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歳の差夫婦が整えて、生きる食卓〜料理とものづくりで紡ぐ、異世界スローライフ〜  作者: 望月 小鳥
クロイティル編

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黒の森の巣と、次の一歩

 鳥の導き亭の食堂は、夕食を取る客たちで賑わっていた。

厨房から漂ってくる煮込み料理の匂いに、酒や焼いた肉の香りが混じっている。

木の卓が軋む音や、杯がぶつかる乾いた音が、あちこちの話し声に混ざって響いていた。


 普段なら気にならない程度の騒がしさなのに、今夜は一つ一つの音が妙に耳へ残る。

冒険者ギルドで聞いた黒の森の話が、頭から離れないせいかもしれない。


 卓には瑛太さんとガイルが座っている。

ルクスは私の椅子の横へ伏せ、前足に顎を乗せたままこちらを見ていた。

ギルドを出て宿へ戻るまでの間、ガイルは黒の森について何も話さなかった。

道中は人通りが多く、落ち着いて広げられる話ではなかったのだろう。


 クロエさんが運んできてくれた煮込み料理から、白い湯気がゆっくりと立ち上っている。

匙を手に取ったものの、料理へ意識を向けることができない。

私は何もすくわないまま、匙を器の横へ戻した。


「ガイル、そろそろ聞いてもいいですか?」


 私が声をかけると、ガイルは口へ運びかけていたパンを止めた。


「黒の森の話だったな」


「はい。詳しい話は宿へ戻ってからと言っていましたから」


「ああ。地図を見ながら話した方が分かりやすいからな」


 ガイルは懐から一枚の紙を取り出し、卓の上へ広げた。

かなり使い込まれた地図らしい。

黒く塗られた森の輪郭の内側に細い線が何本も引かれ、ところどころに印や書き込みも残されている。


「黒曜から貰ってきた。俺達が通ってきた道は、ここだ」


 ガイルの指が、森の中央から少し南寄りを抜ける線をなぞった。

木々の間を抜けた細い道や、休憩を取った焚き場、夜を過ごした洞窟の入り口が順に思い浮かぶ。

記憶の中の景色を辿るほど、地図に描かれた線と私達が歩いた道が重なっていった。


「確かに、私達が通った道だと思います」


 地図の上を辿っていた瑛太さんも、同じ場所に見覚えがあるのか、小さく頷いた。


「黒曜さんは、何を確かめたかったんですか?」


「俺達が通った道と、昨日の調査で見つかった場所が重なってるかどうかだ」


 ガイルの指が、私達の通った線から離れる。

森の入り口付近から北へ向かい、途中で途切れている別の線を示した。


「昨日、この先に洞窟があると分かった。ゴブリンの巣はそこだ」


「森の入り口から、どのくらいかかるんですか?」


「歩いて一時間ってところだな。俺達が通った道とは、最初から方向が違う」


 知らずに詰めていた息が、少しだけ抜けた。

少なくとも、巣のすぐそばを通っていたわけではないらしい。


 それでも、ガイルは地図から手を離さなかった。

安堵するにはまだ早いと伝えるように、表情も変わらない。


「問題は、巣の大きさだ。かなりの数が集まってるらしい」


「街の入り口に来た群れよりも多いんですか?」


「正確な数は分かってねえ。洞窟の奥まで調べ切れてないからな」


 街へ入る前に見たゴブリンの群れを思い出す。

あれが巣にいるうちの一部にすぎないなら、洞窟にはさらに多くが残っていることになる。


「それだけなら、まだ対処の仕方はある」


 ガイルの声が少し低くなった。

瑛太さんが地図から顔を上げる。


「他にもいるのか」


「ああ。上位種が確認された」


 短い言葉だった。

それだけで、卓の周囲だけ空気が重くなったように感じる。


「上位種というのは、普通のゴブリンとは違うんですか?」


「確認されたのはホブゴブリンだ。力が強いだけの奴じゃねえ。周りのゴブリンをまとめて動かすだけの知恵もある」


 ただ強い個体が混じっている、というだけではないらしい。

ばらばらに襲ってくる相手なら、それぞれの動きを見て対処することもできる。

けれど、誰かの指示でまとまって動くとなれば、同じ数でも危険さは変わってくる。


 そう聞いて、ゲームや漫画で見たゴブリンの上位種が頭をよぎった。

真っ先に思い浮かんだのは、魔法や呪術を使う個体だ。

けれど、この世界の魔物が、自分の知っている物語と同じとは限らない。


「魔法や呪術を使う種類ではないんですか?」


「ホブゴブリンは腕力型だ。魔法を使う種もいるが、今回見つかったのはそいつじゃねえ」


挿絵(By みてみん)


「他の上位種が混じっている可能性は?」


 瑛太さんが短く尋ねる。

ガイルは少しだけ眉を寄せた。


「ないとは言い切れねえ。奥まで確認できてない以上、見えてない奴がいる可能性はある。今のところ報告に上がってるのはホブゴブリンだけだ」


 確認された数は、少なくとも二体。

群れがここまで大きくなったのも、その二体がまとめているからかもしれないとガイルは続けた。


 二体という数が多いのか少ないのか、今の私には判断できない。

それでも、普通のゴブリンより力も知恵もあり、群れへ指示まで出す個体が複数いるという事実だけで十分に厄介だった。


「洞窟の中は、どこまで調べられたんですか?」


「入り口から少し入ったところまでだ。奥へ進もうとしたところで数が増えたらしい。無理に突っ込まず、引き返したそうだ」


「戻れなくなる前に、ということですね」


「ああ。調査で死人を出してちゃ意味がねえからな」


 ガイルの口調は淡々としていたけれど、命に関わる話をしていることは低く抑えた声から伝わってくる。


 足元でルクスが小さく身じろぎし、私の膝へ鼻先を寄せた。

その温かさに、強張っていた肩から少し力が抜ける。


「ギルドは、どうするつもりなんですか?」


「討伐隊を組む。洞窟を調べながら、巣を潰す方針らしい」


 巣の規模が分からない以上、すぐに突入するわけにはいかないらしい。

参加する人数を集め、それぞれの役割や退路まで決めたうえで動く必要があるという。


 慎重に準備を進める必要がある一方で、あまり時間をかけてもいられない。

巣を放置していれば、またゴブリンが外へ出てくるかもしれないからだ。


 箱庭へ帰るためにも、私達はいずれ黒の森を通らなければならない。

森の道が塞がれている限り、街に留まり続けることになる。


「それとは別に、ゴブリン討伐は常駐依頼になってる」


 ガイルの説明では、森や街道で見つけたゴブリンを討伐する依頼で、Dランクから受けられるらしい。

冒険者登録を終えた私達も、条件だけならすでに満たしている。


 巣そのものを攻略する討伐隊と、街道や森へ出てきたゴブリンを倒す常駐依頼。

同じゴブリン討伐でも、目的も危険度もまったく違う。


「それなら、討伐隊へ入らなくても依頼を受けられるんですか?」


「ああ。旦那様と奥様、俺とルクスで組めば、一つのパーティーとして受けられる」


 私達が受けるのは、巣そのものを攻略する依頼ではない。

森の浅い場所や街道周辺へ出てきたゴブリンを相手にする、通常の常駐依頼だ。


「実戦の練習も兼ねるのか」


「ああ。訓練場だけじゃ身につかねえこともあるからな。だが、明日からすぐ森へ出すつもりはねえぞ」


 今日手に入れたばかりの武器が頭に浮かぶ。

私は長杖へ魔力を通しただけで、この杖を使って魔法を発動したことはまだない。

瑛太さんも矢を射る練習はこれからだ。


 依頼を受けられるランクになったからといって、実際に戦えるかは別の話だ。

今の状態で森へ出るのが早いことくらい、私にも分かる。


「まずは訓練場ですね」


「ああ。奥様は魔法の発動と周囲への警戒。旦那様は弓の扱いからだ」


 冒険者登録試験を思い出す。

的へ魔法を当てた直後、セレナさんが投げた布の球へ反応できなかった。


 あれが布ではなく、ゴブリンの武器や爪だったなら、無傷では済まなかっただろう。

魔法を当てることだけに集中していては、実戦では足りない。


 瑛太さんも弓を使うなら、ただ矢を当てるだけではなく、私やルクスとの位置を意識しながら動かなければならない。

誰が前を見るのか。

誰が合図を出すのか。

敵が増えた時、どの方向へ下がるのか。


 ガイルが挙げた課題を一つずつ考えていくと、これまでの戦いで、どれだけ私達がガイルに助けられていたのかを実感する。


 敵の位置を見て、危険があれば声をかけ、私達が魔法を使えるように前へ出る。

思い返してみれば、戦っている最中の判断は、ほとんどガイルに任せていた。


 私達は魔法を使って敵を倒していた。

けれど、周囲を見ながら戦い、状況に合わせて動けていたわけではない。

ガイルが前にいてくれたからこそ、目の前の敵へ集中できていたのだ。


 冒険者登録を終えて、新しい武器も手に入った。

それでも、依頼へ出る前に身につけなければならないことは、まだいくつもある。


「回復魔法の修行もありますしね」


 攻撃することだけが、これから必要になるわけではない。

怪我をした時に回復できるようになることも、私にできる準備の一つだ。


 そうして一つずつ課題を減らし、ガイルが大丈夫だと判断してから、四人で常駐依頼を受けることになった。


 宿の部屋は一か月押さえてあるし、すぐに街を出なければならないわけでもない。

今は順番に取り組んでいけばよさそうだ。


「時間はあるんだ。慌てずやっていきゃいい」


 ガイルの言葉に、私も素直に頷いた。


 急いで形だけ整えるより、今のうちにできないことを一つずつ減らしておく。

その方が、実際に依頼へ出た時にも安心できるはずだ。


 話がまとまったところで、ガイルは広げていた地図を畳んだ。

地図を懐へ戻すと、椅子へ深く座り直し、すっかり手を止めていた食事を再開する。


 硬いパンをちぎり、煮込み料理へ浸してから口へ運ぶ姿は、いつもと変わらない。


 黒の森に大きな巣があり、そこには上位種までいる。

聞く前より分かったことは増えたけれど、不思議と先ほどまでの落ち着かなさは薄れていた。


 私達が今すぐ巣へ向かうわけではない。

まずは武器に慣れ、連携を覚え、危険な相手を見極められるようになる。

そのうえで、四人でできる範囲の依頼を受ければいい。


 冷めかけた煮込み料理を匙ですくい、口へ運ぶ。

肉と野菜の旨みが溶けた汁は、それでもまだ温かかった。


 ルクスが顔を上げ、こちらを見つめている。

私は卓の下へ手を伸ばし、その頭をゆっくり撫でた。


「大丈夫だよ、ルクス。ちゃんと準備するから」


「クゥン」


 小さく鳴いたルクスが、鼻先を私の手のひらへ押しつける。

毛並みの下から伝わる体温に、少しだけ心が落ち着いた。


 食事を終えて二階の部屋へ戻ると、食堂の賑わいは遠くなった。

扉を閉めれば、下から響いてくる話し声もかすかに聞こえる程度になる。


 瑛太さんは弓を下ろし、弦や握りの部分を確かめていた。

私は長杖を壁際へ立てかけ、倒れないことを確認する。


 今日手に入れたばかりの武器が、明日からは訓練の道具になる。

そう考えると、昼間に工房で眺めていた時とは少し違って見えた。


「明日から、忙しくなるな」


「うん。でも、やることが決まったから、少し気は楽になったよ」


 瑛太さんは弓を壁へ立てかけ、私の肩へ一度手を置いた。

短い言葉を重ねられるより、その手の温かさの方が安心できた。


「怖くないわけじゃないけどね」


「分かってる」


「それでも、帰るには森を通らないといけないし、このまま何もしないのも違うと思う」


「そうだな」


 瑛太さんの返事は短い。

それでも、自分一人で決めたことではなく、二人で同じ方向を見ているのだと分かった。


 窓の外では、通りの灯りが静かに揺れていた。

ここから黒の森は見えない。

巣も、そこにいるホブゴブリンも、今はまだ想像することしかできなかった。


 明日になれば、訓練場へ向かう。

杖を構え、魔法を使い、できなかったことを一つずつ確かめていく。


 すぐに森へ出る必要はない。

けれど、何もしないまま待ち続けるつもりもなかった。


 静かに更けていく夜の中で、私はいつか四人で依頼へ出る日のことを思い浮かべながら、胸の内をゆっくり整えていった。


もし少しでも楽しんでいただけたら、

続きも読んでいただけると嬉しいです。


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