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「わかりました。」
田口は短く答えた。
「詳しい話は、明日署で聞かせてください」
『ああ。それまで余計なことは考えるな。今日はゆっくり休め』
「はい。失礼します」
通話を終えると、部屋は再び静寂に包まれた。
その静けさを破るように、インターホンがもう一度鳴る。
――ピンポーン。
田口は小さくため息をつき、玄関へ向かった。
「はい」
インターホン越しに声をかける。
返事はない。
「……どちら様ですか?」
沈黙。
いたずらかと思いながらも、ドアスコープを覗く。
そこには、小柄な少女が立っていた。
見慣れない紺色の制服に身を包み、肩まで伸びた黒髪が夜風に揺れている。
田口は玄関のドアチェーンを外し、ゆっくりとドアを開けた。
「何か用かな?」
少女は田口を見ると、小さく頭を下げた。
「夜分遅くにすみません。私、音無和葉といいます」
落ち着いた口調だった。
年齢は高校生くらいだろうか。
田口は警戒を解かないまま尋ねる。
「それで?」
和葉は一度周囲を見回し、声をひそめた。
「今日、ビルから飛び降りた青年のことで来ました」
その一言で、田口の表情が変わる。
「……君は、あの現場にいたのか?」
「はい。」
和葉は静かにうなずいた。
「私はあの人を、ずっと追っていました」
「追っていた?」
「都市伝説が好きなんです」
あまりにも唐突な言葉に、田口は眉をひそめる。
「ネットでは『何度死んでも現れる青年』って噂されていて……。半分は作り話だと思っていたんです。でも今日、あの人を見つけました」
田口は黙って話を聞いていた。
「青年が飛び降りたあと、あなた必死に追いかけていましたよね」
和葉は田口をまっすぐ見つめる。
「だから、知り合いなんじゃないかと思って」
「それで、ここまで来たのか?」
「はい」
和葉は少し申し訳なさそうに目を伏せる。
「実は……あなたを尾行しました」
あまりにもあっさりとした告白に、田口は思わず苦笑した。
「刑事を尾行するなんて、大した度胸だ」
「すみません。でも、どうしても確かめたかったんです」
和葉の瞳には、好奇心だけではない真剣な色が宿っていた。
「悪いけど、期待しているような話はない」
田口は静かに首を横へ振った。
「俺はあの青年の知り合いじゃない」
和葉は少しだけ目を見開く。
「じゃあ、どうして追いかけていたんですか?」
「刑事だからだ」
田口は昼間の光景を思い返す。
「目の前で人が飛び降りた。確かに地面へ落ちたはずなのに、気づいたら何事もなかったように歩いていた」
言葉を選びながら続ける。
「そんなものを見たら、誰だって追いかける」
和葉はしばらく黙っていたが、やがて肩を落とした。
「……そうですか」
期待が外れたような表情だった。
しかし次の瞬間、その瞳が再び輝き始める。
「でも、刑事さんなんですよね?」
「そうだが」
「だったら、一緒にあの青年のことを調べませんか?」
田口は眉をひそめた。
「私、ネットで都市伝説を何年も調べてきたんです。警察が持っている情報と、私が集めた情報を合わせれば、何かわかるかもしれません」
「…こっちは都市伝説なんかにつきあってる暇なんてない」
和葉は一歩踏み出す。
「お願いします!」
「悪い」
田口は和葉の言葉を遮るように言った。
「今はそれどころじゃない」
低く、疲れのにじんだ声だった。
「俺には今追っている事件がある。今日もそのことで頭がいっぱいなんだ」
和葉は何か言いかける。
しかし田口は首を振った。
「何度も言わせるな。都市伝説ごっこにつきあっている暇はない」
そう言い残し、ドアを閉めようとした、そのときだった。
「待ってください!」
和葉は慌ててポケットから小さく折りたたまれたメモを取り出し、田口の手に押し込んだ。
「もし……気が変わったら連絡してください」
田口は思わずメモに目を落とす。
そこには、丁寧な字で携帯電話の番号と、
『音無和葉』
とだけ書かれていた。
「それじゃ、失礼します」
和葉は深々と頭を下げると、夜道を小走りで去っていく。
街灯に照らされた小さな背中は、やがて闇の中へ溶け込むように見えなくなった。
田口はしばらく玄関先に立ち尽くしていた。
手の中には、一枚のメモ。
「……面倒なことになったな」
小さく呟き、苦笑しながら部屋へ戻る。




