異世界の台所は、思ったより手間がかかる
ヴァルドとガイルに手伝ってもらい、夕方になるまで魔力操作の修行を行った。
若干の気持ち悪さを残しつつも、なんとか鑑定は使えるようになったが、これが結構目にくる。
運動後に汗を流したはずなのに、今度はじわりと違う種類の汗が滲んでくる。
この感覚が地味にきつい。
魔力操作の修行を終えた後、ヴァルドに頼んでクリーンをかけてもらい、ようやくさっぱりする。
「クリーンは便利ですよね。私も早く使えるようになりたいです」
「生活魔法は比較的習得が容易でございます。日々コツコツと積み上げていただくことが肝要かと」
隣でガイルが、うんうんと頷きながら同意している。
それを見て、少しだけ不安になる。
マラソンも魔力操作も、決して楽ではなかったからだ。
私が怪訝そうに見ているのに気づいたのか、瑛太さんが話題を変える。
「明日、何か訓練はあるか?」
んーっと、ガイルが考え込むと、ヴァルドがすっと一歩前に歩み出て、「恐れながら」と口を開いた。
「奥様がお料理をされるとエシャール様より伺っておりますが、頻度はどの程度をお考えでしょうか。リナもおりますので、ある程度は任せていただき、まずはこちらでの生活に慣れていただければと考えております」
訓練の話から急に料理の頻度の話に変わり、少し戸惑う。
だが、確かにそれも考えなければならない。
朝から朝食の準備となると、それなりに早く起きて支度をする必要がある。
慣れないキッチンなら、なおさらだ。
そう考えると、朝食と昼食はリナとヴァルドに任せて、夕食は自分で調理するのがよさそうだ。
これなら朝と昼に余裕を持った時間配分ができるはずだ。
「夕食は私が作りたいと思っています。もちろん慣れないキッチンですので、リナには手伝ってもらいながらになると思いますが、今夜からでも大丈夫でしょうか?」
ヴァルドはポケットから懐中時計を取り出し、時刻を確認すると、こくりと頷いた。
「では今夜から、奥様の調理のサポートに入るようリナに伝えておきます。その他、準備するものなどございましたらお申し付けください」
私は話をしながら、ふと疑問に思ったことを口にする。
「普段、リナは何人分の料理を用意しているのでしょうか?一緒に食卓を囲むのは、朝と昼で難しいのは分かっているのですが、皆さんにも味わってほしいと思いまして」
「そうでございますね。基本的には奥様と旦那様、お二人分を用意させていただいております」
ヴァルドの話によると、使用人たちは仕事を終えた後、それぞれで集まって食事を取るらしい。
その際は、私のレシピをもとにリナが再現して調理し、ガイルやハルグリム、ヴァルドたちが食べるとのことだった。
また、リナやリーフたち妖精種は、基本的に好きなものしか食べないらしい。
リーフたちはクッキーを好み、リナは食べたければ自分で作る、というスタンスのようだ。
「なるほど。では、とりあえず今夜から作ります。キッチンに薬草の図鑑を持ってきていただけますか?パントリーにあったものも確認してみたいので」
「かしこまりました。この後すぐにお持ちいたします」
そう答えて、ヴァルドは再び一歩下がる。
「よし、朝の過ごし方が決まったなら、早朝に軽く体を動かしてもらうぞ!」
ガイルの一言で、私たちの明日からの簡単な時間割が決まった。
六時:起床
六時半:一時間のランニング&読書などの情報収集
八時:朝食
九時:一時間の魔力操作
十時:二時間ほどの戦闘訓練とスキル訓練
午後からは、それぞれやりたいことをやる。
生産スキルを伸ばしたり、情報収集をしたり、やることは意外と多いらしい。
(昔、何かの本でスローライフは過酷だって聞いたけど……本当に。午前の時間割だけ見たら、自衛官の生活みたい。)
そっと隣の瑛太さんの顔を見ると、眉間の皺が少し増えていた。
早朝のランニングの後なら、朝食は軽めにしたい。
だが、その後の戦闘訓練を考えると、そうもいかない。
魚があるかどうかはまだ確認できていないが、朝食でお願いしてみようと心に決める。
「ランニングと魔力操作に俺は顔を出さねぇからな。奥様も旦那様も、サボるなよ」
最後にガイルにそう釘を刺され、私たちは礼拝堂から解散した。
ノックをしてキッチンに入ると、そこにはリナが待っていた。
私に気づくと、ぺこりと小さく頭を下げる。
私はリナに、キッチンの使い方と道具の配置を教えてほしいとお願いした。
キッチンは、転生前に想像していたものよりも、ずっと本格的だった。
壁際に据え付けられているのは、鋳鉄で作られた大型のクッキングストーブだった。
いくつもの扉が並び、上には鍋を置ける広い加熱面まである。
見た目は重厚だが、構造はどこか機能的で、想像していた“かまど”とはまるで違っていた。
きちんと使えれば便利そうだが――正直、初見で扱える気がしない。
説明を聞きながら唸る私に、リナがそっと寄り添い、こちらを見上げてきた。
「奥様がいらっしゃった世界とは、やはり異なりますか?」
「そうね……。これ、熱は薪を使うの?」
「いえ、キッチンでは火の魔石のみを使用いたします。薪を使うのは、本格的な冬になり、魔石だけでは火力が足りない場合の暖炉か、鍛冶場くらいかと存じます」
はて、魔石とはあれか。
ファンタジー定番の、あの“魔石”のことだろうか。
リナに実物を見せてもらいながら説明を受けると、やはり定番の“それ”らしい。
鉄製かまどに使う火の魔石に、生活魔法イグニで火を灯せば、一定時間燃え続けるのだという。
魔石の火は常に一定で、簡単には消えないため火力が安定しており、調理に向いているとのことだ。
そして壁には、大きさの異なる銅製のフライパンがいくつも並んでいる。
ヘラなどの基本的な調理器具は一通り揃っている。
玉子焼き用のフライパンは、さすがに無いらしい。
うん、これはハルグリムか瑛太さんに作ってもらおう。
キッチンの案内が終わる頃、ヴァルドに頼んでいた薬草図鑑が届いた。
「奥様、こちらは何にお使いになるのでしょうか?」
リナにそう尋ねられ、私はパントリーにある食材と見比べて確認したいのだと伝え、そのまま案内してもらうことにした。
パントリーには、穀物や野菜が所狭しと保存されている。
その一つひとつを鑑定しながら、確認していく。
エシャール様、理解しますね。
米・味噌・醤油・砂糖・塩・お酢・味醂・胡椒、日本食を再現できる物は全部揃ってる。
でもここにあるものは腐らないのだろうか?
「リナ、ここにあるものは腐ったりしないのですか?この人数では消費しきれないと思うのですが」
「はい、パントリーもフリージルーム内もエシャール様の加護により時間停止なので基本腐りません。熟成が必要な物は外から地下に降りれる場所に熟成庫がありますのでそちらで」
……へ〜熟成庫なんてあるんだ!……あれ、フリージルームってなに?
「フリージルームとは、どのようなものなのですか?」
「冷たい風が吹いてる寒い部屋ですね」
それは冷蔵庫では?
気にはなるが、一旦横に置いておいて、パントリー内で干されている香草を鑑定と薬草図鑑で調べる。
まあ、鑑定のレベルが低いからか、調べて出てくる内容は、フェルリーフ(薬草・食用可)というこの世界での名前にルビが振られ、地球での名前と、それに食べられるかどうかの表示だけだ。
ちなみに、この世界固有のものに対しては、ミール草(薬草)程度の情報しかまだ表示されない。
リナに聞くと、やはり自分が持っている情報量と鑑定レベルで表示量は変わるそうだ。
知識は力。勉強必須とは、優しくない。
「時間的に手の込んだものは作れないし、肉を焼いて香草で風味をつけて、スープとパンかな。あとはスープだと塩分が気になるし、さっぱり飲めるお茶……これかな」
私が手に取ったのは、ミラル花(薬草・乾燥・飲料の素)だ。
瓶を開けた途端、乾いた花の奥に閉じ込められていたような甘い香りが、ふわりと広がる。
思わず、ほっと息が抜けた。
きっと、初日から色々と詰め込みすぎて、疲れているのだと思う。
「あの、奥様……薬草を料理に使うのは、その……知識としてエシャール様から頂いておりますが、本当に美味しいのでしょうか?」
「私たちは普段から食べていますので、美味しいですよ。リナにも味を覚えてもらいたいので、味見をお願いします」
「……かしこまりました。どのようなお料理になるのか、楽しみにしております」
リナの説明に耳を傾けながら、使えそうなものを次々と鑑定していく。
一通りパントリーを確認すると、先ほど聞いた冷蔵庫――フリージルームのことが気になった。
パントリー内には肉類が見当たらない。
ということは、フリージルームなる場所に保管されているのだろう。
案の定、肉の場所を尋ねると、パントリー入口にある少し重そうな金属製の扉へと案内される。
リナが小さな体で扉を開くと――そこはちょっとした大型の冷蔵庫だった。
ひんやりとした空気に、思わずぶるりと体が震える。
ざっと中を見渡しながら、順に鑑定していく。
牛、鳥、豚……まではいい。
だが、豚? 兎? 蛇?
表示に、違和感が混じる。
なぜか肉の種類に「?」が付いているのだ。
この表示についてリナに尋ねると、似たものを知識として知っていても、実物を見たことがない場合にそのように表示されるのだと教えてくれた。
つまり、この豚や兎、蛇は、私の知っている地球のそれとは別物ということになる。
モンスター食材、というやつだろう。
……いや、ちょっと待って。
今はもう頭が一杯一杯だ。
とりあえず、これは後回しにしよう。
深く考えるのは、やめておく。
そして、やはり異文化なのだと感じたのは、肉の扱い方だった。
どれもぶつ切りの状態で保管されているのだが――鳥肉だけは違う。
丸ごと一羽、そのままの状態で置かれている。
つまり、調理前に自分で解体しなければならないということだ。
工程、多くない?
料理が完成するまでの手間を思い浮かべて、思わずため息が漏れる。
スーパーという存在の偉大さを、改めて痛感せずにはいられなかった。
ひとまず気を取り直して、フリージルームの中をもう一度見渡す。
だが、どれだけ探しても、バターやチーズ、ウインナーのように、包まれて保存されているものが見当たらない。
大きな冷気が漏れ出る箱も気にはなったが、今探しているものとは違う気がして、ひとまずスルーすることにした。
「ところでリナ、バターはないんですか?」
「バター……ベルクレアでしたら、こちらにございます」
リナが指したのは、何かの葉に包まれた物体だった。
「……これが、ベルクレア?」
思わず聞き返してしまう。
保存方法を尋ねると、包むものがないのだという。
ラップやタッパー、クッキングシートのようなものも存在しないらしい。
以前、読んだ小説で、魔道具師がスライムから代用品を作っていたのを思い出す。
錬金術でどうにかできないだろうか。
……いや、そこまで手を広げる余裕はない。
とりあえず今は、材料の把握と今夜のメニュー決めだ。
肉も魚も揃っているフリージルームで、今夜の献立を考える。
さて、今は何が食べたいだろう。
運動やら何やらで動き回って、すっかりお腹が空いている。
手間はかけすぎず、味にしっかりとしたパンチがあるもの。
それから、香草の良さが伝わる料理。
「鶏もも肉のエスカルゴバターとサラダ、黒パンが良いかな」
このメニュー、作るのは簡単だがニンニクとバターの組み合わせで結構胃にくる。
歳をとってからはあまり食べなくなっていたけれど、せっかく若返ったのだから、明日への体力をつける意味でもいいかもしれない。
必要な材料をリナに伝え、一緒に運び出す。
とりあえず、私と瑛太さんとリナ、それからエシャール様へのお供えも兼ねて作ろうと思う。
食文化が!と嘆いていたので、お供えでもしたら喜んでくれるだろうか。
そんなことを考えながら、作業の準備に取り掛かった。
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