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歳の差夫婦が整えて、生きる食卓〜〜料理とものづくりで紡ぐ、異世界スローライフ〜  作者: 望月 小鳥
転生編

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基礎を積む日——走りと魔力操作



 ガイルに手招きされ、私たちは訓練場の端に建つ二階建ての家へ向かった。

一階には水回りと男女別の更衣室があり、訓練に必要な場所は自由に使ってよいという。


 石と木材を組み合わせた建物は簡素だが、床はきれいに磨かれていた。

壁際の棚には道具が整然と並び、どれもすぐ手に取れるよう向きまでそろえてある。

使い込まれていても雑な印象はなく、ガイルが日頃から手入れしていることが伝わってきた。


「二階は俺の部屋だ。用がないなら上がるなよ」


 階段へ続く扉には、しっかりと鍵がかけられている。

生活する場所と訓練に使う場所を分ける、ガイルらしい線引きなのだろう。


 更衣室の棚には、私の体に合わせた運動着とブーツが用意されていた。

運動着は余分な布が少なく、体へ程よく密着する作りになっている。

胸元と腹部は安定しているのに締めつけられる感覚はなく、腕を大きく回しても肩が引っかからない。


 軽く屈伸すると、膝や足首も滑らかに動いた。

ニーハイは脚へしっかり沿い、動いてもずれそうにない。

ブーツも見た目より軽く、靴底が床を捉えてくれる。


 服や靴に問題はなさそうだが、自分の体にはまだ慣れていなかった。

転生前より長くなった手足と、高くなった重心が、以前の感覚とうまく噛み合わない。

一歩踏み出すだけなら気にならなくても、速く動けば小さなずれが大きくなりそうだ。


「瑛太さん、本当に一時間も走れるかな」


「若返った分、体力はあるだろう。ただ、この体で走るのは初めてだからな」


「結局、やってみないと分からないってことだよね」


「無理はするな」


 隣の更衣室から聞こえる落ち着いた声に、肩の力が少し抜けた。

最初から速く走る必要はない。

今の体がどのように動くのか確かめることが、今日の目的なのだろう。


 外へ出ると、瑛太さんは黒いタンクトップとパンツに着替えていた。

軽く肩を回し、足首の動きを確かめている。


「ずいぶん軽装だね」


「動ければいい」


「瑛太さんらしいけど」


 変わらない返事に、思わず笑みがこぼれる。

私も足を前後に開いて重心を移し、ブーツの感触を確かめた。


 準備を終えた私たちを見て、ガイルが訓練場の外周を指す。


「まずは一時間だ。速さは自分で決めろ。途中で止まるなよ」


「一時間は、軽く体を動かす長さではないと思います」


「走り切れない速さで飛ばすなって意味だ。倒れない程度に走れ」


 時間を短くするつもりはないらしい。

瑛太さんと並んで走り始めると、最初の数歩は驚くほど軽かった。


 地面を蹴った力が素直に前へ伝わり、以前よりも体がよく進む。

脚もまだ重くなく、この調子なら一時間走れるかもしれない。


 そう思った直後、足を着く位置がわずかにずれた。

歩幅を直そうとするほど腕の振りまで乱れ、上体が左右に揺れる。

呼吸の間隔も合わなくなり、早くも胸が苦しくなってきた。


 少し先には、一定の速度で走る瑛太さんの背中がある。

私に合わせて遅くはならないが、離れすぎることもない。

無理に追いつかなくても姿を見失わない距離が、焦りかけた気持ちを落ち着かせてくれた。


「足音がばらばらだ」


 横から声が聞こえ、顔を向ける。

いつの間にか並走していたガイルは、私の足元を見ても呼吸一つ乱していない。


「踏み込む間隔を揃えろ。速さは後でいい」


「間隔を揃えるんですね」


「右、左って同じ調子で刻め。腕は横じゃなく前後だ」


 言われたとおり、足音へ意識を向ける。

右、左と同じ間隔で地面を蹴り、横へ逃げていた腕を前後に振った。


 すぐに息苦しさが消えるわけではない。

それでも上体の揺れが減り、足を前へ出しやすくなっていく。


「さっきより走りやすいです」


「無駄な動きが減った分、長く持つ。肩にも力を入れるなよ」


 ガイルは私の走りをしばらく確認すると、速度を上げて瑛太さんへ追いついた。

前を走る瑛太さんにも短く指示を出し、足の運びや姿勢を見ている。

ただ走らせるのではなく、私たちの癖を一人ずつ直してくれていた。


 時間が経つにつれて、軽かった脚が少しずつ重くなる。

乾いた空気を吸い込むたびに喉が痛み、肺の奥まで熱を持っているようだった。

それでも、教えられた足音の間隔だけは崩さないよう走り続ける。


 苦しくなると、つい瑛太さんの背中ばかり追いかけそうになる。

けれど、あの人はあの人の速さで走っている。

私も自分の呼吸と足音へ意識を戻し、一歩ずつ前へ進んだ。


「時間だ。急に止まらず歩け」


 ガイルの声が届き、少しずつ歩調を緩める。

膝へ手をつきたくなるのを堪え、歩きながら浅くなった呼吸を整えた。

額から落ちた汗が顎を伝い、乾いた地面へ染み込んでいく。


「きつい……」


 それでも、一時間を走り切れた。

転生前の私なら途中で歩いていたはずなのに、今は自分の足で最後まで進めたことがうれしい。


 少し先で呼吸を整えていた瑛太さんが、私のそばへ戻ってきた。


「大丈夫か?」


「きついけど、思ったより走れたよ。瑛太さんは?」


「俺もきつい。ただ、まだ動ける」


「その顔で言われても、きつそうに見えない」


「抑えてるだけだ」


 表情は普段とほとんど変わらないが、額には汗が浮かび、呼吸もいつもより深い。

瑛太さんも足の出方と重心にずれを感じたらしく、今の体に慣れる必要があると話す。


「最初はそんなもんだ。前の体の感覚に引っ張られるな」


 ガイルは私たちの立ち方を見ながら、張った筋肉を伸ばすよう指示した。

今の体に合った動きを覚えれば、余分な力を使わずに済むという。


「明日は、ひどい筋肉痛になりそう」


「いいか。筋肉痛になってもヒールで治すなよ」


 ガイルの声が低くなり、伸ばしていた脚を止めそうになった。


「治せるなら、使いたくなりますけど」


「負荷をかけた筋肉が回復するまでが訓練だ。そこを魔法で治したら、体が育たねえ」


 回復魔法は便利だが、鍛えるために必要な変化まで消してはいけないらしい。

痛み方がおかしい場合は我慢せずに伝えるよう念を押され、私は筋肉痛には使わないと約束した。


 ゆっくりと体をほぐしてから更衣室へ戻ると、棚には清潔なタオルと着替えが置かれていた。

端までそろえられた置き方を見れば、誰が準備してくれたのかはすぐ分かる。


「ヴァルドだね」


「だろうな」


 温かいシャワーを浴びると、汗と一緒に全身の強張りが流れていく。

水気を拭き取って外へ出ると、待っていたヴァルドが一礼した。


「お疲れさまでございます」


「ありがとうございます、ヴァルド」


 ヴァルドが手をかざすと、柔らかな風が髪を撫でた。

生活魔法のドライによって、長い髪に残っていた水気が一瞬で消える。

その便利さに感心しながら身支度を整え、私たちは屋敷へ戻った。


「続いて、礼拝堂をご案内いたします」


 広い廊下の先にある重厚な木の扉を、ヴァルドが静かに開く。

中へ足を踏み入れた途端、空気まで澄んだように感じられた。


 礼拝堂は高い天井を持つ、広く静かな空間だった。

正面の祭壇の背後にはステンドグラスがはめ込まれ、赤や青、緑の光が床へ複雑な模様を描いている。

壁や扉の装飾は控えめで、椅子も一脚として置かれていない。


「椅子はないんですね」


「こちらは祈りと瞑想の場でございます。座る、跪く、立ったまま祈るなど、ご自身に合った方法でお過ごしください」


 決まった形を求められないのなら、祈りに慣れていない私たちでも身構えずに済みそうだ。

祭壇へ祈りを捧げることで、必要に応じて地球由来の食材や生活用品も補充されるという。

ただし、あくまで生活を支えるための補助であり、望んだ物が際限なく与えられるわけではない。


「ここでは、スキルを使うために必要な魔力操作もお伝えいたします」


 ヴァルドの説明を引き継ぎ、ガイルが私たちの前へ出た。


「言葉だけじゃ分かりにくい。まずは体に流れる魔力を覚えろ」


 ガイルは瑛太さんの肩へ手を置いた。

一瞬だけ周囲の空気が揺れたように感じ、瑛太さんの視線が自分の胸元へ落ちる。


「どうだ?」


「何かが体の中を巡ってる」


「それが魔力だ。次は奥様だな」


 差し出された手を見てから、私は一度うなずいた。

肩へ触れられた直後、温かいとも冷たいとも言えない感覚が全身へ広がっていく。

血液とは違う何かが体の内側を巡り、皮膚の下を細かな泡が移動しているようで落ち着かない。


「少し気持ち悪いです」


「最初はそんなもんだ。流れを追え」


 肩から腕へ、胸から腹へと移っていく感覚に意識を向ける。

初めは輪郭のない違和感でしかなかったものが、集中するうちに一本の流れとして捉えられるようになってきた。

どこを通っているのか分かると、不快感も少しずつ遠のいていく。


「さっきよりは、慣れてきました」


「その感覚を忘れるな。走るのは週に三日でいいが、魔力操作は毎日やれ」


「毎日ですか?」


「基礎だからな。できなきゃ何も始まらねえ」


 走ることに加えて日課が増えたが、スキルを使うには避けて通れない。

ヴァルドによれば、魔力を全身へ滞りなく巡らせられるようになったあとは、必要な場所へ集める練習へ移るという。


「たとえば目へ魔力を集めれば、鑑定をお使いいただけます。まずはご自身を対象にお試しください」


 先ほど感じた流れを思い出し、目元へ集める様子を頭に描く。

魔力は思ったように動かず、途中で散って全身へ戻ってしまった。


 焦るほど流れを見失う。

一度呼吸を整え、肩から全身へ巡る感覚を確かめ直した。

そこから少しずつ行き先を変えるように意識すると、細い流れが目元へ集まってくる。


 何度目かの試みで視界がわずかに揺れ、何もなかった空間に薄い文字が浮かんだ。


「見えました」


「俺もだ」


 隣では瑛太さんも、目の前の文字を追うように視線を動かしている。

初めて自分の意思でスキルを使えたことがうれしく、思わず顔を見合わせた。


「慣れれば精度も上がる。ただし、人には勝手に使うな」


 ガイルの声音が低くなり、浮かれかけた気持ちが引き締まる。

許可のない鑑定は揉め事のもとになり、相手にも見られたくない情報があるという。


「分かりました。気をつけます」


「物なら好きなだけ調べろ。武器でも食材でも、気になった物に使えばいい」


 使わなければ、いつまでたっても力を扱えるようにはならない。

覚えるだけで終わらせず、日々の暮らしの中で試し、少しずつ精度を上げていくことが大切なのだろう。


 走り方も、今の体の扱いも、魔力の動かし方も、今日は入り口へ立ったにすぎない。

それでも、一時間を走り切り、魔力を感じ、鑑定を使うところまで進めた。


 ステンドグラスの光の中で、自分の手を見つめる。

覚えることの多さに不安はある。

けれど、昨日までできなかったことが一つずつ増えていくのは、少しだけ楽しかった。

もし少しでも楽しんでいただけたら、

続きも読んでいただけると嬉しいです。


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