20
地下駐車場には、蛍光灯のかすかな音だけが響いていた。
朝日零はしばらく黙っていたが、やがて静かに口を開いた。
「……どこから話せばいいでしょうか」
田口は黙って零を見つめる。
「まず、一つだけ訂正させてください」
零は小さく息を吐いた。
「僕は、あなた方の敵ではありません。
そして僕の弟である京も、本来は人を無差別に傷つけるような人間ではない。ただ……。」
その声は少しだけ沈んだ。
「京は生まれつき、普通の人間にはない能力を持っています」
田口は眉をひそめる。
「能力?」
零は静かにうなずいた。
「京は、対象となる人物の血液や毛髪などを自分の身体へ取り込むことで、その人物と特殊なつながりを作ることができます」
田口は言葉を失う。
「その状態になると、京が受けた傷は、本人ではなく対象の人物へ移ります」
地下駐車場に沈黙が落ちた。
田口は先ほどの出来事を思い出す。
「俺があいつを殴った瞬間、和葉が頬を押さえて苦しんだ。あれは……」
「和葉さんの血を京が取り込んだからでしょう」
零は静かに答えた。
田口は息をのむ。
「まさか、あの飛び降り事件も……」
零はゆっくりとうなずく。
「ええ」
「最初にビルから飛び降りた青年は京です」
「京は飛び降りる前に、警察関係者から受け取った殺人事件の犯人の血液を取り込んでいました。
その結果、落下による致命傷は犯人へと移った。
だから犯人は、まるで高所から転落したような外傷で死亡したのです」
田口は前に事件現場であったことを思い返す。
「じゃあ……、お前が俺にナイフを渡した、あの時、あの現場に京がいたってことか?」
「はい。あなた達が来る前に隠れるよう、僕が指示を出しました。
京がナイフで自分の胸を刺したその瞬間、光が辺りを覆った…。あれは、絶命するほどの傷を京が対象者に移した際に発せられる、エネルギー体のようなものです」
と零が真剣な眼差しで答えた。
「殺人犯が殺されていたのは、全部…あいつがやったことなのか?」
「全てではありませんが、多くの犯人は京によって殺されました」
零は迷うことなく答えた。
「ですが、それには理由があります」
少しだけ視線を落とす。
「京には、強い破壊衝動があります。放っておけば、その衝動は抑えられません。
僕は何年も京を止め続けてきました。そして一つの約束をさせたんです」
零の声がわずかに震える。
「まだ発見されていない殺人事件の犯人…つまり、法では裁ききれない凶悪犯だけを標的にすること。
それだけは守ると、京は僕に誓いました」
田口は静かに聞いていた。
「ずっと僕は、警察に秘密裏に協力してきました。
京が犯人へ近づけるよう、そして一般市民を巻き込まないように…」
零は苦しそうに目を閉じる。
「それなりに上手くやってきた、だけど……最近の京は違います」
「どう違うんだ?」
「僕の制止を聞かなくなりました…。
独断で行動することが増え、何を考えているのか僕にもわからない。
ビルから飛び降りたのも、殺人現場に現れたのも、全て僕の想定外のこと…」
和葉の腕に付けられた傷が、田口の脳裏によみがえる。
「和葉を傷つけたのも、あいつが勝手にやったことなのか?」
「はい。僕との約束を破った証です」
零は力なく答えた。
「僕はもう…、京を止められません」
その瞳には、探偵としての冷静さではなく、一人の兄としての苦しみが宿っていた。
「待て……!」
田口の声が地下駐車場に響く。
「それじゃあ――」
田口は零の胸ぐらをつかむ勢いで詰め寄った。
「あいつが今この瞬間に死ねば、和葉が死ぬってことなのか?!」
零は田口の目を真っすぐ見つめ、静かに答えた。
「……そうなります」
その一言が、田口の胸に重くのしかかる。
「ですが」
零は続けた。
「新たな対象者の血液や毛髪を京が取り込めば、そのつながりは上書きされます。
そうなれば、和葉さんが傷つくことはありません」
「じゃあ今すぐ京のところへ戻れ!」
田口は怒鳴った。
「一秒でも早く、俺の血を取り込ませて上書きさせる!」
零は首を横に振る。
「落ち着いてください。京は普通ではありません。
ですが、まだ正気です。それに……」
「それに、何だ!」
田口が語気を強める。
零は静かに答えた。
「京には麻酔薬を投与してあります。
少なくとも、あと三時間は目を覚まさないでしょう」
田口は黙って聞いている。
「その間に警察署で保管されている凶悪犯の血液を受け取り、京へ与えます。
それで対象は切り替わるので、和葉さんに危険は及びません」
地下駐車場に静寂が流れた。
田口は低い声で尋ねる。
「……お前。そんなことを、いつまで続けるつもりなんだ」
零は少しだけ目を伏せた。
その横顔には疲労がにじんでいた。
「わかりません……」
あまりにも静かな答えだった。
田口は思わず言葉を失う。
零は自嘲するように笑う。
「僕は被害者を最小限にする方法を選びました。
法では裁けない凶悪犯を犠牲にしてでも、一般市民を守る。
それが自分にできる唯一の方法だったんです」
田口は拳を強く握り締める。
「殺人犯だとしても人の命だ。一方的に殺せば、それはただの殺人だぞ…」
零は静かにうなずいた。
「……ええ、そうですね」
その言葉には、諦めにも似た悲しみが滲んでいた。




