刻み香草のベルクレア
さて、本格的に夜ご飯を作るにあたって、必要な材料はこちら。
丸鶏一羽、ベルクレア、フェルリーフ、
ガルニル根、サルディア塩、リモナ果汁、
ペルザスパイス。
まずは、丸鶏の解体だ。
胸肉ともも肉は左右で取れるので、全部で四枚の肉が用意できる。
今夜はもも肉を私と瑛太さん、胸肉をエシャール様とリナ用に調理していく。
「リナ、すみませんが丸鶏の解体をお願いします」
「かしこまりました。解体方法で、何か注意点はございますか?」
「元の世界と解体方法に違いがなければ問題ありませんが……。胸肉、もも肉、手羽先、手羽元、ささみ、腹身、せせり、皮が取れれば十分です。使わない部位はフリージルームで分けて保存しておいてください」
細かく言えばヤゲンナンコツやヒザナンコツ、ボンチリ、ガラなどもあるが、
リナに聞くとこちらでは処分する部位らしい。
だが、捨てるには惜しい。
フリージルームで保存すれば腐ることはないし、どの部位も美味しく食べられる。
部位ごとに分けて、ガラなども捨てずに保管しておいてほしいと伝え、リナの解体作業を見守りながら次の準備に取り掛かる。
ベルクレアをボウルに移し、常温に戻す。
柔らかくなるまでの間に、フェルリーフとガルニル根を細かく刻もうとしたところで、リナから声をかけられた。
「奥様、解体が終了しました」
「え、もうですか!?あれから三分も経ってないですよ?」
「解体スキルはLv7ございますので、大体のものは問題なく解体できます。奥様も調理や冒険で解体を重ねれば自然と上がりますので、作業時間は短縮されるかと」
スキルというのは、本当に便利だ。
だが、冒険での解体となると……考えただけで気が重くなる。
嫌なことは一旦忘れて、料理のことを考えよう。
予想以上に早く終わったので、リナにも手伝ってもらいながら香草類を細かく刻む。
刃こぼれ一つない包丁はとても切りやすく、すんなりと刻める。
作業効率が段違いだ。
香草類を刻み終えたら、常温に戻しておいたベルクレアをヘラでなめらかになるまで混ぜる。
そこに刻んだフェルリーフとガルニル根、サルディア塩、リモナ果汁、ペルザスパイスを加え、全体をよく混ぜ合わせる。
最後に形を整え、保存用の葉の上に置いて、フリージルームで冷やす。
これで完成だが、エスカルゴバターという名前ではこちらの世界では伝わらない。
エスカルゴと言っても分からないだろうし、食用カタツムリとも言い難い。
名前は変えた方がよさそうだ。
何がいいだろう……刻み香草のベルクレア、でいいか。
少し安直だけど、分かりやすい方がいい。
「これで、冷めて固まれば刻み香草のベルクレアは出来上がりです。ところでリナ、ペルザスパイスって、高価なものなんですか?」
この世界での物の価値が、ふと気になった。
地球でも、かつては金と同じ重さで取引されていたというが、こちらの世界ではどうなのだろう。
食文化を広めてほしいと言われたところで、物価が分からなければ使える食材も分からない。
あまりに高価なものは一般には馴染まないし、それでは料理は広がりにくい。
「ペルザスパイスも同様ですが、フェルリーフとガルニル根も生薬の類に分類されるため、一般の店舗では取り扱いがございません。購入される場合は商業ギルドをご利用いただく形となります。ペルザスパイスはやや高価ではございますが、まったく使用できないほどではございませんので、刻み香草のベルクレアに用いる程度であれば問題なく使用可能でございます」
ふむ、やはり一般的ではないようだ。
物価も流通も分からないままでは、使える食材の幅も判断できない。
本で知識を補っても、実際の感覚とはズレる可能性が高い。
これは早いうちにガイルかヴァルドに頼んで、ある程度の規模の街へ連れて行ってもらった方が良さそうだ。
実際に見て、触れて、基準を掴まないと、この先どこかで致命的にズレる気がする。
ひとまずこれは今後の課題として、後ほど相談してみようと心に決める。
気持ちを切り替えて、調理の再開だ。
鶏もも肉はフォークで両面に満遍なく穴をあけ、塩を振って余分な水分と臭みを取り除く。
胸肉は一時間ほどブライン液(水・塩・砂糖を混ぜたもの)に漬けておきたいところだが、今日は時間がない。
そのため、もも肉と同様に穴をあけ、ブライン液の入ったボウルに入れて五分ほど揉み込む。
短時間でも繊維に水分が入り、パサつきを抑えてジューシーに仕上がる。
さて、五分経ったところで――再び問題が発生した。
「……キッチンペーパーがない」
そう、この世界では紙そのものが貴重で、基本的に羊皮紙が使われている。
当然、前の世界で当たり前のように使っていたキッチンペーパーなど存在しない。
となると、布巾で代用するしかないのだが、生肉の水分を布巾で拭き取るという行為には、どうしても抵抗がある。
そもそも、クリーンの魔法でカンピロバクターのような細菌まで除去できているのだろうか。
こんな右も左も分からない世界で、食中毒なんてごめんだ。
……分からないなら、確かめるしかない。
私はリナに新しい布巾を用意してもらい、肉の水分を拭き取る。
そして、それをそのままリナに渡し、クリーンをかけてもらった。
リナは不思議そうにこちらを見ているが、今は気にしていられない。
「鑑定」
初めは布巾としか表示されていなかったが、何度か鑑定を重ね、目を凝らすと表示に変化が現れた。
清められた清潔な布巾(なんの汚れもない清潔な布)。
……なんの汚れもない、ということは、細菌類も除去されているのだろうか。
鑑定結果に不安を覚えつつも、ひとまず方針を決める。
リナには工程ごとにクリーンをかけること。
そして、魚や肉など生の食材に触れた布巾は使い回さず、毎食後の調理が終わった段階で廃棄するよう指示した。
その指示に対し、リナに理由を問われたため、衛生管理に関する説明を簡単に行った。
心当たりでもあったのだろう、すぐに納得し、指示通りに対応してくれるとのことだったので、ひとまず胸を撫で下ろした。
スキルがあって便利なはずなのに、所々で不便さを感じる世界に戸惑う。
まだキッチンの中だけでこれなのだ。
外に出たら、どれだけ価値観の違いに直面するのか、考えただけで少し気が重くなる。
さて、布巾問題がひとまず解決したので、料理を再開する。
鶏肉の余計な水分を拭き取り、胸肉は厚さを均一に整える。
フライパンを温める前に皮目を下にして置き、その上から重しを乗せる。
「温めてから置くと、お肉が反って皮がパリッとしなくなるので気をつけてください。重しがなければ、ヘラで押さえながら焼くと綺麗に焼けます」
「わかりました。その他、気を付けることはございますか?」
「そうですね。銅製のフライパンですので、最初に少量のベルクレアを使用しますが、お肉から脂が出てきたら、余分な油は拭き取ってください」
実際に焼くところも見せたかったが、クッキングストーブが曲者すぎる。
使用したこともなければ、アニメや参考資料でしか見たことがない。
仕方なく今回はリナにお願いして、実際の使い方を見せてもらうことにした。
どうやら火は常に絶やさないように、リナが管理しているようだ。
赤色の魔石を数個手に取り、中央の空気調節用の窓を開けて中へ放り込む。
ここが熱源で、火力の調節は魔石を下の火受けに落としたり戻したりして行うようだ。
古典的な方法ではあるが、魔石の利点は煤が出ず、火力が長時間安定する点にあるらしい。
薪と違い、煤で鍋やフライパンが汚れないため便利だと、リナが簡潔に説明してくれた。
「なるほど、では初めはリナとエシャール様の分で、胸肉から焼きましょう!」
そう言って、私はフライパンに視線を戻す。
皮目を下にしたままの鶏肉に、じわりと熱が入っていく。
最初は音も控えめだが、やがて――じゅ、と脂が弾けるような音が立ち始めた。
「……いい音」
小さく呟きながら、火加減と脂の出方を確認する。
焦る必要はない。
ここはしっかり、時間をかけて焼く。
皮を動かさず、押さえたまま。
じっくりと熱を通していく。
四~五分ほどして様子を見て、黄金色のパリッとした皮が現れていれば成功だ。
蓋はせず、そのまま裏面も四分ほど加熱する。
フライパンから上げずに、刻み香草のベルクレアを肉の上に乗せ、余熱で軽く溶かせば完成だ!
溶けたバターの甘さに、ガルニル根と刻んだ香草の青い香りが混ざり合い、キッチンを満たしていく。
その香りの中で、リナが出来上がった料理を皿に盛り付ける。
「さあ、リナ。味見してみてください」
「……失礼いたします」
リナは一瞬だけ香りを確かめるように息を吸い、それから小さく頷いた。
ナイフで一口大に切り分け、フォークでそっと持ち上げる。
口に運び、ゆっくりと噛む。
――その瞬間、わずかに目が見開かれた。
「やわらかい、でございます」
思わず漏れたような声。
続けてもう一口、今度は少しだけ確かめるように噛みしめる。
「表面は香ばしく、内側は水分が保たれております。ベルクレアの甘みと、ガルニル根の香りが合わさり……その、重さを感じさせない仕上がりでございます」
言葉を選びながらの評価。
けれど、その声には確かな驚きが滲んでいる。
私はその様子を見て、小さく息を吐いた。
「このくらいの味なら、どう?」
そう問いかけると、リナはすぐに顔を上げた。
「はい。香りは強めではございますが、不快感はなく、むしろ食欲を刺激する方向に働いております。量を調整すれば、日常の食事にも取り入れられるかと」
実務的な評価。
けれど、その口元はほんの少しだけ緩んでいた。
私はその反応に、もう一度小さく頷く。
「なら、次は黒パンを、そのまま溶けた刻み香草のベルクレアに浸けて食べてみて」
リナは小さく頷くと、黒パンを一切れ手に取る。
溶けた刻み香草のベルクレアをそっと絡め、軽く量を見極めてから口へ運んだ。
ひと噛み。
わずかに目が見開かれ、そのまま動きが止まる。
「ベルクレアの甘みと、ガルニル根の香りが強く出ておりますが、黒パンと合わせることで全体の重さが抑えられております。脂も気にならず、食べ進めやすい構成でございます」
もう一口、今度は少し大きめにちぎって口に運ぶ。
「単体よりも、組み合わせた方が完成度が高いかと」
淡々とした評価ではあるが、フォークを置く気配がない。
そのまま自然な動作で、三口目へと進んでいく。
私はその様子を見て、小さく口元を緩めた。
「お皿も綺麗になるし、美味しいし、一石二鳥よね。ただ、ソースの味が強いから、付け合わせのサラダは特に味付けしなくて大丈夫よ」
そう伝えて、残りの作業はリナに任せる。
私は出来上がった料理をエシャール様に捧げるため、礼拝堂へと向かった。
礼拝堂に入り、祭壇の前に立つ。
皿を静かに置き、軽く頭を下げた。
「本日の分です」
短くそれだけ告げる。
特に返事はない。
だが、この場に置くこと自体に意味があるのだろう。
用は済んだと判断し、私は踵を返す。
礼拝堂を後にして、そのまま食堂へと戻る。
廊下を歩くうちに、先ほどの香りがまたわずかに鼻をくすぐった。
……いい感じに仕上がってるはずだ。
後は、実際に食べてどう感じるか。
瑛太さんは、どう言うだろうか。
そんなことを考えながら、私は自然と足を速めていた。
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