箱庭の案内と住人達
食堂の中央には、厚い板を組んだ大きな木のテーブルが置かれていた。
表面は丁寧に削られているけれど、ところどころにわずかな凹凸が残っている。
指先で触れると、長く使われてきた木の温かさが伝わってきた。
昼食は、リナさんが用意してくれたクラウディスの一般的な料理だった。
鶏肉と野菜を煮込んだスープから、細い湯気が立ち上っている。
香りは強くないものの、炒めた鶏肉と野菜の甘い匂いが混ざり合い、食欲をそっと刺激した。
具材は少し大きめに切り揃えられ、塩だけで味を調えているらしい。
余計な物を加えず、素材の味を生かした素朴な料理だった。
隣の皿には、薄く切られたロッゲンフォルコルンブロートが添えられている。
ライ麦を使った黒いパンで、持ち上げると見た目以上に重い。
断面には小さな気泡が詰まり、しっかり噛んで食べる必要がありそうだった。
「美味しいけど、毎日だと少し飽きそうだね」
「味が薄いな」
「醤油や味噌の味に慣れているから、余計にそう感じるのかも」
瑛太さんと話しながら、スープを口へ運んだ。
鶏肉の旨みと野菜の甘みが舌に広がり、最後に穏やかな塩味が残る。
派手さはないけれど、丁寧に作られていることが分かる味だった。
だからこそ、この味に慣れた人たちへ、何をどう加えれば受け入れてもらえるのかが気になった。
材料は、地球で作っていたスープと大きく変わらない。
肉を細かくして野菜と煮込み、旨みを凝縮できれば、コンソメに近い物も作れるかもしれない。
作り方は、エシャール様からいただいた地球百貨に載っているはずだ。
肉を挽く道具が必要なら、あとでハルグリムさんにも相談してみよう。
今ある料理を否定せず、少しだけ味の幅を広げていく方法なら、この世界にも馴染ませやすそうだった。
考えながら食事を続けていると、給仕をしていたヴァルドさんが静かに一歩下がった。
「お食事中に失礼いたします。お二人に、ひとつお願いがございます」
改まった声に、私はスプーンを置いた。
「何でしょうか?」
「この箱庭に住む者は皆、お二人に仕える者でございます。今後は、私どもの名前にさんを付けず、お呼びいただけますでしょうか」
思いがけないお願いに、瑛太さんと顔を見合わせた。
私にとって、名前にさんを付けるのは相手への礼儀であり、ごく自然なことだった。
昨日会ったばかりの人たちを、いきなり呼び捨てにするのは落ち着かない。
「皆さんを呼び捨てにするということですか?」
「はい」
「少し抵抗があります」
「急だな」
瑛太さんも困ったように眉を寄せた。
ヴァルドさんは私たちの反応を予想していたのか、静かに耳を伏せる。
「お気持ちは理解しております。しかし、お二人が使用人へ敬称を付けますと、仕える側が戸惑います」
「どうしてですか?」
「主従の距離が曖昧になり、立場に応じた判断が難しくなるためです。私どもにとっては、呼び捨てにしていただく方が自然なのでございます」
礼儀の問題ではなく、この屋敷で役目を果たすうえで必要なことらしい。
私たちが遠慮を続けるせいで、皆が動きにくくなるのは本意ではなかった。
「私たちがさん付けで呼ぶと、皆さんを困らせてしまうんですね」
「そのようにお考えいただければと存じます」
すぐに慣れる自信はない。
それでも、相手のためだと言われれば、いつまでも拒むわけにはいかなかった。
「分かりました。少しずつ慣れるようにします」
「俺もそうする」
「ありがとうございます、奥様、旦那様」
ヴァルドの目元が、ほんの少しだけ和らいだ。
まずは呼び方を変えるだけでいい。
そう自分に言い聞かせながら、私はスプーンを持ち直した。
昼食を終えた私たちは、ヴァルドに案内されて玄関へ向かった。
扉が開くと、柔らかな日差しと草の匂いを含んだ風が流れ込んでくる。
外へ出た途端、目の前に広がる土地の大きさに足が止まった。
玄関から延びる道の向こうには、整然と畝を並べた農地が広がっている。
葉の形を見れば、ジャガイモや玉ねぎ、キャベツだと分かった。
見慣れた野菜が知らない土地に根を張っている光景は、不思議でありながら少し安心する。
「ヴァルド、今は春で合っていますか?」
「はい。現在は創世暦六五八年、若葉の月の十六日でございます」
「若葉の月が三月に当たるんですね」
「その認識で問題ございません。本日は火の日です」
火の日は、地球でいう月曜日らしい。
一年は三百六十五日で、一週間は七日、一日は二十四時間。
四季もあり、時間の区切り方は地球とほとんど変わらないと聞いて、胸を撫で下ろした。
暦まで大きく違っていたら、生活に慣れるだけでも苦労していただろう。
農地へ近づいたところで、ヴァルドが立ち止まり、手を数回叩いた。
少し遅れて、遠くから軽快な足音がいくつも聞こえてくる。
緑色の髪をした小さな男の子たちと、柴犬に似た大きな動物が、こちらへ向かって駆けてきた。
大きな動物は勢いを緩めることなく、私の隣にいる瑛太さんへ一直線に突っ込んでくる。
「わおぉん!」
「何だ?」
瑛太さんが身構えるより早く、大きな前脚が胸元にかかった。
そのまま押し倒され、地面に背中をつく。
「瑛太さん!」
慌てて駆け寄ろうとしたけれど、大きな尻尾が勢いよく左右へ振られているのが見えた。
襲っているのではなく、全身で喜びを表しているらしい。
「落ち着け」
瑛太さんが低い声で言っても、大きな舌は止まらない。
頬から額まで容赦なく舐められ、いつも落ち着いている瑛太さんの顔が唾液で濡れていく。
「こら。旦那様に失礼ですよ」
ヴァルドが声をかけると、大きな動物はようやく瑛太さんの上から退いた。
それでも離れる気はないらしく、すぐそばに座って尻尾を振っている。
「大丈夫?」
「問題ない。遊ばれただけだ」
瑛太さんは差し出されたハンカチで顔を拭き、何事もなかったように立ち上がった。
けれど、わずかに下がった眉を見ると、少し疲れているようにも見える。
怪我がないことに安心しつつ、私は笑いそうになるのを堪えた。
男の子たちも追いつき、瑛太さんの周りを取り囲んだ。
「すごい! こんなになついてる!」
「だんなさま、おっきいね!」
何人も同時に話し始めたため、瑛太さんは困ったように目を細めた。
「順番に話してくれ」
低く落ち着いた一言で、男の子たちの声がぴたりと止まる。
思わぬ統率力に、今度こそ小さく笑ってしまった。
「この子たちは?」
「彼らは、この箱庭の土地を管理するノームです」
畑や森の手入れをしながら、この箱庭で暮らしているというノームたちは、一家に一人だけのシルキーとは違い、これから仲間が増えることもあるという。
その中でも、中央にいる緑色の髪の子が皆をまとめているようだった。
「では、この大きな子は?」
「旦那様のテイムスキルに合わせ、エシャール様が選ばれた従魔です」
私たちの視線を受けた大きな動物が、短く鳴いた。
耳を立て、瑛太さんを見上げながら、再び尻尾を大きく振っている。
初対面とは思えないほど懐いているのも、すでに従魔として結ばれているからなのだろう。
「見た目は犬に近いですけど、何という種類なんですか?」
「月狼と呼ばれる魔物です。数が少なく、滅多に姿を見せない種でございます」
犬ではなく、狼の魔物だったらしい。
柴犬のような毛色と人懐っこい様子からは想像しにくいけれど、瑛太さんを押し倒した力を考えれば納得できる。
「まずは、この者たちに名をお与えください」
ヴァルドに促され、私は瑛太さんを見た。
従魔になるのなら、その主人が名づける方がいいのではないだろうか。
「瑛太さんがつける?」
「真由さんに頼む」
「私が決めていいの?」
「ああ」
迷いのない返事に、私は緑色の髪の子と月狼を見比べた。
二人とも期待するような目でこちらを見つめている。
すぐに決めてしまうのも申し訳なくて、それぞれの姿に似合う名前を考えた。
緑の葉を思わせる髪の男の子には、森や草木に繋がる響きが似合いそうだ。
月狼には、淡い月の光を思わせる名前が浮かんだ。
「君はリーフ、あなたはルクスという名前はどうでしょう?」
「わふっ!」
ルクスが元気よく鳴き、私の横へ歩み寄った。
気に入ってくれたらしく、尻尾が忙しなく左右へ揺れている。
「りーふ? それ、ぼくのなまえ?」
「はい。気に入ってくれましたか?」
「うん! ぼく、リーフ! よろしくね、おくさま!」
リーフはその場で跳ね、満面の笑みで小さな手を差し出した。
私が握り返すと、嬉しそうに胸を張る。
「よろしくお願いします、リーフ」
「ルクスも、いいなまえだね! いっしょにあそぼう!」
リーフがルクスの周りを走ると、ほかのノームたちも加わった。
ルクスは子供たちを追いかけるように駆け出し、明るい声と足音が農地に広がっていく。
「リーフたちは、普段どこで暮らしているんですか?」
「精霊や妖精にとって、睡眠や食事は必要なものではなく、楽しみのひとつでございます。それぞれが好む場所で過ごしております」
「リナは?」
「リナは調理場のロッキングチェアを好んでおります。リーフたちは洞窟や森で過ごすことが多いようです」
「ルクスも洞窟に?」
「はい。普段からリーフたちと遊んでおりますので、共に過ごしております。いずれ洞窟をご覧になる際は、リーフに案内を頼むとよろしいでしょう」
屋敷の中は静かで落ち着いていたけれど、外にはリーフたちの元気な声が響いている。
同じ箱庭でも、場所によってずいぶん雰囲気が違うらしい。
ヴァルドが持ってきた包みを開くと、甘い香りに気づいたノームたちが集まってきた。
ヴァルドは包みをリーフへ手渡す。
「きょうもありがとう、ヴァルドさま!」
「皆で分けて食べなさい」
「はーい!」
返事をしたリーフは、包みの中のクッキーを仲間たちへ一枚ずつ配り始めた。
受け取ったノームたちは、うれしそうに頬張っている。
食事が必要ないと聞いたばかりなのに、食べる楽しみは私たちと変わらないようだった。
幼い見た目でも、リーダーとして皆をまとめていることが伝わってくる。
ヴァルドはその様子を見届けると、私たちへ向き直った。
「それでは、次の場所へご案内いたします」
私たちは畑のそばで遊ぶリーフたちとルクスに手を振り、再びヴァルドのあとを歩き始めた。
次はどこへ案内されるのだろう。
そう考えると、足取りが少し軽くなった。
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