EP 4
我、退屈を凌ぐ
(――我はかつて、神であった)
夜の森を歩く間抜けな青年の背中を見つめながら、巨大なトカゲ……もとい、始祖竜クロノは心の中で静かに独白した。
古代大戦の折、我はただ強大すぎるがゆえに竜人族に『神輿』として担ぎ上げられた。
しかし、愚かな覇権争いに巻き込まれ、世界を消し飛ばしかけた我は悟ったのだ。
ニーチェは『ツァラトゥストラ』にて、神の死と価値の転換を説いた。
崇められることなど、虚無でしかない。
真の強さとは他者を支配することではなく、己の内なる退屈を超克することである、と。
ゆえに我は、しがないジオ・リザード(騎乗用のトカゲ)に偽装し、俗世に紛れた。
悪徳商人に奴隷として打たれていたのも、『孫子の兵法』に則り、無駄な討伐戦(騒ぎ)を避けるための合理的なリスク回避に過ぎない。
人間とは恩知らずで利益に貪欲な生き物だ。マキャヴェッリの『君主論』が示す通り、利用し、やり過ごせばいい。
――そう思っていたのだが。
「フハハハハ! 見るが良いトカゲ殿! これが拙者の真の力……『丼マスター』の神髄でござる!!」
目の前の青年――佐須賀良樹は、先ほどからずっと一人で喋っている。
彼は何の利益もないのに、価値の欠片もない謎の紙切れ(一万円札)を使ったハッタリで、我を解放した。
マキャヴェリズムの計算式を完全に破壊した、愛すべき大馬鹿者である。
「いでよ! 『特盛カツ丼』!! 昨日のバイトの廃棄で食べられなかった怨念、今ここに晴らしてやるでござるぅぅ!」
カァァァァッ!
良樹が空中のパネルをタップした瞬間、虚空から魔法陣が現れ、一つの器が具現化した。
「……む?」
我は思わず、鼻先をヒクつかせた。
なんだ、この暴力的なまでに食欲をそそる匂いは。
黄金色に揚げられた分厚い豚肉。それが甘辛い琥珀色のタレで煮込まれ、とろとろの半熟卵で閉じられている。
立ち昇る湯気が、我の数千年の叡智を揺さぶってくる。
「はっふ、ほふっ! うっま! カツの衣にダシが染みてて最高でござる!」
ハフハフと幸せそうにカツ丼をかき込む良樹。
その足元で、我は無意識のうちに喉を鳴らしていた。
グルルル……。
「……ん? ひっ!」
その音に気づいた良樹が、ビクッと肩を揺らした。
「そ、そういえばお前も腹が減ってるんでござるよな。……商人に鞭打たれてたし」
良樹はカツ丼の器を抱え込んだまま、空中のパネル(我には見えないが)と睨めっこを始めた。
「ううっ、せっかく1000ポイント貯まったのに……でも、拙者を慕ってついて来た使い魔(仮)を餓死させるわけにはいかないでござるな。仕方ない……」
良樹は再び空をタップした。
「現れよ、『牛丼(特盛・ネギダク)』!」
ポンッ、と我の目の前に、先ほど彼が食べていたのと同じ器が現れた。
薄切りの肉と玉ねぎが、茶色く輝きながら白米の上に鎮座している。
「ほら、食うでござる。拙者のおごりでござるよ」
……ほう。
この男、極度の小心者のくせに、自分の分の魔力を削ってまで我に食事を施すというのか。
(面白い。ならば、その『牛丼』とやら、味見してやろう)
我は舌を伸ばし、その器の中身を一口、口に含んだ。
「――――ッ!!?」
我の脳髄に、雷鳴が轟いた。
なんだこれは!?
牛肉の圧倒的な旨味と、タマネギの強烈な甘味。
それらを完璧にまとめ上げる、塩分、脂質、そして秘伝のタレ(醤油ベース)という名の魔薬!
さらに、底に敷き詰められた白米(炭水化物)が、口の中で見事なシンフォニーを奏でている!
(美味い……! 美味すぎる!! なんだこの神の食べ物は!? 我が数千年の生涯で口にしてきた、エルフの霊薬やドワーフの珍味など、これに比べれば泥水に等しいわ!!)
「おっ、すっごい勢いで食うでござるな。そんなに美味いでござるか?」
バクバクと一瞬で特盛牛丼を平らげた我を見て、良樹が嬉しそうに笑った。
「よーし。拙者のポイントが続く限り、お前には飯を食わせてやるでござる。その代わり、これからは拙者の相棒……いや、移動用の乗り物として働くでござるよ!」
良樹はツンと我の鼻先を指差した。
「今日からお前は拙者の眷属でござる! 名前はそうだな……『シャイニング・インフェルノ・アルティメット・ロード』だ!!」
「断る。ロードで全て事足りるわ」
「えっ」
良樹の動きが、石像のようにピタリと止まった。
「……い、今、喋ったでござるか?」
我は呆れながら、脳内への直接伝達で言葉を紡ぐ。
「我は賢竜種(ジオ・リザードの突然変異)だ。人語くらい解する。……しかし、お前のそのメシは気に入った。我にその『牛丼』とやらを食わせるなら、お前の荷車でも引いてやろう」
「しゃ、喋るトカゲぇぇぇぇ!?」
森に良樹の絶叫が響き渡る。
ビビり散らして腰を抜かしているが、まあ害はないだろう。
(シャイニング……なんたらは御免だが。『ロード』という響きは悪くない)
神であることをやめ、ただのトカゲとして生きる我に相応しい、道を往く者の名。
こうして、ただの牛丼屋台を引く『駄馬』として。
我、始祖竜クロノは――佐須賀良樹の相棒『ロード』としての第一歩を踏み出したのである。




