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歳の差夫婦が整えて、生きる食卓〜料理が未発達な異世界で、無理せず積み重ねるスローライフ〜  作者: 望月 小鳥


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基礎を積む日——走りと魔力操作



 私たちは今、ガイルの家の一階にいる。

私と瑛太さんの運動着が用意されていると言われ、更衣はこの一階を自由に使っていいと許可された。


 訓練場の端に建つその家は二階建てで、一階には水回りと更衣室が整えられている。石と木材を組み合わせた簡素な造りだが、床はよく磨かれ、道具類も整然と並べられていた。使い込まれているのに雑さがなく、管理が行き届いているのがよく分かる。


 二階にはガイルの寝室と簡単なキッチン、それにリビングがあるらしい。だが階段へ続く扉にはしっかりと鍵が掛けられていた。訓練に関係のない場所へは立ち入らせないという意思表示なのだろう。


 生活と訓練の線引きが明確で、無駄がない。いかにもガイルらしい合理的なやり方だと思う。


 そんな説明を受けた直後、私たちはそのまま訓練に放り込まれた。まずは基礎体力の確認、ランニングだ。


「軽く体を動かすって言ってたよね……一時間も走るの?それ、軽くじゃないよね」


 口に出してみるが、不安の方が大きい。


 私は昔から走るのが苦手だった。少し走るだけですぐ息が上がり、脇腹が痛くなる。呼吸が乱れて、余計に苦しくなる。


 だからこそ、この「一時間」という言葉の重さがよく分かる。


「どうだろうな。若返ってる分、多少は楽かもしれんが、手足の長さが変わってる分、感覚はズレるだろうな」


 瑛太さんはいつも通り落ち着いた声で言う。


「それ、どっちに転ぶか分からないってことだよね」


「ああ」


 短い返事に、思わず苦笑が漏れる。

楽になる可能性もあれば、逆にやりづらくなる可能性もある。結局はやってみるしかない。

用意されていた運動着に袖を通す。


「これ、思ってたよりちゃんとしてるね」


 腕を軽く振る。上半身はコンパクトにまとまっていて、余計な布がない分、動きが引っかからない。

胸元と腹部は適度に固定されているのに、呼吸は苦しくない。


 軽く屈伸する。膝、足首、股関節。どこも引っかかりがなく、滑らかに動く。


「見た目重視かと思ったけど、ちゃんと運動用になってる」


 一歩踏み出す。脚の動きもスムーズで、可動域を邪魔しない。


 足元に意識を向ける。ニーハイとブーツ。


「あ、これいいかも」


 つま先で床を軽く蹴る。ブーツは見た目より軽く、底がしっかりしている。踏み込みが安定している。


「ちゃんと踏ん張れるし、滑らない」


 ニーハイも脚にしっかりフィットしていて、動いてもズレない。余計な擦れもない。

小さく跳ねてみる。全体が自然に連動している。

だが、違和感が残る。

脚の長さ、体の重心、踏み込みの感覚。今までの体の使い方と、微妙に噛み合わない。

隣を見る。


 瑛太さんは黒のタンクトップにパンツという、無駄を削ぎ落とした格好で、静かに肩を回していた。動きは一つひとつ確認するように丁寧で、それでいて迷いがない。


「……そっちは、だいぶ軽装だね」


「動ければいい」


 短い返答。


「その格好、完全に実戦仕様だよね」


「訓練だ」


「まあ、そうなんだけどさ」


 もう一度、自分の体を動かす。踏み込み、重心移動、腕の振り。


「どう?」


「動きは問題ない。ただ、感覚はズレてる」


「やっぱり」


 少しだけ息を吐く。


「無理するな」


 瑛太さんが短く言う。


「最初から飛ばすと潰れる」


「分かってる」


 そう返して、もう一度踏み込む。ブーツが床をしっかり捉える。ニーハイもズレない。

上半身も安定している。

違和感はある。でも、動けないほどじゃない。

外へ出ると、ガイルが腕を組んで待っていた。


「準備できたか」


「あぁ」


「じゃあ軽く一時間。ペースは自分で考えろ。倒れるなよ」


(軽くの基準が絶対おかしい。)


 内心でツッコミを入れながら、私は走り出した。


 最初の数歩は軽かった。

地面を蹴る感触がしっかりと足裏に伝わり、前へ押し出される。


(あ、これ――)


 いけるかもしれない、と思ったのも束の間。


 すぐに呼吸が荒くなる。

胸が上下し、空気を求めるように喉が開く。


「はっ……は……」


 一定のリズムを意識するが、まだ安定しない。


 ふと前を見ると、瑛太さんは少し先を走っていた。

一定の速度を保ち、無理にこちらに合わせることもない。


 けれど、離れすぎることもない絶妙な距離。


(あの距離、ほんと上手いよね)


 追いつこうと思えば追える。

でも無理にそうしなくてもいい距離。


 自分のペースを守れと言われている気がして、少しだけ気持ちが落ち着く。


 その時、横に影が並んだ。


「足音がバラバラだな」


 ガイルだった。


「踏み込みが一定じゃねえ。無駄に疲れてる」


 言われて意識すると、確かにリズムが乱れている。


「速さじゃねえ。間隔を揃えろ」


「間隔」


「トン、トンって刻め」


 言われた通りに足を運ぶ。

呼吸に合わせて、一定のリズムを作る。


 トン、トン。


 次第に動きが安定していく。


「あ、少し楽ですね」


「だろ」


 短く頷く。


「腕も振れ。前後だ」


 自分の動きを見直す。

腕が横に逃げていたのを修正し、前後に振る。


「違いますね」


「無駄が減れば、その分持つ」


 シンプルだが、確実な変化だった。


 呼吸はまだ苦しい。

それでも、さっきよりは走れている。


 前を見る。

瑛太の背中が変わらずそこにある。


(あの人はあの人で、ちゃんとやってる)


 そう思うと、不思議と焦りが消えた。

自分のリズムでいい。

そう思えるだけで、少しだけ楽になる。


 時間が経つにつれ、足は重くなっていく。

呼吸も荒くなり、体が悲鳴を上げ始める。


 それでも止まらない。


 そして――


「時間だ」


 ガイルの声で足を止めた瞬間、全身の力が抜けた。


「はぁ……きつ……」


 膝に手をつき、呼吸を整える。

肺が熱く、喉が乾いている。


 それでも倒れはしない。


(ちゃんと、走り切った)


 その実感だけで、少しだけ満たされる。


 少しして、瑛太が戻ってきた。


「どうだった」


「きつい。でも、思ったより走れたよ」


「そうか」


「瑛太さんは?」


「きついな。ただ、動けないほどじゃない」


 相変わらずの落ち着いた顔。


「その顔で言われても信用できない」


「抑えてるだけだ」


 淡々とした口調。


「違和感あった?」


「ある。足の出方と重心がズレる」


「やっぱり」


「慣れが必要だな」


 そこへガイルが口を挟む。


「最初はそんなもんだ。前の感覚に引っ張られるな」


「わかりました」


「今の体に合わせろ。慣れりゃ自然に動ける」


 短く、しかし核心を突いた言葉だった。


 歩き出すと、疲労がじわじわと足にくる。


「明日、筋肉痛やばそう」


「なるだろうな」


「絶対ひどいやつだよこれ」


 そう言った瞬間、ガイルが足を止めた。


「いいか、一つだけ言っとく」


「……どうかされましたか?」


「筋肉痛来ても、ヒールで治すな」


「え。」


 思わず間の抜けた声が出る。


「治せるなら、治したくなりますけど」


「それやると、体が育たねえ」


 はっきりと言い切る。


「負荷かけて壊して、回復して強くなる。その流れ、潰すな」


「ああ……なるほど」


「回復魔法は便利だが、使いどころは間違えるな」


「分かりました。気をつけます」


「無理に我慢する必要はねえが、限度は見ろ」


 現実的で、納得のいく言葉だった。


 その後、私たちはその場でストレッチを行う。

張った筋肉をゆっくり伸ばしながら、体を整えていく。


 更衣室に戻ると、タオルと着替えがすでに準備されていた。


「これ、ヴァルドだよね」


「だろうな」


 無駄のない配置に、思わず納得する。


 シャワーを浴びると、温かい水が体を包み、疲労がゆっくり抜けていく。


「生き返る」


 自然と声が漏れた。


 出ると、ヴァルドが待っている。


「お疲れ様でございます」


「ありがとう」


「失礼いたします」


 風が髪を撫でる。

生活魔法ドライで、一瞬で乾いていく。


 身支度を整え、外へ出る。


 ひんやりとした空気が心地いい。


「この後は礼拝堂でございます」


 その言葉に頷きながら、私たちは屋敷へと歩き出した。


 疲れはある。

けれど、それ以上に――


 確かに前に進んでいるという感覚が、胸の中に残っていた。


 ヴァルドに先導され、私たちは屋敷へと戻った。

玄関を抜け、広い廊下を進むと、その途中で彼は静かに足を止める。


「こちらが礼拝堂でございます」


 示された先にあったのは、重厚な木製の扉だった。

装飾は控えめだが、丁寧に磨かれており、長く大切に扱われてきたことが伝わってくる。


 扉が静かに開かれる。

一歩足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。

高い天井と、広く開けた空間。

そして正面には、柔らかな光を通すステンドグラスがはめ込まれている。

色とりどりの光が差し込み、床に複雑で美しい模様を描いていた。

赤、青、緑の光が混ざり合い、まるで絵画の中に入り込んだような感覚になる。


「……綺麗」


 思わず声が漏れる。

だが、内部の構造は意外なほど簡素だった。

椅子は一つもなく、あるのは奥に据えられた祭壇と、広く何もない床だけ。


「椅子とかはないんですね」


「はい」


 ヴァルドは静かに頷く。


「こちらは祈りと瞑想の場でございます。座すも、跪くも、あるいは立したままでも、ご自身の在り方で祈りを捧げていただけます」


 整えられすぎていない空間だからこそ、自分の意識がそのまま反映される。

そんな場所なのだろう。


「ここでは、エシャール様に祈りを捧げることができます」


 その名を聞いて、自然と背筋が伸びる。


「なお、こちらでの祈りは形式的なものに留まりません。必要と認められた場合、地球由来の物資の補充が行われます」


「え、それって……」


「はい。食材や生活用品など、不足分を補うことが可能でございます」


「便利すぎない……?」


 思わず本音が漏れる。

 隣で瑛太が小さく息を吐いた。


「条件はあるんだろう」


「ございます」


 ヴァルドは即答する。


「あくまで生活の補助としてお考えください」


「なるほど……」


 無限に何でも手に入るわけではない、ということだ。

 ひと通りの説明が終わったところで、ヴァルドは話題を切り替えた。


「続いて、スキルについてご説明いたします」


 自然と意識がそちらに向く。


「この世界におけるスキルの発動には、魔力が必要不可欠でございます」


「魔力……」


 言葉としては知っているが、実感はない。


「これまでお旦那様と奥様は、魔力を意識せずに生活されておりました」


「そういえば、そうだね」


「そのため、まずは魔力操作から習得していただきます」


「魔力操作って、具体的には?」


「魔力を全身に満遍なく、かつ滞りなく流す技術でございます」


 言葉は分かる。

だが、感覚がまるで分からない。

そこで、ガイルが一歩前に出た。


「言葉で説明しても分からねえだろ」


「そうだな……」


「まずは感じろ」


 そう言って、瑛太の肩に手を置く。

次の瞬間、空気がわずかに揺れたような感覚があった。

瑛太の表情が、ほんのわずかだけ変わる。


「どうだ?」


「分かる。何かが巡ってる感覚がある」


 落ち着いた声だが、確かに変化を捉えている。

続いて、ガイルの視線がこちらに向く。


「次は奥様だ」


「はい……」


 少し身構えながらも、じっとする。

肩に触れられた瞬間、体の内側に違和感が走った。


「うわ……これ、なんですか?」


 温かいような、冷たいような。

何かが血管とは別の流れで体を巡っていく。

ぞわぞわとした感覚が全身に広がる。


「気持ち悪いです……」


「最初はそんなもんだ」


 ガイルは淡々と言う。


「すぐ慣れる」


「本当に、慣れますか?」


「慣れなきゃ話にならねえ」


 容赦がない。

 しばらくすると、その感覚も少しずつ落ち着いてくる。


「さっきよりは、少しマシかもしれません」


「それでいい」


 ガイルは腕を組み直す。


「マラソンは週三でいい」


「助かります」


「だが、魔力操作は毎日やれ」


「え、毎日ですか?」


「当たり前だ」


 即答だった。


「これは基礎だ。できねえと何も始まらねえ」


「……分かりました」


 反論の余地はない。

ヴァルドが続ける。


「魔力操作に慣れましたら、次は応用へと移ります」


「応用、ですか?」


「例えば、どのようなものですか?」


「目に魔力を集める、ということですか?」


「はい」


 ヴァルドは静かに頷く。


「それにより、鑑定スキルの発動が可能となります」


「鑑定……」


 ゲームのような単語に、少しだけ緊張する。


「まずはご自身でお試しください」


 言われて、意識を集中させる。

さっき感じた魔力を、目へと集める。


(……難しい)


 うまく流れない。

だが、意識し続けると、少しずつ感覚が掴めてくる。


 ふと視界が変わった。


「……あ」


 自分の情報が、ぼんやりと浮かび上がる。


「できました……!」


「俺もだ」


 瑛太も同じように、自分を確認している。


「慣れれば精度も上がる」


 ガイルが言う。


「ただし、人に使う時は気をつけろ」


「え?」


「許可なく鑑定するな」


 声音が少しだけ低くなる。


「無用なトラブルの元だ」


「……確かに」


 簡単に見られるということは、見られたくないものもあるということだ。


「だが、物にはどんどん使え」


「物、ですか?」


「武器でも、食材でも、何でもいい」


「スキルは使ってナンボだ」


 その言葉に、思わず頷く。

ただ覚えるだけでは意味がない。

使って、慣れて、精度を上げていく。

それが、この世界で生きていくためのやり方なのだろう。


 ステンドグラスから差し込む光が、静かに床を照らしている。

その中に立ちながら、私はゆっくりと息を吐いた。

やることは多い。

覚えることも、慣れることも山ほどある。

でも――

それでも、少しだけ楽しみだと思っている自分がいた。

もし少しでも楽しんでいただけたら、

続きも読んでいただけると嬉しいです。


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