届いた返事と、一角兎のトルマ煮込み
一か月分の宿泊代を支払い、部屋へ荷物を戻したあと、私たちは部屋に集まった。
窓の外では街が変わらず動いているのに、黒の森へ続く道だけが遠く感じられた。
街へ出かけることは、ヴァルドたちにも伝えてある。
けれど、一泊二日のつもりだった私たちが戻らなければ、今頃は心配しているはずだ。
立入制限がいつ解除されるかも分からないまま、何日も連絡できないのは避けたい。
「箱庭へ、私たちの無事を知らせる方法はないでしょうか?」
ルクスかガイルに届けてもらうことも一瞬考えたが、立入制限中の森へ仲間だけを向かわせるわけにはいかない。
「手紙一枚なら送れるぞ」
ガイルが取り出した革張りの板を開くと、内側に細かな魔法陣が刻まれていた。
「護衛任務の緊急連絡に使う物だ。対になる魔法陣を箱庭に置いてある」
「いつ用意した?」
「街へ行くと決まったときだ。何も起きねえのが一番だが、護衛がそれを当てにしてどうする」
魔法陣の中央へ魔石を置いて魔力を流せば、折り畳んだ紙一枚ほどを送れるという。
生き物や荷物を運ぶことはできないらしい。
「返事も受け取れるんですか?」
「向こうが気づいて、魔石を使えばな」
制限はあっても、十分だ。
紙へ、黒の森にゴブリンの群れが集まり、立入制限が出たことを書く。
しばらく鳥の導き亭に滞在すること、私たち四人は無事であることを書いて小さく折り畳んだ。
ガイルは紙を魔法陣の中央へ載せ、くぼみに小粒の魔石を置いた。
指先から魔力が流れた途端、刻まれた線に淡い光が走る。
紙は明るさを増した光に包まれ、瞬きをする間に消えていた。
「これで、届いたんでしょうか?」
「ああ。返事が来るまで少し待て」
椅子に座り直しても、視線は何度も空の魔法陣へ戻ってしまう。
ルクスも私の足元に伏せ、同じ場所を見つめていた。
やがて魔法陣が淡く光り、中央へ折り畳まれた紙が現れた。
私は立ち上がり、すぐに手を伸ばす。
返事はヴァルドからだった。
屋敷と畑に異常はなく、皆も変わりなく過ごしているという。
安全が確認されるまで森へ近づかないようにとの言葉に続き、最後にはリーフたちも帰りを待っていると添えられていた。
「黒の森の異変、向こうには影響なかったみたい」
「よかったな」
「うん。これでヴァルドたちを心配させたままにしなくて済むね」
瑛太さんが返事へ目を通す横で、ルクスも尻尾を一度大きく振った。
帰れない状況は変わらなくても、先のことを考える余裕が戻ってくる。
手紙を畳み直してから、街にいる間の予定を話し合う。
冒険者登録試験でセレナさんから勧められた武器は、まだ用意できていない。
以前紹介をお願いした回復魔法の指導者に会えるかどうかも、冒険者ギルドへ確認しに行く必要がある。
「武器店へ行ってから、ギルドへ寄るか」
「そうしましょう。せっかく街にいるんだし、今できることを進めたいです」
「店に当てはあるのか?」
ガイルに聞かれ、私は首を横へ振った。
そこで、冒険者や旅人を長く迎えてきたエドさんへ尋ねることにした。
一階へ下り、卓を拭いていたエドさんへ事情を話すと、少し考えて一軒の店を教えてくれた。
「……それなら、職人通りにある鉄枝の工房がいいだろう。客の体格や戦い方を見て選んでくれるし、初心者だからって高い品を押しつける親父じゃない。杖も弓も扱ってるぞ」
「ありがとうございます。場所を教えていただけますか?」
紙へ書いてもらった道順を受け取ると、厨房から食器の重なる音が聞こえ、もう昼が近いことに気づいた。
宿の昼食は頼んでいないが、朝市で買った食材はインベントリに入っている。
「クロエさん、朝のパンは残っていますか? 昼食に添えたいので、分けていただけると嬉しいのですが」
「ええ、少し残っているわ。朝焼いた物でよければ用意するわね」
「ありがとうございます。お願いします」
クロエさんがパンを用意している間に、ガイルが腰の革袋から硬貨を取り出し代金を支払うと、私たちはそのまま宿裏の簡易調理場へ向かった。
箱庭の厨房より低い作業台の隣には、口の狭い石組みの竈が据えられている。
使い慣れた場所とは勝手が違うため、まずは薪を組んで火をつけ、炎が落ち着くまで様子を見る。
火加減の癖が少し分かったところで、必要な食材と調理道具をインベントリから取り出し、作業台へ並べていった。
今日作るのは、朝市でトルマを見つけたときから考えていた、一角兎の肉のトルマ煮込みだ。
一角兎の肉を布で包むように押さえ、表面の水分を丁寧に拭き取る。
サルディア塩とペルザスパイスを全体へ強めに振り、フォルナ粉を薄くまぶした。
余分な粉を落として皿へ並べていると、パンを届けに来たクロエさんとルイーズが作業台の前で足を止める。
「真由さん、それも料理に入れるの?」
クロエさんが見ていたのは、細かく刻んだガルニル根だった。
「はい。お肉やトルマとよく合うので、香りづけに使おうと思っています」
「ガルニル根は薬よ。普段の料理には使わないわ」
思いがけない言葉に、包丁を置いて顔を上げる。
「風邪をひいたときや体調が悪いときに、少しだけスープへ入れて飲むの。普段の料理に使うなんて考えたことなかったわ」
「そうなんですね。でも料理に使うとアクセントになって、意外と美味しいんですよ」
地球でも、にんにくは体力をつけたいときに食べられていたし、元は生薬。
こちらでは同じ働きが、薬として根づいたらしい。
「少ない量をベルクレアでゆっくり温めると、食欲を誘う香りが出るんです」
「薬を香りづけにするのね」
クロエさんは不思議そうに見つめながら、竈のそばへ残った。
フライパンにベルクレアとガルニル根を入れ、弱火にかける。
細かな泡が立ち始め、ガルニル根の鋭かった匂いが香ばしさを含んだ香りへ変わっていく。
「同じ物なのに、スープへ入れたときとは全然違う匂いね」
「この香りが出たら、お肉を焼きます」
火を中火にし、一角兎の肉を並べると、勢いよく音が立った。
何度も動かさずに待って裏返せば、表面にこんがりとした焼き色がついている。
両面を焼いたら皿へ移し、同じフライパンへオルニアとセルフィを入れ、底についた旨味を木べらでこそげながら弱めの中火で炒める。
しばらくすると、野菜がしんなりと沈みオルニアの甘い匂いが重なった。
次に焼いた肉を戻し、水と切ったトルマを加える。
全体を軽く混ぜて蓋をしたところで、作業台の向こうから小さな顔が覗いた。
「ねえ、真由お姉さん。もう食べられる?」
匂いに我慢が出来ないらしいルイーズが、背伸びをしながら鍋へ近づこうとしている。
私はとっさに鍋との間へ手を差し入れた。
「まだ煮込んでいる途中だから、火へ近づきすぎないでくださいね」
「だって、すごくいい匂いがするよ」
目を輝かせるルイーズの肩へ、クロエさんが後ろから手を置いた。
「肉はもう焼けていたのに、まだ煮るの?」
「はい。先に表面を焼いて香ばしさをつけてから、トルマや野菜と一緒に煮込むんです。そうすると、お肉が柔らかくなって、味も馴染みます」
四十分から五十分ほどかかると伝えると、ルイーズの肩が目に見えて落ちた。
「出来上がったら呼びますから、少し味見をしてみませんか?」
「する! 絶対に呼んでね!」
「ルイーズ、食堂のお仕事を手伝いながら待ちなさい。鍋のそばで待っていたら、邪魔になってしまうわよ」
クロエさんに背中を押されても、ルイーズは何度もこちらを振り返る。
二人が食堂へ戻ると、調理場には薪がはぜる音だけが残った。
ときどき蓋を開けて肉の柔らかさと水分を確かめ、炎を見ながら薪の位置を変える。
湯気が上がるたび、肉の香ばしさとトルマの酸味、オルニアの甘い匂いが混ざって鼻先をくすぐった。
木べらの先で押した肉がほろりとほどけるようになったところで、蓋を外す。
赤みを帯びた煮汁を好みの濃さまで煮詰め、小皿へ取って味を見る。
トルマの酸味は穏やかになり、一角兎の旨味と炒めた野菜の甘みがソースへ溶け込んでいた。
サルディア塩とペルザスパイスで味を調え、最後に少量のベルクレアを落とす。
ゆっくり混ぜると、赤いソースの表面に艶が生まれた。
完成を知らせると、ルイーズはクロエさんの手を引いて戻ってきた。
二人の小皿へ肉とソースを取り分け、食べられる温度まで冷ます。
「もういい?」
「はい。でも、まだ少し熱いので気をつけてくださいね」
ルイーズは何度も息を吹きかけてから、肉を口へ運んだ。
大きな瞳がさらに丸くなり、すぐに頬が緩む。
「柔らかい! 噛んだら、すぐにほぐれたよ。もっと食べたい!」
クロエさんは肉を一口食べ、次にソースだけを味わうと、確かめるようにもう一度匙を運んだ。
「トルマの酸っぱさが、こんなにまろやかになるのね。オルニアの甘みも分かるし、ガルニル根も薬を食べている感じがしないわ」
「ベルクレアでゆっくり温めたので、強い香りが料理の中に馴染んだんだと思います」
「これなら、具合が悪いときだけではなく、普段から食べたくなるわね」
クロエさんは小皿に残ったソースまで味わうと、今度は私の手元を見た。
「真由さん、滞在している間に、この料理を教えてもらえないかしら?」
「もちろんです。今度クロエさんの時間がある時に一緒に作りましょう」
「私も作りたい!」
「ルイーズは、まず火へ近づきすぎないことを覚えてからね」
クロエさんに釘を刺され、ルイーズは唇を尖らせる。
けれど、すぐに私へ向き直ると、約束だからねと念を押して笑った。
帰れないために延ばした滞在なのに、その先に楽しみな予定が一つ増えたことが、素直に嬉しい。
一角兎の肉のトルマ煮込みを器へ盛り付けると、酸味を含んだ湯気がふわりと立ちのぼった。
パンと一緒に盆へ乗せ、部屋まで運ぶ。
湯気に気づいたのか、話し込んでいた瑛太さんとガイルが顔を上げ、そのまま自然に会話を切り上げて席についた。
二人の視線が皿へ向かうのを感じながら、私も向かいへ腰を下ろす。
ルクスは卓の横で静かに伏せたまま、こちらの手元をじっと見つめている。
ルクス用に焼いた一角兎の肉を、しっかり冷ましてから差し出すと、皿に鼻先を寄せたルクスは、一度小さく尻尾を振ってから食べ始めた。
「お待たせしました。いただきましょう」
パンを割ってソースへ浸すと、細かな野菜と一緒に赤い色が染み込む。
口へ運べば、肉と野菜の旨味を吸ったパンから、ベルクレアのコクとガルニル根の香りが広がる。
一角兎の肉も力を入れずにほぐれ、煮込む前につけた焼き色の香ばしさが残っていた。
「うまいな」
瑛太さんは肉を飲み込んでから短く言い、もう一切れパンを取った。
ソースを残さないようにパンの向きを変えながら浸しているのを見れば、口数以上に気に入ってくれたことが伝わってくる。
「奥様、これはなんて料理だ?」
「一角兎のトルマ煮込みですね」
「……トルマはもっと酸っぱい食べ物だと思ってたが、こりゃ美味いな」
ガイルはそう答えながら、皿に残ったソースをパンで綺麗に拭い取った。
足元では、肉を食べ終えたルクスが私を見上げ、もうないのかと尋ねるように鼻を鳴らす。
「ルクスは、少しだけね」
取り分けておいた肉をもう一切れ器へ入れると、尻尾が嬉しそうに床を叩く。
その音に瑛太さんがわずかに口元を緩め、ガイルも仕方ねえなと笑った。
宿へ戻ったときは、箱庭へ帰れないことばかり考えていた。
けれど今は、ヴァルドたちの返事が手元にあり、街での予定も決まっている。
クロエさんとルイーズには、新しい料理を一緒に作る約束もできた。
予定通りにはいかなくても、皆で食卓を囲めば、落ち着かなかった時間が少しずつ私たちの暮らしへ変わっていく。
最後のソースをパンで拭いながら、武器店への道順を思い浮かべた。
昼食を終えたら、次は私の杖と瑛太さんの弓を探しに行こう。
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