最悪殿下に好きなように動いていただいて、ご自身の行動が原因で実際にアトリー嬢の立場が悪化すれば、嫌でも理解してくれるだろうとすら考えていたのだ。アトリー嬢には悪いが、それが結局一番賢明だろうと。
だが現状でそんな浅はかな荒療治を敢行すれば、殿下が理解される前にアトリー嬢の学院生活が崩壊しかねない。
「方針を変える必要がある」
とにかく、私単身ではどうにもならない。
ならば協力者を見付けるしかあるまい。
これまでに収集した情報から、幾人かの人物を脳内でピックアップしながら立ち上がった私は、一歩を踏み出した瞬間に足を止めた。
少し離れた場所で、奇妙なモノを見るかのような視線を向けてきていた彼女と目が合ったからだ。私がピックアップした人員に彼女は含まれていなかったが、考えてみればそれほど悪くない人選のようにも思える。
幸い、私ともアトリー嬢とも縁がある人物なのだし。
「どうも。こんにちは」
私が笑顔を作って挨拶をすると、彼女――アシュタルテ侯爵令嬢はもの凄く胡散臭そうな顔になって、嫌そうに「ごきげんよう」と返した。
「いいだろう」
私の協力要請に対するアシュタルテ嬢の返答である。
「へ?」
まさかの快諾に私は間抜けな声を上げた。頭の中で色々と用意していた交渉材料が全部無駄になり、嬉しいやら悲しいやらである。もともと勝算は低いと思っていたし、ダメ元くらいの考えだったのだが意外や意外。
その内心が顔に出ていたのか、彼女は私の顔を一瞥すると、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「フン。もちろん、本音を言えばそんな茶番に関わりたくはない。不本意だ」
「でしょうね。逆の立場だったら私絶対断りますし」
「良い根性しているな貴様」
私が正直に暴露すると、何故かお気に召したのかアシュタルテ嬢は少し笑った。
「先日の件で、ウチのメイドどもが貴様に命を救われているからな。いずれ借りは返さねばならないと思っていたところだ」
「メイドども……ああ」
そう言えば、先日のゴーレム騒動でアトリーさん達の逃走劇を援護した際に、アシュタルテ家のメイドであるフォノンもその場に居た。どうやらあれが彼女を助けたことにカウントされているらしい。
もう一人のクラリスに関しては最後の、アトリー嬢の魔力暴走から庇った際のことだろう。
それなりに人目を避けて活動している私のもとへ、このタイミングで彼女が都合よく現れたのも、そもそも彼女が私を探していたからだそうだ。私が何を言わずとも勝手に借りを返しに来る辺り、リヒティナリア貴族らしいプライドの高さだとは思う。たぶん、後々になって引き合いに出されるのを厭うて、さっさと借りを清算しておきたいのだろう。
「茶番をお膳立てして借りが返せるならば安いものだ。渡りに船だな」
「言うほど簡単ではないと思いますが……というか、そもそも」
「うん?」
フォノンの件はともかくとして、クラリスの件に関して言えば、むしろ私は命を救われた側なのだ。
何故ならば、アトリー嬢の魔力が暴走した瞬間、このアシュタルテ嬢が自身の防御を捨ててまで我々を庇ってくれていなければ、全員仲良くミンチになっていたと理解しているからだ。それこそ、彼女としてはクラリスを庇っただけなのかもしれないが、そのついでに私の命が助かったのは厳然たる事実だ。
「それを言うならば私も貴女に命を救われているのですが」
「なんだ。気付いていたのか」
「ええまあ」
別に恩に着せるつもりもないのか、アシュタルテ嬢はそれ以上言及はしなかった。
クラリスの件はそれでチャラだとしても、フォノンを助けた分だけはこちらに手を貸してくれるつもり、ということだろう。私にとっては望外の幸運であるが、正直アシュタルテ嬢の助力が得られるのは相当嬉しい。
何故ならば、彼女のメイドである件のクラリスは、ともすればクライエイン嬢と同レベルでアトリー嬢に影響を与え得る存在だからだ。
「それで?来週の夜会で殿下がアトリーと踊れるように取り計らえば良いのか?」
「ええ……そうなんですが、まずはアトリー嬢に夜会に参加していただくことから躓いていまして」
「それに関しては心配ないと思うぞ」
先程まで私が座っていたベンチにぴょんと腰掛けたアシュタルテ嬢の言葉に、私は「はい?」と首を傾げる。
というか、近くで見ると本当に小さいなこのヒト。
「おそらくだが、アトリーは夜会に強制参加となる」
「そうなのですか?」
「十中八九、特待生の義務だとか理由を付けて、学院から参加要請が来るだろう」
なるほど、実に在り得そうな話だ。
学院の補助を受けて在学している身分なのだから、学院行事には参加する義務があると言うのも、至極真っ当な道理ではある。ただし、私が情報収集をした時点ではそんな規則の情報はなかったし、アシュタルテ嬢の口ぶりでも確定事項ではなさそうだ。
となれば、おそらく水面下でそういう動きがあることを彼女は掴んでいるのだろう。
アシュタルテ侯爵家と言えば政治の中枢からは距離を置いているものの、王国内では有数の貴族である。畢竟、所詮は余所者である私などよりも余程強固な情報網を持っているはずなのだから。
「クレインワース侯爵令嬢あたりの差し金でしょうかねぇ」
「公衆の面前でアトリーを貶めたいと画策する輩など腐るほど居るだろうが、学院への影響力を考えれば消去法でアレか、その腰巾着あたりになるだろうな」
思案気に口元に手をやって、アシュタルテ嬢が続ける。
「となれば、当日にゴミどもがアトリーにちょっかいを掛けてくるのは殆ど確定だろう」
「ベリエ嬢やハートアート伯爵令嬢が彼女を守るでしょうが……」
「まあ、無理だろう」
そもそも、件のクレインワース侯爵令嬢が直接絡んできたら、ベリエ嬢達にはどうあがいても勝ち目がない。
ハートアート伯爵令嬢はそういう場合を危惧しているのか、以前からフレンネル伯爵令嬢との繋ぎを作ることに腐心している様子だったが、いかにフレンネル家と言えども単身でクレインワース家を相手取るのは厳しかろう。
あの侯爵令嬢と優位に渡り合える存在が居るとすれば、同級生の女子ではそれこそ目の前の彼女くらいのものである。
「そういう意味では、殿下をアトリーの横に置いておくのは一見、悪くないが」
「それはそれで、さらにヘイトを集めそうですよね」
「集めそう、ではなく絶対集める」
「いっそのこと、貴女がアトリー嬢とともに居るわけにはいかないのですか?」
「私は私でアレの目の敵にされているからな。一緒に居たところで抑止力にはなるまい」
まあそれもそうか。
実のところ、目の前のこの少女もアトリー嬢ほどではないが周囲から結構な嫌がらせを受けているのだ。
アシュタルテ嬢が反撃すればまた話も変わってくるのだろうが、どうやらこの少女、自分に向かってくる悪意に関しては完全に我関せずの節がある。その態度がいじめを助長させていると理解していないはずがないのだが、無視のスタンスを崩さないのだ。
「素朴な疑問なのですが、貴女が周囲の嫌がらせに反撃しないのは何故なんです?」
「面倒だからだ」
「えぇ……」
その気になればいつでも捻り潰せるから放置しているだけ、という見方も出来るが。
私としては、アシュタルテ嬢が同級生のヘイトをそれなりに集めてくれていて助かっている部分もある。それこそ、件のクレインワース侯爵令嬢がアシュタルテ嬢にご執心だから、アトリー嬢への風当たりがあの程度で済んでいるのも、間違いなく事実なのだから。
「言っておくが、反撃するのが面倒という意味ではないぞ」
「ではどういう……?」
「私が反撃をすることで、余計な面倒を招くのが目に見えているということだ」
理解が及んでいない私に、アシュタルテ嬢は嘆息混じりに説明してくれた。
「多感な年頃の貴族の令嬢を、しかも我慢を知らないお嬢様ばかりを一箇所に集めて押し込めたら軋轢が生じるのは当たり前だ。彼女らが安易なガス抜きとしてストレス解消手段を求めるのもな」
「故国だったら殴り合いで序列が決まるので明快なんですがね」
「この国ではそうはいかん。誰かがバランスを取らねばならんのだ。その点、クレインワースは非常に上手くやっていると思うぞ。パワーバランスという意味で、アレが面倒なほうをやってくれているので私は楽をしているというわけだ」
それなりに意外な話で、私は思わず感心してしまう。私から見ればクレインワース侯爵令嬢などは絵に描いたような高飛車お嬢様で、大概好き勝手にやっているものだと思っていたのだが、アシュタルテ嬢の言葉からはむしろ彼女への信頼すら感じられる。
裏を返せば、アトリー嬢という爆弾のせいで、そのバランス調整が死ぬほど難しくなっているという意味でもある。
つまりクレインワース侯爵令嬢は、彼女自身がアシュタルテ嬢を目の敵にして嫌がらせをすることで、それなりに力を持った貴族学生に同調を強いる空気を作り出してヘイトをそちらに誘導しており、アシュタルテ嬢はそれがわかっているから反撃せずに良いようにやらせている、と。
侯爵令嬢達の暗黙の連携によるヘイト誘導がなければ、それこそアトリー嬢が高位の貴族学生に絡まれれば彼女の友人達の力だけで跳ね除けるのは難しくなるわけで。
「もしかして、貴女とクレインワース侯爵令嬢って密かに通じていたりするんですか?」
「いや、それはない。間違っても友好的ではないし、なんならアレには蛇蝎の如く嫌われているだろう。だが、私もアレも、恙無く学院生活を送るためにやらねばならぬ立ち回りを理解しているだけだ」
なんていうか、やっぱりリヒティナリア貴族ってめんどくさいなぁ。
そうなると、夜会にアトリー嬢が強制参加させられるというのも、クレインワース侯爵令嬢が画策したガス抜きの一端なのだろう。私はそこに、殿下という特大のイレギュラーをぶち込もうとしているわけだ。
「……結構、ヤバいですかこれ?」
「うむ。実にヤバい」
気は進まんが……、と呟いてアシュタルテ嬢はベンチからぴょんと降り立った。
プリーツスカートをぽんぽんと軽く叩いて払うと、下からジロリと私をねめつけた。
「おい、殿下に会わせろ」
「は?」
「私は貴様のようにあの男を甘やかすつもりはない。自分のケツくらいは持ってもらわねばな」
・2021/11 細部の描写を修正。




