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歳の差夫婦が整えて、生きる食卓〜料理が未発達な異世界で、無理せず積み重ねるスローライフ〜  作者: 望月 小鳥


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7/13

お屋敷の案内と住人達



 朝食を終えた私たちは、ヴァルドさんに屋敷の案内をお願いすることになった。


 広い食堂を出ると、ヴァルドさんは片手に折り畳まれた羊皮紙を持っていた。

それを静かに広げると、淡い光が走り、屋敷の見取り図がふわりと浮かび上がる。


「それでは、午前中はお屋敷のご案内をさせていただきます」


 私は思わず身を乗り出した。


 見取り図を覗き込んだ瞬間、この屋敷が想像していたよりもずっと大きいのだと分かる。

三層構造。

すでに見た食堂や主寝室は、全体のほんの一部にすぎない。

知らない空間の方が、まだ圧倒的に多かった。


(……すごい。本当に、ここ全部が私たちの生活拠点なんだ)


 その実感がじわじわと胸の内に広がっていく。


「まずは二階よりご案内いたしましょう」


 ヴァルドさんに導かれ、私たちは食堂の奥へと進んだ。


 廊下を歩いていくと、空気に混じる匂いが少しずつ濃くなっていく。

香草。塩。焼けた粉物の香ばしさ。

それに、何か甘い匂いも混じっていた。


 すると、隣を歩いていた瑛太さんがほんの少しだけ顔を寄せる。


「……いい匂いだ」


 短い一言。

けれど、その声音に少しだけ和らいだ空気が混じっていて、私もつられて頬が緩んだ。


 ヴァルドさんが立ち止まり、ひとつの扉の前で振り返る。


「こちらが調理場、キッチンでございます」


 扉が開いた瞬間、空気が変わった。


 まず目に飛び込んできたのは、整然と並ぶ調理器具だった。

鍋も、包丁も、木べらも、磨き上げられた作業台も、どこを見ても無駄がない。

使われているはずなのに乱れがなく、生活の場でありながら、どこか神聖な空気すらある。


 そして、その中央に立っていたのは、小柄な女性だった。


 身長は私より低い。

百五十センチほどだろうか。

白い髪を三つ編みにまとめ、白のエプロンドレスを纏っている。

彼女は静かにこちらへ振り向くと、柔らかく一礼した。


「初めてお目にかかります」


 穏やかな、よく通る声だった。


「私はこの屋敷の家事と炊事を担っております」


 深く、丁寧な一礼。

その所作に乱れはなく、キッチンの空気にぴたりと馴染んでいる。


「彼女は“シルキー”と呼ばれる存在でございます。」


 ヴァルドさんが補足する。


「屋敷を守り、整え、家事全般を司る精霊の一種にございます。」


 なるほど、と私は小さく頷いた。

だからこの空間は、ここまで完璧に整っているのか。


 けれど、その説明を聞いて、別のことが気になった。


「彼女の名前は?」


 思わずそのまま口に出していた。


 白髪の女性は、驚いたようでもなく、ただ静かに答える。


「我々は個としての名前を持ち合わせていません」


 淡々とした答え。

それなのに、その言葉だけが妙に胸に引っかかった。


 名を持たない。

便利な存在としてそこにいるだけ。

そう言われたような気がして、少しだけ寂しくなる。


「名前をつけてもよろしいですか?」


 私がそう言うと、瑛太さんが横からちらりとこちらを見た。

何も言わない。

けれど、その視線には止める気配はなかった。


 シルキーの女性は、わずかに目を伏せた。


「では、お願いいたします」


 私は少しだけ考えてから、改めて彼女を見つめた。

柔らかくて、穏やかで、けれど芯がある。

この整いすぎたキッチンの空気の中で、彼女だけが不思議と温かい。


「リナ、はいかがでしょうか?」


 その瞬間だった。


 彼女の表情が、ほんのわずかに揺れた。


 大きく変わったわけではない。

けれど確かに、その名が胸の奥に落ちたような顔をした。


「……リナ」


 小さく、確かめるように繰り返す。


 その声音には、これまでなかった“揺らぎ”があった。

やがて彼女――リナは静かに頭を下げる。


「ありがとうございます、奥様。これより私は“リナ”としてお仕えいたします」


 その礼は変わらず美しかった。

けれどさっきより、少しだけ柔らかい。


「はい、よろしくお願いいたします、リナ」


 私がそう返すと、彼女はほんの少しだけ微笑んだように見えた。

その変化が嬉しくて、胸の奥がじんわり温かくなる。


 その空気を切り替えるように、ヴァルドさんが一歩前へ出る。


「では、次にご案内いたします。キッチンの隣にはパントリーがございます。食材や調味料の保管庫でして、保存状態も最適に維持されております」


 案内されて扉の奥を覗いた私は、思わず息を呑んだ。


 棚には瓶や袋が整然と並び、乾燥食材、香辛料、見たことのない木の実や粉類まできちんと分類されている。

その一方で、塩や穀物のように見覚えのあるものもあり、完全に未知の世界というわけではないのだと分かる。


(これ、かなり助かるかも)


 私は内心でそう呟いた。

ここなら、地球の料理も再現できる。

少なくとも、全部が手探りというわけではない。


 キッチンを出た時点で、私の中の“不安”は少しだけ“やれそう”に変わっていた。


 そのまま私たちは階段へ向かい、一階へ移動する。


 しっかりとした石造りの階段を下りるにつれ、空気が少しずつ変わっていく。

二階にあった生活の温かさとは別の、重く、力強い気配が混じっていた。


「こちらが一階、作業区画でございます」


 ヴァルドさんが扉を押し開けた瞬間、熱が肌を撫でた。


 思わず一歩たじろぐ。

だが、それは不快な熱ではない。

むしろ、何かを生み出す場の熱だった。


 視線の先には、大きく口を開けた炉。

その前には分厚い鉄の台が据えられ、赤く熱した金属が置かれている。

じわじわと熱を帯びながら、まだ未完成の形をしているそれは、途中だからこその美しさを持っていた。


 壁には工具が整然と並んでいる。

大きなハンマー。鋭いノミ。見たこともない形の器具。

どれも使い込まれているのに手入れが行き届いていて、ここで幾度も打たれ、削られ、鍛えられてきた歴史がにじんでいた。


 そして部屋の奥、赤々と燃える炉の前に、一人の男が立っていた。


「……誰だ」


 低く、唸るような声。


 振り返ったその姿は、小柄ながらも圧倒的な存在感を放っていた。

身長は百五十センチほど。

だが肩幅は広く、腕は太く、全身に無駄のない筋肉が詰まっている。

短く刈られた赤茶の髪に、胸元まで伸びる立派な髭。


 いかにも、職人だ。


「こちらは当屋敷の鍛冶を担うドワーフでございます」


 ヴァルドさんが紹介すると、男はじろりと私たちを見た後、鼻を鳴らした。


「ふん。まあ、好きに見てけ」


 ぶっきらぼうだ。

でも、完全な拒絶ではない。


 私は少しだけほっとしてから尋ねる。


「あの、彼も名前がないんですか?」


 すると男は面倒くさそうに眉をひそめた。


「あぁ。そんなもん必要ねぇだろ」


 短い返答。

けれど、そこでぴしゃりと会話を切るわけではない。


「呼べないと不便ですし、私が名前をつけてもよろしいですか?」


 その言葉に、男は一瞬だけ黙り込んだ。

火のはぜる音が、妙に大きく聞こえる。


「……勝手にしろ。」


 拒絶ではない。

私は少しだけ考えてから口を開いた。


「ハルグリム、はどうでしょうか?」


 その名を聞いた瞬間、男の動きが止まった。


「……妙な響きだな」


 そう言いながらも、目はどこか遠くを見るように細められている。


「だが、悪くねぇ」


 ぽつりと呟き、こちらに向き直る。


「ハルグリム、か。まあいい。呼びやすいならそれでいい」


 完全に喜んでいるわけではない。

けれど確かに、その名は彼の中に根付いた。

私はほっと胸を撫で下ろした。


 すると、その隣で瑛太さんが一歩前へ出た。

熱気の中でも落ち着いた足取りのまま、ハルグリムさんの視線の高さに合わせるように片膝をつく。


 熱気の中でも、歩幅は変わらない。

距離を詰めすぎず、引きすぎず。


「ハルグリムさん」


 低く、落ち着いた声。


「鍛冶に興味がある。スキルも取った」


 一拍。


「小さいものでいい。作れるようになりたい」


 余計な言葉はない。


「何から始めればいい」


 ハルグリムさんは訝しげに髭へ手をやり、瑛太さんをじっと見つめた。


「……面は悪くねぇ」


 ふん、と鼻を鳴らす。


「だが俺は、箱庭の管理やら何やらで忙しい。

ズブの素人に一から十まで付きっきりで教えるほど暇じゃねぇ。」


 そこで言葉を切ると、視線がヴァルドさんへ向く。


「鉱石がどうだの、何が何で出来てるだの、本読めば分かるだろ。なんだ、まだ図書室も見せてねぇのか」


 その声に、ヴァルドさんがすっと一歩前へ出る。


「先にあなたとリナの顔合わせを優先いたしましたので、まだご案内していなかったのです」


「あぁ?リナって誰だ?」


「シルキーでございます。奥様よりお名前を頂戴いたしました」


「ああ、あの子か」


 合点がいったように、ハルグリムさんは小さく頷く。

そして近くの紙を引き寄せると、慣れた手つきでいくつかの書名をさらさらと書きつけた。


「図書室に連れてくなら、これ読ませてやれ」


 ヴァルドさんが紙を受け取る。


「本読んで分からねぇことがあれば聞きに来い」


 ぶっきらぼうなまま、けれど最後にこう付け足した。


「その頃には、相談相手くらいにはなってる」


 それだけ言うと、彼はもう会話は終わりだと言わんばかりに作業へ戻っていった。

でも、その背中は不思議と冷たく見えなかった。


 鍛冶場を出ると、一階は二階や三階とは違って石造りなのだと改めて気づく。

熱を扱う場所だからこその造りなのだろう。


「図書室は鍛冶場の反対側にございます。道中、他のお部屋も併せてご案内いたしますので、こちらへどうぞ」


 ヴァルドさんに促され、私たちは作業区画へ足を向ける。


「階段を下りて右手を旦那様の作業場、左手に奥様の作業場をご用意しております。作業室と書斎のレイアウトは同一でございますので、ご不便やご要望などございましたら、どうぞお申し付けくださいませ」


 瑛太さん用の作業室は、しっかりとした木材で組まれたワークベンチが中央に据えられ、壁には見慣れない工具が掛けられていた。

 使い方は分からない。

でも、これから少しずつ覚えていくための空間なのだと思うと、それだけで未来がある気がした。


「いい空間だな」


 耳元で瑛太さんが小さく囁く。


 見慣れない顔が近くに来るたび、いまだに心臓がうるさい。

 でも、それを差し引いても、自分だけの作業部屋があるのはかなり助かる。


 続いて案内された私の書斎と作業室も、静かで落ち着いた空間だった。

 そして最後に、ヴァルドさんは少しだけ声音を改める。


「書斎と作業室は問題ないかと存じますが……」


 そう前置きして、ひとつの扉を開けた。


「こちらが錬金、調合の部屋にございます」


 その瞬間、胸の奥がわずかに高鳴った。


 石造りのアーチ天井。


 天井から吊るされた水色のクリスタルがあしらわれたランタンは、やわらかな光を灯し、窓のない部屋を明るく照らしている。


 壁一面に並ぶ重厚な棚。


 そこには細長いフラスコ、丸みを帯びた瓶、複雑に曲がる管――さまざまなガラス器具が整然と置かれ、作業に必要なのであろう本も備え付けられている。


 どれも使われた形跡はなく、きちんと揃えられたままの状態だった。


 部屋の奥には、大きな作業台。


 精巧な彫刻が施されたその台は、ただの机というにはあまりに存在感がある。

それでいて、まだ誰の手にも触れられていないことが分かる、静かな佇まいだった。


 背後の棚には、左右に薬箪笥があつらえられている。

中央には緑色のガラスがはめ込まれており、その奥で淡い光が揺れている。


「誠に恐縮ではございますが、当箱庭には錬金に関する知識を有する者がおりません。

そのため、本にて基礎知識をご習得いただいた後、実践へお進みいただくのがよろしいかと存じます。」


 そんな説明は、半分も頭に入っていなかった。


「……すごい」


 何ができるのかは、まだ分からない。

それでも、わくわくする。


 この部屋なら、きっと失敗さえ楽しい。

そんな感覚が、胸の内に静かに広がっていった。


「それでは最後に、図書室へご案内申し上げます」


 錬金部屋の向かいにある扉が開く。

その瞬間、空気が変わった。


 そこに満ちていたのは、紙と木とインクの香り。

視界いっぱいに広がるのは、天井まで届く巨大な書架だった。


 ぎっしりと並ぶ書物の背表紙。

色あせたものも、新しいものもある。

この場所が長い年月をかけて知識を蓄えてきたことが、一目で分かった。


 高く伸びたアーチ状の窓からは、淡く緑がかったやわらかな光が差し込んでいる。

外に広がる木々の影が、床の上で静かに揺れていた。


(……神秘的)


 中央にはゆったりとしたソファと低いテーブルが置かれ、ランタンがやわらかな灯りを落としている。

強すぎず、読書にちょうどいい明るさ。

長くいても疲れないよう、全部が計算されているみたいだった。


「すごい量だな」


 ぽつりと零れた瑛太さんの言葉に、ヴァルドさんが静かに応じる。


「世界に目を向けましても、こちらに匹敵するほどの蔵書を誇る場所は多くはございません。

各国の王立図書館、あるいは由緒ある学園の図書館など、ごく限られた施設に限られます」


 その声音には、静かな誇りが滲んでいた。


 私はふと、自分のスキル“自動書庫”のことを思い出す。

一度目を通した本なら、手元になくても好きなときに呼び出して読める。

前世で言うなら電子書籍みたいな能力だ。


 便利だ。

すごく便利だ。


 けれど、本には本でしか味わえない良さがある。

紙の手触り。

頁をめくる音。

インクの匂い。

そういうもの全部込みで、知識は身体に残る。


 前世でも、本当に気に入った本は紙で揃えていた。


 だからこそ思う。

ここにある本を読むだけじゃなく、この書庫にない本を探しに行くのも、きっと悪くない。


 そんな楽しみ方も、この世界ならではの冒険になるのだろう。


「そういえば、これだけ広いのに、司書の方が一人くらいいてもおかしくないと思うんですけど……どなたもいらっしゃらないんですね」


 私がそう言うと、ヴァルドさんは静かに答えた。


「左様にございます。こちらの蔵書は、基本的に私が管理を務めております。」


 (さらっと言ったけれど、有能すぎない?)


「お読みになりたい書物がございましたら、どうぞご遠慮なくお申し付けくださいませ。

また、先ほどハルグリムよりお預かりいたしました鍛冶に関する書物でございますが、明日お読みいただけますよう書斎へご用意いたしましょうか。」


 瑛太さんが小さく頷く。


「……助かる」


 必要なことだけ言う。

でも、その短さが妙にしっくりくる。


 図書室を出たあと、私たちは三階へと案内された。


 三階は、これまでの階とは少し違う静けさに包まれていた。

廊下には余計な装飾が少なく、どこか落ち着いた空気が漂っている。

窓から差し込む光もやわらかく、時間の流れまでゆっくりになったようだった。


「こちらと隣のお部屋は客間にございます。

長期の滞在にも対応できますよう、簡素ながら快適に整えております。」


 続いて、小さなサロンのような部屋も案内される。

数脚の椅子と丸いテーブル。

壁際には控えめだが美しい装飾。


「ご歓談や休息にお使いいただけます」


 ここなら、ゆっくりお茶を飲みながら話ができそうだ。

そんなことを考えていると、視線の先に外へ続く扉が見えた。


 近づいて開けると、小さなテラスが広がっていた。

屋敷の庭、その先の景色が一望できる。

風が心地よく頬を撫で、遠くから鳥の声が聞こえてくる。


「昼食後はこちらの外へご案内いたします。敷地内には庭園のほか、訓練場や薬草園、畑もございますので」


 その言葉に、胸の奥が少しだけ高鳴った。

まだ知らない場所が、こんなにもある。


 私は瑛太さんのほうをちらりと見て、小さく笑う。

瑛太さんも、静かに窓の外を見ていた。

その横顔は相変わらず落ち着いていて、でもほんの少しだけ、楽しそうにも見えた。


 きっと退屈はしない。

そう思えるだけで、不安よりも期待のほうがずっと大きくなっていた。


 そして同時に、もうひとつの思いが胸に芽生えていた。


 この屋敷は、ただ広いだけじゃない。

暮らすための場所。

学ぶための場所。

作るための場所。

生きるための場所だ。


 ここで始まる生活は、きっとちゃんと私たちのものになる。

そう思ったとき、箱庭の向こうに広がるまだ見ぬ景色が、急に近く感じられた。

もし少しでも楽しんでいただけたら、

続きも読んでいただけると嬉しいです。


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― 新着の感想 ―
Xで拝見して来ました、面白くて最新話まで一気に読みました。 いいですねこういう夫婦感、食文化を広めるという目標も素敵!
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