ちいさな夜遊び
「じゃあ、またねー!」
「うん、また」
「あんまり考えすぎるなよー、羽琉!」
「ありがと」
「また会おうねー!」
どこから聞きつけたのか、仲の良かった友達が連絡をくれて、いつもの4人組で会うことになった。
みんなそれぞれに人生を歩んでいて、子どもがいる子も、結婚したけどもう別れた子もいた。
でも、みんな元気いっぱいで、キラキラと自分の人生を楽しんでいるように見えた。
私の話をすればきっと、この場に墨汁のようなシミを作ってしまう。
事実の上澄みだけをかいつまんで話して、あとは聞き役に徹した。
久しぶりにみんなに会えて嬉しかったけど、ずっと早く終わってほしいなって思いながら、味のしないご飯を口に運んだ。
集合時間は十八時、解散は二十時。
時間を持て余して、酔い覚ましついでにまたフラフラと町内を散歩することにした。
「夜遊びですか?おねーさん」
見上げると、電子タバコを咥えた須崎くんがベランダからひらひらと手を振っていた。
「飲み帰り?」
「うん、そんなところ。須崎くんは?」
「仕事〜」
タバコとか吸うんだな、と思ってから私もお酒飲んできたじゃん、と少し可笑しく思った。
「こんな遅くまで、大変だね」
「他にやることないもんで」
そんなことないでしょ、とは口に出さずに笑って応えた。
「ねえ、暇なら上がってかない?息抜き付き合ってよ」
二つ返事でお邪魔した。
だって実際、ちょっと期待してこの道を通ったから。
***
「コーヒーでいい?」
通されたのは文房具屋さんの二階だった。
廊下に面した二つのドアの片方を潜ると、フラットな広間に大きめな机とソファのセットがある。
パーテーションで区切られた奥には作業机が見えた。
右手側にはシンクがあってコーヒーのいい匂いがする。
シンプルでどこか懐かしい感じのする事務所だった。
「お、アイスある。食う?」
須崎くんは冷蔵庫をガサガサと覗きながら言った。
ありがとう、とパリパリのチョコがコーティングされた、ちいさめのバニラアイスをいただく。
「へ〜データ処理とかしてたんだ、すごいね」
「全然、そんなすごいことじゃないよ」
「いやいや、俺、そっち系全くできないし、やろうとも思わないから、すげえ尊敬する」
友達とろくに自分の話ができなかったことと、少し酔っていたのもあると思う。
気付いたら、私はこれまでのことを洗いざらい須崎くんに話していた。
「でも結局、続かなかったら意味ないよね」
沈黙にハッとする。
ネガティブになってる、と慌てて話題を彼に振った。
「須崎くんはご実家を継がれてるの?」
「あー、まあ、そんな感じになったね」
高校卒業後にお祖父さんと一緒に働き始めたこと。色々教えてもらって数年前に独り立ちしたこと。
同じくらいの時期にお隣の買収話が出て、お得意先の小学校にもお願いされて、子どもの居場所を作ることになったこと。
関連してNPO登録をしたり、近所のおじさん達にシルバーワーカーの話を持ちかけたり、バタバタと過ごしていたこと。
須崎くんの話はどれも魅力的で、すごいな、と思う反面、自分の惨めさが浮き彫りになるようだった。
「……なんか、すごいね須崎くん」
思わず素直な感想が溢れる。
「メインのお仕事もしてるのに、駄菓子屋さんとか、NPOとか…」
あ、いけない。
この流れは自虐に進んでしまう。
わかっているのに言葉が止まらない。
「私なんか全然、ほんと何もうまくできなくて。結局全部投げ出して帰ってきて」
こんなこと言っても、誰も楽しくないのに。
嫌な気持ちにさせるだけなのに。
「無職だし、彼氏もいないし、結婚もしてないし。この歳になって誇れるもの、何にも持ってないなんて、ほんと笑えるよねー」
せめてと思って笑ったことで、余計に哀しい気持ちになった。
どうして私は、みんなと同じにできないんだろう。
当たり前のことをこなせないんだろう。
涙の代わりみたいに、ははっと乾いた笑いが溢れた。
「…そんなことないでしょ」
静かな低い音がフロアに響く。
声の方をチラリと見ると、須崎くんはふっと笑った。
「だって、ちゃんとひとりで暮らしてこれたじゃん」
おかわりいる?と自分のマグカップを片手に立ち上がる。
軽く頷いて自分のカップを差し出す。
「あっちで生計立てるってさ、結構大変だと俺は思うんだよね」
コーヒーの香りがふわっと部屋に広がる。
「金銭面もだけど、人間関係だって一からスタートじゃん。それがいいって場合もあるんだろうけど」
シンクに向かう彼の背中が思ったよりも大きくて、ちゃんと男の人になったんだなって思った。
「それを犬飼さんは、何年もやってきたんでしょ?その事実がもう、誇っていいことじゃん。すげー頑張ったじゃん。俺には絶対できないし、お世辞抜きでカッコいいと思うけどっ、て、うえ!?なんで泣いてんの?」
コーヒーで満たしたカップを持って、こちらに向き直った須崎くんが、パタパタと涙をこぼす私に気付く。
一旦カップを置いて、あたふたとティッシュを持ってきてくれた。
「…ごめ……」
仕事で倒れる度、周りはやさしい言葉を掛けてくれた。
頼りすぎてごめんね。
無理しなくていい。
そんなに頑張らなくていいんだよ。
労りや優しさから掛けられた言葉だってわかってる。
でも、そう言われる度、はね除けられている気もしていた。
勝手に抱え込んで。
被害者ぶって迷惑なんだよ。
自分自身も管理できないくせに。
誰かに言われたわけじゃないのに、ひとりになるとずっと、そんな言葉がのしかかってきた。
ちゃんとできるようにならなくちゃ。
仕事も、生活も、自分のことも。
でも、できなくて。
どこかがいつも破綻する。
その綻びから全てが崩れ落ちてしまう。
誰が悪いわけでもない。
助けて欲しかったわけでもない。
でも、もしかしたら私はずっとこんな風に、誰かに、頑張ったね、良くやってるよって認めてもらいたかっただけなのかもしれない。
「…ありがと……」
何とか声を絞り出す。
須崎くんは困ったように笑って、私の隣に座り直した。
すぐ側にある彼の気配が、触れていないのにあたたかい。
「……犬飼さんが嫌じゃなかったらさ」
少し背中を屈めて、私の目線に合わせて須崎くんが言った。
「しばらくうちで働かない?」
やさしいやさしい声だった。
「あー、でも、まだ会社辞めてないなら給与出ると面倒か」
そう言いながら少し考えるように上を向いた。
「あ、じゃあ、ボランティアって感じはどう?もちろん謝礼は出すよ」
お小遣いみたいな感じ?とふふっと笑ってみせる。
「何にもしてないと色々考えちゃうんじゃない?息抜きみたいな感じでさ、俺の話し相手しに来てよ」
ひとりで事務作業してるとめちゃくちゃ眠くなるんだよなー、とあくびを一つした。
「まあ、正直、今、ヤバいくらいに忙しいから、来てもらえると助かるってのもあるんだけど」
どう?と首を傾げる須崎くんに押し黙っていると、まあ頭の片隅にでも置いといて、と軽い空気で次の会話へと移っていった。
その軽やかさが、嬉しかった。




