懐かしい風景
「羽琉ー!いつまで寝てるのー!?」
階下から姉が私を呼ぶ。
「いい加減、ちょっとは家の手伝いでもしてくれるー!?」
階段を登る足音と共に、声が近付いてくる。
部屋のドアは閉まっているはずなのに、ハッキリと耳に届く声。
男の子ばっかり三人を育てるお母さんはパワフルさが違う。
ガチャッとドアが開いて、姉が顔を出す。
決して怒っているわけではない。どちらかというと、心配している顔だった。
「ん…」
目を擦りながら身体を起こす。
ちいさな頃から使っている色褪せたキャラクターものの目覚まし時計は十時を指していた。
「おはよう」
「……おはよ」
ぼおっとする頭でギリギリ応える。
「はるちゃん、はよー!」
「おはよ〜」
姉の足元でぴょんぴょんと甥っ子が跳んでいる。寝ぼけ眼でも思わず笑顔になれるんだから、子どもの力って偉大だ。
「予定ないならお使い行ってきて。これ、お金とリスト。自転車使ってもいいから」
姉が手際よく、必要な情報と物を渡す。
「…おねーちゃんは?」
「私はこれから、この子病院連れてって、お昼前には帰ってくる」
ただゴロゴロしている私と違って、姉には毎日何かしらの予定があるようだ。
「…わかった」
「今日は特に冷えるからあったかくして出掛けなさいよ」
自分の家族で忙しいはずなのに、出戻った妹の心配までしてくれるんだから、良いお姉ちゃんだなあ、とは思う。
「はぁい…」
まあ、それが逆に負担に思う時もあるんだけど。
むにゃむにゃしている間に、姉は甥っ子を抱えてさっさと出ていった。
やっとこさベッドから降りてカーテンを開ける。
「…まぶし……」
締め切った窓からは陽光と共に冷たい空気がじわっと侵入してきた。
布団のぬくもりを恋しく思いながら、のろのろと出掛ける準備を始めた。
***
「こんなお店あったっけ?」
結局、自転車は使わずに、散歩がてらのんびりと買い物に出掛けた。
帰り途中、寄り道をしていたら、子どもの頃よく遊んでいた公園の近くに見慣れない建物があった。
パステルカラーを基調とした壁面を、子どもが描いたような絵が彩っている。
まだ開店前らしく、のれんは外され、全面ガラスの引き戸から見える店内は薄暗かった。
何のお店だろう、と覗き込む。
見えないな、と色々角度を変えていたら、不意に背後から声を掛けられた。
「どちら様ですか?」
ビクッとして、固まる。
強張った身体のまま、恐る恐る振り向くと、おしゃれなダウンジャケットに、四角い太めの黒縁メガネの男の人が不思議そうな顔をして立っていた。片手にはコンビニの袋を下げている。
焦って言い訳をしようとするけど、びっくりしすぎて言葉が出ない。
「あ…えと…」
いや、不審者みたいじゃん…!
慌てる私よりも先に、その人が言った。
「……犬飼さん?」
「え?」
自分の名前を言い当てられて驚く。
「あー、俺、須崎。小中一緒だった、須崎來夢。覚えてる?」
でも、私もどこかで見たことあるような気はしていた。
「…あ!」
子どもの頃の記憶が蘇る。
ちいさくて、細くて、どこか諦めているような目をした男の子。
「おぼえ、てる…」
確か、小学生に上がってすぐに転校してきて。
お祖父さんが文房具屋さんで、私もよく買いに行っていたっけ。
そうだ、確かそのお店もこの近くだった。
「そこ、うちの店で」
須崎くんは隣の建物を指して言った。
確かにこんな感じだった。当時より寂れてはいたけれど、あの頃の風景が蘇ってくる。
「で、こっちはちょっと前に始めた駄菓子屋」
私の目の前のお店に視線を向ける。
スタスタと引き戸の前に立つと、慣れた手つきで鍵を開けた。
カラカラ、という軽快な音と共に扉が開く。
「入る?」
促されるまま、中に足を踏み入れる。
コンクリート張り、三畳くらいの広さ。
壁沿いに低めの棚が設置されていて、敷き詰めるように並んだ小さなカゴの中には、懐かしいものから見たことないものまで、小さなお菓子が盛り付けられていた。
「ここ、前は花屋だったんだけど、数年前にばあさんが亡くなって、店も家も潰すことになるってなってさ」
そうだ、元気な老夫婦が仲良さそうに働いていた。よく仏花を買いに行かされたっけ。
「じいさんが勿体無いからって買い取ったんだ。まあ、結局リフォームしちゃったからあんまり原型ないけど」
パチッと須崎くんが電気を付けると、お店の奥にも小上がりみたいなスペースがあるのがわかった。
外壁と同じ、パステルトーンの机や椅子が並んでいた。
「奥は上がれるようになってて、イベントしたり、放課後に子ども達がたむろったりしてる」
「……すごい…」
吸い寄せられるように奥の間に向かうと、ガサッと足元で何がぶつかった。
はた、と自分が持っている重みを思い出す。
「ヤバッ!冷凍食品買ってたんだった!」
お使いの途中だった事をすっかり忘れていた。寒い季節とはいえ、長時間持ち歩けないものもある。
「ごめん!また、今度お話聞かせて」
「お、おお」
ビックリした様子の須崎くんを置いて、じゃあ、と一方的に話を切り、家へと走った。
重たいビニール袋をガサガサと弾ませながら思う。
冷凍食品なんて、ただの言い訳だ。
同級生の今を目の当たりにして、逃げただけだって。
「………はあ…」
運動不足の身体では、到底家までなんて走れない。途中で足を緩めて空を仰いだ。
乱れた呼吸が、灰色の空を少しだけ白く染める。
家を出た時には晴れてたのに。
雪の気配を感じて、粛々と、家に向かった。




