箱庭の案内と住人達
食堂の中央に据えられた木のテーブルは、厚みのある板を組んで作られていた。
表面は丁寧に削られているが、完全に均一ではない。
ところどころに残るわずかな凹凸が、長く使われてきた時間を静かに物語っている。
昼食は、リナが用意してくれた、クラウディスで一般的に食べられている料理だった。
皿から立ち上る湯気は細く、ゆっくりとほどけるように空気へ溶けていく。
強い香りはない。
けれど、鼻に入った瞬間、体の力がわずかに抜けるような柔らかさがあった。
鶏肉を軽く炒め、野菜の甘みと塩で整えられたスープ。
具材は一口では収まらない大きさで揃えられており、均一さよりも火の通りを優先しているのが分かる。
余計な手を加えず、素材そのものを活かした作りだ。
横に添えられているのは、ロッゲンフォルコルンブロートと呼ばれるライ麦パン。
薄く切られているが、断面には細かな気泡が密に詰まっており、見た目以上の重みを感じさせた。
「美味しいとは思うけど、シンプルな味付けだから、毎回だと飽きそうだね」
「……薄いな」
「醤油や味噌は塩分が強めだからね。慣れてると、どうしても物足りなく感じるよね」
軽く笑いながら、スープを口に運ぶ。
舌に広がるのは、穏やかな旨味。
尖ったところのない、静かな味だ。
悪くない。
むしろ、丁寧に作られているのがよく分かる。
だからこそ、思う。
この味に慣れている人たちに、何をどう足せば、違和感なく広がっていくのか。
自然と、そんな考え方になっていた。
(材料はこのスープと似てるよね……。ひき肉にできれば、コンソメもできそう)
頭の中で、味の輪郭が少しだけ変わる。
今あるものを崩さずに、もう一段だけ積み上げる。
そのくらいなら、この世界でも無理はない。
作り方の構造は、エシャール様からもらった地球百貨に載っているはずだ。
あとでハルグリムにも聞いてみよう。
そんなことを考えながら食事を続けていると、ヴァルドが静かに一歩下がり、
「お食事中に失礼いたします」
と控えめに声を落とした。
自然と、視線がそちらへ向く。
「旦那様、奥様。差し出がましいお願いではございますが――」
一度、わずかに間を置く。
「この箱庭に住まう者は皆、お二人に仕える者にございます。ゆえに、名に“さん”を添えてお呼びになるのは、お控えいただけますと幸いにございます」
思わず、手が止まった。
スプーンの重みが、妙に指先に残る。
「いきなりそう呼ぶのは、ちょっと落ち着かないですね」
口に出したのは、ほとんど反射だった。
分かってはいる。
けれど、距離の変わり方が急すぎる。
「……急だな」
隣で、瑛太さんが短く言う。
同じことを思っていたらしい。
するとヴァルドは、わずかに目を伏せ、静かに首を振った。
「お二人がそのようにお振る舞いになりますと、仕える者たちが戸惑ってしまうのです」
「戸惑うんですか?」
「はい。本来あるべき主従の距離が曖昧になりますと、判断に迷いが生じます」
なるほど、と私は小さく頷く。
つまりこれは、礼儀というより運用の問題なんだ。
「つまり、こちらが遠慮していると、そちらが困るということですか?」
「その通りにございます」
間を置かない返答。
私は一度視線を落とし、軽く息を吐く。
理解はできる。
だが、慣れは必要だ。
「まずは“さん付け”を控えていただくだけで十分にございます。徐々に慣れていただければと」
「……段階的に、か」
瑛太さんが低く呟く。
私は頷いた。
「分かりました。少しずつ慣れていきます」
「ありがとうございます」
その瞬間、ヴァルドの表情がほんのわずかに和らいだ。
私は小さく息を吐いて、スプーンを持ち直した。
ああ、たぶんこれ、私たちの方が“覚悟を決める側”なんだろうな。
そんなことを思いながら、私はもう一口スープを口に運んだ。
昼食を終え、私たちはヴァルドに案内されて二階の玄関へ向かう。
扉が開く。
外の光が、一気に流れ込んできた。
思わず、足が止まる。
視界の先に広がっていたのは、想像していたよりもはるかに広い土地だった。
玄関の先、道を挟んだ向こう側には農地が広がっている。
整然と並ぶ畝。
ジャガイモ、玉ねぎ、キャベツ。
見慣れた野菜が、見慣れない土地に根付いていた。
「ヴァルド、今の季節は春で合ってます?」
歩きながらそう尋ねると、ヴァルドはすぐに頷いた。
そのまま暦についても説明してもらう。
現在は創世暦六五八年、若葉の月――いわゆる三月の十六日。
火の日、つまり月曜日にあたるらしい。
四季もあり、一年は三百六十五日、一週間は七日、一日は二十四時間。
基本的な仕組みは、ほとんど地球と同じだ。
(こういうとこは助かるよね……)
そんなことを考えつつ、会話を続けながら少し歩く。
やがて農地の近くまで来たところで、ヴァルドがぱん、と手を数回叩いた。
すると――どたどたどたっ、と軽快な足音。
数人の小さな男の子たちと、柴犬柄の大きな犬が、こちらに向かって全力で走ってくる。
「ワオォォォン!」
元気すぎる鳴き声とともに、その犬は一直線に――私ではなく、隣の瑛太さんへ。
(あ、これ――やばいやつじゃない?)
そう思った瞬間、世界がスローモーションになる。
大きな体。
ぶんぶん振られる尻尾。
飛びかかる勢い。
そして――
「うぉっ!?」
瑛太さんの間の抜けた声。
次の瞬間。
ドーンッ!!
「っ……!?」
短く息を呑むような声。
次の瞬間、瑛太さんはそのまま地面に押し倒された。
のしかかるように覆いかぶさる、でっかい柴犬。
ぶん、と一度大きく尻尾が揺れて――
べろん。
容赦なく顔を舐められる。
「……落ち着け」
低い声。
だが止まらない。
べろん、べろん。
「こら、旦那様に失礼ですよ」
ヴァルドの一声で、ようやく止まる。
犬は満足したように下がる。
私は一歩引いて、その様子を見守った。
(……うん、ちょっと面白い)
「……ふぅ」
瑛太さんはゆっくりと上体を起こす。
顔は見事にべちゃべちゃだが、表情は崩れていない。
ヴァルドに「旦那様。」と差し出されたハンカチで顔を拭き、軽く息を整える。
怒るでもなく、ただ静かに受け流す。
その落ち着きは、いかにも大人の余裕といったところだった。
「随分と手荒い歓迎ですね」
「……遊ばれてるだけだろ」
淡々とした返し。
でも、ちょっとだけ疲れている。
そこに、子供たちがわっと駆け寄ってくる。
「すげー! こんなになついてる!」
「おにいちゃんでっかいなー!」
一斉に囲まれても、瑛太さんは軽く目を細めるだけだった。
「順番に話してくれ」
その一言で静まる。
犬は座り、こちらを見る。
落ち着いた声でそう言うと、子供たちが一瞬ぴたっと止まる。
……ちゃんと統率取れてる。
私はその様子を見て、くすっと笑った。
「この子は?」
ヴァルドは犬の頭を優しく撫でながら、落ち着かせるようにして説明を始めた。
この犬は、エシャール様によって選ばれた、瑛太さんのテイムスキルによる従魔らしい。
そのまま、こちらを見上げてくる視線。
「わふ!」
短く鳴いた。
尾が、ゆっくりと揺れる。
(……ああ、この子)
もう分かる。
懐いている。
まるで「よろしく」とでも言っているかのように、尻尾がぶんぶんと揺れていた。
そして、一緒に現れた子供たちは、この箱庭を管理している妖精――ノーム達。
真ん中にいる緑色の髪の子がリーダーで、全体の監督役を務めているらしい。
ノームはシルキーと違い、一家に一人という存在ではない。
土地を気に入れば、これから先も増えていくのだとか。
ヴァルドから「まずは名をお与えください。」と促され、私たちは顔を見合わせる。
どうやら、この犬とノームのリーダー、それぞれに名前をつける必要があるらしい。
さて、どうしたものか。
犬の名前も私が決めるのかと、ちらりと瑛太さんの方を見る。
すると、あっさりと――
「頼む」
と、丸投げされた。
とはいえ断る理由もなく、私は観念して、一人と一匹の名前を考えることにした。
改めて、目の前の犬をじっと観察する。
「そもそも、この子って犬なんですか?」
見た目はどう見ても柴犬だけど、さっきの勢いといい、ただの犬とは思えない。
そう尋ねると、ヴァルドがすぐに答えてくれた。
「この個体は『月浪』と呼ばれるモンスターにございます。あまり見かけない、珍しい種でございます」
(月浪ということは狼の仲間なのか)
納得しつつ、私はもう一度その姿を見つめた。
名前、どうしようか。
「そうですね……緑の髪の君はリーフ、君はルクスでどうですか?」
一瞬の静寂。
「わふっ!」
犬――ルクスが嬉しそうに鳴き、尻尾をぶんぶん振る。
そのまま一歩前に出て、ぴたりと私の横に並んだ。
(うん、気に入ってくれたっぽい)
一方で、ノームのリーダーはというと――
「りーふ? それ、ぼくのなまえ?」
ぱっと顔を上げて、目をきらきらさせる。
その場でぴょんと軽く跳ねて、嬉しそうに笑う。
「ぼく、りーふ。よろしく!」
少しだけ偉そうに、でもどこか誇らしげに手を差し出してくる。
「よろしくね、リーフ」
その手を握り返すと、リーフは満足そうに頷いた。
「るくすもいいなまえだね!」
ルクスの方を見て、にっと笑う。
「るくす、いっしょにあそぼう!」
そう言って、ルクスの周りをくるっと回りながら、楽しそうに声を上げた。
「そういえば、精霊たちは普段どこで過ごしているのですか?」
ふと思い出して尋ねると、ヴァルドが穏やかに答えてくれた。
「リナやリーフたち妖精にとって、睡眠や食事はあくまで娯楽の一つにございます。ゆえに、それぞれが好む場所で自由に過ごしております」
「リナはキッチンのロッキングチェアを、リーフたちは洞窟や森の中を好んでおりますね」
「ルクスは?」
「ルクスは普段、リーフたちと遊ぶことが多いため、洞窟で共に過ごしております。また機会がございましたら、リーフたちに案内を頼まれるとよろしいでしょう」
屋敷の住人は全体的に年齢層が高く、落ち着いた雰囲気の者が多い。
けれど庭では、リーフたちの元気な声が響いていて、場の空気はどこか明るかった。
ヴァルドはリーフたちに「本日分にございます。」とクッキーを振る舞い終えると、こちらへ向き直る。
「それでは、次の場所へご案内いたします」
そう告げて、再び歩き出した。
もし少しでも楽しんでいただけたら、
続きも読んでいただけると嬉しいです。
よろしければブックマークで応援していただけると励みになります。




