沈黙の夏
起伏の乏しい平原地帯。大河も海も湖もない国ドリー。
水有るところに文明は栄えるという通説通り、ここはまるきり寂れた国である。
特産は牛や羊、山羊の放牧による肉、乳製品。幸い、多雨な土地。また、陸路の中心として市が立つようになってから少しずつ豊かになってきていた。
東の国境そばに大きな森がある。
その向こうには世界の屋根と呼ばれる山脈が北から南に向かってドリー国を包むように弓なりに伸びていた。
多雨なのは、この屋根に雨雲がぶつかることによる。
強い風が吹くのはいつも西からだ。
そのルヤという老婆は魔女と呼ばれる。
実際は王のご意見番の賢人だった。呪いも扱うが、知恵を貸す方が多い。
背がねじれ曲がって、子供ぐらいしか背がない。
背が曲がりすぎて規制の衣服が着られないので、ジュリアノという十七歳の少女が手縫いをしている。だから、少し衣服が不格好だった。
ジュリアノが裁縫は得意ではなかった。ゆえに、作る衣服は多少手抜きだった。
古着を仕立て直すので、二人ともかなりみすぼらしい格好になる。
家事一般が彼女は嫌いだったが、やらされるのはその家事一般だった。
朝、水くみに始まり、夜は繕い物で終わる。
三食作って、昼寝がない。庵の中はともかく、広々とした庭の掃除がことのほか骨が折れた。
「なんで私、こんなところで若さを消費しなきゃならないわけっ」
久しぶりに怒鳴り散らしてみたが、最近は耳の遠いルヤには一向にこたえなかった。
だがジュリアノはルヤが耳が聞こえないのを疑っている。小さな声で悪口を言っても、ルヤはこちらを見るからだ。そのくせ、都合の悪いことになるとなんにも聞こえないという振りを見せる。
ジュリアノに言わせればまことに、
「ヤな婆ぁ」
だった。
「聞こえたよ」
「ふーん、あっそお。いい加減、私の記憶返してよっ」
「その手に持っているだろうが」
ルヤはしわしわの顔に表情を乗せずに言った。
「持ってるだけじゃ、意味がないでしょっ。私は誰? 親兄弟は? 恋人はっ? いるのいないの?」
「ジュリア。めしはまだか?」
「はぐらかさないでっ。さっき食べたでしょう? 呆けた振りはやめてよ。この前、本気で慌てたでしょうっ!」
「濃い茶が飲みたいのお」
「だからっ」
「うちの嫁は飯を食わせてくれないと、老人会に言いふらすぞ」
「誰が嫁なの・・・・・・? やめてよね」
苛立って来て、ジュリアノは箒を振り上げた。
ルヤは小柄な体に見合わず、ちりとりでそれを受け止めた。
あとはもう、いつもの喧嘩だった。
ジュリアノが力任せに打ち込んで、妖怪のような老婆がのらりくらりとかわしながら受け止める。
「で、汗をかいたところで、ジュリア、熱い茶は貰えるかのぉ?」
腰をとんとんとんと叩きながら、ルヤは言う。
ジュリアノは地面に箒を投げつけた。
「ただいまお持ちいたしますわ、おばあさまっ」
「おまえのような孫を持った覚えはないよ」
ジュリアノは台所へのドアを蹴り開けた。
「わしが姑でおまえが本当に嫁だったら、徹底的に躾直しをするんだがのぉ。ひょほほほほ。他人にそこまでしてやる義理はないわい」
「不気味な笑いっ。とっとと棺桶の中に入ってよ。邪魔だから」
「この前、わしがそうしてやったら、洒落にならないと叱ったばかりじゃないかい」
当たり前だ。
置いていった赤い石を老婆は拾い上げる。
鮮やかな赤だ。
恋の色か、憎悪の色か。
ちっとも色あせることはない。それどころか、ますます鮮やかに美しく輝き出している。
「ジュリア」
「なんでしょうか?」
茶の用意をしてジュリアノが戻ってくる。
「茶うけに昔話をしてあげよう。あれはわしが十四歳。ぴちっぴちっのうら若き乙女であった頃」
「どうせなら、私の過去の話にしてくれませんか、偉大で慈悲深い魔女さま」
「ひょほほほほっ。わしの美しさに国中の男共が求愛してきたもんじゃて」
「はいはい」
ジュリアノは茶をカップに注いだ。
「どうぞ」
「おお」
ずずっと二人で茶啜る。
「ああ、平気ね」
ジュリアノは呟いた。
「なにが?」
「このお茶の葉、賞味期限が三年前のものだったの」
「そんなものを、年寄りに飲ませるなっ」
ルヤは机ごと茶のセットをひっくり返した。
この老婆はときどき短気になる。
「熱湯かけたから平気。おなかは壊さないと思うわ。ちょっとすえたんだか、熟したんだかわからない変な甘さが良いアクセント」
平然とジュリアノは自分のカップに残った茶を啜っていた。
「若いおまえの胃腸なら耐えられても、というより、おまえも飲むでないわ。年寄りを下痢で殺す気か」
「平気よ。飲む方がよっぽど根が腐って古いもの。賞味期限の切れ方が三年前の茶の騒ぎじゃないじゃない」
二人は森の片隅の庵でとても仲良く暮らしていた。
罵りあう声は絶えなかったが、近所の者たちは慣れっこで、いつも元気だねーという程度にしか思っていない。
「捨てい、その茶っ葉は」
「熱湯かければまだ飲めるのに」
「あのお、すいません」
「もったいない。だいたい、ルヤおばあちゃん、いつもそう。あれこれたくさん買っておいて、使わずに捨てちゃうの。無駄。もったいない」
「すいませんが、あのぉ」
「なにおっ。安いときに大量に買い込む。これが賢い主婦のやり方」
「無駄にしてりゃ賢くない駄目主婦よ。何年無駄に年食っての、この婆は。魔女修行で生活の知恵費やしちゃったんじゃないのっ。婆ちゃんのくせに『おばあちゃんの知恵袋』もないんじゃ、ただの人生圧縮袋じゃない」
「言ったな、この小娘は、ちょっと肌が水を弾くぐらいでいい気になりおって」
「ふっ、悔しかったら弾いてごらんなさいよ。ワックスでも全身に塗ったら。んふふふふふふっ」
「・・・・・・また来ます」
先ほどから会話に割り込もうとしていた男は怖じ気づいてきびすを返した。
「なんじゃ、おまえは」
「さては下着泥ね。私、この前気に入りのやつ、上下セットで取られたのっ」
「ひー、誰かなんとかしてくれっ、この人たちを」
「だから、あの、王からの手紙を」
中年を過ぎた頃合いの実直そうな使者は手紙を渡した。
ルヤは見ずに破り捨てた。
「ああっ!」
使者は悲鳴をあげる。
「あやつの過ぎる他力本願ぶりには呆れるばかりじゃ。もうしらんわいっ」
「そんなことを言わないでくださいよぉ。大変なんですよぉ。世継ぎの王子アサーさまが原因不明の病に倒れて」
「王子さま?」
ジュリアノは興味を示したが、
「王は六十三歳。世継ぎの王子は四十三歳。で、ジュリア。親が現役ならそれでも王子さまじゃ」
ルヤは身も蓋もない。
「世の中って気分悪くなるようにできてんのね」
「あんたらね・・・・・・。あっ、でも王の孫君は二十歳ですよ」
「ルヤばあさん、いこうよ」
「二十歳の姫じゃがな」
「・・・・・・世界って私に冷たいわ。甘そうな言葉の裏には醜い真実が潜んでいるのよね」
ふっとジュリアノはやさぐれた。
「夢を見るのはやめにして。現実に戻って、夕飯の支度でもしましょう。期限切れのお茶を使ってチャーハン作るから」
「だから、ジュリア。それはもう捨てなさいってわしは言っているんだよ」
「私、捨てるって言葉大嫌い」
「おまえは大商人の妻にでもおなり。きっと向いてるよ。その方がみんなが幸せになれる」
「そうするわっ」
ルヤは首をかしげた。
茶の葉を入れた炒飯は、茶飯と呼ぶのではなかろうか? それ以前に、まともに食えるのか?
「油をね、多めにすんの。でね、ご飯をいれて。卵入れて」
「ジュリア、その順序だと、おまえの腕じゃ卵と飯が分離する・・・・・・」
「嫌なら食べないで」
実に素っ気なくジュリアノが言う。
「・・・・・・」
「じゃ、俺、そういうことでっ」
逃げようとした使者の襟首をルヤは掴んだ。
「せっかくじゃ。食事をしていかれよ」
「いいえっ。滅相もございません。恐れ多いですっ。遠慮します。俺、胃腸があまり丈夫なたちではないんでっ!」
濃紺の髪は先端に行くにつれ淡くなる。長ければ長いほど、先は白くなってしまう。
短くしておけばそれほど目立たないのだが、ジュリアノは自分の髪が作るこのグラデーションが大好きで、可能なかぎり長く伸ばして大切にしていた。
目の色も紺色だった。
ルヤはもう髪など純白の上、量も減ってきていた。目の色は黒っぽい茶色だ。しわくちゃで日焼けした老婆である。
「あつーい。井戸の水が枯れたりしそうで嫌な感じね」
「うう。苦しいよぉ」
使者が寝台で呻いていた。
「食中たりなんて、どこで悪い物食べてきたの? うちで倒れられちゃ迷惑だわ」
「た・たぶん、あの油がいっぱいの三年過ぎた茶の炒飯が悪かったんだと思うんですけど」 控えめに、それでも使者は言った。
「でも、年寄りだって食べてぴんぴんしてるわよ?」
免疫があったんじゃないのか、と使者は思った。
「ああ、そういえば。まれにいるのよね。昨日の作り置きとか言うと、新鮮なもんでも耳で腹下す人。思いこみ強いタイプでしょ?」
「そんなことは」
「きっとそうよ。だって私もルヤばあさんも平気だもの」
「あの、すいませんが、お孫さん。おばあさまに都に行ってくださるよう説得を」
「私、孫じゃないのっ。人聞き悪いこと言わないで」
使者は首を傾げた。
「お弟子?」
だとしたら、失礼な弟子だ。
「違うわよ」
「じゃあ、あなたはなんですか?」
「私? しらないわよっ、そんなの。いきなり、目をさましたらこの庵で、記憶が無くて。こんなちっぽけな石に記憶が詰まってる。戻すにはわしの力が必要じゃ、とか言われて、ずるずるとこき使われてんのよっ」
「・・・・・・関係がどうにも飲み込めません」
しくしくと痛みを訴える腹を押さえながら、使者は呟いた。
「そんなの、私だってよくわかんないわよ。ただ知ってるのは、あの婆さんは私の記憶が戻るとなんか不都合があるってことだけ。それからもう一つ、最近気が付いたんだけど」
ジュリアノは赤い石を握る。
「この記憶を眺めると、腹が立つのだわ。だからたぶん、良い記憶ではないと思うの。あたりじゃないの、おばあちゃん?」
彼女は老婆を振り返る。
「・・・・・・なんだって? よーく聞こえなかったよ」
「ふんっ。自分が年寄りだって開き直った婆さんほど扱いにくい人種はないわよ」
ルヤはにこにこと笑っていった。
「なんだって? 最近本当に耳が遠くてね」
「いいもん、別に」
ジュリアノは水を汲みに出ていった。
「最近は、本当に、まるっきり本当に、よく聞こえる耳でねー」
ルヤの呟きを使者は聞こえない振りをした。
第二の使者たちがやってきたのは、腹痛を起こした使者が回復して旅立ったすぐ翌日のことだった。
ルヤはまた手紙を読まずに破り捨てた。
「ばーちゃん、つぎに来る使者の数、四人だと思う? 三人だと思う?」
「もうこないという選択肢はないのかい?」
「ルヤ婆さんがそれに賭けるのはかまわないけど。私は三人だと思うわ」
「なら、わしは四人じゃ」
「すいませんけど」
今度の使者たちは若い男だった。
たぶん、ルヤ一人であったなら二人がかりで強制連行するつもりだったのだろう。
「ドリー国の未来がかかっているので、そういう軽いあしらいはやめてくださいませんか」
一人がさりげなく短剣を抜いて、ジュリアノの首に当てた。
「お孫さんの命が大切なら」
「わしの孫ならもっとしとやかで、絶世の美女になっておるわい」
「人聞き悪いって言ってるでしょっ! 孫じゃないったらっ! 私の祖母ならもっと品が良くて底意地がいい可愛い老婦人だわよっ」
二人は意に反してほぼ同時に文句が漏れた。
庵を年老いた木こりがのぞき込んできた。
「まーた、喧嘩かい、ルヤさんにジュリ嬢ちゃん。仲良いな」
「よくないわよっ」
「よいわけあるかい」
人目が現れたので、あたふたと使者たちは剣をしまった。
「まあ、それはいいとして、ルヤさんや、茶を啜りにいきませんか、いつもの店に」
「あー、いいねぇ。ジュリアときたら、古い茶っ葉しか使ってくれないんだよ」
「嫌なら飲まないでいいわよ」
ルヤはひょほほほほっといういつもの不気味な笑いではなく、口元に手を当ててほほほほっとなるだけ品良く笑ってみせる。
ひょこひょこと年寄り同士が茶飲みデートに出ていってしまう。
「まさか」
使者の一人、ノアルは信じられない表情で呟く。
「王のそばに戻られない理由はよもやあの爺さんと離れたくないとか言う気じゃ・・・・・・」
「ビンゴ。正解者にはなーんと、三年前に賞味期限が切れた茶の葉を混ぜて作った焼きたてパン。さらには麹黴を培養したつもりなのに、得体の知れないことになった自家製納豆」
「そういうもんは捨てろ」
「なんでそうやって、みんなあっさりと捨てろなんて言うの? おいしーのに」
「食うなっての」
ジュリアノは拗ねた顔をした。
「いいもん。一人で食べるから」
ジュリアノは料理だけは好きだった。ただ難点は彼女自身は問題にしていないが、周囲にははたはた迷惑な作品を生み出すことにある。
「あっ、そうじゃなくてっ」
ジュリアノに短剣を突きつけた青年ルードは再び彼女を捕まえようとした。
その首に素早く銀の細い鎖が巻き付いた。
「言い忘れてたけど、この庵は剣の使用は禁止なの。言うこと聞かないと締め落とすわよ?」
「・・・・・・すいませんでした」
ルードは素直に謝って、首にかかった鎖を解いて貰った。
「八十過ぎの婆さんが何をとち狂ってんだよ」
ノアルが暴れている。
「おっかねー。俺、一回死んだよ。気が付かないうちに鎖巻かれてんだもんさ」
ルードは落ち込んでいた。
「とにかく、なんとかしてルヤさまを都まで連れ戻そう」
「どうやんだよ?」
ルードがノアルに目を向ける。
「だから、あのお嬢さんをうまく乗せて」
「こえーよ、やだよ」
ルードは頭を激しく左右に振って拒否した。
少女は憎悪に満ちた目をしていた。
老婆はそこでようやく自分も同じような目をしていることに気が付いた。
年齢、憤る理由、絶望の方向は違っても、それは鏡のようだった。
彼女は憎悪を少し解いて、憐憫を生み出した。
「忘れるがいい」
普通の娘としての、優しい日常をおまえにあげよう。
「いやっ」
少女は抵抗したが、記憶は赤い石に変わった。
憎悪の色だ。
これが薄く和らいだら、記憶を返してやるつもりだった。
だが、一向に石は色彩の鮮やかさを失わない。
「あたし、捨てられたの」
老婆はそんな物語を聞きたくなくて、耳を塞いだ。
「名前はジュリアノ」
それはもしかしたら、彼女を捨てた男の名前だったかもしれない。
だが、老婆は彼女をジュリアと呼ぶほかなかった。




