訓練場の住人とこれからのこと
薬草園を通り過ぎると、その先に牧場が見えてきた。
ヴァルドに尋ねると、牛や豚、鶏を飼っているらしい。
箱庭で使われている地球産の卵や牛乳、肉も、ここで育てた家畜を処理して賄っているのだとか。
(昔、祖父母のところで鶏を締めて解体したことがあったけど……あれ、結構メンタルに来るのよね)
生活も整っているし、食事にも困らない。
そんなことを思いながら歩いていると、不意に視界の先に人影が入った。
燃えるような赤髪は無造作に跳ね、黄金色の瞳が陽光を受けて鮮やかに輝いている。
引き締まった体躯は黒のインナー越しでもはっきりと分かり、無駄のない筋肉が機能美を感じさせた。
その手に握られているのは、漆黒の大剣。
静まり返った庭に、剣が風を裂く音と、彼の荒い息遣いだけが響く。
上段からの袈裟斬り。返し。突き。
大剣の重さを活かした動きを、一つひとつ、型をなぞるように丁寧に確かめている。
こちらの気配には気づいているのだろうが、それでも彼は手を止める様子を見せない。
私たちは顔を見合わせて小さく頷き合うと、日陰に置かれたベンチへ腰を下ろし、彼の稽古が終わるのを待つことにした。
その間に、いくつかの疑問をヴァルドに尋ねてみることにする。
「ヴァルド、ひとつお伺いしてもよろしいですか。どうして皆さん、お名前がないのでしょうか?ノームやシルキーのような妖精に名前がないのは理解できますが、ヴァルドやハルグリム、それにあの方も……おそらく、お名前を持たれていませんよね?」
私の問いに、ヴァルドは少し答えにくそうな様子を見せながらも、やがて静かに口を開いた。
「名前、でございますか……」
わずかに目を伏せ、言葉を選ぶように続ける。
「我々は、かつてクラウディスに生きていた頃の個としての存在を、すでに失っております。
エシャール様によってクラウディスから存在を削除された時点で、過去の我々は世界との繋がりを断たれ、名もまたその中に置き去りとなりました」
そこで一度言葉を切り、穏やかながらもどこか重みを帯びた声で続ける。
「そして再び与えられたこの身は、かつての我々の延長ではなく、旦那様と奥様をお支えするために再定義された別の存在にございます。ゆえに、旧き名を持つことは許されておりません」
わずかに顔を上げ、こちらをまっすぐに見つめる。
「ですが……」
ほんのわずかに、その表情が柔らいだ。
「そのような我々に新たな名をお与えくださるのであれば……それは過去に縛るものではなく、今を許すものにございます。この身がここに在ることを認めていただけた証。役割ではなく、個として見ていただけた証にございますゆえ」
静かに、しかし確かな感情を滲ませて頭を下げる。
「……ですので、新たな名を賜れたこと、これ以上なく光栄に存じます」
ヴァルドの言葉を聞き終え、私はしばらく何も言えずにいた。
胸の奥に、じわりと重いものが沈む。
隣に座るヴァルドの横顔を、そっと盗み見る。
その穏やかな表情に、かえって想像が追いつかなくなる。
何か言葉を返そうとした、そのときだった。
――ヒュンッ、と鋭い風切り音が耳を打つ。
視線を上げると、青年の動きが変わっていた。
踏み込みは深く、振りは重い。
先ほどまでの型をなぞる動きではなく、より実戦を意識した一撃一撃。
大剣が空気を裂き、地を蹴る音が重なる。
――ザンッ、と最後の一撃が止まる。
そのまま数秒、静止。
やがて青年は大きく息を吐き、肩の力を抜くと、軽く剣を振ってから背に担いだ。
そしてこちらに気づいていたかのように、まっすぐ歩み寄ってくる。
黄金の瞳が、柔らかく細められた。
「悪いな、待たせたか?」
落ち着いた声。
先ほどまでの鋭さとは違う、どこか気遣いの滲む響きだった。
「いえ、こちらこそお邪魔してしまって」
そう返すと、青年は軽く笑って首を振る。
「気にすんな。見られるのも慣れてるしな。むしろ、変に遠慮される方が落ち着かない」
そう言いながら、こちらの様子を一度ゆっくりと見渡す。
品定めというより、体調や緊張を確かめるような視線だった。
それからヴァルドへと顔を向ける。
「で、この人たちが例の?」
「はい。旦那様と奥様にございます」
「ああ、やっぱりな」
納得したように頷くと、改めてこちらに向き直る。
「話は聞いてる。ここに来たばっかりなんだろ?」
問いかけは自然で、押しつけがましさがない。
私が頷くと、青年はふっと口元を緩めた。
「なら、無理すんなよ。ここ、見た目より広いし、慣れないうちは気も張るだろ」
さらりと言うが、その一言には経験から来る実感が滲んでいる。
そして、少しだけ肩を竦めた。
「俺も最初はそんな感じだったしな」
軽く笑ってから、ふと思い出したように言葉を足す。
「……ああ、そうだ。俺のことだけど」
一瞬だけ言葉を選び、
「名前はない。まあ、そのへんはもう聞いてるか」
深刻ぶるでもなく、淡々と告げる。
けれどその後、わずかに表情を和らげた。
「呼びにくいなら、適当に決めてくれていい。変なのじゃなければ大体気にしない」
冗談めかしたその口調に、場の空気がふっと緩む。
「そうですね……」
私は少し考え込みながら、横目で瑛太さんを見た。
が、当の本人はどこ吹く風といった様子で、こちらに任せきりの顔をしている。
小さく息を吐き、改めて青年へと視線を戻す。
燃えるような赤髪。
陽光を受けて輝く黄金の瞳。
そして、あの大剣を軽々と扱う力強さ。
けれど同時に、どこか面倒見の良さを感じさせる空気。
(強くて、まっすぐで……でも、ちゃんと人を気にかける人)
自然と、ひとつの音が浮かんだ。
「“ガイル”……というのは、いかがでしょうか」
口に出してみると、不思議としっくりくる。
青年は一瞬きょとんとした後、すぐに軽く笑った。
「ガイル、か」
その名を転がすように繰り返し、少しだけ顎に手を当てる。
「いいじゃねえか。呼びやすいし、響きも悪くない」
あっさりとした了承。
けれどその奥に、ほんのわずかな満足が滲んでいるようにも見えた。
「じゃあ、今日からそれでいくか」
そう言って、ガイルは、にっと笑う。
「改めてよろしくな、弟子達」
少しだけからかうようなその言葉に、思わず苦笑が漏れた。
「さて」
ガイルは一度手を離すと、軽く首を回した。
「雑談もいいけど、スキルの確認しとくか」
「確認、ですか?」
「ああ」
頷きながら、こちらを見やる。
「二人とも、スキルとか耐性はちゃんと把握してるか?」
唐突な問いに、思わず言葉に詰まる。
「スキルについてはエシャール様と相談して把握していたけど……耐性スキルって、あるんだ……。
やばいかも」
思わず漏れた声に、自分でも分かるほど顔が引きつる。
隣を見ると、瑛太さんも同じように眉をひそめていた。
「……エシャール様からは、耐性スキルについては特に聞いていないな。それ、ないとまずいのか?」
静かに問いかけるその声音に、場の空気が一瞬だけ張り詰める。
その問いに、ガイルとヴァルドがほぼ同時に反応した。
「あー……女神様には直接関係ない部分だから、認識から漏れてたのかもしれねぇな」
ガイルは頭をかきながら、少し困ったように笑う。
「けどな、冒険するなら正直、かなり重要だ」
そう言って、指を折りながら説明を始めた。
「前衛でも後衛でも最低限、毒耐性と麻痺耐性は欲しい。特に後衛は数発もらったら終わる可能性が高いからな」
一度こちらを見て、念押しするように続ける。
「それに魔法職なら、精神魔法耐性も必須だ。あれがないと、操られたり、混乱させられたりで下手すりゃ仲間を攻撃する側に回る」
軽い口調のままだが、言っている内容はまったく軽くない。
そこへ、ヴァルドが一歩前に出て、丁寧に言葉を補足する。
「さようでございます。敵が毒や麻痺を塗布した武器を使用することは珍しくございません」
静かな声音だが、その内容は現実的で容赦がない。
「加えて、精神魔法に対する耐性がございませんと、魔法の詠唱を阻害されたり、意思そのものを乱される危険がございます。結果として戦闘の継続が困難となり、生存率は著しく低下いたします」
淡々と告げられる“事実”に、背筋がじわりと冷える。
私は無言で瑛太さんの方を見る。
視線が合う。
(……これ、やばくない?)
(……かなりやばいな)
言葉にせずとも、同じ結論に辿り着いているのが分かった。
私たち、完全にその辺りノーマークだったんだけど。
胃の奥が、じわじわと重くなる。
「悪いが、一度お二人のスキル構成を確認させてくれ。それを見て、今後どう動くか決めよう」
そう言って、ガイルは軽く首を鳴らしながらこちらを見据える。
「じゃあ、見るぞ。“鑑定”」
低く短い呟きと同時に、場の空気がわずかに引き締まる。
ガイルの視線が、まるでこちらの内側を覗き込むように鋭くなる。
数秒の沈黙のあと、彼はふっと息を吐いた。
「……なるほどな。悪くねぇ」
そのまま腕を組み、少しだけ口の端を上げる。
「基礎はしっかりしてるし、スキルの噛み合いもいい。正直、初心者にしちゃ出来すぎなくらいだな」
軽く肩をすくめるその様子に、少しだけ肩の力が抜ける。
続けて、ヴァルドが静かに頷いた。
「はい。攻撃・補助ともにバランスが取れており、現段階では申し分ございません。むしろ、非常に恵まれた構成と言えるでしょう」
瑛太さんと視線を交わす。
どうやら、最悪の事態は免れたらしい。
ただし、ガイルが頭をかきながら、少しだけ真顔になる。
「耐性だけは、見事にすっからかんだ。毒も麻痺も精神も今のままだと、まともに食らったらアウトだ」
ズバッと言い切られて、思わず息を呑む。
だが次の瞬間、ガイルはニヤリと笑った。
「ま、安心しろ。終わってるってわけじゃねぇ。むしろ逆だ。ここまで整ってりゃ上出来だろ。足りねぇのは耐性だけ、だったらやることは簡単だ」
指を一本立てる。
「まずは身体を作る。戦闘訓練で動き叩き込む。スキルをまともに使えるようにして戦闘に慣れろ」
さらに指を増やす。
「それと並行してスキルも伸ばす」
ガイルは軽く私と瑛太さんを示しながら続ける。
「毒耐性や麻痺耐性はな喰らって、治す。それを繰り返せばそのうち生える」
「……え」
思わず声が漏れる。
(いや、それ普通に危なくない……?)
完全に顔に出ていたのだろう。ガイルが肩をすくめる。
「そんな露骨に引くなって。ちゃんと加減はする。死なせる気はねぇよ」
「そういう問題じゃない気がするんですけど……」
思わずツッコミが出る。
そのやり取りを見て、瑛太さんが小さく息を吐いた。
「理屈は分かるが、なかなか荒い方法だな」
低く落ち着いた声。
否定はしないが、簡単に飲み込む気もないという響きだった。
「まぁな。でも一番手っ取り早いのは事実だ」
ガイルはあっさりと返す。
私は思わず瑛太さんを見る。
「……これ、本当にやるんですか?」
少しだけ不安が滲む声。
瑛太さんは一瞬だけ考えるように視線を落とし、それから静かに答えた。
「だろうな。対処できない方が危険だ」
短い言葉なのに、不思議と納得してしまう。
そこで、ヴァルドが一歩前に出て、穏やかに説明を引き継ぐ。
「奥様は既に回復魔法のスキルをお持ちですので、“キュア”の行使が可能でございます」
私の方へ丁寧に視線を向ける。
「こちらを基礎として、いくつかの知識と訓練を補填すれば――ディトキシア(毒解除)、ディパライズ(麻痺解除)、クラリティ(混乱解除)といった回復魔法も習得可能かと存じます」
「……そこまで出来るようになるんですね」
少し驚きながら呟くと、ヴァルドは静かに頷いた。
「はい。段階を踏めば、決して難しいことではございません」
その言葉に、ほんの少しだけ気持ちが軽くなる。
「毒や麻痺につきましては、錬金にて調整された弱毒を作成可能でございます。材料は屋敷の薬草園に揃っておりますので、安全域を保った訓練が可能でございます」
「安全、なんですよね?」
念押しするように尋ねると、ヴァルドは穏やかに応じた。
「はい。適切に管理すれば問題ございません」
そこに、ガイルが割り込む。
「作って、飲んで、自分で治す。
これで耐性もつくし、回復魔法もその他のスキルも伸びる。」
にやりと笑う顔が、やっぱりちょっと悪い。
「スパルタにもほどがありません……」
思わず小さく呟くと、瑛太さんがわずかに口元を緩めた。
「効率はいい。理にはかなっている」
「……瑛太さん、そっち側なんですね」
「現実的なだけだ」
さらりと言われてしまい、ぐうの音も出ない。
ガイルは満足そうに頷く。
「だろ?慣れてくりゃ、どの程度でどうなるかも分かってくる。そうなりゃ実戦でも慌てねぇ」
理屈は分かる。分かるのだが。
(やっぱりスパルタなんだよなぁ……)
そんな私の内心をよそに、ガイルは続ける。
「精神魔法耐性も似たようなもんだ。軽く負荷かけて、戻す。それを回す」
今度は少しだけ真面目な声になる。
「こっちは様子見ながらやる。最初は俺とヴァルド様で見るから安心しろ」
「無理のない範囲で進めてまいりますので、ご安心ください」
ヴァルドも穏やかに頷いた。
私は一度、深く息を吐く。
ちらりと瑛太さんを見ると、静かにこちらを見返してくる。
「……やれるか?」
問いかけは短い。けれど、無理に背中を押すような強さはない。
私は少しだけ考えて、それから頷いた。
「……やります」
その答えを聞いて、瑛太さんも小さく頷く。
「ああ。それでいい」
ガイルは満足そうに笑った。
「よし、決まりだな」
くるりと背を向け、手をひらりと振る。
「じゃあまずは軽く身体動かして、その後夕方までは礼拝室でスキルの発動練習だ」
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