懐かしい香りと、はじめての夜
食堂に移動すると、入り口にヴァルドが控えており、扉を開けてくれた。
机の上にはすでに二人分の料理が向かい合わせに整然と並べられ、暖炉側の席には瑛太さんが先に腰を下ろしていた。
「作った料理、エシャール様にお供えしてきたの。待たせてごめん」
そう告げて向かいの席に腰を下ろすと、瑛太さんは満足げに料理を見つめていた。
「懐かしい香りだな」
短く率直な感想。
でも、事実だ。
「最後にいつ食べたか覚えてないからね」
私は苦笑いを浮かべながら、瑛太さんに向き直る。
実際、年をとってからはニンニクが重たくて、あまり食べなくなったメニューだ。
でも、若返った今なら――
明日からの生活を考えても、このスタミナメニューで乗り越えられるはずだ。
「冷めないうちに食べよう」
瑛太さんに促され、二人で手を合わせる。
「いただきます」
ナイフとフォークを手に、鶏肉を切り分けると、皮目がしっかりパリッと仕上がっているのがよくわかる。
リナは作り方をしっかりマスターできているようだ。
溶けた刻み香草のベルクレアを肉に纏わせ、それを口に運ぶ。
「ん~~!ニンニクしっかり効いてるけど、ハーブで後味はスッキリしてる。成功だね」
料理から視線を上げて瑛太さんを見ると、優しい表情でこちらを見つめている瞳と目が合った。
「何?」
私が短く聞き返すと、昔を懐かしむようにこちらを見つめて言う。
「真由さんは、本当に美味しそうに食べる。変わってなくて安心した」
そう答えた瑛太さんの返答に、私はちょっとだけムッとする。
「くだらないこと言ってないで、食べたら?子供に転生したわけでもないし、姿に性格が引っ張られたりしないわよ。それとも、瑛太さんはこの一日で自分の性格が変わったと思うの?」
「思わないな」
「でしょ?お互い六十年以上生きてて、転生したぐらいで性格まで変わらないわよ」
馬鹿言うのも程々にして、さっさと食べろと瑛太さんに食事を促す。
瑛太さんもやんわりと笑みを浮かべて、二人で久しぶりの夕食を楽しむ。
本当に、久しぶりの夕食だ。
朝と昼は用意されていたし、なんだかんだと忙しく動いていて、考えることも多かった。
怒涛の一日で、気持ちも浮ついていて、こんなことが思考をよぎる暇もなかったのに、変わらず私を見つめる瑛太さんを見て、思い出してしまった。
春に彼が死に、私が死ぬまでの間、食卓は寂しいものだった。
料理も嫌になり、お惣菜で済ますことも増え、自分で作っても味のしない料理。
なのに、失った時間が今、目の前にある。
一瞬泣きそうになるが、ぐっと堪えて瑛太さんに「美味しいでしょ」と微笑む。
他愛もない話をしながら、食事の時間がゆっくりと過ぎていく。
皿の上の料理は、気づけば少しずつ減っていた。
言葉を交わしながら、手を止めることなく食べ続けていたせいだろう。
そして――
「美味しかった」
瑛太さんがジャスミンティーを飲みながら食事の感想を述べる頃には、皿の上には何も残っておらず、ソースもパンできれいにさらわれていた。
二人で手を合わせて「ご馳走様でした」と食後の挨拶をし、ヴァルドに食器を下げてもらい、ジャスミンティーだけ机に残してもらう。
それを飲みながら、食事の準備中に瑛太さんが何をしていたのかを教えてもらった。
なんでも図書室でクラウディスの基本的なことを調べていたらしい。
ただ、高級な本には庶民の生活のことはあまり書かれておらず、収穫はあまりなかったと教えてくれた。
私も、食材の名前の違いやリナと話して気がついた価値観の違いについて共有する。
「一旦、中規模の街に行って世界観を知りたいんだよね。生活基準とか、一般的な食材とか。刻み香草のベルクレアだって、リナは一般的ではないって言ってたし、私たちは逆にベルクレアって言われてもピンとこないからさ」
「鑑定でもクラウディスの名称は出てこないのか?」
「知識を得てからじゃないと、クラウディスでの名称は出てこなかった」
そう話すと、瑛太さんの眉間の皺が一層深くなったが、仕方ない。
親切なようで不親切な世界なのだ。
私の知る異世界転生は、親切で痒いところに手が届くのが当たり前だったのに、この世界はそこまで親切ではない。
それでもここで生きると決めた以上、慣れるしかないのだ。
私は入り口で控えているヴァルドに向かって、声をかける。
「ヴァルド、すみません。今話していた通り、一度街に行きたいのですが、可能ですか?」
私が尋ねると、少し考えた後、ヴァルドが条件に当てはまりそうな街を教えてくれた。
「ガルヴァリウス帝国内、ファルトマン辺境伯領にございますクロイティルであれば、対応可能でございます」
帝国。辺境伯領。
単語を聞いただけで、なんとなく面倒の気配がした。
貴族とか国とか、ゲームでも苦手なやつだ。
だが、ヴァルドの説明を聞くうちに、少しだけ印象が変わった。
中規模の交易都市で、近くに大規模な黒の森があるため、新人から上級まで幅広い冒険者が集まるらしい。
要するに、色んな人間がいる街ということだ。
それなら、エルフ二人組が多少目立っても、まだ紛れやすいかもしれない。
私たちはまだ戦闘ができないため、移動中はガイルに守ってもらう形になる。
となると、あまり長距離の移動は難しい。
その点、クロイティルは黒の森まで一時間ほどの距離らしく、箱庭との往来も人目を気にせず行いやすいという。
条件としては悪くなさそうだった。
そう思っていたところへ、ヴァルドが静かに付け加えた。
「それに、旦那様も奥様もエルフの中でも一際目を引く外見でございますので、ある程度治安の良い街がよろしいでしょう」
「そういえば、エシャール様が同族が少ないって言ってましたよね。やはり街中では珍しいんでしょうか?」
私の質問に、ヴァルドが難しそうな表情を見せる。
「基本的に、世界樹に抱かれた豊穣の森から出てこない種族にございます。冒険者などで稀に見かける程度で、生涯、一人も出会わない者もいるほどでございます」
「少ないな」
私は思わず瑛太さんと顔を見合わせた。
外見がいいことは悪くない。悪くないが、目立つのは困る。
地球でも、目立つ人間が歩いているだけで変な絡まれ方をすることがあった。
あれが異世界スケールで起きるのかと思うと、少し気が重くなる。
「外套で髪や耳を隠して街に入るのはダメですか?」
そう提案するも、ヴァルドが首を横に振って否定する。
街に入る時点で顔の確認のために外套を外す必要があること。
街中では治安維持の観点から顔を隠していると衛兵に注意されるのだとか。
「外套で隠すのはやめた方がいいかもね」
そう言うと、瑛太さんも頷いた。
「面倒が増える」
ヴァルドも静かに言葉を添える。
「はい。過度に顔を隠す装いは、かえって警戒を招く恐れがございます」
んーっと考えながら前髪を指に絡ませてくるくると弄ぶ。
いくつか思案を巡らせるが、外見がいいことがここまで面倒だとは想定していなかった。
「仕方ないですね。外見はどうにもならないですし、そこはもう割り切りましょう。その代わり、身の安全を守る方法を考えた方が良さそうです。気軽に使えるもので、何かありませんか?」
少し考えた後、ヴァルドが「こちらはどうでしょうか」と差し出したのは、キッチンで見た魔石に似た不思議な石だった。
それはスペルジェムと呼ばれるアイテムで、魔石に魔法を記憶させることで、対応するスキルを持っていなくても魔法が使えるようになる便利な代物だという。
キッチンでクリーンが使えず不便だと私がぼやいていたのを、リナが聞き留めてくれていたらしい。
それを報告されたヴァルドが、私たちのために用意してくれていたのだ。
使用には回数制限があるものの、石を握りながら魔力を込め、スキルの名前を唱えるだけで発動できる優れものだという。
強力な魔法を込めたものは街への持ち込みに制限がかかる場合もあるが、私たちが日常的に使う程度のものなら制限に引っかかる心配はないそうだ。
これがあれば、戦闘スキルが身に付くまでの護身用としても役に立つだろうと、ヴァルドは静かに教えてくれた。
「便利だな」
瑛太さんが手に取りながら、スペルジェムを確認する。
私も実際に手に取って確認すると、魔石に紋様が刻まれているのに気がついた。
「紋様が刻まれた魔石はスペルジェム化しておりますので、お気をつけてご利用ください」
「気をつけますね。これで自衛はなんとかなりそうですが、他に何か必要なものはありますか?」
私の問いに、ヴァルドは一拍だけ間を置いてから口を開いた。
「まず、冒険用の衣服にございます。現在のお召し物では、街中であっても浮いてしまう恐れがございます」
やっぱりそこか。
見れば確かに、屋敷の中では違和感がないが、街に出たら一発でお嬢様とバレる格好だ。
……いや、お嬢様というより、どちらかといえばお屋敷から逃げ出したエルフ令嬢か。
それはそれで面倒な誤解を生みそうだった。
「ハルグリムに依頼すれば用意は可能ですが、三日は見ていただく必要がございます」
「三日……」
思ったよりは早いが、すぐに出発というわけにはいかないらしい。
私は一度考えてから、視線を上げる。
「他には?」
「最低限の所持品の準備にございます。先ほどお渡ししたスペルジェムの選定も含め、用途に応じて揃える必要がございます」
武器ほど大げさじゃなくても、持っておくものはあるということか。
「それらを踏まえますと――」
一度、言葉を区切る。
「出発までに四日ほどお時間をいただければ、十分に整うかと存じます」
四日。
短くもなく、長すぎもしない。
私は瑛太さんを見る。
「……妥当だな」
短い一言。
それで十分だった。
「じゃあ、四日後に出発で。ガイルにもそのように伝えてもらえますか?」
「かしこまりました。ガイルにはそのようにお伝えいたします」
そう告げると、ヴァルドは静かに一礼した。
他愛もない話をしているうちに、窓の外はすっかり暗くなっていた。
食後のジャスミンティーも、いつの間にか飲み干している。
「そういえば、今何時ですか?」
ヴァルドに尋ねると、懐中時計を取り出して確認してから答えてくれた。
「夜の九時を回ったところでございます」
思ったより遅い。
朝から怒涛の一日だったせいか、疲れをあまり自覚していなかったが、言われてみれば体が少し重い。
今日は早めに休んだ方がいいだろう。
そう思っていると、瑛太さんが先に口を開いた。
「今日は早めに休んだ方がいいな」
私も同感だった。
初日から体に無理をさせても仕方がない。
それに、一日を振り返れば、疲れていないはずがなかった。
「そうだね。あ、そういえばヴァルド、明日の朝食なんですが」
ヴァルドが静かにこちらを向く。
「魚の塩焼きをお願いできますか?リナに伝えてもらえると助かります」
「かしこまりました。フリージルームに魚がございますので、リナに申し伝えます」
「ありがとうございます」
小さなことだが、明日の朝食が決まっただけで、少し気持ちが落ち着いた。
ベンチから腰を上げると、ヴァルドがすっと前に出た。
「お部屋へご案内いたします」
その一言に、ふと思う。
案内してもらわないと部屋に辿り着けない程度には、まだこの屋敷に慣れていない。
広さに慣れるのも、しばらくかかりそうだ。
ヴァルドの背中を追いながら、廊下を歩く。
足音だけが、木張りの廊下に静かに響く。
「ヴァルド、今日はありがとうございました」
「もったいないお言葉でございます」
短いやり取り。
それでも、一日中動き回ってくれたヴァルドへの感謝は本物だった。
部屋の前に着くと、ヴァルドが扉を開けて一礼する。
「ゆっくりお休みください」
「おやすみなさい」
扉が静かに閉まる。
長い一日だった。
でも、悪くない一日だったと思う。
私たちはベッドに向かった。
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